日記について。
6.23から6.29までアンケートを実施しました。末日までーと公言したのですが、善は急げということで、早めに切り上げました。
はじめに、このサイトについているの日記で、不快な思いをしたという方、本当に申し訳ありませんでした。また、ここ一ヶ月足らずの間に起きた出来事も、お越し下さった方からしてみればせわしなく、居心地の悪いことだったと思います。本当にすみませんでした。




日記、については本当に賛否両論で、こんな日記ない方がいい、という意見があれば、日記はいやだけど、小説は読んでくださるという方、日記のせいで小説までつまらなくなってしまったという方、日記は是非続けて欲しいという方もいらっしゃって、折衷案をどうするべきかは、レベッカなりに考えましたがかなりきわどいです。

結局票数とコメントから「残す」ことにしました。 ただし、日記の形については少し変更します。


@基本的に日常のことを書く。
A「批判」は必ず「続き」に書く(そのまま目に入ってしまう場所には書かない)。
B「本の感想・批判」「夢小説について」等、批判用のカテゴリーはわける。
Cコメント機能は、現時点でははずしておく。

何度も考えたのが、「日記のブログと批判のブログとをわける」というものです。何度も考えました。それは二年前から考えたことです。でも、無理でした。ある程度は、批判が私の一つの特徴であって、厄介な特徴と思われるかもしれませんが、友人や家族に認めてもらえる大事な長所でもあります。
なので、今のところは、日記自体は一つにしておきます。


次に、日記に対する批判ですが、日記批判用メールフォームへのリンクを、日記の中に設けました。
基本的に、日記の批判は、そのメールフォームでやっていただきます。フォームですが、メールアドレスは必須です。無い場合はお受けしません。それ以外のフォームでは、一切お受けしません。一応、返事の有無はお訊きするようにします。もしもブログで自分の批判を全文紹介して欲しいという場合についてもお聞きするようにします。しかし、お返事のしようがない、もしくは不適切だと判断するような内容のものには、お返事は致しません。
それ以外のコメントは、通常通り拍手やメルフォからご連絡下さい。
いつも通り遊びにきてくださる方には何時も通り利用して頂けます。今まで通りです。ただ、日記に批判をしたいという特異な方は、日記批判フォームから、お願いしますということです。




















あの混乱期に突然「有無」を問うアンケートをとったことは、来て下さる方を混乱させてしまったかもしれません。深くお詫び申し上げます。
日記については以前から、たまに友達からも意見をもらうことがありました。
確かに、日記は私の自由です。そしてこのサイトも。だから、有無を問うなんておかしい、と思われた方もいると思います。
日記が何故騒ぎになったのか、当初私には正直さっぱり分かりませんでした。何が気にくわないのかも、よく分かりませんでした。何故某掲示板で騒ぎになったのかも。今は分かります。考え方が違うからです。
でも、当初は何も分かりませんでした。しばらく分からなくて、混乱する日々が続きました。
やがて思いついたことには、もし、理由を知りたかったら、私自身が来て下さる方に、あつかましくもお尋ねしなくてはならないなと考えて、アンケートに踏み切りました。
「どっちでもいいのになぁ」と訝しく思われる方も多かったと思います。それでも答えていただけたこと、嬉しく思います。
私はアンケートではじめて、自分の日記が来て下さるかたにどうとらえられているのか、その側面を知ったような気がします。
自分では、ある程度、思いを込めて記事を書いているつもりでした。でも、やっぱり来て下さる方からすると不愉快な思いになる記事もあります。でも、そういう記事を興味深く見て下さる方もいます。大好きですといって下さる方もいます。
こんなことをいうのもどうかと思いますが、少し混乱しました。
けれど「批判」と「日記」はわかれていた方がいい、他のところでやって欲しいというように、かなり具体策を示して下さったと思います。
また、ないほうがいい、というご意見もあって、ブログの責任だとか、ご迷惑をかけていることだとかについて指摘して下さった方もいらっしゃいました。


こいつは頑固だなぁとか、物わかりが悪いとか思った方はいらっしゃると思います。でも、それは私の考え方の問題です。
いろんな考え方があって、私とは違う意見の人もいます。でも私は、いくら自分と違う意見の人を見つけても、それを、「いけないんだー!」と言って本人の元に押し寄せ、潰すことはあってはならないと思っています。でも、それは自分に対しても同じだと思っています。
自分で言うから説得力がないかもしれないのですが、私の考え方が「いい」と思って下さる人も、います。だから、相手の意見が間違っているのではなくて、私の意見は残っているべきだと思っています。もちろん、相手の意見も。わたしは、お返事をするとき、ぶっ潰すというよりは、自分の意見を残すための言葉を尽くし続けてきたつもりです。相手を潰さなくてもいいんです。私が、そこに在ることが出来れば。怒るときに素直に怒ることも、やっぱり「私」なんだと思います。自分の大事なものを踏みにじられたら、恥なんか気にしないで怒っていいというのが私の考え方です。違う考え方の人からすれば「どん引き」かもしれないけど、わたしはこの考え方を曲げるつもりはありません。一体、どちらの言うことが間違ってるんだろう、と思ったらどっちも間違ってるなんて言えないと気付きました。
誰の考え方も間違ってはいない。だから、誰の考え方も潰されてはいけない。それを主張するなら、私は多少めんどくさくても自分の意見というものを残しておこうかなと思います。
わたしはだだっ子は聞きません。どんなに味気ないやつだと思われても、付き合い悪いなと思われても、一番良心的で、平和的な道を模索します。何故それなのにこんな騒ぎになったかというと、わたしに対しての意見に関しては、無視すること自体が一種の危険かなと考えたからです。わたしという人間の価値観は、特殊ではありませんが、確かに多くの方が思うとおり「理解できない」部分があるかもしれません。だけど「理解できない」ものを迫害するという現象を無視してもいいものかな、と思い、出来る限り日記で自分をアピールしてみました。ネットでの誹謗中傷についてをはじめとした自分の素直な気持ちも書きました。自分としてはしつくしたし、何が一番必要なのか、分からなかったことの答えも見つけました。
誰にとって終わらなくても、私にとっては決着がつきました。だから私はカーテンを引きます。
少なくとも私からすれば、この一ヶ月は、自由に自分の考えをブログに綴り、アンケートでいらしてくださった皆様にお訊きしたことに答えていただき、自分でブログのあり方を変えようと思った、という月でした。私にとっては、あくまでそういう月です。このサイトにとっても、ブログにとっても・・・かつてないくらいブログのコメント欄と拍手とメルフォが作動した月でしたが(笑)。



私は、はじめてはっきりと、「考え方の違い」という名の絶望を見ました。人と人、考え方が違うのは当たり前のこと、といえばそうなのですが、これほどはっきり掘り返して、自分から見ようとしたことはありません。
相手の考え方は何も間違ってないのに、自分の考え方も何も間違ってない。私に何故苦情が来続け、私は何故自分に非があると思えないのか。当たり前です。苦情も私の考えも、一つの考え方だからです。これは、自分で探し出してこの目で見たとはいえ、かなり絶望的なことです。
悩んだ末、人の信念を踏みにじらない方法は、干渉しないことしかないということを知りました。それが一番絶望的なことでした。話し合って分かり合いたかった・・・でも、当初から見られる、私に対して悪意や敵意を持つ人の気持ちがそう簡単に安らぐとは思いがたいです。その人達には、その人達の信じるものも思いもあります。だから、分かり合うにはかなり根気強く時間が必要だということも分かりました。でも、これはこのサイトに直接関係ない話です。話し合いは、アンケートでご指摘いただいたとおり私の日記で行う範囲をゆうにこえることだと思います。本当に互いに分かり合いたい人同士で行うことであり、穏やかに閲覧したい方の前ですることではありません。それも、そうだなと思いました。
もし、私の意見が気にくわないと思ったなら、誰でも、思う存分議論して下さい。私が私自身に対する言われないクレームや掲示板に干渉しないと決めたのは、彼等の意見はあっても普通だからです。私と違う意見の人が、私の考えを変だと思うのは当然です。
でも、悪口はよくないなとは思います。それは譲りません。私が言い続けたのは、私に対する「誹謗中傷」をやめて欲しいということです。何かを言うことが悪いとは言わない、ただ、ドリームサイトを検索避けのかかっていない掲示板に「晒す」という行為と、「誹謗中傷」を行った時点で、私のサイトを「ドリームサイトとしておかしい」と論じる権利はないと思います。これは事実なので言っておきます。言葉の内容以前の、ルールの問題です。
でも、私の考え方が他の方と違うことで、その方々の中で違和感を覚えて話題にあがってもしかたないし、批判が飛んでも文句は言えないと思います。だからそれらに対してはもう何も言わないし、関与しません。目を背けるというよりは、相手の信条を踏みにじらないための策です。私は共存したいと思いました。誤算は、絶対に話し合って解決できると過信していたことです。。今も、その可能性を捨てきってはいません。話し合って解決できるかもしれません。でも、私のは確かに過信でした。いずれにせよワンクッションがいるとは思います。
かといって、私に何か言いたいひとは多いと思います。だから、意見をもらう場所は残しておきたいと思います。
愚かだったのは、それに気付くまでにこんなに時間がかかったことです。でも、夢中でキーボードを叩いて分かることがたくさんありました。この間にいただいたたくさんの意見も、出来事も、きっと忘れないと思います。一生懸命、私に言葉をつたえてくれた人のことは、忘れません。届く言葉があるなら、一度絶望を見てもまだ頑張れるなと思います。
最後に、お騒がせして本当に申し訳ありませんでした。

本当に、ご迷惑をおかけしました。テストも近いので、ブログにのめりこむのもほどほどに、もう少しオール連載の更新を頑張りたいです。
































































弱音 でも、本心。



今日の朝。五時くらいだったと思います。やっぱり、寝付きが悪いのか、起きました。
二つ、新しいコメントが入っていて、多分今月読んだコメントでははじめて泣きました。

何て一生懸命で想いのこもった美しいコメントだろうと、思ったのです。
私に対する非難もあったのに。
楽に、なれればと思いました。
放り投げちゃえばいいのに、今すぐ。
それで平謝りして、楽になっちゃえばいいのに。

でも、自分が間違っているとも、一つも思えなかった。
相手を愛おしく思ったら、自分なんてすぐに変えられると思ったのです。
でも、それが出来ませんでした。
それはあまりにも、絶望的なことでした。






人のコメントって、面白いですね。がむしゃらに入れられたコメントには、確かに人柄が浮かび上がってくる気がして・・・錯覚かもしれないけれど。
見境なくつき合っていればいいのなら、ずっと喧嘩していてもよかったのになぁと思うときは、あります。
それでも、時間には限りがあるし、私にも守らなくてはならない節度がある。つけるべきけじめもある。
その人がどれだけ魅力的な人でも、それが許容できない言葉なら、私は切り捨てるしかできない。
だから頼むから言わないで欲しい。理解できないのはわかるから、私に腹が立つのも分かるから、罵詈雑言は言わないで欲しい。
私の決意を、揺らがさないで欲しい。こんなに弱いんだから。
想いがどれだけ分かっても、言葉がそうじゃ意味ないの。切って捨てなければならなくなってしまうから。
でも捨てたくないんだから。だから、罵詈雑言は言わないで欲しい。


私に対する攻撃でも、中傷でさえも、見ているとそれぞれの人の温かさを見るような気がして。
ああ、私はこの私であるばっかりに、この人達とは今決して笑いあえないんだと思うと、それは本当に絶望的だった。
本当に、絶望的だった。


それでも結局、許せないものは一歩も譲れないんだから。


私の意志と、私生活を両立するためのやりくりと、管理人としての責任が、トリレンマ状態に陥っている。
結局自分で自分を苦しめてる。

じゃあ一体、最後はどうやったら解決するんだろう。
両手を後頭部にあてて膝をついて俯けば、どうにかなるんだろうか。
多分、どこでも続いていく問いなんだろう。


08.6.29



このページは、
七月初めには消える予定です。