Masami Iwata
岩田 正美
1947年生まれ。中央大学大学院経済学研究科修士課程修了。日本女子大学教授。研究テーマは、貧困・社会的排除と福祉政策。主な著書に『現代の貧困』(ちくま新書)など。
岩田 正美 さん(日本女子大学教授)
昭和30年代の貧しさを甘美に描く映画がヒットする反面、生活保護の急増や格差社会の到来など、深刻な貧困をめぐるニュースが絶え間ない。
だが、そうした報道は、貧困が日本社会に突然降って湧いたかのような印象を与える。
『現代の貧困』を執筆した岩田正美教授は、「貧困は昔からあった。ただ、それをなかったことにしてきた」と語る。私たちは何を見ず、そして、いま何を再発見しつつあるのだろうか。
たとえば年収300万円に満たないとワーキングプアだという言い方があります。それ自体が間違ってはいないにしても不正確と言えます。年収300万円でもひとりで暮らしていたら、まあまあの暮らし向きかもしれない。でも、5人だったらおそらく貧困でしょう。
つまり家族の数や生活に必要なものが、「それでまかなえるかどうか」が問題です。貧困とは「ある社会に生きる上で最低必要な水準に満たない状態」というのが正確だと思います。
では、具体的に「年収はいくらで、どういう状態が最低生活か?」を決めるには、いくつかの考えがあります。日本では、生活保護基準や最低賃金制度、国民基礎年金などが何らかの最低水準の線を表しています。
なぜこうした線を引いて最低生活を守ろうとしているかというと、みんな自分の努力で自由に生きるわけですが、やはり人生の中で失敗することは当然あります。その人の責任とは別に、社会の産業構造の変化や景気変動、病気や障害を負うことで失敗することがあります。それを「運が悪かった」「怠け者だから失敗した」といって放っておくなら何も制度はいりません。
自分だけよくて、「隣人は孤独死しても平気だ」と言い切ることが出来る人は少ないのではないでしょうか。しかし、社会がどこまで個人の生を保証するかは難しい。すべての格差をなくして平等にするというのは、社会の構成員の理解を得られないでしょう。
ただ、いまの日本ほどの生産力の高さがあれば、全ての人が最低限の暮らしはできるはずです。それ以上のことは、運や努力がかかわる話になるかもしれません。
今の日本では生活保護基準より下だと貧困。すれすれだとボーダーライン、低所得と言えるでしょう。普通はそういう線を引いて、ある時点で上か下かを判断していくのですが、ある人をちょうどビデオカメラで撮影するみたいに追っていったとき、この上下の動きから何が分かるか。ある時点では貧困の基準線より下だったけれど、翌年は上に行ったというような動態がわかります。
そういう調査法で見ると、特定の人たちはいつも貧困の線の下にいるのに、ある人たちは線の近くにも行かず、ずっと上にいる。また、行ったり来たりの人もいることがわかります。
現時点で貧困かどうかは確かに問題です。けれど、一時期だけの貧困はそれほど問題ではないという考えもあります。これに対して一度貧困になると上がっていけない「固定的・慢性的な貧困」という状態は問題です。こうなると社会のある特定の集団だけがいつも貧しく、ほかの人はそうではないという分裂が生まれてきます。
いまは、一時期より雇用状況はいいと言われています。しかし、そうであっても、貧困という名のバスに一度乗ってしまうと、閉じ込められて降りられない人たちがいます。今の日本では、ある種の不利な状況にある人々が貧困から脱することができないのです。
たとえば、いまでは離婚は普通の出来事ですが、それにもかかわらず離婚し、さらに子供のいる女性は、必ずといっていいほど貧困の危険が高まります。また単身者や転職を繰り返す人も不利な状態に置かれやすい。
若い人に転職を進め、「いろいろやったほうがいい」というのは、確かにそうです。やりたいことを見つけて、貧困と関係ない生活になればいいでしょう。けれど、現実は転職を繰り返すほど不利になる社会構造になっています。思っているほど社会の構造は柔軟になっていません。
そういう心配をする必要はありません。というのは、ほとんどの場合、貧困から防御する抵抗力をある程度は持っているからです。たとえば家族の支え、学歴や遺産などがそうですが、多くは本人の努力で得たものではなく、受け継いだものです。
私たちは、「自分は立派に自立している」と思っても、よく考えれば、いろいろなものに守られ、裸で社会と向き合っていません。
ところが、そういう継承すべき資産がないとか家族の支えがない、あるいは剥ぎ取られる状況になった人たちがいます。当然、不利な立場になります。
格差が広がれば貧困の危険は高まるので、若い人が不安に思うのは当然です。しかし、みんなが固定化した貧困に陥るほど、広く貧困の問題は現れていないと思います。むしろ、貧困を一身に負っている社会集団がある。そのことへの注意が必要です。
そうです。日本の労働市場における雇用の仕組み、社会保障制度は、家族を持っている人に有利で、単身者に不利にできています。加えて男性より女性に厳しい。あるいは労働市場への参加スタイルだと、子供を持った女性に不利にできています。
バブル期であれば、細かい仕事が常に存在したため、その時代でも貧困はありましたが、そうした労働市場の綻びはよく見えませんでした。しかし、バブルがはじけてホームレスのような形ではっきりと貧困が見え始めました。
いまホームレスの数は一見少なくなったように見えますが、ネットカフェ難民だとかファストフードに店にいる人たちが現れ、しかも隠れた存在としてよく見えていません。
サービス産業が増えると夜間や早朝の働き手を望み、そうなると「子供が病気でも休まないで欲しい」といった要望も増えますから、当然、子供のいる女性ははじかれます。しかし、そういう社会のほうがおかしいんです。「少子化だから子供をつくって欲しい」と行政は言いますが、それでいて母子家庭に冷たい。
母子家庭でなくても、妊娠して病院へ行って出産する場合、基本的に自費ですよ。もっと子供を産んで欲しいなら、出産費用をただにしたらいいと思います。母子家庭に対するサポートといい、少子化を憂えながら、言っていることとやっていることがまるで違いますね。
所得保障を行うよりも再チャレンジなど、働く場を獲得するチャンスを与えたほうがいいのは、確かにそうでしょう。しかし、どれだけ就労のアプローチ支援をやっても、雇用を決めるのは企業です。国のサポートの効果は間接的でしかありません。
たとえば母子家庭のお母さんがヘルパーや調理師の資格を取っても、就職は難しい。また、取ったからといって賃金は上がりません。そういう人が貧困にあえいでも、世間は「資格が足りないから」とか「努力が十分でないから」と思うかもしれませんが、やってもうまくいかない構造があるのです。
グローバルな競争を生き抜くため産業界の選別は厳しく、そういう中でこぼれた人が非正規の労働を担うことになります。
いま、どんどん単身世帯が増えています。非正規雇用であれば結婚年齢も遅くなります。結婚しようがしまいが、離婚しようしまいが、これらは個人の自由で、それを選べるのはいい社会です。終身雇用だけでなく、やりたい仕事を選べるのもいい社会です。
でも、いまの日本は、そういうことを善しとしつつ、そのために不利な状況に追いやられた人の生活を保障しようというセーフティネットを伴っていません。家族といった私的なセーフティネットがあるから何とかなっている部分があるにすぎません。
欧米では離婚率が高く、2、3回離婚する人も多い。また移民、難民の受け入れも日本より多いため、非正規雇用の問題と家族の崩壊は進んでいます。こうした事態は、日本では90年代半ば以降に現れましたが、欧米では80年代から出てきました。
欧米では学校を出ても、就職できないし、失業保険にもカバーされない。そういう若者が増えたために、「社会的排除」という言葉が生まれました。たんに貧困というだけでなく、社会から外されている。社会の一員としての義務も果たせない。権利もない。働きたくても労働市場から長期に排除される。さすがの個人主義のフランスも家族のもとに帰る若者が増えたという現象が起きました。
生活保護は申請主義なので、貰いたくない人はいるにしても、保護基準以下の所得しかない人が申請しても貰えないことがあります。これにはいろいろな理由がありますが、ひとつには、働ける年齢層の男性に無闇にセーフティネットを提供すると、「働かなくなるのではないか」という懸念を持っていることもあるでしょう。本当は働けるのに怠けているのではないかといったものです。
また、いったんホームレスになると戸籍はあっても住所がありません。その人の社会への帰属、メンバーとしての正当性が疑われます。生活保護は自治体ごとに実施されますが、自治体側の「うちの住民でもない人に提供するのは、どうかな」という考えもあるでしょう。
ホームレスのほうが貧困は進んでいるにもかかわらず、貧困でもまだ家があれば生活保護の申請は受理されやすい。シリアスな貧困ほどキャッチできにくいのです。
日本では、排除が社会にどういう効果を与えるかについての危機感はあまりないようです。いまのところ移民に対する受け入れも少なく、そういう意味でも「了解しあえる仲間社会」という観念も相変わらず根強い。
現代の貧困の特徴として、借金があります。家族に援助を受けられず、社会保障の手当てもされない人が借金を抱えやすい。若い人は出産の費用もないため、信用調査もなく借りられる消費者金融に手を出してしまう。一回の借金ならともかく、借金のための借金をし、収入はそこそこあっても返済にまわす。そのため事実上、収入がなくなる。そうした事態は、ただ「収入がない」という従来の貧困ではとらえきれません。
金融機関に勤めている人なら金利の知識に精通しているから消費者金融に手を出さない。ところが金利に詳しくない人は、コマーシャルでの気軽な雰囲気から大丈夫だと思ってしまう。そうしてお金を借りるほかない状態の人がいます。
しかしです、たとえば子連れで離婚し、生活に困った女性がやることはまず借金ではありません。一定の生活基盤を築けるよう社会が提供すべきです。チャンスを与えれば、セーフティネットの提供は短期で済みます。雇用する側も、そういう属性を持つ人を雇用できる条件をつくって欲しい。結局そうしないで自殺や犯罪、孤独死といった社会にとってネガティブな問題が増えれば、社会の払うコストは結果的に高くなります。
もしも個人の責任なら、いろんな人に問題がばらけて出てくるはずですが、離婚だとか、ある属性を持っていると貧困になるリスクが上がるとなると、これは個人の問題ではありません。
いまマスコミは貧困や格差といった言葉で事態を煽っていますが、注意深く見るとあるパターンがあって、似たような特定の人たちが登場していることに気づくはずです。労働市場の対応やそれをカバーする社会保障の未成熟と絡めて不利な層ができているのです。
マクドナルドの店長が未払いの残業代を支払うよう訴えていた裁判で、店長側が勝訴しました。あんなに働いても賃金が高くない。過酷な労働が改善されるわけでもない。それはひとりの問題ではありません。個人の問題ではないからこそ、企業側も控訴してまでがんばろうとするのです。
若者が注目されていますが、実は日本の特徴として言えるのは、中高年の男性が一手に貧困を引き受けているところです。ネットカフェで暮らしている男性を調査したら、20代と50代が突出していました。それに自殺も多い。また孤独死は高齢者に多いと言われていますが、実は50代がかなり多いのです。
おそらく50代は定年前に「必要ない労働力」として一掃される世代なのだと思います。未婚の単身者だったり、離婚した場合、あるいは倒産や借金などの問題から家族もいない中、ひとりで暮らすとなると、将来の展望が望めません。家賃だけ払ってアパートにいて、2、3年経ってから死んだことに気付くケースもあります。それを「緩慢な自殺」という言い方をする医師もいます。欧米の場合、若い人の貧困率が多く、日本も増えてはいるものの、主流はまだ50代なのです。
行政からは見えないのではないでしょうか。そういう人に自治体の窓口で会って、見はしても、やはり「個人的な原因」と考えているのでしょう。
同時に不利な立場にいる人も同じように考える傾向があります。50代の男性のホームレスにインタビューすると口を揃えて「俺が悪いんだよ」と言います。「さっきこの人にインタビューしたかな?」というほどストーリーが似ています。つまり、50代の男性の物語はそういうことに収斂されてしまう。男は労働市場でがんばるしかない。そういう社会なんです。
それも日本の特徴で、50代の男性は諦めてしまいます。そして、20代はやさしい。
一昨年、パリでは若者を中心に暴動が起き、焼き打ちも行われましたが、日本の場合、ああいうふうになりません。貧困や悲惨さを自分だけが引き受けて死ぬ。諦めたり、精神的に失調するなどむしろ自分の内に籠ります。正当な抵抗として表現されることはありません。
仕事とプライベートをうまく調和させるといったワーク・ライフ・バランスという働き方に関する概念がありますが、学生からするといまの社会で仕事と家庭を両立させることは難しく、結局はしんどい部分を自分が引き受けないといけないことがわかっているようです。すべての学生ではないにせよ、社会に対する期待が低いように思えるところがあります。
どういう選択であれ、そのときにある条件のもとでしか選択は行えません。いまは変化の早い社会です。だから、「いまいい」と思ってやったことも、10年経てば遅れてしまいます。企業の合併も突然起こりますから、いくら企業研究しても無駄な側面があります。
企業にも、まして家族にも頼れない。そういう中でどうしたらいいか? やはり諦めるのではなく、変化する社会に適応できても「次はどうなるかわからない」ことを理解したほうがいいです。
その中で自分を押し殺したりせず生きていくことが大事です。ただ、それをひとりで行うのは難しい。人間はひとりで突っ張れるほど強くないから、助け合う集団をつくること。社会は、そういう集団の延長でないとおかしい。
「働かないなんてけしからん」と大人がいうなら、責任を果たせるような社会にしないといけない。どういう社会にするかは、社会の構成員にかかっています。つまり未来は若い人にかかっています。
Masami Iwata
岩田 正美
1947年生まれ。中央大学大学院経済学研究科修士課程修了。現在、日本女子大学教授。研究テーマは、貧困・社会的排除と福祉政策。主な著書に『現代の貧困』(ちくま新書)『戦後社会福祉の展開と大都市最底辺』(ミネルヴァ書房)『ホームレス/福祉国家/現代社会』(明石書店)など。
【岩田 正美さんの本】
『現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護』
(ちくま新書)
『貧困と社会的排除―福祉社会を蝕むもの』
(ミネルヴァ書房)