【コラム】無差別殺傷事件後の秋葉原(上)
今月8日の日曜日、世界的に有名な電気街である東京・秋葉原で無差別殺人事件が発生した。逮捕された加藤智大容疑者(25)は、多くの人々で賑わっていた大通りを2トントラックで暴走し、トラックから降りた後ナイフを振り回した。この事件で路上にいた7人が死亡し、10人が負傷した。事件後初めての日曜日となった今月15日、記者は事件現場の秋葉原を訪れた。
◆車と歩行者
車道には自動車が走っていた。人々は歩道上で、横断歩道の信号が青に変わるのを待っていた。ごくありふれた光景だが、同時に特別な光景でもあった。行き交う車も人々も、その様子はどこかぎこちなく見えた。人々は歩道に押し込められているように見え、またドライバーも初めて通る道であるかのように、周りをチラチラと見ていた。
秋葉原では1973年から、日曜日には車の通行を規制し、車道を歩行者に開放する「歩行者天国」を実施してきた。これが35年ぶりに中止されたのだ。東京都は今月13日、「殺人事件の発生を受け、当分の間歩行者天国を中止する」と発表した。通りには所轄の万世橋警察署が立てた「8日の事件のため、当分の間歩行者天国を中止します」という立て看板があった。だが、秋葉原の通りを行き交う車はそれほど多くなかった。近くの御茶ノ水に比べ、交通量は半分程度だった。御茶ノ水の楽器店街で会った20代の男性は、秋葉原の歩行者天国が中止されたことを知らなかった。
◆報道陣
秋葉原の各店舗が開店の準備をしていた午前10時。事件が起こった交差点は報道陣でごった返していた。横断歩道に接する四つの曲がり角はどこもテレビカメラに占領されていた。大部分のカメラがとらえていたのは、ある電気店の前に設置された献花台だった。その横にも10人余りの報道陣が陣取り、献花に訪れる人が来るのを待っていた。一方、少し離れた通りでは、テレビ局の中継車も目に付いた。
報道陣は秋葉原の通りを埋め尽くしていた。その多くが事件現場の交差点に陣取ったが、駅の周辺や商店の入口、大通りとおった人通りが多い場所にも報道陣はいた。テレビ局のカメラマンは「報道のためではなく、ワイドショーのための撮影だ」と語った。加藤容疑者が事件を起こす前に話していた通り、秋葉原は彼を主人公にしたテレビのワイドショーの「オープンセット」になってしまった。
東京=イ・インムク記者
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