「天の声に従いながら、ここまで来た気がする」。よくこう語っていたそうだ。戦後の私学振興に人一倍使命感を燃やした人ならではの実感だろう。
学校法人加計学園、高梁学園の創立者で四月末に死去した加計勉さんの「お別れの会」が、きょう、岡山市の加計記念体育館で行われる。東広島市出身。信念を貫いた八十五年の生涯だった。
教育事業を決意したのは原爆で焦土と化した広島の街を目の当たりにした時という。「日本の復興は教育なくしてはあり得ない」。一九五五年に広島市内に大学受験予備校の広島英数学館を設立し、一歩を踏み出した。
その後、岡山に拠点を移して岡山理科大や吉備国際大、倉敷芸術科学大など次々開設した。いまや全国で七法人三十三校に及ぶ。多彩な分野で若者たちの能力を引き出し、時代が要請する人材の育成を図ってきた。
地域や外部とのかかわりに力点を置いたのも加計流といえよう。高梁市や倉敷市などでは、市の要請に応えて特色ある大学によるまちづくりに貢献した。国際交流にも力を入れた。
加計さんが好んだ字は「道」という。「天の声」に導かれ、卓越した先見性と行動力で苦難を乗り越えて切り開いてきた教育の道が、若者たちの歩みで大きく広がっていく。加計さんにとって本望だろう。