実は先週来私はm2氏のコメントの問題に関して、一種の「過集中」の状態にあり、合理的な思考が一部働きにくくなっていることに数日してから気付いた。
本来どのような主張も、「絶対に正しい」ことはありえない。だから合理的には、「何でそこまで言えるのか」という自己突っ込みが当然生じるべきなのが、自己突っ込みが無くなっている自分に気付いて愕然とした。
ジャイアンの「攻撃モード」は、積極奇異型ASのそれも「井戸の中」の状態に非常に似ている。
類似点①視野が狭くなる。②妄信する状態となる。③関連付け思考が出てくる。④分析が厳密になり、細かく想像できるようになる。
攻撃を仕掛ける「敵」に対し、理論的に(かなり強引に)相手の非を証明することに異常な集中(過集中)の状態となる。頭が実に良く回転し、論理的な矛盾を突き、板ばさみにして問い詰めたり、相手が非を認めるまで、徹底的にプレッシャーをかける。
自分の考えに対する「正しい」という思い込みが強くなり、自分が間違っているかもしれないと言う想像力が乏しくなる。ここまでは「思い込みが激しくなる」で説明できるが、
驚くべきことは、AS特有の「関連付け思考」に非常に似た関連付けを行うようになることだ。思考は一点に集中するような形で深く追及し、周りの関連する現象は全てその(攻撃の)目的のために位置づけられる。
この瞬間を見たら積極奇異型ASとの区別はほとんど困難では無いかと思う。ADHD特有の合理的な思考は情動の力で押さえつけられ、自分の思い込みだけで突っ走ることになる。
ただ、「積極奇異型ASが攻撃モードになったときは多くは怒って相手に直接攻撃に行くが、ジャイアンが対決することに決めたら逆にどんどん冷静になり、冷たく確実に相手を陥れる戦略を考えはじめる」ということろは少し違うのだが。
私にはここで自己突っ込みが機能していないことが逆に恐ろしい。そういう意味では自己突っ込みは「冷静なもう一つの目」として妄信に走らない歯止めともなりうる機能があるとも言える。
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相手を陥れる(本当に陥れるというイメージ)為には手段を選ばない自分の事が後になって恐ろしく感じます。
以前、イヤな自分コメントを出した時がまさしくその時でした。
そんな自分を正当化する言葉が、「相手が悪いのだから仕方が無い」です。
では、自分が悪いことをした場合はどうなのでしょうか?
たぶん、どんな手を使ってでも言い訳に終始することでしょう。
本当に恥ずかしい人間です。
ジャイアンなのだから、これはこれで良いのではないでしょうか。長い人生のたった数日、何かに過集中する。
ジャイアンの人生は、これの繰り返しなのかも知れませんね。そして、過集中は定期的に行わないと、ジャイアンの良い部分も消えてしまうように思います。
先生は、心の中の苦悩があったにも関わらず、医者という、誰もが尊敬する職業に就いています。
これだけでも、「ジャイアンに生まれたことを生かした」と思います。
過集中は、方向をコントロールすることが難しいけれど、うまく「はまった」時の爆発力はすごいと思います。
勉強に過集中、何かを記憶することに過集中、誰かを愛することに過集中…。
どれも、ジャイアンらしくて好きです。
苦しんでも、傷ついても、誰よりも深く物事を感じられる心がある。それだけでも、ジャイアンに生まれてよかったなーと思う今日この頃です。
よって、先生の今回の行動に対しては、良くも悪くも、「ああ、そう感じたんですね。だからそういう行動に出たんですね」くらいにしか思いません。(失礼な表現だったらごめんなさい)
私が先生の立場だったら、ブログをやめて別のことを始めるか、敵と認めた人のコメントは載せないようにしますから、先生の行動は、冷静さを欠いてはいないとも思います。
ADHDもASも,もともと同種のサブシステムを持っていて,「攻撃モード」のようなある状況下では,似た特徴を呈する。
というようなイメージが湧きました。
で,どういうときに,合理的思考サブシステムが機能不全を起こしてしまうのでしょうか?
先生の書かれたものからキーワードを探すと,「情動」に関係するのだろうかと思われますが。
例のASの彼とも、それで何度言い争いをした事か・・・まさに「佐々木夫妻の仁義なき戦い」でした。
でも、あのドラマの最後で、「離婚裁判がまるで結婚式のようだねぇ」って、妻側の定型発達っぽいお母さんが言うじゃないですか。ああ、そういう捉え方もあるのかなって思いました。
ジャイアンは、相手を理解する、考えるためにあえて攻撃モードに出る。その時、「相手を必要としていない」から、定型発達からみると一見「思いやりがない」状態が生じてしまう訳ですが、私はTVの佐々木夫妻は実はべたべたのバカップルだと考えています。
私もこういったこと、状況になっていることに気付きます。
普段、物事を合理的に段取り、解決していく、そんな生活を送っているのに、
わざわざ、私の前に立ちふさがり、私の勘に触るようなことを言ったり、やったりしてくれる人間が時々います。
周りの状況が読めたり、相手の気持ちが分かる多数派の人であれば、私のキャラを、きっと『そういう人もいるでしょう』位な余裕の中で、上手く距離を保ちながら、関わってくれるのでしょう。
しかし、ここはやはりASな特徴を持っていたりすると、そうはいかないのかもしれません。
自分を出せる相手(場所)だと分かると、かなりの勢いで、自分を主張したり、自分の立場なんて忘れ『物申す』ような態度にでてしまう。
いわゆる『自己中』的なジャイアンに対し、自分もジャイアンであったり、多数派であったりすれば、
そこは、理解し合えたり、相手にしないでおこう、のどちらかになるのでしょうが、
空気が読めなかったり、自分のやり方(考え方)を変え辛いASな人は、喧嘩腰(本人はそんなつもりはないと思われる)で向かってくるように思います。
(つづく)
>私にはここで自己突っ込みが機能していないことが逆に恐ろしい。
・・・と、先生は言われていますが、やはりASとの間では、依存関係以外でも『自己突っ込み』が停止することが度々あるような気がしますが、これは違うでしょうか?
当事者でない私から見ると、YANBARU先生の今回の怒り(攻撃=怒り ではなかったら、表現として不適切ですが)と、それに対しての行為は、正常であると思います。
私が先生にとても共感できることは、
攻撃したい(攻撃されても当然の)相手に対してのみ、攻撃をしたことです。
このブロクを続けるためにも、ブログに参加している私達のためにも、当然の行為だと思いました。
いくら、ネット上であろうが、意図を読み取っていくことは、大切だと思います。
言語だけの世界(一般社会)での出来事ではなく、視覚的に見て(読んで)何度も意味や意図を確認できる場なのですから、
言われたことを、真摯に受け止めることは可能な気がします。
>そういう意味では自己突っ込みは「冷静なもう一つの目」として妄信に走らない歯止めともなりうる機能があるとも言える。
その通りだなーと、納得しています。
と前回書きましたが、あとからこう付け加えるべきだったと思ったのが次の一文です。
他の人から理不尽、不公平、不当なことをされない限り私は人に対して平和的、友好的人間で、害はないのです。
そして理不尽、不公平、不当なことをされたら、即、爆発ではないです。もしかしたら私の常識のほうがおかしいのか?とか、今回はたまたまそうなったのか?とか、今回はまあ我慢しようとか自己突っ込みをしながらの前段階があるのです。そしていよいよ耐え切れなくなると爆発してしまいます。(私の場合ですが)豹変します。そして先生が仰るように攻撃に過集中して「自分は絶対に悪くない」と信じて疑いません。いつもの何倍も冷静に頭が回転します。
そして時間とともに「あそこまでやる必要はなかった」という思いと、「あれでよかった、ああするしかなかった」という思いが交互にでてきて今度は「矛盾」に苦しめられます。
嫌なことを「丸投げ」するように、最初は問題提起してこちらの言いたいことだけは言ってそのあとは「丸流し」できる脳ならばどんなによいでしょう。
私とトラブルになる相手もできればもっと早い段階で自己突っ込みをしてくれたらお互いに傷つかなくて済みます。
そして自分のこんなところが自分の世界を狭くしていることも感じます。
先生はm2さんのすべてを排除したかったわけではなく、こういう点が問題だと明確に意思表示しただけだと私は思いました。
私や他のみなさんにとって先生のブログが非常に貴重な存在であることと同じで、m2さんはコメントに参加しないではいられないのではないでしょうか。
m2さんの特性を活かさないのは残念ですが、自分を譲れない自己中心志向で今はどうしようもないという状態も理解できます。
「面倒だ」を超えたところに「助け合い」があると思うのですが・・
今回の先生の発言で、AS側からのジャイアンへの意見を発言をしにくくなった気がします。
ジャイアンが喜ばない発言をして、大丈夫か気になりますが
まぁ、書いてみます。
ジャイアンは、しばしば、自分に都合が悪い時に猛烈な攻撃を相手に仕掛けます。とにかく相手をねじ伏せて自分が優位に立つことだけが目的に感じます。
これはジャイアンにとっては健康的な衝動でしょうが、相手や一緒にいる周囲の人間はイヤな気分になることです。
だから、周囲の人間はジャイアンには、本当のことは言わないでおこうかな・・?って気持ちになります。
わざわざこんな災い被りたくない、触らぬ神にたたりナシです。
ジャイアンはこんな風に特別扱い?されることを自分で、どう考えていますか?
そこは感知しないからOK、または、特別扱いでOK?
それとも、自己突込みが入りますか?
人それぞれ、考え方は違うと思いますが。
しかし、最近のコメントの流れを見るとそのように捉えられても不思議の無いようなものがあるように感じます。
(あくまで、個人的感想で特定のどなたかをさしているわけではありません)
このサイトの目指すところは相互理解であると思っております。
たまには天秤のように片方に傾くことがあるかもしれませんが、対立軸に身を置く方からの率直な意見がバランスをとるものと思っております。
私生活でも同じです。
のぼせ上がっているときはちょっと距離をおかれ、冷静になったときにチクリとされています。
とてもありがたいです。
方法論はいろいろあると思いますが、私は合理性を極めていくつもりです。
どらねこは一見突っ張っているけど本当はみんなと仲良くしたいのです。
あなたのこの発言は、まさにジャイアンの攻撃性を刺激する典型的な例ですね。この後にあなたがそのターゲットになると思いますが、それを承知で私は掲載しています。
私からぶん殴らせていただけば、以下の通りです。
(ついでに積極奇異型ASの人も刺激すると思いますが)。
「そんな薄っぺらな関係を求めて寂しくないですか?」
私の周りのジャイアンや積極奇異の面々の間には一時の過集中が去れば前後の関係なく本当のことを言い合える信頼関係が成り立っています。
ちょっとぶつかっただけで本当のことを言わないで置く程度の関係ならそれこそ必要ありません。
あなたがそう思っているのならどうぞ去って下さい。
これだから受動型ASはうざったい。
それ難しいところだと思います・・・「本当のこと」って一体何かによると思う。
私は、散々ミーティングでその「本当の事=気付き」を周りの人間に強制されまして、最初は感謝の念を持って受け取ろうと思ってたんですけど、最終的に「いじめ」としか思えませんでした。
もちろん、「教育」というのは一種の「いじめ」です。しかし、相手は(言い訳ではなく)れっきとした発達障害なのです。発達障害の人間に「世間通念=本当の事」を叩き込むのは無理があると思う。
もちろん、「何となく避けられているなぁ」「嫌だナァ」という気持ちにはなりますが、他人に無理やり突っ込まれるよりは私はまだしも苦痛が少ないです。
と、ブログ初心者が感じた事を書いてみましたがどうでしょうか。
“あなたのやり方は間違っています。あなたにはわからないだろうけれど,こちらがより適応的なやり方なので,教えてあげます。”
砂漠のライオン(ここはそれが群れていますが笑)に向かってそんなことを不用意に言えば,食われてしまいますね。
でも,たぶん,ASは,ことジャイアンに対しては“殉教者精神”が旺盛なので,食われるのがわかっていて,そう言いに寄ってくるのです。
ASには,自分たちの方が多数派とうまくやっていけている,という優越感でもあるのかな?
少数派にとっては,「適応的」(多数派に合わせる)イコール「健康的」(自分を失わない)ではない,ということではないのでしょうか。
(そのASの彼も、~援助職でした~、私以外に生徒がいなくなって全く世間からは孤立して、結局ドクターから首になっちゃったのにね。笑っちゃいますね(^。^)y-.。o○。)
「とにかく君はACだ。僕は、回復して世間に適応している、君は人間的に0だ。ミーティングに通って全てをやりなおせ」がASの彼の言い分でした。優越感丸出しなんだけど、断定的口調に魅かれてついてくるのは私一人。その私も、最終的にドクターの前で、派手に彼をぼこぼこにしてやめちゃいました。(笑)
彼も信望していた斎藤何某(←全然好きではないんですが)の著作の一節に、ありましたね。
「あなたは、一人でいるのが好きなのに、大勢でわいわいやるのが得意(・・・本当に得意なんだろうか・・・?)な人にいじめられて、ヘンに多数派にあわせなければいけないと思い込んでいる。だからあなたは今、本当は白鳥なのに、みにくいアヒルの子を演じて、すごくヘンな顔になっている。元の白鳥にもどりなさい。そんな奴にいじめられていい事ありましたか?ないでしょう。」これには泣けました。
一方で同じフロアの他部署の人からは教育的いじめにあう(フロア全体に聞こえるような声で私を分析し批判する)。
いま、私が置かれている状態です。
私はだまって、何もなかったかのように耐えるだけです。冷静に、その言葉が何を意味するか考えながら。
自己突っ込みの材料にもなります。ただ、その言葉や態度が何を意味するのかは正直わからない。
なにを目的にそれをするのか?
一緒に仕事をしている同じ部署の同僚に「本当のこと」を言ってもらえない寂しさやもどかしさはあります。孤独も感じます。
でも、理解されることが難しいことなのだからと諦め、チームとして取り組まねばならない仕事を進めていくことに専念しています。
「本当のこと」は言ってもらえないけれど、「助け合い」の気持ちのある同僚と、過集中がある程できる仕事。
そう考えると私は恵まれた環境にいるのかもしれません。
けっして満足しているわけではないです。たとえいまが「薄っぺらい関係」でも、私はここにいることが大切と考えますし、できればそんな関係を変えたいと、試行錯誤している。
いつか、実を結ぶ日が来るといいのですが。
>>わざわざこんな災い被りたくない、触らぬ神にたたりナシです。
>(ついでに積極奇異型ASの人も刺激すると思いますが)。
刺激されています。
今まで「あなたのために」と言って寄ってきた多くの知人を思い出しています。
「あなたには私が必要だから」と言いながら【しかたなく】お世話をしようとして下さった方々。
私はジャイアンを妬ましく思うのは、『憤りを抑えつけ限界になってから爆発し、相手を完膚なきまでたたきのめす』ことをせず、ほどよい引き際で引けるところです。
積極異型ASは対個人で相対するので、わかっていてもやり続けてしまう(自己突っ込みをし、血を流しながらも)。
ジャイアンはあっけらかんとしているので、あとを引かない、それだけでもターゲットになった方は幸運だったといえましょう。
おそらく他のジャイアン面々も同じように感じておられると思いますが、ジャイアンから見るとこの発言がどう見えるか?
①実際は遠回しに感情的な反撃を狙っているとしか思えない。言外のニュアンスとして感じます。
②多数派を隠れ蓑にして、自分で責任を取らない形で相手を攻撃するのは「卑怯」にどうしても見えてしまう。
③それをここでこのタイミングでわざわざ書く意図は?
と勘ぐらざるを得ない。
例えば、主語を明確にして「私は二度と近づきたいと思えません」「私はそういうジャイアンには本当のことを言う気になれません」と書いていただければ、ぜんぜん違います。
その場合は「率直なご意見ありがとうございます」ということになるのですが、この違いはジャイアンでない人に理解するのは難しいかな?
上記の表現は、忍者映画で、隠れ蓑に隠れて自分の姿が見えないのをいいことに相手を後ろから攻撃する場面をどうしても思い浮かべてしまいます。
「正々堂々と自分の姿を現して勝負しろ」と言いたくなります。ある種の人にはこれが非常に難しいことは分かってはいるのですが。
誤解の無いように重ねて説明しますが、ジャイアンを非常に傷つけ反応させるものは、「ジャイアンに気に入るか入らないか」の「内容」ではなく、「どこの立場からどの責任で発言しているか」という「表現方法」なのです。
表現方法には、どう繕っても、表現する人の誤魔化しきれない存在や生き方(本性)がどうしても出てきてしまい、それが相手に伝わってしまうということだと思います。
「積極奇異型ASの人が同様に刺激されるのが何故か」を考えてみることは理解への前向きな努力であると思います。
そこは感知しないからOK、または、特別扱いでOK?
そっくり返したい気持ちです。
「自分たちは~だからあなたたちが折れなさい、合わせなさい。」
が受動型ASだと感じています。
特別扱いを求めているのはあなたのほうでしょ?といいたくなります。
>AS側からのジャイアンへの意見を発言をしにくくなった
ちょっと考えてもらったほうが同等になる。
そう思えるほどASに遠慮しないといけない投稿ばかりでした。
ここのブログで受動型ASはかなり先生に守られいると感じていたのは私だけでしょうか?
(今現在はそうではないようですが。)
本当のことを言うと
「圧力をかけられた」「虐待された」...一方的な被害者づら。
これではジャイアンだって精神状態が健康ではいられないです。
じぶんの考え,感覚を,じぶんに寄り添って聞き取ってもらうことが,ジャイアンにとっての「理解」だとすると,多数派はジャイアンを「理解」することができずに途中で諦める。
ASにとって「理解」は相手を「対象化」して,解剖的,解釈的に行なうことなので,ジャイアンに寄り添えなくてもできると思っている。
それをされるジャイアンにとっては,よくてお節介,悪くすると侵襲的で,ときには麻酔なしの手術のような痛みを伴う。
ということはないでしょうか。
ASにとって「理解」がそういうものである限り,「正々堂々と自分の姿を現して勝負しろ」と言われても,何のことかわからないかも。
あ,こういう書込みって,ASっぽい「理解」のような・・・不愉快に感じるひと(ASさんは大丈夫ですよね?)がいたらごめんなさい。
普通(多数派)の人は、私(ジャイアン)を理解しようとする前に諦めちゃうから、私としてはそこが嬉しくてついて行ったんです。けど・・・
結果的には、ASの彼からすると自論=正義!、というより、もう持論と一般論の区別すらが訳わかんなくなっている状態なんで、何を言っても、「私の考えに寄り添ってくれる」という事は不可能だったんですね・・・
で、仰るとおり麻酔無しの手術みたいな状態が続いて、私がパニックを起こして倒れたんです。
なんか、状況が整理できて、非常にすっきりしております。どうもありがとう。
典型的ASである自分を変えようと、コーチングを受けながら、やもすれば情動ですぐに反応して前後を考えずに行動をしていた頃から、随分とまともになって来ている(と思われる)中性的な積極奇異ASの状態であると思っています。
なので、ジャイアンの方々のご意見やお気持ちはいつも大変よく理解できます。
その上、ASの偏った意見にいつも疑問や不快感すら感じています。
したがって、自分の立ち居地があやふやなので、いつもコメントを控えさせていただいております。
しかし、これだけASのことが話題になっていて、ASの意見がないとなると、「ASとしての潔し」というところで、「私は卑怯であるのではないか」という意味で、刺激されます。
随分以前に、「私は○○○であると考える」と表現した方がいいということを、話題にしたことがあると思います。
ASは多分に、文章や表現が抽象的になるので、YANBARU先生のおっしゃるように、主語が誰であるかを明確にする事を心がけなければいけないと思っています。
もしかしたら、「そんなつもりではなかったのに・・・」ということも、主語が抜けたために、全く別の捉え方をされてしまうという事を、ASは心して表現するべきであると思います。
そして、そのことがどれだけジャイアンを刺激するのかという事を知らないといけないと思います。
まーちんASさんのいわんとされている事はとてもよく解ります。しかし、「私は」のたった一言が抜けた事で、受け取られ方が違ってしまった事が残念です。それとも、その通りだったのでしょうか・・
「ジャイアンの攻撃モード」では、YANBARU先生がこれまでの経緯について、自己分析をされ、その新たなる考察を書かれています。
ASにとって、非常に参考になるご意見であって、決して発言がしにくくなったなどとは思えませんが、他のASの方はどう感じられるのでしょうか。
「いくつかのコメントの移動について」でmario氏がASとしての反論を(堂々と)述べて居られるのと比較してください。私は今よりもはるかに過集中的であったタイミングであったにも拘らず反応していません。他のジャイアン諸氏も感情的に反応はしていません。その後の私とmario氏のやり取りを参照してみてください。
この表現はジャイアンを反応させなかった。上の表現(タイミングや場所などを含めて)はジャイアンを反応させる。この違いは何か? が根本的な問題です。
ジャイアン夫に都合の悪い(批判的な)ことを、多数派がよく使う処世術(ソフトに、遠まわしに、普通は○○だよ、など)で指摘しようものなら、サッと顔色が変わって怒って数倍言い返されるし、こちらの意図を間違って深読みされる感じもあり、家庭の雰囲気が悪くなるため、くわばらくわばら、と、言いたいことが伝えられなくなって、ストレスを長いことためていました。
ジャイアン夫の感情を刺激しないよう、当たり障りの無い話題しか結局できなくて、「深い話ができない、こんな人間関係でいいのか?」と悩んで。
顔色をうかがわれることが好きな疲れる人だわ、と思ってきましたが、気を使うべき部分が、完全に違っていたのですね。多数派は、普通はこうだから、という前提条件を提示してしまいがちなので、そこが特に気に障るようでした。これは私の勝手な推測ですが、普通は・他の一般的家庭は・世間では、等の枕ことばが着くと、導火線に着火する傾向が。これは育ってきた中で、「普通」「一般」「暗黙の了解」という部分が読みきれず違和感を抱えて苦しかったため、当然の帰結としてリンクしているのでしょうか?
(続きます)
>ジャイアンを非常に傷つけ反応させるものは、「ジャイアンに気に入るか入らないか」の「内容」ではなく、「どこの立場からどの責任で発言しているか」
どこの立場からどの責任、っていうの、率直に、難しく感じます。どこの立場、っていうのはある程度わかる(妻として、とか、主婦として、とか、一般的市民として、とか?)のですが、どの責任で発言しているのか、と問われるとどういう答えが存在するのか自分には判りかねます。
「お前は、妻としての立場から、俺を怒らせようと言ってるのか?」とか「お前は世間一般の見解として、俺を褒めようとして言ってるのか?」とか、「どの責任」=「どういう狙いで」という風に置き換えられるような、会話のやりとりはよくあった気がします。
そういう詰問(と、こちらからは感じる)をされることが多く、「都合が悪いことから逃げて、議論をずらしているわ」とこちらは解釈し、面倒だし反撃のパワーに負けるふりして終息させていました、かつては。
でももう負けたくない、とこっちも平凡な脳をフル回転させて言いたいことを全部「私は」を主語にズバズバ言わせてもらう!ノンバーバルなコントロールはもう効かないぞ!と、やりはじめたら、「家庭に安らぎはなくなった」というのが、夫の本音みたいです。難しいですね。。。
ジャイアンにとって、第3者とズバズバ斬りあうのは面白いという感覚があるようですが、家族など近い関係からはやっぱり刺激されたくないのではないでしょうか。顔色を伺って欲しいという風に感じてしまいます。こちらが聞き役に徹しているとうまくいく、そんな感じでしょうか。
単純に、ジャイアンは同時に複数を攻撃することはしない、ということかな?と思いました。
視点の固定というか、過集中している間は、ある特定の人物をターゲットに定めたなら、その人物に対する自分、という固定の視点ができる気がします。
よって、前回はmarioさんには目が行かなかった。
今回は、ターゲットが消えたため、marioさんに視点が固定された、だから攻撃した。
上記は私の考えです。
「何かに過集中すると、他のものに目がいかなくなる」を今回のケースに当てはめただけです。
そして私自身、こういうことは日常茶飯事で、常に誰かを良い意味でのターゲット(愛情の過集中先)、悪いターゲット(攻撃する為の過集中先)を用意するような、人間関係を構築してしまいます。
前回のテーマでのコメントの時も感じましたが、
youさんのご主人の言動と、私の旦那の言動が、本当によく似ているんです。
私は、旦那の事を、受動型ASのように感じています。
YANBARU先生のHPでの説明を読むと、まさに受動型ASなのですが、
どうして、ジャイアンであるyouさんのご主人と同じような言動がみられるのか、とても不思議です。
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