死体検案書の死因の欄に「心不全」「心機能停止」の文字が並ぶ。心停止は死の3兆候の一つに過ぎず、医学的に死因とは言わない。県内の自宅で死亡して発見された50代の女性を検案した男性警察嘱託医は、それを十分に理解した上で、この日、死因を「急性心不全」と記した。女性の心臓がなぜ止まったのか。疑問は解明されないまま、遺体は遺族のもとに返された。
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変死体が発見されると通常、検察官や警察官が検視を行い死因を推定する。警察嘱託医の検案は、検視に立ち会う補助行為を指す。検視、検案で事件性がうかがえれば司法解剖に至る。
検視、検案で調べるのは死体の外表のみ。必然的に死因の特定は困難となる。それでも07年に県内で発見された変死体7041体のうち、司法解剖されたのは144体、わずか2%に過ぎない。米国などの先進国では、一般的に死因不明の死体はすべて解剖される。県内の残り98%に事件性がないと断言するには、医学的根拠が余りに乏しい。
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05年11月、千葉大医学部に「オートプシー・イメージング(Ai・死亡時画像診断)」が導入された。遺体のCT画像などを解析し、死因を究明するシステム。同学部の岩瀬博太郎教授(40)=法医学=は死亡時画像診断は有効なツールの一つと考える。
06年夏、自宅のベッドで血だらけになって死んでいる30代の男性が見つかった。腕には複数のリストカットの痕跡があった。致命傷ではない。この他に左胸の乳首付近に、5ミリ足らずの丸い傷が確認されたが、外表からは死に直結する傷とは考えにくい。警察は「死因が何なのか判断がつかない」と同学部に連絡した。
死体がひつぎから出され、CT検査機に乗せられた。頭部から腰までが撮影され、CT画像が作成された。医師らの診断で肺に穴が開き、気胸を発症した可能性が高いことが分かった。捜査で男性の自宅から千枚通しが見つかり、リストカットで死にきれず、胸を刺して自殺したと判断された。
経済協力開発機構(OECD)のヘルスデータによると、02年の日本のCT普及率は100万人当たり92・6台。アメリカの33・9台(06年)、イギリスの7・6台(同)、フランスの10台(同)など、欧米先進国に比べても際立っている。Ai実施の環境は確立されていると言っていい。
死体にメスを入れるという行為は、死後一定期間、肉体に魂がとどまるという宗教観を持つ多くの日本人にとって、少なからぬ抵抗感がある。Aiならばそれも軽減される。費用も5万円程度と、解剖の約4分の1で済む。死因は何なのか。「それを知る上でAiは検案現場のボイスレコーダーになり得る」。同学部の山本正二講師(40)は期待を込める。
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犯罪性の有無が分からず、死因が不明確な死体は知事が開設する監察医が行政解剖を行う。しかし、監察医制度が運用されているのは東京都区、大阪市、神戸市など5都市に限られ、07年の千葉県での行政解剖率は0・1%に過ぎない。警察庁の統計によると、同年の東京都と大阪府の行政解剖率は、それぞれ16・4%と9・6%。死後ですら、医療の地域格差はある。【神足俊輔】
毎日新聞 2008年6月28日 地方版