2008-06-26 やはり村上陽一郎がおかしい
匿名で議論をしかけてくる奴で、途中からおかしな詭弁でごまかしつつ攻撃してくる奴は、相手にしないことにしている。森岡正博は実名だがあまりにバカバカしいので放置した。
さて、村上陽一郎『やりなおし教養講座』を図書館で借りてきた。はっきりと「12世紀までヨーロッパ人は、ギリシャ・ローマの古典文献を知らなかった」という意味のことが書いてある。田中貴子が、これを14,5世紀のルネッサンスと勘違いしたとしても、既に村上のこのような記述は、明らかに間違いである。まず「ヨーロッパ人」とは誰か。むろん、庶民の話ではなく、知識階層のことだろう。次に「12世紀まで」というのは、何世紀からのことなのか。続けて読んでいくと、47pに「アリストテレスはいつから古典になったか」という表があり、「8・9世紀(イスラム世界)」で「ビザンツを通じてギリシア・ローマ世界と接触」とあり、「12世紀(ヨーロッパ)」で、アラビア語からラテン語に、のちギリシア語から直接ラテン語へ翻訳が行われた、とあり、レコンキスタの最中に、「敗走したイスラム教徒が残したアラビア語書物を大司教が発見。読み解くと、どうやら古代にギリシアという時代があり、哲人たちが書を著していたらしいことが明らかになる」と、驚くべきことが書いてある。つまりこの大司教、本文によればライムンドゥスは、古代にギリシアが存在したことすら知らなかったということになるのだ。
バカも休み休み言うがよい。だいいち、ビザンツというのはヨーロッパではないのかね。古代ローマ帝国の版図は、現在のヨーロッパ南部から、コンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキアまで広がっていたのであり、西ローマ帝国が亡びても厳然として東ローマ帝国はあったのである。「12世紀ルネッサンス」なるものは、西ローマの版図であった地域のフランク王国という、いわば当時はヨーロッパの辺境になりつつあった土地で、アリストテレスの文献がアラビア語から翻訳されたというエピソードに過ぎず、「ヨーロッパ人はギリシアの存在を知らなかった」などというばかげたことがあるはずがないのだ。むろん、プラトンにしても、ネオプラトニストたちによって伝えられた像しかなかったが、ではカロリング・ルネサンスは何だったのか。しかも村上は「ギリシア」だけでは物足りず、「ローマ」まで付け加えている。
要するに、ギリシア・古代ローマの学術文献は、西ローマの滅亡、アレクサンドリアのアカデメイアがイスラム教徒に滅ぼされて、フランクではギリシアの、特にアリストテレスの文献が伝わっておらず、それをアラビア語から重訳したというだけの話を、村上は、「ヨーロッパ人は12世紀になって初めてギリシャ・ローマの文化を知った」などという法螺話へ拡大しているだけなのだ。
たとえば伊東俊太郎の『十二世紀ルネサンス』には、「その頃の、西欧における哲学的な知的財産は驚くほど貧しくて」とある。つまり12世紀以前の「西欧」、西ヨーロッパのことを言っているのであり、これは間違いではない。しかしいくら貧しかったといっても、ギリシアというものが存在したことを知らなかったなどというバカなことは、伊東は言っていない。
若者というのは、意外な話というのを好むもので、明治以前の日本には「恋愛」はなかったとか、「処女」という概念がなかったとかいう駄法螺を好む。村上はそれにつけこんで、西ローマ帝国の滅亡によって、古代ギリシャ・ローマの知的遺産は東ローマ帝国のほうに集中し、アラビア語を経てイベリア半島から西ヨーロッパに伝わったという話を、「ヨーロッパ人はギリシャ・ローマの古典を全然知らず、イスラム教徒の文献によって知った」という法螺話に拡大して、人を驚かせているのだ。
まあ、本文ではない、「ギリシアという時代があり」の部分は、どうせ編集者にでも書かせて、碌に目も通さなかったのだろう。田中貴子も、対象が国文学であれば、こんな粗製乱造本など問題にもしなかっただろうに。
(小谷野敦)
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武田徹のインチキぶりについては前にも触れたが、今日の毎日新聞夕刊で、「孤立を恐れず」という語を引いて、三本の総合雑誌の論文を紹介しているが、その一は井上達夫の、光市の死刑判決を疑問視するものだ。しかしいくら輿論が死刑に賛成していても、大学教師、知識人、マスコミの世界では、死刑廃止論のほうがマジョリティーなのである。あとは言う必要はないだろう。藤井誠二との対談本で宮崎哲弥は、池田清彦の「死刑廃止論者は権力の走狗である」という論文に触れている。現代の権力は「生かす権力」になっているということだ。しかも現実に、外圧に弱い日本政府が、死刑廃止を実行する可能性は、憲法が改正される可能性より高いくらいだ。いったい、本当に孤立しているのは誰か。