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10年の軌道多摩都市モノレール

(4)地域文化

2008年06月27日

写真

「麦は捨てるところがない」と話す野村和男さん(右)と榎本寿明さん=東大和市上北台2丁目

 東大和市の上北台駅にほど近い畑で、小麦が収穫期を迎えていた。

 「子どものころは一帯が麦畑。富士山がすそまで見えた」。実入りを確かめる野村和男さん(60)に、近くで「お菓子の文化村 茶屋エポック」を営む榎本寿明さん(53)が話しかけた。「この小麦、今年も分けてくださいよ」

 榎本さんの店に今春、新商品「頑固サブレ」が登場した。野村さんが自家用栽培した無農薬、無漂白の地粉を使った素朴なクッキー。控えめな甘さの奥にごまが香る。

 榎本さんはモノレール開通直後の99年4月、住宅街の真ん中に自宅を兼ねた店を開いた。上北台に縁があったわけではない。長女の通学に便利だったからだ。

 菓子は地域の文化のたまもの、が持論。地域に根づく菓子をつくろうと工夫を凝らした。マドレーヌをもじった「多摩都市モノレーヌ」、サツマイモを使った「芋窪街道」や狭山茶を使った「神来たパイ」。材料も地元産で、できれば無農薬のものを使いたい。仕事着のまま果樹園や畑に出かけ、特別に栽培してほしいとかけあった。

 3年ほどが過ぎ、協力してくれる農家も現れた。4年ほど前、当時市役所に勤めていた野村さんに出会い、サツマイモ約200キロを卸してもらえるようになった。「よそから移ってきた私は『風』。風は土と出会って風土になり、文化が生まれる」。人のきずなをつなぐ手伝いがしたいと3月、多世代交流を深めるサークルを立ち上げた。

 頭を垂れた稲穂の海を、一直線に走るモノレール。日野市日野台2丁目の和田喜久雄さん(68)が01年秋に撮影した1枚は、「私が好きな日野」の写真コンテストで最優秀賞になった。主催した「日野映像支援隊」の中川節子代表は「日野の今と未来を同時に収めていた。開通1年でモノレールは市民の日常にフィットしていた」と振り返る。

 映像プロデューサーの中川さんは96年、世田谷区から日野市に転居した。「どの街にもなりうる普遍性はテレビや映画のロケにうってつけ」。知り合った近所の床屋さんやかつての仲間と01年4月、映画やテレビ、CM撮影を市内に誘致し、映像制作を支援する「支援隊」を作った。

 03年にはNPO法人になり、行政との協力体制も確立。05年のフジテレビのドラマ「エンジン」では、中川さんが「銀河鉄道のよう」だと制作担当者にアピールし続けていたモノレールが登場した。モノレールは今や、日野市だけでなく、多摩地区を代表する映像資源になった。

 モノレール開通以後、区画整理やバイパスの整備が進んだ万願寺地区を中心に分譲住宅やマンションの建設が相次ぐ。「好きな日野」の風景も変わってきた。和田さんが撮影した稲穂の波を横切るモノレールも今、マンションの間を途切れ途切れに走る。

 一部開業から10年。モノレールという「風」が、街の姿や住民の意識を動かしている。

     ◇

 モノレールが映画やテレビのワンシーンに登場するようになった。昨年度、駅や車内で行われたロケは13件。あるドラマ制作会社員は「列車やホームを自由に貸してくれる。こんな環境、都心から1時間圏内で見つからない」。

 ロケ用の臨時列車を仕立てるなど、モノレール会社もロケ誘致に積極的だ。ホームでの撮影も、日中は片方しか使わない上北台など始発駅を提供。運転本数がまだ少ないことが逆に生きた。

 ちなみに使用料は有料。増収策の一つとして、ロケ地誘致も社員の大事な仕事だ。

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