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10年の軌道多摩都市モノレール

(2)一人勝ち

2008年06月25日

写真

ペデストリアンデッキ(高架歩道)の近くを走る多摩都市モノレール。奥はJR立川駅=立川

 JR立川駅北口前にある伊勢丹立川店。建物を門型のフレームで覆った通称「シティゲート」は、駅前の顔としてすっかり定着した感がある。

 伊勢丹の裏手には、幅40メートル、長さ550メートルにわたる日本でも有数の自転車・歩行者専用道路が延びる。頭上を多摩都市モノレールが走る「都市軸」だ。伊勢丹とともに、立川が多摩の中核都市に飛躍するきっかけを作った、米軍基地跡地開発の象徴ともいえる場所だ。

 「都市の骨格構造の中で主軸をなすもの」(建築大辞典)という都市軸は82年、基地跡地の開発構想に初めて登場する。跡地西側に広がる昭和記念公園と、駅周辺の都市部との接点として提唱された。構想段階にあったモノレールも都市軸と並行する形で盛り込まれた。

 そして元号が「平成」に変わった89年7月に都市軸の都市計画決定。2カ月後にはモノレールも続き、立川駅北口の開発が一気に始まった。

 モノレールの建設は駅南口の開発も促した。64年から続いた約28ヘクタールの広大な区画整理事業は、減歩率の高さや権利者間の調整がつかず、足踏み状態だった。だがモノレール整備を急ぐ都の意向に押される形で、駅前の道路拡幅や区画整理が急速に進んだ。

 伊勢丹が入居する「シティゲート」を手がけた共同建築主の一人、岩崎不動産の杉山次男常務(71)は「駅前の姿が日に日に変わっていく。立川が変わる、その思いで武者震いしていましたね」。

 伊勢丹が今の位置に移転、オープンしたのは、モノレールが全線開業した翌年の01年1月。この年発表された多摩地域の基準地価は、町田、八王子などで8〜9%の大幅ダウンが記録されるなか、立川駅前だけは上昇か横ばいに。同駅前は今年、01年に比べて約2.3倍まで地価が上昇した。

 伊勢丹跡地には家電量販大手のビックカメラが進出。上層階に04年、テナント入居した手工芸用品大手の「ユザワヤ」は、96年に立川から撤退後、再進出した。当時の広報担当者は「モノレール開通などで立川の街が圧倒的に発展した」と理由を語っていた。

 駅前の開発が始まって約20年、立川の街は一変した。今も店舗の進出が相次ぐ中、駅前の商圏は飽和状態にあると指摘する声もある。

 昨年10月にオープンしたエキナカ「エキュート立川」。関係者によれば、来客数や売り上げで予想を下回り、苦戦模様だという。伊勢丹立川店も05年度に初めて売上高400億円を超えるまでは年2〜3%成長を続けてきたが、最近は1%前後にとどまる。

 「一人勝ち」にも陰りが見え始めたのだろうか。立川市の街づくりに携わった経験もある中央大の細野助博教授は、こう指摘する。「開発にも限界があり、買い物客だけでは頭打ち状態になる。立川に欠けている文化や芸術など、新しい街の魅力づくりが必要なのではないか」

     ◇

 全国11のモノレール路線のうち、多摩が「北限」に近いと言われている。モノレールは雪に弱く、軌道上の雪が氷に変わると、タイヤが滑ってしまうためだ。

 多摩地域も雪は降る。かつては大雪でたびたび運休した。それを克服したのが、社員が考案した「除雪機」だ。斜めに配置した2枚の巨大ブラシを先頭車両の連結器に取り付ける。融雪剤の自動噴霧器も同時期に開発。以前はモノレールに乗った社員が手で融雪剤をまいていた。

 この発明品は他の路線でも採用されている。

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