ここから本文エリア 10年の軌道多摩都市モノレール
(1)人の流れ2008年06月24日
多摩が変わる――。 多摩信用金庫(立川市)勤務時代から、不動産活用のコンサルタント業務に携わる小柳和輝さん(57)は、身近な出来事から人、モノ、カネの動きが大きく変わる、そんな予感がした。多摩都市モノレールが全線開通した後のことだ。 昭島市に住む小柳さんの妻と、多摩ニュータウンに住む妻の妹が待ち合わせする場所はJR中央線と京王線の接続点、新宿駅が多かった。それがモノレールの開通で、双方の待ち合わせ場所はJR立川駅に。所要時間が半分近くになり、再開発が進む同駅前は百貨店など大型商業施設がひしめき、買い物も便利だ。 こうした人の流れの変化を表すデータがある。モノレール全線開通の00年度、JR立川駅の1日平均乗車人数は初めて13万人を突破。翌年には吉祥寺駅も上回る約14万人と、毎年4〜6%の急激な伸びをみせた。その後若干鈍化傾向にあるものの、07年度が約15万7千人と、8年間で2割近く増えた。 06年度のモノレール全駅の1日平均乗車人数も約11万人と00年度から4割近く増加。23日開かれた株主総会で、昨年度は11万5477人との報告があり、開業前から「甘い見通し」と批判された11万6千人の目標まで、あと少しのところに迫った。 モノレールの恩恵を最も受けた立川市は、JR中央線、青梅線、南武線と東西南北から人が集まる交通の要衝になった。米軍基地跡地の再開発と重なり、多摩の「一人勝ち」状態と言われる。 立川商工会議所の万田貴久会頭は、立川だけに人が集まるのではなく、モノレールがもたらした双方向の人の流れを強調する。 「多摩センターにはパルテノン多摩のような立川市がうらやむような施設がある。商業は立川、文化は多摩センターと、多摩の南北を自由に行き来できる効果は大きい」 こうした相乗効果の脇に置かれた感のある八王子市。買い物客の減少に悩むという八王子駅近くの商店主(67)はかつて、立川駅の頭上をモノレールがS字を描いて走る姿を見て「絵本で見た未来都市のような姿だ」と感じた。 82年に策定された都の長期計画では、モノレールは西多摩地域をぐるりと囲む「8の字」路線で描かれ、八王子市も含まれていた。だが実現は遠い先の話。事業化すべき路線と決められた上北台以北の延伸すらもめどが立っていない状態だ。商店主は「商工関係者の会合でも立川の話はあえて出さない雰囲気がある。心中、くやしいからね」。 立川商議所が今年4月にまとめた公共交通機関の利用状況分析で、普通乗車券利用者の多くが立川を目指しており、「一人勝ち」の姿が改めて浮き彫りになった。 モノレールの定期券利用者も増加傾向にあり、特に多摩センターでは利用者の約6割、高幡不動、立川(北、南両駅含む)では5割近くに達した。分析は「モノレールは市民の足として定着している」と結論づけている。 ◇ 多摩待望の縦軸路線、多摩都市モノレール。今年は立川北〜上北台(東大和市)の一部開業から10年、多摩センター(多摩市)までの16キロが全線開通して8年になる。1本の軌道は多摩地区に何をもたらしたのか。 ◇ 多摩都市モノレールの自慢の一つに車窓からの眺めがある。高さ10〜22メートル、多摩丘陵はもちろん、遠くは丹沢山系も望める。冬場は真っ白な富士山の山容がくっきりと見え、車窓は一幅の絵のよう。 高さ1メートルの特大窓と、先頭車両の乗務員室後ろに設けられた展望席が売りだ。しかし見えすぎる車窓の景色に、怖くなる乗客もいるとか。 実は運転手の中にも同じ思いをしている人も。ある助役は「運転台から身を乗り出す時、足が震える。あの高さには、なかなか慣れませんでした」。 マイタウン多摩
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