<特集ワイド>この国はどこへ行こうとしているのか 澤地久枝さん
2008年6月27日(金)18:00<おちおち死んではいられない>
◇多喜二が可哀そう−−作家・77歳・澤地久枝さん
◇今も過酷な労働はあるが要求掲げて投獄されない もっと歴史を学びなさい
インタビューの前日、作家の澤地久枝さんから速達で新著が届いた。本の帯には「いま、あなたに伝えたいことがある――」とあった。これを読んでから、いらっしゃいというメッセージと受け取った。
「希望と勇気、この一つのもの」(岩波ブックレット)と題された小冊子には、14歳のとき、旧満州(現中国東北部)で迎えた敗戦体験、「婦人公論」編集者時代の思い出、そして、「九条の会」呼びかけ人の一人としての決意が刻まれていた。
<わたしの立場は、自衛隊を憲法違反の存在とし、日米安全保障条約の平和条約への変更、全在日米軍の撤退。つまり憲法本来の原点へかえしたい、というもの。実現不能の理想論とか、女書生の夢などと言われることは覚悟の上だ。今や世界有数の強大な軍事力をもつ自衛隊は、有権者によって正当に認知されたことがあるのか。わたしたちは諾否を問われたことがあるのか。答は、否でしかない>
「自分の旗印をはっきりさせることになったわね」。東京・恵比寿の自宅で、さわやかな薄藍(うすあい)の琉球絣(がすり)に、宮古上布の帯を締めた澤地さんが、静かに語り始めた。「もうこの国は駄目だと投げてしまうのは簡単だけれども、投げて得るものは何かと考えたら、無理にも希望を持っていたいし、希望を持ち続けるには勇気がいるんです」。言葉の奥に、激しいものを感じた。
■
「いざ、有事」となれば、いまや労働者全体の3分の1を超えるほどに増えた非正規雇用の人たちが狙われると指摘する。
「イラク戦争が膠着(こうちゃく)状態になって、米軍も必要人員が集まらない。そういう時、国民の教育水準が高く、国家としての体力を持ち、しかも、米国にべったりの国と言ったら、他にありますか。いざ、米国が戦争を始めた時、集団的自衛権などと言って、同盟国として一緒に戦うことになったら、誰が行くんですか。年老いた政治家なんか役に立たないから、今は『政治に関心がない』と言っている若い人たちが行くことになるんです。ボーナスも退職金もなく不安定な非正規雇用の人たちが、ちょっといい条件を示されたら、どうしますか。もうそういう社会状況ができちゃっているんです」。この国の近未来を想像し、身震いした。
しばらく原稿を書けない時期があったという。昨年7月30日、四十数年来のつきあいのあった作家、小田実さんが亡くなったからだ。しかし、遺志を継ごうと、九条の会の活動で地方行脚するうちに立ち直るきっかけをつかんだという。
「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)は、戦後の市民運動の原形です。小田さんは最後までよく頑張ったと思う。九条の会も全国に7000を超える組織ができて、子や孫のために、自分も声をあげたいという人の輪が広がってきた。やっと、日本に市民社会というものが、根づき始めた。希望があるとしたら、この人たちであって、政党ではないと思います」。声を弾ませ、目を輝かせた。小田さんが繰り返した言葉がある。
小さな人間には、小さな力がある。大きな人間は、大きな力を持っている。大きな人間は、政治や経済、戦争も含めて大きなことをやろうとする。しかし、それを実際にやらされるのは、誰か。小さな人間が「私は嫌だ」と言ってやらなかったら、大きな人間は何もできない。
「いつもデモの最前列を歩いている人でした。私にはそれだけの体力も気力もないけれど、自分ができることをやろう。志を持って、隣の小さな人間と手をつないでいく人間でいようという気持ちになれたんです」
■
フリーターや派遣労働などで働く若者たちの間で今、小林多喜二が1929年に発表したプロレタリア文学の代表作「蟹工船」が共感をもって読まれているという。澤地さんにはこのブームにも一家言ある。
「あの時代は、人権なんてものが何もなかった。それでも、あまりの労働の過酷さに、死を覚悟して立ち上がった人たちの話です。今も過労死するほど残業させられたりする、ひどい労働条件はある。しかし、今は組合もストライキも会社側と交渉することも、すべて合法です。そういう権利を持っていながら、蟹工船にわが身をなぞらえるのは、矛盾なんです。読むことはいいことだけれど、かつて日本の歴史に何があったのか、今とどう違うのかは勉強しないと、小林多喜二が可哀そう。多喜二自身、警察で拷問を受け、獄中死しているんですよ。今は、ごく人間的な要求を掲げても、そのことで投獄されたり、殺されたりすることがないはずの社会に、私たちは生きている。それが、どれだけ日本の歴史の中で貴重な時代であるかということを、もっと若い人たちは知らなきゃいけないわね」
昭和史を掘り起こし、歴史の中に忘れ去られた人々の声を拾い上げてきたノンフィクション作家の言葉には、重みがある。
■
長年、払い続けてきた年金の記録は「ない」と言われ、やっと手にした年金からは医療費が「天引き」される……。この国の「老後」は、どこへ行こうとしているのか?
「黙っていたら、破滅への道しかないわね。一生懸命働いて、ある年齢に達したら、穏やかな老後があるというのが、本来の国のあり方だと思う。なのに、年金も医療制度も、すでにぶっ壊れている。これは国家的詐欺ですよ。しかも、誰も責任をとらない。年寄りは死んだら、永田町に化けて出たらいいわ。それぐらいひどいことをされてきたんだもの。私は怒りのために生きているんです。堕落して、小泉(純一郎元首相)さんもなかなかいいんじゃない、なんて思うようになったら、私は死ぬわね」。そう言い切ってから、「たぶんね」と付け加え、笑った。【大槻英二】
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「おちおち死んではいられない」のシリーズは今回で終わります。このシリーズは9月に毎日新聞社から刊行の予定です。
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ファクス03・3212・0279
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■人物略歴
◇さわち・ひさえ
1930年、東京生まれ。中央公論社に勤務しながら、早稲田大第二文学部を卒業。同社退社後、作家、五味川純平氏の助手となる。独立後、「妻たちの二・二六事件」などを発表。「滄海(うみ)よ眠れ」「記録ミッドウェー海戦」で菊池寛賞。
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編集部のチェック
澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年(昭和5年)9月3日 - )は、日本の小説家。東京生まれ。幼少時に父親の仕事の関係から旧満州へ移住、1945年吉林で敗戦を迎え、1年間の難民生活の後に日本に引き揚げた。
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