諫早湾の漁業が大打撃を受けた。干拓による堤防閉め切りとの因果関係を認め、水門を開くように命じた判決が、佐賀地裁で出た。強引に進めた公共事業への〓責(しっせき)だ。国は深刻に受け止めよ。
長崎県諫早湾の湾奥部を鉄製パネルで遮断する光景は「ギロチン」とも呼ばれた。一九九七年のことだ。ムツゴロウに代表された干潟の生物などの環境破壊と、税金の無駄遣いだという批判の声が、全国から湧(わ)き起こった。
潮受け堤防が完成したのは、九九年。海水が堤防内側に入らないように、水門が閉じられた。潮流が変化したり、赤潮などが発生したりもした。
諫早湾のある有明海は、魚介類が豊富な海だったのに、特産品のノリの被害が報告された。タイラギという貝、エビなどの水揚げも減少して、漁業への打撃は深刻だった。
長崎や佐賀、福岡、熊本の漁業者らが国を訴えた裁判の判決で、漁業被害と堤防との因果関係について、「諫早湾内と近くの漁場は、相当程度、立証されている」と認めた。そして、猶予期間を設けたうえで、水門を五年間常時、開放するように命令したのだ。
確かにこの干拓事業で、約六百七十ヘクタールの農地はでき、約四十戸の営農者が入り、今春には野菜が出荷された。だが、この事業には約二千五百億円もの税金が投じられたのだ。費用と効果は、つり合いの取れるものとは、とても言い難いのではないか。
五〇年代初めの構想段階では、食料増産が目的だった。国が減反政策へと転じると、水道などへの活用へと衣替えした。さらに防災目的も追加された。まるで目的のためでなく、事業のための事業であるかのようだ。事業費も当初予定の約二倍に膨れ上がった。
公共事業は同じパターンで進められるケースが目立つ。いったん予算が付くと、看板を掛け替えてでも、動きだした事業は止まらない。地元の同意署名をごまかしたケースさえある。それでいて誰も責任を取らない。
水門を中長期にわたって開く調査に国が応じていない。これについて、判決文には「(原告の)被害の立証を妨害するもの」という言葉がついた。司法が不誠実さを厳しく非難したことに、国は真正面から応えるべきだ。
費用対効果のずさんな検討。そして、手続きを踏みにじってでも進める、国の強引なやり方への戒めを読み取りたい。
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