先ずは言葉遊び:一文字変えて「きつね」を「たぬき」に変えなさい。答の一つは、きつね => はつね => はんね => はんこ => きんこ => きんき => ちんき => ちぬき => たぬき。これで「きつね」が「たぬき」に化けることができた。
次ぎはどうだろう。アッダ(シュメール語の父)をチチ(日本語の父)に変えなさい。adda => dadda => dada => tata => titi => chichi だ。上の言葉遊びとどこが違うのか。音韻変化の法則に則とり、時間的・地理的に相当する中間の言葉があり、関連する言葉群も同様に変遷していること。この制約の下に、A => Xn => Bという変化を追えるのであれば、Bの起源はAであると言えるだろう。その意味で、日本語の起源にウル・シュメール語が多く見られるというのがこの本である。
父の例で分るように、母音や子音が変るだけではなく、頭に音が加わることもある(dadda の d 、冠音と呼ぶ)。語尾や語の中央に入る場合や失う場合もある。また、言葉の由来がどこかを新しい言葉の中に加えて造語する場合があり、それをを語源明示詞と名付ける。ウル語・シュメール語・エジプト語由来である言葉が、とくに古代エジプト語の中に多いことを示している(それぞれ、UR・GUB・AZI)。古王朝のエジプトはウルクの支配下にあったからだ。
関連語で言うと、母は ama (シュメール語) => apa => papa => fafa => haha である。日本書記では母を「飫悶」と当てており余計わからないが、オンモである。百済語ではオモ(今の朝鮮語でオモニ)。これは、ama => omo => onmo であろう。親は、やはり adda => ayah (古代インド/マレー語) => uyah (宮古島) => oya(祖・親)。このように父も母もシュメール語起源といえるのだ。因みにオヤジのジは、朝鮮語のアベジ(父)の語尾添音ジと同じもの。
他の例を示すと、木(ki)はウル語の gis^(ギシュ、木)から、 gis^ => gi => ki となったもので、アイヌ語も gi => ni (木)という gn(グニュー)法則に則った変化をしており、日本とは兄弟にあたる。水はどうか。アッシリア語の me (水)とシュメール語の id (水)が同義語重複して、me + id => mid => miz => mizu となった。海の例はなかったが、ワダツミのワダの由来は書かれている。ウル語の ada (海)がエジプトに入り、wadaur ( w 海 ウル語で)となり、そこから wada が来たと言う。同じ言葉が西のヒッタイト語(欧州語の祖語)に入り wa-ata-r となった。英語の water のご先祖である。
では、火はどうか。これは起源が異なる。ウル・シュメールが農耕及び海洋民族であったのに対し、アッシリアはアーリア系である。騎馬民族であり拝火教徒であった。火の語源はこの系統となる。アッシリア語の bil (火)から、bil => pil => pi' => fi' (乙種のヒ、奈良時代) => hi(甲種、「日」と同じ音、平安時代)。朝鮮には、bil => puil => pul となって入った。
日本語の統語法(シンタックス)は、シュメール語・アッシリア語・ヒッタイト語・トルコ語・モンゴル語・ツングース語・朝鮮語というアジア大陸北廻りの言語と同じである。しかし個々の単語は、古代エジプト語・南廻り・海渡りもある。「わだつみ」=wadaの海の例の後に、川崎氏は、「ナイル河の水は日本海につながっていた。あとは、それをつないだ海洋民族を探すだけである」と付け加えている。
実は『謎』には大変なことが書いてある。欧州から極東に至る言語の殆どが、3つの否定の詞に限定されるというのである。すなわちウル・シュメール・アッカド語の (1) 梟、(2) 神、(3) 牛族のいずれかを否定詞に当てているということだ。特に、梟が否定詞であった世界共通認識の時代があったという驚くべき発見である。その後、民族間の争いにより敵の神や種族が否定の対象となり、共通認識の梟世界が崩れたのだ。
先ず Non, ne pa, no, not, nicht などの欧州語は、na (古代インド)と同系統だが、これはシュメール語の nu-mus^en(ヌムシェン、ヌ鳥)の短縮形 numu からきた。ヌ鳥とは梟のことである。梟は神であり犯すべからざるもの=禁忌であるから、否定となったのであろう。古代エジプト語でも、mu(梟)+w 箱で否定詞となる。ビルマ語は ma 、中国語「無」「无」は mu 。無の古い書体は梟であり、无は「ちんば」の意味だが、ベス神(これもエジプトの梟の神)のことだ。日本語の否定の「ぬ」及び禁止の後置詞「な(…するナ)」も na 系であるが、インド語の na がビルマに入って一旦 ma となり、もう一度 na に戻った可能性がある。否定の「ず」は、nu => du => dzu => zu の音韻変化だ。
面白いのは「×」。今は「バツ1」が幅を利かせているが、ペケとも読む。エジプト語で × + w 箱 でやはり否定詞だ。発音は beke である。beke => peke とスンナリ日本へやってきている。紀元前4000年の言葉が、紀元2000年の 15,000km 離れた土地で今も使われているのだ。岩田明『超古代日本とシュメールの謎』では、南西インドのカリカットから沖縄まで帆船で3ヶ月で移動できたと報告がある。エジプトから宮崎までなら半年でOKだろう。海を通ると意外と近いのである。こうして「わだつみ」はやって来たのだろうか?
さて話を戻そう。漢字「不」は「鳥が上昇して降りてこない形状」だが、シュメール語の hu (鳥)から、hu => pu と変化して入ってきたものだ。hu は鳥を意味する限定接尾語である。梟は puuhu (プー鳥、トルコ語でも puhu )で、梟神は puuhuri である。日本語にも「ふくろフ」「つばくろフ」として入っている。従って、降りてこない鳥は梟であった可能性が高い。
神が否定詞になった例として、エジプトの太陽神 la がアッシリアの否定詞というのがある。これは敵対関係にあったからだと考えられる。他にも例はあったが日本語に直接かかわらないので略す。
さて、牛族とは何か。ウル語で UL 、シュメール語で urk 。いずれも古代の都市の名でもある。彼らは牛をトーテムとする民族だ。ウル・シュメール人の神は4神で、アン(アッシリア名アヌ。以下同)、エンリル、エンキ(エア)、ニンフルザグ(ニントゥ)である。この中で牛を含むのは、地母神 Nin-hu-ur-sag である。Ur-sag は牛頭だから、直訳すると「牛の頭のニン鳥」だ。牛の頭のように角がある鳥は、ミミヅク=梟である。
例えば、ギリシャ人も牛族である。ヘレネスと自称するが、h は冠音で元は、ウルヌス。ほら、UL だ。海神ポセイドンは古い壷(アンフォラ)には牛に乗った姿が描かれていた。神がその上に乗ったり立ったりしている動物は、その神の元のトーテムである。後に馬やイルカに乗ったのだ。ギリシャ(G-ur-eek でヤッパリ牛族)のアテナ女神の化身が梟である。言いかえれば、アテナ女神は、ニンフルサグ神(=ベス神@エジプト)ということだ。
蒙古語の否定詞に wgwi' (ウグヰ)がある。uk + (w)in が元の形で、uk は牛族だ。in は古代インドの属格接尾辞に由来し、in => win => wi' と変化した。まとめると wgwi' は「牛族の」と言って否定に用いているのである。関連する言葉に「うぐいス」がある。この「ス」は、アッシリア語の s,u(ス、飛ぶ)や s,uru(スル、飛ぶもの)、is,s,uru(鳥)から来ている。すなわち「牛族の鳥」と言っている。ホーホケキョとの泣き声から梟の仲間だと思ったに違いない。因みにカラス・カケス・ホトトギスは皆アッシリア語の s,u 鳥である。
蒙古に関連してその古名を推定すると、Mongol (= Mu-n-gul (= Mu-na-kur (= Mu-ra-kur となり、「梟の国」と想像される。Kur はシュメレンクルのクル(国)である。更に首都ウランバートルの旧名はウルガであるから、牛族の町であることが分るのだ。
牛族が否定の意味の例を続けよう。サンスクリット語に dur-ga (通りにくい)と su-ga (通りやすい)がある。ga はすぐ分る、英語 go の祖先だ。で、dur の方は、アッシリア語の du-ur 砦から来ている。牛族の砦は難攻不落だったのだ。一方の su は、後で書く。
ところで、日本語の梟(布久呂不)自身が、h-uku-ro-hu すなわち H(冠音)+牛族+の(助詞)+鳥と言っており、日本にも牛族がやってきた可能性がある。袋をあてた池袋・沼袋・島袋・袋田は縄文期に牛族が住んでいた土地であろう。
農耕民の牛族だけがウル・シュメールを構成していたのではなく、su 族(=塩族)と共存共栄していた。彩色を施した壷(彩文杯、紀元前2000年頃、タルカラン)が出土しているが、塩族のシンボル渦巻きと牛族のシンボル三角形の図形が交互に組み合わさって、両種族の共栄ぶりが分る。先に s,u (ス、飛ぶ)と書いたが、ここの su (す、塩)とは楔形文字が違う。もう一つ、s^u (シュ、手)がある。中国語にズバリ!手(シュ)があるが、同じかどうか分っていない。で、その su 族( suku )であるが、漁業・海運の他に製塩業も行い、塩を神への供物としていた。塩は霊力を得て、その塩を撒けば邪霊の御祓いになるのである。日本の風習そのままである。沖縄には su がシュとなって入り、日本語のシオはその転である。Suku は、西にはシオク、シオン、ツァイオンすなわちユダヤへ入り、東は、サカ族やシャカ(釈迦)族になった。この su 族は、セム族やアーリア人の侵入に抵抗しなかったので、su-ga 通りやすいのである。因みに、su はアッカド語で sal と言い、そのまま欧州語になっている。Sal (ラテン語)、salt (英語)等。
ここでケノは、Suku が「ワダツミ」=海人族=閤蔑(コウメイ)族であったのではないかと考える。Su 族のシンボルは、渦巻きの他に「猿」で表現される。理由は未だ分っていない。川崎氏は、インドのヴィシュヌ神の化身の一つのヴァリシャーカピが、平安京内裏清涼殿にある絵の「猿候」であると睨んでいる。ヴァリシャーカピとは「牡牛・猿」という意味で、土佐(su-san、塩族の国)にも「エンコウ」と言う闘犬の東方横綱の異名があることから、塩 = 猿 を繋げようとしている。ケノは、古い伊勢から奈良に上がった采女(うねめ、巫女の一種)を猿女君(サルメノキミ)と呼ぶことと関係がありそうだと邪推している。古事記を詠んだと言われる稗田阿礼も猿女君であった。その伊勢は閤蔑族の根拠地だった。土佐もそうだ。東が開けた港は皆、閤蔑族の根拠地に違いないのだ。
話を日本との関係に絞ろう。日本の先史時代の稲作は直撒きであり、エジプト古王朝と同じであった。後に田植え方式となったが、エジプトの「もの神」が出御するのだ。先ず、田植えを奥羽地方ではサツキ、関西ではシツケという。このサツキは、マサツキまたはマサトキの「マ」が脱落したものだ。元の masa とはマレー語で「(播種の)季節」という言葉であったが、更に古代エジプト語の masa (梟神)に辿りつくのだ。ma はシュメール語のnu-mus^en(ヌムシェン)の短縮形 numu に由来する。Sa は布である。梟の神形を棹の先に掲げ、そこから布を垂らすのである。Masa (梟神)だ。そして4種の神形(梟・隼・犬・気)を掲げて王の行列を先導する。これが「もの神」である。有名な「ナルメル王のパレット」にその様子が彫られている。なお容易に想像がつくが、この masa からラテン語の messa ミサが生まれた。
ついでながら、五月=皐月をサツキと呼ぶが、これは田植えの(マ)サツキから来ている。他にも masa は、様々な日本語に入っている。真赤は makka 、真黒は makkuro 、では真青は何故、massao と s 音が入るのか? それは元々が masa であって、makka は s が k に吸収されたからだ。勝る・真っ先・真っ逆様・まざまざ・まじまじ、何れも masa 神 => 真実という意味で造語されているのだ。
梟神には別の表現もある。ウル語で梟神は puuhuri であった。これがエジプトに入り訛がヒドくて(*)、pra と圧縮され、sa 布と繋いで prasa となった(一説には、mesa => pasa => prasa )。これにアンク(生命、神の徴)を付けて prasa-ank も梟神である。これが古代インドのパーリー語に入って brasaki 梟神と呼ばれた。日本に入った時は、梟神のことではなく、垂らしてある布の色の意味になる。武良前(ブラサキ、ムラサキ)である。紫の染料は希少な紫貝からとれ、紫は高貴な色であった。当然、先のエジプト梟神が垂らしていた sa 布は紫に染められていたに違いない。そして日本にきた棹の上にはもう何も乗っていなかったのかも知れない。
さて田植えの話に戻ると、初田植え神事を「サブラキ(サの神降ろし)」というが、これはパーリー語のブラ(梟)サ(布)キの語順を倒置して、サ(布)ブラ(梟)キとしたものである。すなわち、この神事は梟神(=田の神サ)をお招きする祭だったのだ。だから、戸畑(鳥旗)や村前(紫)は、梟神に関係のある地名であるという。因みにケノは、南伊勢の伊雑宮の田植え神事で鳥居が立つことを知っている。この鳥井に観念的に止まるのは梟神だった。もっと言えば、ニンフルサグの大地母神に豊穣を願っているわけだ。
川崎氏は、大野晋と渡辺昇一の「神vs上」論争に決着をつけようとした。大野は、神(可未)と上(可美)は音が違うので別系統だとしたが、渡辺は同一概念から分岐して音が変ったのだと主張した。1974 年当時、決着は付いていなかった(大野は言語学を続け、渡辺が政治評論家になったことから1980年頃には決着がついたのだろう)。川崎は、神はエジプト語の kha-mi-na-ran-fi(神)に由来すると言う。直訳すると「シュメール語のアンで外来語」となる。シュメール語由来を示す GUB が、gub => gab => gabi => khami と変化し、An の前に r が挟まれ、fi は外来語明示詞。これが khami と単純化され、khami => kami => kamui => kami'(可未、奈良時代) => kami (可美、平安以降)と音韻変化した。一方、上(可美)中(那珂)下(資母)は、全く別系統だと考えられることから、大野説が支持されるのだ。
以上、2冊の本をラフにまとめた。たしかに我々日本の言葉にウル・シュメール及びウル下のエジプトからの言葉が多く入っていることが分った。人も来たかもしれない。その意味で多いにシュメレンクルだといえる。でも、取り上げている言葉が少ないようだ。本の性質(一般向け)にも依るだろうが、こんな物でイーだろうかという気になる。Google すると、川崎氏は他にも多くの書籍を出している様子。機会があれば付合ってみようか。
[2002.09.28]