本は、日本民族の成立には3つの種族が係っているというスペキュレーション物である。地球を半周する壮大なスケールがある。いかにも「怪しげな」題名が付いている。でも、ありそうなんだね。
12000年前、タクラマカン盆地の南側のホータンに住む民族が地球の温暖化により住めなくなり、四方に散りぢりに移動した。7部族あり、クチャ・クシャナ月氏・突厥・匈奴・秦・魏(タクバツ氏)そしてスメルであった。スメルは、ヒンデゥクシ峠を越えてインダス川沿い南下し(一部はガンガー流域に入るが、それが釈迦族の祖先)、アラビア海へでてペルシャ湾にはいりユーフラテス河口に住みついた。ウルやウルクなどである。農耕と海運によりBC30〜24世紀に都市国家が栄え楔形文字を発明する。しかしセム系のアッカドに支配されるようになった。その後、BC21世紀にウル第3王朝として復活するも、BC 2004年、セム系のアラム人に滅ばされスメル人はメソポタミアの地から消えるのである。
スメル人は、インダス川中流にあった植民地のモヘンジョダロやハラッパに移り住むが、文字を扱う書記はついて行かなかったようだ。そこもBC15世紀頃のアリアン族の進入により追われ、インド西岸を南下し更にスマトラ・ジャワに渡った。仏典(一切経)には閤蔑(コウメイ)族と書かれている。一部は、セレベスから南のポリネシア・メラネシアに広がり、ニュージーランドまで至った。もう一方はベトナムから中国南岸を北上し、越と名のつく百の港町を作った。更に台湾・沖縄・九州と渡り、日本弧の北と南側を海流に乗り北上した。裏日本は青森まで、表日本は鹿島までであった(これ以上は親潮のため北上できない。また霞ヶ浦は海と繋がっていた)。宮崎・伊勢・鹿島にスメル人(海人族)の拠点ができた。これがBC1000年頃のことで、稲作と弥生時代の始まりであった。内陸部の縄文人(毛人)とは住み分けていた。
西方からやって来た種族が中国に殷王朝を開く。殷は周によって滅ぼされるが、殷の忠臣だった箕氏は朝鮮に封土された。この時、中国東海岸の海人族を伴って朝鮮へ移住した。その末裔が対馬を経て、出雲に王国を建てた。彼らは戦闘的で(青銅器を持つ銅鐸部族と名付けよう)、先住の海人族(既に鉄器を持つ)や山野に住む毛人とぶつかった。これら3部族が古代ヤマトの構成人種なのである。夫々、スサノオ、天津神(代表はアマテラス)、国津神に対応する。これらの神話は古事記の中に纏められようとしたが、藤原不比等(旧海人族)が政権を確立し、その都合で歪曲されて国史「日本書紀」となったと言うのだ。
昔、日本語はシュメール語を祖先とするという本を読んだ。ネット上で、日本の地名はマオリ語(ニュージランド先住民)で分るという頁に驚いたことがある。いづれも岩田説でつながるのだ。更に面白いことに、古代シュメール=アッカド王国の太陽の神シャマーシュは、後に16弁となり今もサダム・フセインの袖に描かれているが、その同じマークは天皇家の家紋「十六菊花紋」なのである。こんなスゴイ本が古本屋で300円なのだ。ただ、この系統の「超古代史」物は言いたい放題なので、要注意ではあるが…。
[02.09.09]