『夢がワイドショーの独占だった25歳の犯人』
連日ワイドショウの報道枠で垂れ流し続けて、マスコミが犯人の夢の実現の手助けをしている。
もっと大事な沖縄県議選の結果や首相問責決議、NHKの従軍慰安婦報道を自民党が介入した問題の最高裁判決等大問題が目白押しなのに。なんとも腹が立つ。
よく似た事件が続発しています。『誰でも良かった』大量無差別殺人。
今年だけでも何件も起こっていますが、共通点は自殺をしたいが、一人では怖くて出来ない。
ネットを利用した見知らぬ他人との練炭による集団自殺事件の心理と共通する事件である。
心理的には「自殺」より、「他殺」や「死刑」の方がハードルが低いのでしょう。
7年前の池田小学校生徒8人を次々に殺した犯人も、自殺したかったが一人では死ねなかった。
日本では毎年3万人以上が自殺する。多分自殺予備軍はこの数十倍以上の数でしょう。
死にたい人々が、これほど居る現状では『死刑』の存在は、凶悪事件の抑止には役立たず、逆に凶悪事件を誘発する危険性すら持っている。
今日、死刑の廃止と終身刑の導入は時代の趨勢でしょう。
『昔の方が大量殺人は多い』
大量無差別殺人は昔の方が多かった。幕末から明治にかけて河内十人切りのような事件が続発する。
一番多いのは1930年代の津山30人切りで、横溝正史八墓村の原作にもなるが、これ等の犯人は猟銃に日本刀で完全武装していた。
たった13センチの刃物で、何で7人も死ぬんですか。?
刃物では簡単には人は死にません。手で庇った場合に致命傷はなかなか難しい。必死に抵抗する相手を、一突きで殺害するのは不可能です。
しかし歩行者天国のみんなは逃げ惑うばかりで、凶悪な犯人に抵抗していない。
なにやら、途惑うばかりで、凶悪な解同集団の悪質なイジメを積極体に止めようとしなかった、水騒動での護憲左派の不甲斐なさをみる思いです。
此れでは「争いを嫌う左翼護憲派のお花畑の住人」などと他所様に皮肉られても仕方あるまい。
外国でも良く似た大量殺人が起こっているが、全員銃や爆破物を大量に用意している。
イラクやアフガンで13センチの刃物を振り回しても絶対に今回の様にはなりませんよ。
其れより不思議なのは、犯行現場での携帯による近距離からの撮影です。
刺されている人を、周りの人が見物していたとしか解釈できない不思議なアングルの写真が出回っている。
撮影するカメラがあるなら、犯人に投げつけるぐらいのことは出来るはずだ。
相手(犯人)が一瞬怯んだ隙に、大勢で取り押さえる事も考えられるが、写真を撮ることに忙しすぎて誰も犯人に抵抗していない。
『死山法務大臣の怒りの矛先が違う』
半年ほどで13名の死刑執行書にサインした鳩山法相が死神と揶揄され『遺族に失礼』と激怒していましたね。
しかし、遺族が怒るならともかく、何とも、違和感がある。
あの場合には、胸を張って『私は適正で正しい』と言わないといけない。
各地の刑務所では、13人の死刑囚を処刑した刑務官が現実に実在しているわけで、法相はその刑務官の上司なわけです。
現場の人達にとっては、『彼等は死神に連れて行かれたんですか?』などの鳩山法相の言葉は絶対に聞きたくなかったでしょう。
『死刑のモラトリアム』
死刑に対して世界的にも珍しい、1000年前の平安時代の昔に世界最初の死刑モラトリアムを実施していた歴史のある日本国では、もう一度、古の歴史に立ち返り死刑のモラトリアムを復活するべきでしょう。。
保守とは、古き良き権威と伝統を守る事のはずで、教育勅語程度の高々数十年の歴史ではなく、3百数十年続いた古き良き伝統を何とか蘇す方法はないかと考えています。
当時、何処の国でも、どんな歴史でも最も重い刑罰が科せられた『国家反逆罪』でも、何と驚く事に日本では島流しだったんですよ。
『厳罰化で防げるのは軽犯罪だけ』
歩き煙草禁止条例が彼方此方で出来ていますが反則金千円程度ですが、此れを100万円にすると違反者は絶対になくなります。
コンビ二の雑誌の万引きでは罰金が全財産の没収なら類似犯罪は激減します。
軽微な犯罪では、厳罰化は確実に犯罪の抑止になります。
しかし大きな犯罪は厳罰化しても防げません。10億円横領の罰金が、全財産の没収では、10億円以上の金持ち以外には効果は全く在りません。
特に死刑には凶悪事件の抑止効果はほとんど無いようです。
犯罪の抑止に一番効果が有るのは、逃げ得を許さないを警察による地道な犯罪の検挙です。
犯罪抑止には、簡単な特効薬なんかは無く、住民と警察の協力による地道な日常活動しかないようです。
そんな『気の長い事は言うて居れん』
『現実に秋葉原の様な事件は如何するんだ』という方、向きの良いアイデアを思いつきました。これは海外、特に中東とか中南米で広く採用されている方法です。
『みんなで、その場で犯人を殴り殺す』
日本人向きでは有りませんが、一定の効果は確実にあるようです。
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私も自殺の変形ではないかという気がしていました。
そうであるならば、死刑制度が犯罪を誘発しているという事になりますね。
娘も就職氷河期世代でしたので、若い人たちの辛い立場が良く分かる気がします。
ただ,日本人の場合,私のように武道をやってた人間でなければ,間違いなく犯人からナイフを取り上げて半殺しにするなんてことは難しいんじゃないかなぁと思いますね.
だって,身近に右翼のうるさい街宣車が来ても,誰も抗議したり車の走行を妨害したり警察に応援を頼んだりなんてしないんですよ.私はこの間,たまたま横断歩道で右翼の街宣車が無理矢理に私をはね殺そうとしたので,白杖でフロントガラスを割り,運転席のガラスを割って,運転手を引きずり出して半殺しにしてやりました(ポケットにサバイバルナイフがあったので,これを握らせて手首を折って殺意の証拠品としてやった).
知り合いの刑事(殺意があったから民事じゃない)を呼ぶと,あんたやりすぎやと笑われましたが.これでも昔は剣道3段だったんですけどね,警察にリクルートされたこともあるんですと(笑) まぁ,おかげで白杖 4000円が折れてしまいましたが,どうせ市役所が無償でくれるから,いいっか.
何だか武勇談みたいになってしまいましたけど,私のようにいざと言うときに白杖とか傘を武器にして戦える人って,どれくらいいるんでしょうね(笑) ましてや,携帯電話で写してたなんて,どこのどいつや.こういう無責任な奴こそ,禁固刑にするべきでしょう.
先日,70代の老人が孫まで含めて一家全員を殺してしまいました.なぜでしょう.彼の言い分には心臓手術で入院してからは,何となく家族が冷たくなったてな言い分が聞えます.要するに老人痴呆の一種で,心臓手術で多大な出費をかけた → 家族からは早く死ねと見られている → 自殺をしたいが勇気が出ない → それなら自分が生き残って家族を全員殺しても罪にはなるまい,という思考の巡りが伺えます.
大量殺人の犯人の素性などをマスコミ報道で聴くと,どうもこの老人と似通った「妄想」をみな抱いているのではと考えてしまいます.ただ,一つだけ幸いなのは,精神神経科を目指すレジデントの学生がいまとても増えていることです.そのうちの何割かはこれから需要の増える自殺や老人痴呆を専門にすることでしょう.精神神経科医,特に救急医が増えることで,これから増えていくと思われる大量殺人にも対応できるのではないかと甘い希望を持っています.
私が考えるに凶悪犯罪の背景には子供達に対する家庭内、学校等での間違った教育方針も原因のひとつとして関係しているのではないかなと…
なんというか社会のあらゆる出来事に対して他力本願というか自分で考えて解決することができない人達が増えているのも原因のひとつとではないかと考えます。
しかし文章で物事を伝えるのは難しいですね(笑)
これは少し違うように思います。
彼ら犯罪者は「もう死刑になってもいい」とは思っているとは思いますが、決して、一般的に言う「自殺志願者」ではないと思います。
しいて言うなら、「慢性自殺」には該当するかも知れません。
これは、体に悪いと知っていながらアルコールにおぼれる人や、危険とわかっていながら、暴走族をやっている人のことを指します。
当該のタイプの犯罪者たちは、人生を投げている人たちでしょう。
しかも、自分が毎日おもしろくないので、他人のすべてが幸せそうに見えて、ねたみを抱いているのだと思います。
しかし、当然、そういう人のすべてが犯罪を起こすわけではありません。
それらの中で倫理観に欠ける人が犯罪へ走るのだと思います。
こちらも最近に多く見られる傾向ですね。
これは「存在価値」を得たいのでしょう。
私はネットの書き込みなどを見ていて、つくづく自身の存在価値に怯える若者の叫びのようなものを感じます。
バスジャック少年というのがいましたが、彼は当初ネットの掲示板で区切りの書き込み番号をゲットすることに自身の存在価値を懸けていたようです。
ところが、別人にそれをやられてバカにされ、「もはやこれまで」と思い、犯罪に及んだとのことです。
つまり、彼らは「犯罪者の持つ存在感」に魅せられたわけです。
これらの犯罪を識者は「動機が不明、理解不能」などと言っているけですが、なんてことはない。哲学的動機による犯罪ですよ。
「哲学」の定義を勝手に高尚化するから見えないだけでしょう。
人間にとって、「存在価値」というのは非常に重要なものですが、受験体制以降、これが苛烈に意識させられるようになっています。
しかも、日本の教育現場は「すべての人に存在価値がある」という哲学を持っていません。
結局、多くの若者が「存在価値恐怖症」に陥ることとなります。
しかし、残念ながら、プラス方向に存在価値を得ることは難しく、マイナス方向に存在価値を得る方が簡単です。
暴走族などの非行少年が好んで社会に迷惑をかけるのも、それによって自身の存在価値を確認しているのでしょう。
それが証拠に、暴走族出身の芸能人は芸能人になったとたんに、たいてい暴走行為をやめてしまいます。
「そりゃ、地位を失うからだろう」との見方が一般的ですが、私はそれだけではないと思います。
つまり、「芸能人」というプラス方向の存在価値を持つ立場になれたので、もはや、マイナス方向の存在価値行為は必要がなくなったのだと思います。
私の考察が正しければ、このあたりに、この種の犯罪抑止のヒントがあると思います。
それと元暴走族が芸能界に入ることでプラス思考になり暴走をしなくなった訳ではなくそれなりの年齢になればいつまでもこんなことでは駄目だなと感じる時期が自然とくるように思います。
次なる存在価値を見つけることが困難であってもそれが原因でマイナス思考のままというのは証拠としては不十分ではないかと考えます。
生きる意味を失っているのは事実ですね。
高校生以上なら、一度は『人は何のために活きるのか。?』『自分は何のために生きるのか。?』と考えた筈です。
この時、なんの答えも見つからなければ・・・
怖い話です。
kaetzchenさん。
『みんなで、その場で犯人を殴り殺す』
この方法は、私の勝手な創作ではなく、世界中で広く採用されている方法(世界基準??)のようです。
そして日本は、この対極にある社会ですね。
光市事件で被告の少年を『殺せ』『殺せ』と叫んでいるネットウヨたちでも『それならお前の手で殺せ』『みんなで仲良く殴り殺す』になったら震え上がるでしょう。
自分の手を汚したくないんですよ。
だから『被告の元少年が将来釈放されたら自分お手で殺す』なんて話に感動して、拍手喝采した。
実に腹立たしい限りです。
恒久さん。
宮崎勤は幼女の手首を食べて骨を家族に手紙を添えて送りつけた。
拘置されている間の最大の心配事は、自分の集めたビデオと運転免許証の更新手続きだった。
如何考えてみても、彼は正常では有りません。
正常ではない犯人を『正常である(善悪の判断が出来る)』として裁判では有罪(死刑)となり処刑した。
彼が完全に正常だったなんて言える人は、唯の一人もいません。
正常でない人を『正常だ』と正常な人が判断したわけです。
筋が通っているようで全く通っていない、何との、やりきれない話ですね。
Runnerさん。
自殺に対して日本は欧米などのキリスト教圏やその他の諸外国に比べ、見方が寛容なようです。
しかし、『殺人』する相手が他人ではなく自分自身であるという違いがあるだけで『自殺』は殺人の一種なんですよ。
欧米では自殺に対して厳しい。親子心中なんかで生き残ろうものなら、生き残った親に厳罰が待っている。
無差別殺人には、自己顕示欲が見え隠れしていますね。
教育大付属池田小学校は地元では知らない者はない有名エリート校。秋葉原は、地元どころか日本中が知っている。
暴走族の話は大きく2種類に別れますね。
なるべく人の集まる場所で暴走する自己顕示欲満足型と、観客の過多に関係なく暴走行為自体が目的の危険追求型。
どちらも『社会に好んで迷惑をかける』のが本来の目的ではなく、迷惑行為は単なる付随する要件にすぎません。
当時の日本は母系社会でした。
しかし、その後、武士の台頭、儒教の導入などがあり、父系社会となってしまい、メンタリティーが変わってしまいました。
つまり、サディスティックな社会になってしまったわけです。
欧米では、ピューリタンにもサディズムのケがあると私は見ています。
>保守とは、古き良き権威と伝統を守る事のはずで、
今日、中国批判が大ブームなわけですが、なぜか、儒教の批判はしない。
つまり、彼らは母系社会に戻る気は毛頭ないわけです。
>どちらも『社会に好んで迷惑をかける』のが本来の目的ではなく、
そうでしょうか。
ならば、あえて騒音を出すようにしたり、落書きをして街を汚すこともないはずです。
儒教批判をしないのは,日本文化の底流に儒教が存在することを「知らない」からです.つまり,マスコミなどの「洗脳」によって情報が大量に押し付けられて,大脳にこれ以上の情報が入りきれない状態になっているのが原因です.
例えば,私の知り合いの航空自衛隊の教官の方がこんなことを言われていました.「日本の真の仮想敵国はファミコンだよ」.実際,「座学」と言って航空機の理論や英語の授業になると学生たちがこっくりさんになるとか.原因を考えてみると,彼らがこっそりと寮に持ち込んでいる小型ゲーム機のせいで視力が落ち,睡眠時間が取れなく,パイロットとしての自覚がなくなっているんだそうです.
確かにジェット機の免許を取ると給料の良い民間航空へ移る生徒たちですが,そんなパイロットの操縦する飛行機では怖くて載れませんね(笑) つまり,母系とか父系という問題でなく,現代社会そのものが抱える矛盾そのものなんですよ.日本製品は高価だから輸出ができない=関税障壁で外国から儲けることができない=物価や消費税を上げないと日銀からカネがなくなる=ゲーム機を売ったり携帯に組み込んだりしないと高価なゲーム機や携帯を買ってもらえない,という悪循環がいつまでもいつまでも続くことになります.
つまり,Runner さんの言われている話は実は経済の実態の問題と入れ替えると分かり易いのではないでしょうか.どこかずれているような気がしてなりません.騒音を出したりする輩の背後には必ず暴力団がいて,落書きをする連中の背後には社会秩序に対する不平不満があります.問題はひとつひとつ分けて論じましょう.
| 教育大付属池田小学校は地元では知らない者はない有名エリート校。
そんなことはありませんよ(笑)
大阪教育大附属校には3つの地区に分かれた小中高一貫教育校があります.
大学と同じキャンパスにある天王寺校は知る人ぞ知る,灘高にひけを取らない超進学校です.ここでは積極的に受験勉強を教えています.
平野校はやや実験校的な色彩を帯びていて,天王寺校ほど進学熱は強くはないです.普通の国立附属くらい,広島大附属広島高程度でしょうか.
そして池田校は完全な実験校でして,外国語教育を中心とした国際教育に力を入れており,入試も学力よりも異文化を受け入れるキャパシティに重点を置かれています.だから半年や1年留学して,留年する生徒がとても多いユニークな学校です.だから池田の場合,割とお金持ちの子弟が多く,進学は日本の大学でなくて(日本なら外大とかICU)外国へ進学する場合が多いため,「有名エリート校」という誤解をされているのだと思います.
旧制高校・旧制高等師範に附属の小中高は地域のエリート校ではありますけど,必ずしも進学率とは結び付いてはいません.大阪教育大の他にも広島大もそうで,広島高は普通の進学校,福山高は超進学校です.反対に東大附属は完全な実験校で,東大に入ったのは開校以来,数名との話(笑)