現在位置:asahi.com>ニュース特集>ニッポン人脈記> 記事 「あなたの貧乏撮らせて」2007年08月08日14時45分 「ワーキングプア」。働いても生活保護水準より低い賃金しか得られない人たち。格差社会の影を象徴する言葉を定着させたのは、昨年7月に放送された「NHKスペシャル」の同名の番組だった。
貧しさをさらす出演者の顔を出すことに、取りまとめ役のチーフプロデューサー春原(すのはら)雄策(ゆうさく)(41)はこだわった。「すべてをさらけ出してもらい、本物の取材をしたうえで、放送後の余波にもきちんと責任をとる決意だった」 「あなたの貧乏を撮らせてください」。スタッフは東京で2カ月余り、150人のホームレスにあたった。契約社員やアルバイトを転々とし技術を身につける機会なくホームレスになった30代の男性2人が撮影に協力してくれた。携帯電話もない2人にテレホンカードを渡し、連絡を頼んだ。 秋田には、量販店に押されてスーツの注文がなくなり、税金を払えない70代の洋服店主がいた。 春原は、請負会社の指示で工場の間を漂流するフリーター、団地で相次ぐ中年男性の孤独死を番組にしてきた。「貧しいのは意欲や努力が足りないから、と切り捨てる『自己責任論』への違和感」をずっとぬぐい去れないでいた。 中立性をことさら求められる公共放送で、あえて弱者の立場に身を置こうとした。 週1回、深夜に全国の日本テレビ系列でドキュメンタリーを届けている番組がある。「NNNドキュメント」。今年1月、終夜営業の店に寝泊まりする日雇いフリーターを「ネットカフェ難民」と紹介した。取材した日本テレビのディレクター水島(みずしま)宏明(ひろあき)(49)も社会の貧困を追い続けてきた。 きっかけは、札幌テレビの記者をしていた20年前、札幌市で子ども3人を残して母子家庭の母親が餓死した事件だった。母親は生活保護を受けていなかった。 視聴者に福祉窓口での体験談を募った。電話が鳴り続けた。「女だったら体を売ってでも生きていけるだろう、と言わんばかりなんです」。これはひどいと思った。 夕方のニュース番組で生活保護の認定を厳しくする行政の実情を告発し、ドキュメンタリー「母さんが死んだ」を作った。生活保護を申請させまいとする自治体窓口の姿勢を、06年にも「ニッポン貧困社会」で伝えた。「目に見えない貧困はずっと気になっていたが、なかなか番組にできなかった。格差拡大と言われる中で、チャンスが出てきた」 水島と競うようにNNNドキュメントに手を挙げるのが、名古屋の中京テレビ記者、大脇(おおわき)三千代(みちよ)(40)だ。水島はその取材を「がむしゃら」とたたえ、大脇は水島を「冷静、的確」と言う。 大脇の04年の「見過ごされたシグナル」は、三重県でトラックが渋滞中の車の列に突っ込み、6歳の男の子らが死亡した事故の背景を追った。運転手の居眠りが原因だった。事故はなぜ起きたのか。「6歳の子どもにもわかるように説明するのが大人の責任ではないですか」。大脇を動かしたのは、亡くなった子の母親が話してくれたその言葉だった 「遺影を前に、大人の一人としてトラック事故が頻発する理由について説明できるものを持ち合わせていなかった。だめだなと思った」と大脇は言う。 トラック運転手の実態を伝えたい。大脇は深夜、名古屋の卸売市場で目立たぬように長靴姿で運転手に直談判し、福岡や宮城の間を往復する助手席に小型テレビカメラを持ち込んだ。規制緩和による運送費の値下げ競争。厳しいノルマに追われ、ろくに休憩も取れない運転手たちの姿を伝えた。 東南アジアに関心を寄せた学生時代、途上国支援の広告を電車で見た。栄養状態の良くない子の写真に「わたしは、あなただったかもしれない」のコピーがあった。取材のたび「何かの拍子で私に起こっていたかもしれない」と思う。考えるより先、体が動く。 独創的なテレビ番組は、制作者の情熱と覚悟、いささかの幸運で生まれる。作り手たちの、思いの原点をたどる。 (このシリーズは編集委員・川本裕司、写真はフリー水村孝が担当します。本文は敬称略) PR情報関連情報 (リンクは別ウインドウで開きます) |
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