セヴァン号 ビーバーの齧る船に乗って このページをアンテナに追加

2006-06-16 The Catcher in the Theatre

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サリンジャーの『The Catcher in the Rye』は、直訳すれば『ライ麦畑でつかまえる人』だが、それでは日本語として不自然なので、『ライ麦畑でつかまえて』。と思いきや、実は原題の「Catcher」をあくまで尊重しており、「つかまえて」=「つかまえて(命令)」と「つかまえ手(=つかまえる人、catcher)」の両方の意味をかけてある。とかいう嘘のような説を耳にしたことがあるのだが、絶対に嘘ですよな。

新国立劇場の『きらめく背骨−踊る東京タワー』に行ってきた。空中ダンスがアクロバティックで、金子飛鳥の生バイオリンと歌がよくて、ダンスがクネクネしてて、カクカクしてて、エロくて、祝祭的喧騒で、もはやヤバい境地でした。ただし、土日の前売り券は完売して、既に当日券しか残っていないようなので、あまり無責任にはおすすめできない。

その前には、オペラシティのギャラリーで『武満徹展 Vision in Time』をみていた。これも予想に反してすごくよかった。何だか、美術展というよりは、知り合いの音楽の先生の家に遊びに行って、先生の蔵書とかレコードとかアートのコレクションとかを、無尽蔵に見せてもらってるような感じ。最近三鷹市の美術ギャラリーでやってた、『詩人の眼 大岡信コレクション』もそんな雰囲気だった。だから、今日はあんまり帰りたくない気分だったな。でも隣の劇場でダンスが始まってしまうので、仕方なくその場を去る。これも会期は日曜日までだから、行きたい人は急げや急げ。


【コメント】

id:jun-jun1965 『「ライ麦畑のキャッチャー」とか「ライ麦畑のつかまえ手」というのは、実は誤訳です。なぜならこれは「passer-by」と同じ語構成で、「ライ麦畑でつかまえる」という動詞に「er」がついたものだから、ということは私の『聖母のいない国』に書いてあります。』

id:Belial 『ご教示ありがとうございます。

上の説明は分かったのですが、今図書館で『聖母のいない国』を借りてきて調べたところ、その記述がどうにも見当たりませぬ。

ライ麦畑のキャッチャー』という表現は3ケ所見つかったのですが(p32・36・59)。

ところで私はこれまで、『聖母のいない国』を不勉強にも103ページまでしか読んだことがなかったのですが、なぜそんな半端な数字かというと、大学院院試にこの本を持参して試験前に読んでいたら、103ページまで読んだところで、試験官から「それでは、筆記用具と受験票以外のものは鞄の中にしまって下さい」という指示が出たからです。』

id:jun-jun1965 『書いてすぐ、実は『聖母のいない国』で自分が誤用して人に指摘されたのだと思い出しました。』