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拝啓お医者さま しあわせでした
医師を支える患者と家族からの手紙
2008年6月27日(金)0時0分配信 AERA
掲載: AERA 2008年6月30日号
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「一筋の道が見えた」
骨髄移植を得意とするが、移植を受けた人の半数以上が完治せずに亡くなるのが現実だ。
「患者さんが亡くなるたびに、もっと他に何かしてあげられることがあったんじゃないかと落ち込みますが、ご遺族から手紙を頂くと、救われます」
下の手紙は、白血病が再々発して亡くなった男性患者の妻からのものだ。
岡本さんは、非常に活動的だった男性患者が外で安心して過ごせるよう、
「具合が悪くなったらいつでも入院できますよ」
と言って、この男性用にベッドを一つ常にキープしておいた。男性が入院中は、夜、病室を抜け出して看護師たちと近くの居酒屋に飲みに行くのも知っていたが、知らないふりを通した。
「患者さんにとっての『生活の質』とは何だろうと、ものすごく試行錯誤している時に出会った患者さんでした。『こんなに幸せな患者はいるでしょうか』というご遺族の手紙で、一筋の道が見えた思いがしました」
岡本さんはこう振り返る。
自宅での看取りに感謝
ひばりクリニック(宇都宮市)の院長、高橋昭彦さん(47)が3カ月に1度、患者さんや仕事仲間に出すニュースレターの名前は「テレマカシー」という。「ありがとう」を意味するインドネシア語だ。
この言葉を高橋さんに教えてくれたのは、4年前に自宅で90歳の天寿を全うした金子由男さんだった。海外旅行が趣味で、自分の部屋の壁一面に外国で撮った写真を張っていた金子さんは、高橋さんが往診するたびに「サンキュー」「メルシー」などと訪れたことのある国の言葉でお礼を言った。
往診を始めたのは、老衰で体力が弱ってきたのを心配した長男の妻、敏子さん(60)が相談にきたのがきっかけだった。
最初の日、高橋さんは金子さんに、どこで過ごしたいかと尋ねた。
「家に最期までいたいけれど、嫁の敏子に世話をかけるのはすまないから、入院してもいい」
ところが高橋さんは、金子さんの部屋いっぱいの写真を見て、こう応じたのだ。
「最期まで、お父さんらしく生きるために、この部屋で過ごさせてあげましょう」
すると敏子さんが、高橋さんをきっと睨んだ。自宅での看取りが不安だったのだ。高橋さんは優しく言った。
「心配な時はいつでも電話して下さい」
それから毎日、高橋さんは金子さんを往診した。2週間後、金子さんは両腕を伸ばし、「シゲ、シゲ」と亡き妻の名前を呼んだ後、息をひきとった。
高橋さんのもとに敏子さんの手紙が届いたのはその2カ月後だ。400字詰め原稿用紙4枚にていねいな文字で、義父の「テレマカシー」のエピソードなどとともに、感謝の言葉が綴られていた。
——住み慣れた家で、思い出の写真に囲まれ、誰にも気兼ねなく会話ができて、感謝の言葉だけを言いながら天国に移された父は本当に幸せだったと思います。悲しさはありますが、今まで三人の親を失くした時の、痛みを伴う悲しみではない……
敏子さんは、3人の親を病院で看取っていたのだ。
「病院での看取りは後悔ばかりが残りました。自宅での看取りは最初は不安でしたが、父と一緒にいる一時一時が、言葉は交わさなくてもお別れの時間で、納得のいくお別れができました。感謝の気持ちをどうしても高橋先生に伝えたくて、手紙を書いたんです」
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