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拝啓お医者さま しあわせでした
医師を支える患者と家族からの手紙
2008年6月27日(金)0時0分配信 AERA
掲載: AERA 2008年6月30日号
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医師や看護師への手紙を抱いたまま息をひきとった患者がいる。
延命治療をやめた医師に、遺族から感謝の便りが届いた。
先生に診てもらえて良かった——そんな手紙が医師を支えている。
慶応義塾大学病院(東京都新宿区)9階にある血液内科「9S病棟」。看護師控室の机の上に、透明な写真立てに入った一通の手紙が飾られている。
——最高の治療をしていただき、心から慰め、笑わせていただき、ほんとうに明るく楽しい入院生活を過ごす事ができました。ここから旅立てること最高に幸福です
手紙の日付は2006年5月13日。差出人の小野妙子さんはその17日後の5月30日午前5時過ぎ、急性骨髄性白血病との1年半にわたる闘病の末、9S病棟から天国に旅立った。60歳だった。
夫の幸二さん(72)が子どもたちと病院に駆けつけ、死亡を確認した直後、前夜から病室に泊まっていた義妹が言った。
「お姉ちゃんがこのバッグをずっと抱えて寝ていたの」
渡されたバッグを開けると、家族全員にあてた手紙と一緒に、担当医と看護師たちにあてた手紙が入っていた。すぐに、医師たちに手紙を持参した。
「家内はいつも、病院の皆さんが親切で優しく、安心できると言っていました。1年半、本当に何の不安もなく入院生活を送らせてもらいました」
自分の部屋に全部保管
闘病中、小野さんが周囲に涙を見せたのは2度だけだ。1度目は、再発がわかった時。アメリカにいた幸二さんに国際電話をかけ、泣きながら検査結果を伝えた。2度目は、亡くなる数週間前。自宅に数日だけ戻り、自分の結婚指輪を「息子の将来のお嫁さんに」などと言いながら貴重品を整理していた時、
「私、死にたくない」
と、つぶやいて泣き出した。幸二さんは思わず駆け寄って抱きしめ、一緒に泣いた。
だが、その2度以外は、いつも気丈に振る舞った。再発がわかった後も、一人で5トントラックを頼み、自分の持ち物の大半を処理した。
そんな小野さんを間近でみていた看護師たちが、
「小野さんの生き方は最後まですてきだった。患者さんみんなに、小野さんのように入院中に少しでも幸せを感じてもらえるようなお手伝いがしたい」
と、手紙を控室に飾った。
小野さんの主治医だった岡本真一郎・同大准教授(53)は、患者や家族からもらった手紙を、すべて自分の部屋に大切に保管している。
「患者さんたちからの手紙は、私にとって一番の力です。引退する日が来て自分の医師人生を振り返る時、患者さんとどのような時間を持てたのかが何にも増して大切な要素になると思います。患者さんの手紙は、私と患者さんが持った『時間』を端的に語ってくれるんです」
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