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                           かけはし2003.9.1号より

21世紀の世界危機と「日本核武装」論

「非核神戸方式」拡大と「非核三原則法制化」を

 北朝鮮・金正日体制の「核開発危機」を背景に、非核三原則を放棄して日本の「独自核武装」を検討すべきとの見解が改めて浮上している。以前ならおよそ現実味のない極右の「放言」だった「日本核武装」論が保守政治家や論壇から一つの「選択肢」となってきたのだ。反核・反戦運動の力でこうした動きを止めよう!



 広島に原爆が投下されてから五十八年目にあたる八月六日、福田官房長官は記者会見で、日本が核武装する可能性について問われ「いま核抑止力を持つ必要はない」と述べた上で、将来の保有の可能性については「それは将来の方が考えることだ」と、将来、日本が核武装することに含みを残す発言をした。
 福田のこうした発言は初めてではない。昨年五月三十一日の記者会見でも彼は「従来、非核三原則は憲法のようなものだったが、いまは憲法改正の意見も出てくるのだから、国際情勢の変化があれば、国民世論から『核兵器を持つべきだ』という意見も出てくるかもしれない」と述べていた。もともと政府の憲法解釈によれば、自衛のための戦術的核兵器の保有はそれ自体として憲法違反ではないが、「非核三原則」の下での政策として核兵器は保持しない、というものであり、安倍晋三官房副長官も昨年五月十三日の早稲田大学での講演で「最小限、小型、戦術的なものであれば、核兵器の保有は必ずしも憲法に違反するものではない」と主張した。
 これまでであれば、日本核武装の可能性についてのこうした言及は、ごく少数の極右の「妄言」として、現実の政治選択の場にのせられることはなかった。第一に日米安保体制の下で、アメリカ帝国主義が日本の「独自核武装」を許すことはなかったし、第二に日本の世論もまた、今日にまで続く広島・長崎の原爆被害の体験の上に、日本核武装については絶対的に拒否する意見が圧倒的多数だったからである。
 しかし、明らかに事態は変化しつつある。アメリカのチェイニー国防長官は今年三月のNBC放送との会見で、北朝鮮の「核開発」問題との関連で「日本は、核武装問題を再検討するかどうかの考慮を迫られるかもしれない」と述べた。これは「北朝鮮が核開発を継続すれば、日本の核武装を招く」ことになるという中国政府や北朝鮮・金正日体制へのどう喝としての意味合いが主要なものだろう。しかしアメリカ支配階級の中で、たとえ一部ではあったとしても「日本核武装」が「ありうる選択肢」になりつつあるという観測も決して排除できない。
 今やアメリカ帝国主義は、アジア諸国の日本軍国主義復活への警戒感に対して、日米安保は日本の侵略的軍事大国化を抑えるための「ビンの蓋」であるという文脈での従来の説明を転換しはじめている。パウエル国務長官系の人脈に属する「知日派」とされるアーミテージ米国務副長官も、彼が中心となって作成した二〇〇〇年十月の国家戦略研究所レポート「米国と日本:成熟したパートナーシップに向けて」の中で「(日本の)次世代を担う政治家や国民は、経済力のみでは日本の将来を保証することは不十分であることに気づいている。それどころか国民は国旗や国歌を法制化し、尖閣列島の領土問題に関心を示すなど、国民国家の主権や尊厳に新たに関心を払っている。これらの変化が日米関係に投げかける意味は大きい」と述べた。
 つまりそこでは、米英同盟的日米同盟関係を構築するという観点から、日本の国家主義の浮上を肯定する見解が暗に表明されている。中国との戦略的パートナーシップに重点を置き、日本などの同盟諸国を軽視したとしてクリントン民主党政権を批判したブッシュ共和党政権の中枢は、日本の「独自核武装」をめぐる政策においても、その世界戦略の観点からそれを容認する可能性について検討を開始していると言いうるのではないか。
 北朝鮮の拉致・工作船、そして「核開発」危機のキャンペーンは、懸案の有事法制を成立させる上で大きな効果を発揮した。そしていま、右派の中で「日本核武装」論があらためて浮上している。その典型は、『諸君!』8月号特集の「是か否か 日本核武装論」である。同特集の中で「日本核武装への決断」という論考で「日本核武装」を正面から主張しているのが中西輝政(京大教授)である。
 中西は「国際政治は、本質的に『力』と『国益』という基本要因を軸として展開される。その上に二次的要因として、国際協調が時として実現する場合があるにすぎない」という認識の上に、二十一世紀の世界は圧倒的な力の優位を持つ米国と、欧州、中国、そしてロシアとの対峙という軸で展開されると予測する。こうした米国と欧・中・ロシアという「列強」の対峙関係に近接する形で東西双方に英・日という「第三列の島国」が存在する。英・日はともに欧・中・ロとの対抗関係上、アメリカ寄りの基本姿勢をとらざるをえない。
 中西は述べる。東アジアに目を移せば「広大な中国大陸と朝鮮半島が一体となって日本列島に『悪性のウィルス』を吹き込み、隙あらば、その『ウィルス圏』のなかに日本をも引き入れようと虎視眈々と狙う、そういう危うい`気配a」が立ち込めている。「日・中・韓」の「北東アジア圏」構想の中に、その「気配」は現れている。中国は韓国と結んで、日米の間に楔を打ち込もうとする。「日米の間に楔を打ち込もうとするこの動きには、二〇一〇年代をにらんで東方アジアに覇を唱えようとする新たな中華帝国の『朝貢』システム構築をめざす欲求が潜んでいる」と。
 中西は、こうした中国の影響力の拡大とアメリカの力の衰退を予測し、アメリカの東アジアへのコミットメントが縮小していく事態に備えなければならない、と訴える。核拡散の流れを押し止めることはできない。その中で日本国家が主体性をもって生き延びるための方策が「核武装」だというわけだ。当面は「北朝鮮の核という差し迫った脅威に対処するため、核保有に先立って、とりあえずは戦域ミサイル防衛(TMD)システムや、トマホークなどによる直前の先制対核兵力攻撃システムの構築」が重要だが、それとともに「抑止」のための「報復核」が必要になるということだ。
 アメリカの力の限界と中国の力の伸長に対する恐怖に満ちた危機意識が、保守支配層の一部の中に次第に姿を取って現れていることに、われわれは注目する必要があるだろう。対象は「北朝鮮の核」というよりは、二十一世紀の東アジアに覇をとなえる可能性を持った核大国・中国なのである。
 『諸君!』8月号の特集では、「日本核武装を否認する」とした青山繁晴(独立総合研究所。元共同通信、三菱総研)の主張とともに、四十二人の「日本核武装」についてのコメントが寄せられている。この中で、中西の主張に賛同する人はむしろ少数であり、保守派の中でも「核のことはアメリカにまかせた方が良い」という伝統的主張も多い。
 しかし与野党国会議員が作る「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」の中では、「未完成のミサイル防衛より、核兵器で反撃できる姿勢を見せる方が抑止になる、という考え方もありうる」とか「核武装論議自体は封殺すべきではない」という意見が繰り広げられている。われわれは「北朝鮮の核脅威」の喧伝の中で表面化しているこうした一つ一つの動きに注意を怠ってはならない。いまこそ「非核神戸方式」の拡大と「非核三原則の法制化」の要求を、改めて正面から掲げるべきである。
(8月10日 平井純一)       



国鉄闘争の再活性化をめざして職場交流集会
鉄建公団訴訟・酒井原告団長が報告

鉄建公団訴訟勝利へ

 【東京北部】八月四日、池袋の豊島勤労福祉会館で実行委員会による「国鉄闘争連帯・北部職場交流会」が六十四人の参加で開催された。
 集会は紋別闘争団に連帯する板橋の会の川村さんの司会で進行した。最初に、全国一般東京労組北部ブロックの平田副議長が主催あいさつを行った。
 「この集会は『鉄建公団訴訟原告団・家族を守る会』会員拡大を意図したものである」「従来、北部においては地域全労協である北部労協や練馬全労協によって国鉄闘争は担われてきた。しかし、北部労協議長でもあるオリジン電気労組の二瓶さんが国鉄闘争共闘会議の議長であることから北部は先頭を走っているような誤解がうまれた。だが、実際は国労本部とのスタンスの違いやそれぞれが支援する闘争団の四党合意問題へのスタンスの違いが運動の停滞を生み出している」「六月のILO新勧告も国民世論の支えがなくしては生かされない。会員拡大を通じて職場や回りの人に訴え再度下からの国鉄闘争の活性化を図って行こう」。
 職場からの報告では、北区国鉄闘争共闘会議の北区職労の労働者、東水労、練馬のNTT関連労組、東京清掃労組、文京国労闘争団と語る会の全逓の労働者から、民営化や委託化、人減らし、競争意識による仲間の分断、そして闘わない組合の存在など率直な報告が行われた。
 講演と問題提起として鉄建公団訴訟原告団の酒井団長は「国労本部は三百人と六百人という形で闘争団を色分けしようとしているが、六百人のうち本部支持派が一体何人いると思っているのか」「全動労との統一原告団もありうる」「勝利判決しか出しようがない状況をつくって行きたい」と力強く訴えた。
 主催者提起としてオリジン電気労組の川島副支部長は「北部労協には国労の新橋支部も上野支部も参加している。四党合意反対と推進の立場も違う。各労組の闘争団支援の違いもある。しかし、いま鉄建公団訴訟は全体で取り組みうる課題だ。大いに人も金も口も出すことが大事だ」と具体的取組みも含め提起した。集会は今後こうした取り組みを継続することを確認し東水労北部地協の芝崎議長の団結頑張ろう三唱で終了した。
 今回の集会は主催者側から提起があったように再度国鉄闘争を各職場、個人のレベルから下から積み上げて行こうとの提案であり、原点に戻った形ではあるが鉄建公団訴訟も個々人への不当労働行為の立証を、つまり原点から闘いを掘り起こすものだ。国労本部の裏切り的行為や支援共闘の分裂などを克服し国鉄闘争の新たなうねりを起こして行こう。     (岸本)        


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