水戸市にある弘道館の歴史と特徴
テーマ:ブログ以下の内容は"水戸"からの情報です。水戸市にある弘道館は、第九代藩主の徳川斉昭が、天保12年(1841)に創立した藩の学校(高等教育機関)です。江戸小石川の藩邸には分教場がありました。徳川幕府が瓦解し、明治維新になったため、創立から30年間で消滅し、その間、正常な教育が行われたのは、20年間に満ちませんでした。いまは国指定特別史跡として保護されています。水戸藩が弘道館を創立したのは他藩よりはるかに遅かったのです。全国には、すでに、約170の藩校がありました。教授・助教等、教職員は、50-60名でした。入学年齢は15歳でした。入学式は厳正でしたが、卒業式は終始行われませんでした。その理由は、学問には完成の時期が無いため、死ぬまで続けるべきだという終身教育の考え方にあったためです。弘道館が天下の注目を浴びたのは、その規模の大きさ(敷地坪数57000は2位の金沢明倫館の17820坪の約3倍)や制度機構の奇抜さだけでなく、大きな理想と念願にありました。いわゆる"水戸学"です。以上の事実関係は名越時正『水戸藩弘道館とその教育』(茨城県教師会、1972)を参考にしました。偕楽園は徳川斉昭によって設置されました。設置目的は、弘道館の藩士が文武の修行の余暇を楽しみ、休養する場として、弘道館の付属庭園としての施設です(あわせて庶民の憩いの施設)。偕楽園の名称は「衆と楽しみ偕にする」に由来しています。以上の事実関係は鈴木英一『水戸弘道館小史』(文眞堂、2003)を参考にしました。