信長の野望 新家宝データ集


いつも登録している新家宝データが100を超え、200が手に届こうか…という頃になると、いちいち登録し直すのが面倒臭くなります。それに2ちゃんねるの信長の野望系スレを見ていると、新家宝データの需要が多いようです。ってなわけでテンプレっぽく作ってみる事にしました(もう500近いけどな)。
等級はあえて指定しません。参考にされた諸兄のお好みに任せようと思います。
名馬なんかはJRAの歴代名馬を10頭ほど放り込むのが常ですが、今回は史実・講談家宝のみに限定。

1.刀剣・鎗

名称読み略歴
瓜実うりざね刃渡六寸三分の短い宝剣。天文22年、上洛した長尾景虎に、後奈良天皇が手ずから下賜した。
薄緑うすみどり元は源氏重代の太刀で、初名は「吼丸」。長円の作と伝わる。熊野湛増が所有していたが、
新緑の季節にこれを源義経に贈ったところ、義経がこの号をつけた。
覗き龍のぞきりゅう備前長船・初代景光の作。腰元に彫られ た倶利伽藍がハバキから首を出している事に
由来。楠木正成の佩刀で楠公景光ともいう。のち明治天皇の軍刀となった。
笹丸ささまる備前一文字派・則宗の作。源氏重代の太刀で、足利尊氏の佩刀。刃渡り二尺六寸四分。
手掻包永てがいかねなが大和の刀工・初代包永の作。表裏で刃紋が違う。足利義晴から細川藤孝に下賜された。
のち児手柏と改名され、次男興元、徳川家康、水戸頼宣へと伝わった。
(関東大震災の折に行方不明となった。)
一期一振 いちごひとふり山城・粟田口の藤四郎吉光は短刀派の名工で、生涯唯一鍛えた太刀がこれ。
豊臣秀吉が二尺二寸八分に摺り上げた。尾張徳川家、孝明天皇と伝わり、現御物。
獅子王ししおう源頼政の佩刀と伝わる。刀身は平安時代の太刀。拵は鎌倉時代の黒漆糸巻拵。
柄巻が欠失している。現在は東京国立博物館が所蔵。重要文化財。
二念仏にねんぶつ源氏重代の太刀。念仏を二度唱えてからこれを振るうと体が真っ二つになったという。
髭切丸ひげきりまる源満仲の佩刀。罪人の首を打ち落としたところ、その髭まできれいに切れた事から
この号を冠する。源氏重代の太刀。
不動行光ふどうゆきみつ鎌倉後期、相模の刀工・藤三郎行光の作。刀身に不動明王を刻む。
織田信長が最も愛した刀で、森蘭丸に下賜された。本能寺の変で焼失。
千住院長吉せんじゅいんながよし大和の刀工・千住院長吉の作。南朝の後村上天皇が伊予大三島の
大山祇神社に奉納した大太刀。現在も無傷のまま残る。
石見和貞いわみかずさだ石見の刀工・和貞の作。刃渡五尺六寸の大太刀。山中鹿介幸盛が初陣以来
佩刀としていたが、元亀年間、伊予大三島の大山祇神社に奉納された。
姫鶴一文字ひめつるいちもんじ 備前一文字派の作。刃長は二尺三分六寸、鍔なし・大乱の刃紋が特徴。
雌鶴の霊が夢枕に現れ、擦り上げを拒んだ事に由来。上杉謙信の常刀。重要文化財。
三日月兼光みかづきかねみつ備前・長船兼光の作。刃渡は二尺六寸六分。上杉謙信の所有。
謙信は備前兼光が馬上から振るえる大太刀であることを好み、十振以上も持っていた。
水神切すいじんぎり備前・長船兼光の作。刃渡は二尺三分、刃紋は片落互の目。上杉謙信の所有。
上杉謙信は刀剣収集を好み、七百余振も持っていたという。
竹俣兼光たけのまたかねみつ備前・長船兼光の作。揚北衆・竹俣慶綱が帰順の証として、長尾景虎に献上。
雷公を二度も斬った伝説があり、雷切ともいう。のち一両筒という渾名もついた。
九字兼定くじかねさだ美濃の刀工・関和泉守兼定の作。刃渡二尺一寸二分、刃紋は湾れた互の目。
中鋒の平肉を落した鋭い造込み。茎に九字の印を刻む。
にっかり青江にっかりあおえ備中・青江貞次の作。後鳥羽院が近江粟田郡脇山の日吉社に奉納。
後豊臣秀吉の所有となったが、深夜刀身がにっかり笑ったと恐れられ、京極家へ下賜された。
久能山光世くのうざんみつよ筑後の刀工・三池光世の作。元和2年4月、徳川家康が久能山東照宮に奉納し、
切先を西に向けて立ち置くよう遺命した。家康の危惧と先見を体現した一振。
孫六兼元まごろくかねもと美濃の刀工・関孫六兼元の作。三本杉の刃紋。木下秀吉生涯の愛刀。
刃渡二尺二寸に摺り上げられ、金蛭巻朱塗打刀拵として、現在は東京国立博物館が所蔵。
狐ヶ崎きつねがさき備中の刀工・為次の作。正治2年、吉香友兼が梶原源太景季一党を駿河狐ヶ崎で
成敗した事に由来。重宝として後裔の岩国吉川家に伝わり、現在は国宝に指定。
鳴狐なりぎつね南北朝時代、山城粟田口の刀工・左衛門尉国吉の作。刃渡一尺六寸二分。
差表に銘を刻んだ、特異な短刀。現在は東京国立博物館が所蔵。重要文化財。
菊一文字則宗きくいちもんじのりむね備前一文字派の刀工・則宗の作。後鳥羽院より菊花紋の使用を
許され、茎にこれを切る。刃渡二尺二寸三分。のち沖田総司の愛刀となった。
山鳥毛一文字やまどりげいちもんじ備前一文字派の作。上杉謙信所有。一文字派の太刀は丁字乱と呼ばれる、
沈丁花の蕾が重なり合うさまに見立てられる華麗な刃紋が特徴。
長篠一文字ながしのいちもんじ 備前一文字派の作。長篠城を守り抜いた奥平信昌に、
織田信長が感状と共に与えた一振。現在も国宝に指定されている。
瓶割一文字かめわりいちもんじ備前一文字派の作。丁字乱の刃紋の太刀。もと三嶋大明神の宝刀だったが、
伊藤一刀斎景久が譲り受け、さらに小野忠明に譲られた。号の伝に諸説あり。
御鬢所行平おびんどころゆきひら豊後の刀工・行平の作。行平は後鳥羽院の4月番鍛冶で、刀身に
倶梨伽羅、明王、鶴亀、桜花などの図柄を好んで彫った。上杉謙信所有。
小反り兼光こぞりかねみつ備前・長船兼光の作。謙信好みの兼光ではなく、末備前の小反り派の
同名異人の作。上杉謙信が所有し、輝虎時代に三寸摺り上げられた。
すえひろがりすえひろがり備前・長船勝光の作。文明15年の福岡合戦で、後の刀工・長船祐定が使った。
どういう経緯か敵大将・松田元成の切腹に使用され、落城の仇を刀が討った。
荒見国行あらみくにゆき山城の刀工・来国行の作。元亀2年、織田信長が上洛した山中鹿介に、
四十里駒と共にこれを下賜した。
[金祖]国行はばきくにゆき山城の刀工・来国行の作。本阿弥家が刀のハバキを紛失して大騒ぎになった事に
由来する。伊達政宗が豊臣秀吉に「鶴取」を献上した答礼として贈られた。
高麗鶴こまづる備前・長船光忠の作。刃渡二尺四寸六分。小早川隆景の佩刀。
紅葉狩もみじがり備前・長船兼光の作。刃渡三尺五寸の大太刀。加藤清正の佩刀。文禄2年、
陥落した晋州城内で加藤清正が捕虜の試し切りを行い、切りすぎて駄目にした。
謙信助宗けんしんすけむね備前一文字派の刀工・助宗の作。助宗は則宗の弟。やはり菊花紋の使用を
許されていた。上杉謙信が所有していた事からこう呼ばれる。
近景銘太刀ちかかげめいたち備前・長船近景の作。刃渡二尺三寸六分。明智光秀の佩刀。
国俊銘太刀くにとしめいたち山城の刀工・来国俊の作。秋月種実が唐物楢柴肩衝と共に豊臣秀吉に献上し、
本領安堵された。
国長銘太刀くにながめいたち山城の刀工・来国長の作。武田信玄の佩刀。
永則銘太刀ながのりめいたち出雲の刀工・永則の作。柳生家重代の大太刀。宗厳が死の間際、一国一人の
認可状と共に、これを利厳に譲った。現在は徳川美術館所蔵。
兼常銘太刀かねつねめいたち美濃の刀工・関兼常の作。塚原卜伝はこれを携えて廻国修業の旅をした。
氏房銘太刀うじふさめいたち飛騨守氏房は初代若狭守氏房の子で、初め織田信長に仕えた。天正20年、
関白秀次の斡旋により飛騨守を受領し、その直前に氏房を襲名した。
祐定銘太刀すけさだめいたち末備前の刀工・長船祐定の作。山中鹿介などが所有。
祐定銘脇差すけさだめいわきざし末備前の刀工・長船祐定の作。山中鹿介が所有していた。
物干竿ものほしざお備前・長船長光の作。刃渡三尺一寸二分の大太刀。佐々木小次郎の愛刀。
人間無骨にんげんぶこつ美濃の刀工・関和泉守兼定の作。森長可愛用の十文字槍。
2.甲冑・兜
名称読み略歴
二蓋笠入胴丸にがいかさいりどうまる柳生家に伝わる普通の胴丸。二蓋笠は元、備中坂崎家の家紋。坂崎直盛が
自害した後、柳生家がその遺族の面倒を見た事から、この家紋が柳生家に譲られた。
色々縅胴丸いろいろおどしどうまる白・朱・浅葱・黒四色の糸で綴られた、華やかな胴丸。亀井茲矩が
使用していたもので、津和野亀井藩に伝わり、現存している。
黒韋肩妻取威くろかわかたつまどりおどし黒韋を地の威とし、金物は鍍金枝菊文透、染韋に藻獅子韋を用いた
室町時代らしい胴丸。
朱塗黒糸威しゅぬりくろいとおどし酒井忠次の実用具足。二枚胴で全体を朱漆塗とし、黒糸で威し、
兜は筋兜で金箔鹿角を脇立てとしたもの。
色々威胴丸兜いろいろおどしどうまるかぶと酒井忠次の儀式用具足。兜は鉢32間南瓜形(あこだなり)総覆輪筋兜。重要文化財。
赤韋威鎧あかがわおどしよろい備中赤木家伝来。鉄板十枚を張り合わせ大きな無垢の厳星を打った星兜が
大袖と共に伴う。赤韋威中、本作品が近世以前に遡る現存唯一の遺例。
色々威腹巻いろいろおどしはらまき細川頼元所用のものと伝わる。鍋島家伝来、重要文化財。
仁王胴具足におうどうぐそく南蛮胴具足の一種。鉄板に肋骨を打ち出して、裸形の仁王像が象られている。
名古屋市博物館所蔵。(『へうげもの』で、兜は違うが秀吉が着用している。)
金小札緋素懸きんこざねひすがけ金箔押の細長い革小札を、緋糸で二筋づつ並べて綴る、いわゆる素懸威の腹巻。
南蛮兜なんばんかぶと鉄地筋金象嵌桃形兜。ヨーロッパの兜を模した兜。鉄地を左右に張り合わせ、
鉢形を桃形に作り、中央に一条の筋を立てるなど南蛮兜の特徴をよく示している。
六十間筋兜ろくじっけんすじかぶと黒漆塗の兜。鉢金の頂点から放射状に60本の筋が出ている。
前立は金地の大きな円盤で、黒字で卍が描かれている。上杉景勝が使用した。
輪貫兜わぬきかぶと立花宗茂が終生愛用した兜。大きく平たい鉄輪が、兜を貫くようについている。
当ゲーム・シリーズを通じて宗茂の被り物となっている。
(最近のゲームでは「栗色革仏丸胴」の一部と看做されている。)
3.名馬
名称読み略歴
四十里駒しじゅうりこま元亀2年、尼子の残党が上洛して織田信長に尼子家再興の援助を依頼した際、
信長が山中鹿介に下賜した馬。
唐獅子 からじし山内一豊が妻・千代のへそくり十両を渡されて買い求めたといわれる馬。斑葦毛の
巨躯が唐獅子を思わせる。が、この逸話はどうも作り話らしい。
4.医書
名称読み略歴
養生四要ようじょうしよう明の医家・万全の書。道教が説く房中採捕の術による不老長生を否定し、
寡欲を第一とする養生法を示したもの。儒家的な書である。
備急千金要方びきゅうせんきんようほう唐の道家・医家である孫思バクの著書。孫思バクは141歳まで生きたと言われ、
同書も109歳の時の著作と伝わる。貝原益軒の『養生訓』に影響を与えた。
洗冤録せんえんろく1247年、南宋の宋慈の著書。医書というよりは法医学書である。全4巻。
検死の方法や人工呼吸法などについて書かれた、法医学の先駆者的書物。
素女経そじょきょう著者・成立年不明。『玄女経』と共に、黄帝を相手に房中術を説いた書。
『カーマスートラ』(印度)・『匂える園』(アラビア)と並ぶ世界三大性典の一つ。
中蔵経ちゅうぞうきょう晋代の書。著者不明。後漢の名医・華佗の遺稿をまとめたものと言われる。
陰陽五行の天人合一思想が顕れた、道家的な医書。
摂生総要せっせいそうよう明の医家・洪基の著。内丹双修法による不老長生を説く。性交に及ぶ時は
女性の美醜ではなく、適齢や言葉遣いを重視せよと説いている。
理傷続断方りしょうぞくだんほう845年、唐の藺道人が著した。藺道人は接骨術を会得しており、
本書も接骨術・整形外科技術に関する指南書である。
諸病源候論しょびょうげんこうろん隋の巣元方の著書。遣隋使・小野妹子の随行員が隋で医学を学び、
帰国の際に持ち帰った。以後は国内医家の必読書とされた。
傷寒雑病論しょうかんざつびょうろん後漢の元長沙太守・張仲景が著した『傷寒卒病論』のうち、遺失した部分を
除いて王叔和が整理編集したもの。主に伝染病について纏められていた。
本草衍義補遺ほんぞうえんぎほい1116年、北宋の寇宗セキが『本草衍義』全20巻を著した。本書はそれに
元の朱震亨が補足したもの。
医心方いしんほう984年、丹波康頼が『諸病源候論』など隋唐以前の医書八十余種を参考に著した医書。
『外台秘要』に倣う。正親町天皇が半井瑞策に下賜し、家宝となった。
外台秘要げだいひよう遣隋使・小野妹子に随行した恵日、福因によって巣元方の『諸病源候論』が齎され、
それらの医書をもとに編纂された医書。
大同類聚方だいどうるいじゅうほう大宝律令・医疾令の五書をもとに日本で編纂された医書。
治瘡記ちそうき大宝律令・医疾令の五書をもとに日本で編纂された医書。
太素経注集たいそきょうちゅうしゅう大宝律令・医疾令の五書をもとに日本で編纂された医書。
新修本草しんしゅうほんぞう大宝律令内の医疾令により、医家の必読書と定められた五書のうちの一つ。
明堂脈訣めいどうみゃっけつ大宝律令内の医疾令により、医家の必読書と定められた五書のうちの一つ。
甲乙経こうおつきょう大宝律令内の医疾令により、医家の必読書と定められた五書のうちの一つ。
黄帝針経こうていしんきょう大宝律令内の医疾令により、医家の必読書と定められた五書のうちの一つ。
素問そもん大宝律令内の医疾令により、医家の必読書と定められた五書のうちの一つ。
5.知識書
名称読み略歴
地球の舞台ちきゅうのぶたいオルテリウスが著した、近代地図帳の嚆矢。南極が描かれている事でも著名。
1570年初版だが年内に四刷までいき、日本へは天正遣欧使節が1冊持ち帰った。
交歓大楽賦こうかんだいがくふ正式には『天地陰陽交歓大楽賦』。白居易の弟・白行簡の著と伝わる。
上流社会の若い男女の初夜、その後の性生活、技巧法などを緻密に描写した書。
6.地酒
名称読み略歴
先天酒せんてんしゅ女性が性交の際に洩らす津液の一つ。母 乳、もしくは乳房付近の汗。唐末・五代の
崔基範は「先天の気と後天の気を取れば酔ったようになる」と述べている。
後天酒こうてんしゅ女性が性交の際に洩らす津液の一つ。愛液の事を道家はこう呼ぶ。「津」とは
「湧き出す・漏れ出す」の意である。戦場で女に溺れれば危うい事この上ない。
天地水てんちすい女性が性交の際に洩らす津液の一つ。唾液の事を道教ではこう呼ぶ。
道家は女性が性交の際に洩らす津液を丹薬の材料と看做し、不老長生の妙薬と考えた。
7.茶入
名称読み略歴
茄子京茄子型の茶入。茶入の格式は茄子をもって最上とする。
紹鴎茄子じょうおうなす漢作唐物の大名物。紹鴎茄子と呼ばれる大名物茶入は3つあり、残る2つは
それぞれ「澪標」「松本茄子」の別名を持つ。
茜屋茄子あかねやなす漢作の大名物。宋代のものと伝わる。銘は所持者の茜屋吉松に因む。ねっとりとした
土で小振りながら薄手に作られ、艶のある黒褐色をしている。
京極茄子きょうごくなす漢作の大名物。東山の頃から茶人の間に伝来されて、評判記の絶えない茶入。
豊臣秀吉から織田可休、徳川家康、柳営御 物などを経て、紀州徳川家へ伝わった。
福原茄子ふくはらなす唐物茶入は茄子を最上とする。福原の銘は所持者に由来すると思われるが不詳。
伊達綱村が新庄越前守に懇望して以来、伊達家の重宝となった。漢作の大名物。
北野茄子きたのなす漢作の大名物。全体に黒褐色の釉がかかり、口の近辺に僅かに傾れが見られる。
松本宗不、豊臣秀吉、徳川将軍家などを経て野村家へ伝わり、野村美術館所蔵。
宗悟茄子そうごなす漢作唐物の大名物。銘は武野紹鴎の茶師・十四屋宗悟所持に因む。大ぶりで
茜屋茄子に似る。口造りの捻り返し強く、飴釉が濃く光沢がある。
七夕茄子たなばたなつめ漢作唐物の大名物。「棗(なつめ)」は薄茶用の茶入だが、これはこう読む。
五つ茄子の一つに数えられる。
兵庫茄子ひょうごなす漢作唐物の大名物。
朱張茄子--なす漢作唐物の大名物。佐野弥高亭旧蔵品。
利休物相りきゅうもっそう漢作唐物の大名物。別名「木葉猿茄子」。千利休、柳営御物、伊達政宗などを転伝。
時代と共に七種の箱が添うようになった。
利休小茄子りきゅうこなす漢作唐物の名物。五つ茄子の一つに数えられる。
豊後茄子ぶんごなす漢作唐物の名物。五つ茄子の一つに数えられる。
曙茄子あけぼのなす漢作唐物の名物。五つ茄子の一つに数えられる。残る一つは富士茄子。
種子茄子たねなす漢作唐物茶入。種子島左近、島津家久、島津家家宝を経て公爵忠重に伝わる。
本行坊茄子ほんぎょうぼうなす唐物の大名物。
尊教院茄子そんきょういんなす唐物の大名物。
花瓶口茄子かびんぐちなす唐物の大名物。
宗瓦茄子そうがなす唐物の大名物。
宗怡茄子そういなす唐物の大名物。
月山茄子がっさんなす唐物の大名物。
内藤茄子ないとうなす唐物の大名物。
玄哉茄子げんやなす唐物の大名物。
円性茄子えんじょうなす唐物の大名物。
出雲茄子いずもなす唐物の大名物。
峰屋茄子みねやなす唐物の大名物。
珠光茄子しゅこうなす唐物の大名物。
浄珍茄子じょうちんなす唐物の大名物。
朱帳茄子--なす唐物の大名物。朱張茄子に同じか。
住吉茄子すみよしなす唐物の大名物。
鳥井茄子とりいなす唐物の名物。
八重葎茄子やえむぐらなす唐物の名物。
飛鳥河あすかがわ古高取の茄子茶入。黒田家に鼓と茶の湯で仕えた杉山家に代々伝わり、
杉山茂丸が松永耳庵に譲った。以前は古金襴の仕服が一枚あるだけだった。
文琳茄子に次ぐ格式。林檎型の茶入。といっても当時なので姫林檎。唐代?、
李瑛が皇帝に林檎を献上して文琳の間を賜ったので、以後林檎の異名となった。
白玉文琳はくぎょくぶんりん漢作唐物の大名物。口も甑も締って小さく、肩より品よき丸味にて盆付に納まる
姿は、まさに玉の如くである。丸屋林斎、東本願寺、伊達家などへと伝わった。
羽室文琳はむろぶんりん漢作唐物の大名物。銘は公家の羽室家が所蔵していた事に由来。後、第三代
長崎奉行・長谷川藤広が所持した事から、現在は長谷川文琳の名で呼ばれる。
長谷川文琳はせがわぶんりん漢作唐物の大名物。羽室文琳とはまた別のもの。
大文字屋文琳だいもんじやぶんりん漢作唐物の大名物。
笘屋文琳とまやぶんりん漢作唐物の大名物。「苫屋」の誤植か。
文茄ぶんな漢作唐物の大名物。茄子と文琳のちょうど中間の形をしている事に因む。
命銘者は武野紹鴎とも千利休とも伝わる。
田村文琳たむらぶんりん漢作唐物の名物。
織田文琳おだぶんりん漢作唐物の名物。
宇治文琳うじぶんりん漢作唐物の名物。
奈良文琳ならぶんりん漢作唐物の名物。
岩城文琳いわきぶんりん漢作の中興名物。銘は岩城貞隆所持に由来する。別名は「上天文琳」。天覧に
供したからとも、無上の逸品だからともいわれる。山並みのような流れ釉が特徴。
吹上文琳ふきあげぶんりん漢作の中興名物。古今集の秋歌に因んだ命銘。吹上は紀伊国の名所である。
白玉文琳とともに掌中の珠玉を思わせる小壷。酒井宗雅、松平治郷へと伝わった。
若草文琳わかくさぶんりん漢作唐物茶入。名物並。別名「国師文琳」は以心崇伝に因む。東山御物、
南禅寺本光(金地院)国師崇伝、日置清兵衛などを転伝。
横山文琳よこやまぶんりん漢作唐物茶入。銘は前田家家老横山長知所持に因む。のち主家に献上された。
平野文琳ひらのぶんりん漢作唐物茶入。唐物とする事もある。銘は平野道是所持に因む。
道是から安芸浅野家に伝わり、家宝となった。
水戸文琳みとぶんりん漢作唐物茶入。唐物とする事もある。徳川綱吉所持の前後が不明だが、のち
水戸徳川家に伝わり、この銘を得た。
三島文琳みしまぶんりん漢作唐物茶入。銘は伊豆三島の代官が所持していた事によるが、何者か不明。
のち加賀前田家に伝わった。
筑紫文琳ちくしぶんりん漢作唐物茶入。唐物とする事もある。津田宗達、江月和尚などを経て今は
龍光院が所蔵。
佐竹文琳さたけぶんりん漢作唐物茶入。唐物とする事もある。秋田佐竹藩に伝わりこの銘を得た。
のち神戸の田村市郎の所有となった。
道蓮文琳--ぶんりん漢作唐物茶入。
半月文琳はんげつぶんりん漢作唐物茶入。
霜夜文琳そうやぶんりん古瀬戸茶入。
山里文琳やまざとぶんりん古瀬戸茶入。
藻塩文琳もしおぶんりん古瀬戸茶入。
破被文琳--ぶんりん古瀬戸茶入。
肩衝茶入の肩がしっかりと張っているもの。いちばん多い型。
唐物小肩衝からものこかたつき漢作の大名物。口縁の捻り返しはやや浅く、肩がきっかりと衝く。変化に富んだ
景色を呈し、稀有な唐物小肩衝の中でも逸品。徳川家康、伊達政宗などを転伝。
種村肩衝たねむらかたつき漢作の大名物。銘の由来である種村刑部少輔は近江佐々木氏の臣という。
明暦の大火を経て狩野探幽の所持となり、松平治郷、野村得庵へと伝わった。
油屋肩衝あぶらやかたつき漢作の大名物。唐物茶入の釉色の麗しさ、見事さは、この茶入をもって最上とする。
油屋から秀吉、福島正則、柳営御物、土井利勝、松平治郷などを転伝した。
日野肩衝ひのかたつき漢作の大名物。甑高く胴は素直に伸びて裾の締りよく、風格高き容姿をしている。
日野資輝から大文字屋、前田利家などを経て、松平治郷(不昧)へ伝わった。
北野肩衝きたのかたつき漢作の大名物。口作り玉縁よく甑際に納まり、肩衝の張りほどよく、胴張り少ない。
足利義政から天王寺屋、烏丸光弘、三井本家、若狭酒井家へと伝わった。
残月肩衝ざんげつかたつき漢作唐物の大名物。銘は幸い月の残ったような釉溜りがある事による。東山御物から
織田有楽斎、前田利家、徳川家康、榊原康政などを経て松平治郷へ伝わる。
樋口肩衝ひぐちかたつき漢作唐物の大名物。銘は樋口知秀所持に拠る。別名山井肩衝の由来は古瀬戸
山の井肩衝と同じ。大ぶりで堂々、総体に黒釉。伊達家と徳川将軍家を二度往来。
有明ありあけ漢作の大名物。元代、福建省の焼造。肩口にかかる点釉が、有明の海の上方に
輝く満月を想起させる。足利将軍家、大友宗麟、徳川将軍家などを転伝した。
雲山肩衝うんざんかたつき漢作唐物茶入。銘は仕服の雲山裂による。もと楊貴妃の油壺だったという。
豪商が叩き割ったのを別人が貰って繕って後、初めて利休に激賞された。
富士山肩衝ふじさんかたつき漢作の中興名物。小肩衝ながら胴下脇におおきやかな力を見せ、富士山の如き
釉がかりを正面に置く。銘は僧江月の詩賦に由来する。
松飾肩衝まつかざりかたつき漢作唐物肩衝。臼に似ている事から餅つきと松飾を連想しての命銘と推測される。
高橋箒庵旧蔵。
勢高肩衝せいたかかたつき漢作唐物茶入。背が高い事からこの銘を冠するが、投頭巾肩衝より6mm低い
8.8cmである。
青木肩衝あおきかたつき漢作唐物茶入。
伊木肩衝いぎかたつき漢作唐物茶入。
大坂肩衝おおさかかたつき漢作唐物茶入。
大隅肩衝おおすみかたつき漢作唐物茶入。
かわづ肩衝かわづかたつき漢作唐物茶入。
木津屋肩衝きづやかたつき漢作唐物茶入。
玉堂肩衝ぎょくどうかたつき漢作唐物茶入。
久我肩衝くがかたつき漢作唐物茶入。
佐伯肩衝さえきかたつき漢作唐物茶入。
酒井肩衝さかいかたつき漢作唐物茶入。
師匠坊肩衝ししょうぼうかたつき漢作唐物茶入。
宗半肩衝そうはんかたつき漢作唐物茶入。
道阿弥肩衝どうあみかたつき漢作唐物茶入。
鍋屋肩衝なべやかたつき漢作唐物茶入。
白雲丸肩衝はくうんまるかたつき漢作唐物茶入。
平手肩衝ひらてかたつき漢作唐物茶入。
平野肩衝ひらのかたつき漢作唐物茶入。
伯耆肩衝ほうきかたつき漢作唐物茶入。
松山肩衝まつやまかたつき漢作唐物茶入。
味噌屋肩衝みそやかたつき漢作唐物茶入。
薬師院肩衝やくしいんかたつき漢作唐物茶入。
蘆庵肩衝ろあんかたつき漢作唐物茶入。
堪忍肩衝かんにんかたつき漢作唐物茶入。
靱肩衝ともかたつき漢作唐物茶入。
繁雪肩衝はんせつかたつき漢作唐物茶入。
常陸帯肩衝ひたちおびかたつき漢作唐物茶入。
箆目肩衝へらめかたつき漢作唐物茶入。
不動肩衝ふどうかたつき漢作唐物茶入。
星肩衝ほしかたつき漢作唐物茶入。
木目肩衝もくめかたつき漢作唐物茶入。
八雲肩衝やくもかたつき漢作唐物茶入。
侘助肩衝わびすけかたつき漢作唐物茶入。
朱衣肩衝--かたつき漢作唐物茶入。
瘤肩衝こぶかたつき唐物の大名物。南宋〜元の作。樽形に近い撫肩衝。胴にある瘤状の突起から
この銘を得た。佐々孫介所有の時期があり、佐々肩衝ともいう。
柴戸小肩衝しばのとこかたつき唐物、燕庵名物。釉薬は鶉斑見事に表れ、置型は肩から畳付の上で止まる。
芋子に似るが僅かに肩を衝く。古田織部から薮内剣仲に譲られた。
投頭巾肩衝なげずきんかたつき一見焼きの荒い粗末な茶入だが、銘は村田珠光が初見の折、頭巾を投げ捨てて
感動した事による。豊臣秀吉が明使の饗応に使用。明暦の大火で焼失。大名物。
六条肩衝ろくじょうかたつき古瀬戸の大名物。釉、胴筋とも唐物茶入の如く表れているが、古瀬戸らしい調和を
保っている。久我大納言、宗対馬守などを経て松平治郷へ伝わった。
山の井肩衝やまのいかたつき古瀬戸の大名物。銘は沢庵宗恩の詠歌に因む。形は締り腰筋深く、瀬戸釉独特の
陰陽濃淡を見せている。松井康之、細川忠興、細川丹後守、松平治郷を転伝。
鎗の鞘肩衝やりのさやかたつき古瀬戸の大名物。口作り低く肩に迫り、肩先に近く、肩より裾に至るやや
膨らみの線が見事に伸びて端正な姿となり、銘の如く、鎗の鞘を連想させる。
出雲肩衝いずもかたつき古瀬戸の名物。金森出雲守可重が所持していたのでこの銘がある。のち細川忠興に
譲られた。厚作りで柿釉が冴え、黒の斑が非常に美しく金気が見事である。
在中庵肩衝ざいちゅうあんかたつき中興名物。在中庵は道休の庵号。古瀬戸茶入中申し分のない肩衝形をなし、
釉景ともに小堀遠州好みの茶入。これがため遠州は自らの茶室を在中庵と名づけた。
伊予簾いよすだれ古瀬戸の中興名物。尻膨の小肩衝茶入。銘は歌銘による。銘の如く古瀬戸中の
侘び物の逸品。小堀遠州から土屋相模守、松平伊賀守を経て赤星家へ伝わった。
白肩衝しろかたつき古瀬戸肩衝茶入。銘は白い小石の粒が茶入全面に散点する事による。
黒釉地に柿金気色の鶉斑が表れて景色をなす。現在静嘉堂文庫所蔵。
浅井肩衝あざいかたつき古瀬戸茶入。
浅野肩衝あさのかたつき古瀬戸茶入。
生駒肩衝いこまかたつき古瀬戸茶入。
大島肩衝おおしまかたつき古瀬戸茶入。
加藤小肩衝かとうこかたつき古瀬戸茶入。
金森肩衝かなもりかたつき古瀬戸茶入。
神谷肩衝かみやかたつき古瀬戸茶入。
高根肩衝たかねかたつき古瀬戸茶入。
茶屋肩衝ちゃやかたつき古瀬戸茶入。
徳永肩衝とくながかたつき古瀬戸茶入。
奈良肩衝ならかたつき古瀬戸茶入。
成高肩衝なりたかかたつき古瀬戸茶入。
畠山肩衝はたけやまかたつき古瀬戸茶入。
長谷川肩衝はせがわかたつき古瀬戸茶入。
林肩衝はやしかたつき古瀬戸茶入。
平手肩衝ひらてかたつき古瀬戸茶入。
平野肩衝ひらのかたつき古瀬戸茶入。
本阿弥肩衝ほんあみかたつき古瀬戸茶入。
山内肩衝やまうちかたつき古瀬戸茶入。
横田肩衝よこたかたつき古瀬戸茶入。
浅茅肩衝あさじかたつき古瀬戸茶入。
麻地肩衝あさじかたつき古瀬戸茶入。
黄河肩衝こうがかたつき古瀬戸茶入。
除夜肩衝じょやかたつき古瀬戸茶入。
故郷肩衝こきょうかたつき古瀬戸茶入。
紹高肩衝じょうこうかたつき古瀬戸茶入。
浪花肩衝なにわかたつき古瀬戸茶入。
釣舟肩衝つりふねかたつき古瀬戸茶入。
臨月肩衝りんげつかたつき古瀬戸茶入。
村雲肩衝むらくもかたつき古瀬戸茶入。
可中肩衝よしなかかたつき古瀬戸茶入。
八重桜肩衝やえざくらかたつき古瀬戸茶入。
女郎花肩衝おみなえしかたつき古瀬戸茶入。
朝寝髪肩衝あさねがみかたつき古瀬戸茶入。
古瀬戸小肩衝こせとこかたつき古瀬戸茶入。
池島肩衝いけじまかたつき瀬戸焼、春慶・朝日手の茶入。銘は池島立全所持による。薄い鉄釉がかかり、
肩から胴の上部に、黄や橙色の飛釉が弧を描くように配されている。
河菜草かわなぐさ瀬戸真中古窯の名物茶入。野田手といわれる形容。銘は古今集の「かはなくさ」に
由来する。神尾元陳、松平治郷などを経て住友吉左衛門へ伝わった。
野田のだ瀬戸真中古窯の肩衝茶入。野田手本歌。前田家に伝わるが、焼失。
面影おもかげ瀬戸真中古窯の肩衝茶入。野田の焼失後、野田手本歌とされた。
猿若さるわか瀬戸真中古窯の肩衝茶入。野田手。
月迫つきさこ瀬戸真中古窯の肩衝茶入。野田手。
山桜やまざくら瀬戸真中古窯の肩衝茶入。野田手。
宮城野みやぎの瀬戸真中古窯の肩衝茶入。野田手。
橋姫はしひめ瀬戸真中古窯の中興名物。肩衝ながら筒形は橋姫手の特徴で、土も堅く見える。
野田手面影と並び釉の景色の多い茶入。小堀遠州から京都三井家へ伝わった。
おそれ瀬戸真中古窯の肩衝茶入。橋姫手。
布引ぬのびき瀬戸真中古窯の肩衝茶入。橋姫手。
佐久間面取さくまめんとり瀬戸真中古窯の中興名物。高さと胴径がほぼ同寸法のずんぐりとした形で、
口が大きく肩ががっしりと衝く。肩先に幅広く面を取っているため、面取手という。
面取めんとり瀬戸真中古窯の肩衝茶入。面取手本歌。
面取引貯めんとりひきため瀬戸真中古窯の肩衝茶入。面取手。
染色--瀬戸真中古窯の肩衝茶入。面取手。
吸江--瀬戸真中古窯の肩衝茶入。面取手。
転合--瀬戸真中古窯の肩衝茶入。面取手。
いおり瀬戸真中古窯の肩衝茶入。面取手。
青柳あおやなぎ瀬戸真中古窯、藤四郎手の中興名物。銘は甑際から傾れた青い釉が細雨に煙る
青柳の趣がある事に由来するといわれる。明治維新後は岩崎家に納まった。
春山蛙声しゅんざんあせい瀬戸真中古窯の中興名物で柳藤四郎手。平味の強い肩衝。春山は色に因み、
蛙声は形に因んだ銘といわれる。形・土・釉ともに他に類を見ず、黄瀬戸の先駆。
三笠山みかさやま瀬戸金華山窯、飛鳥川手の中興名物。もと奈良にあったことから奈良茶入とも
いわれた。中興名物とは主に、小堀遠州の選定によるものである。
白露しらつゆ瀬戸金華山窯、大津手の肩衝茶入。中興名物。置形で傾れをなす黒釉の露先に
白い斑。朽木昌綱所持の時、義弟松平治郷が二百両での譲渡を願うも断られた。
増鏡ますかがみ瀬戸金華山窯、玉拍手の中興名物。小堀遠州が拾遺集の柿本人麻呂の歌より
引用して命銘した。土橋政直から諸伝を経て松平治郷へ伝わった。
広沢ひろさわ瀬戸金華山(稲葉山)窯の中興名物。広沢手本歌。形が裾張りになっているのが、
金華山の中でも変わり形といわれる。小堀遠州が蓋の裏の貼紙に銀を用いた。
飛鳥川あすかがわ瀬戸金華山窯の中興名物。飛鳥川手本歌。形一様に穏やかなる肩衝で、
前に一筋、やや薄く流れ釉が置き形を作る。小堀遠州から酒井忠勝へ伝わった。
岩藤いわふじ瀬戸金華山窯、生海鼠手の肩衝茶入。柿釉に黒釉が斑に現れる中、黒釉が一筋
下方に流れる景色に引銘か。生海鼠手本歌中興名物「三輪山」に酷似という。
橋立はしだて瀬戸破風窯の中興名物。橋立手本歌の肩衝茶入。破風窯としては希少で、形も珍しく
胴下に膨らみを持たせている。流れ釉を景勝・天橋立に見立てた逸品。
およそ瀬戸破風窯の中興名物。凡手本歌。撫肩をした風変わりな肩衝。「凡そこれに
及ぶものあるまじ」の意と、凡の文字がこの茶入の姿に似ていることに由来する。
玉津島たまつしま瀬戸破風窯・凡手の肩衝茶入。四代藤四郎の作と伝わる。中興名物。銘は
『玉葉和歌集』崇徳院の歌による。金気のある栗色釉地に、幅広い黄釉が景色をなす。
藻塩もしお瀬戸破風窯・渋紙手の肩衝茶入。中興名物。古今集の歌に因んで県宗知が命銘。
肩は直角に近く、多少胴が張り、竪箆が見られる。腰から下は土見せで細く窄まる。
山桜やまざくら中興名物の肩衝茶入。瀬戸渋紙手。茶入の景色に因んで小堀遠州が命銘したと
いわれる。胴に三本の堅箆が見られ、共釉の傾れと相俟って味のある景色をなす。
利休地蔵りきゅうじぞう中興名物の肩衝茶入。利休瀬戸の代表的作品。胴の一面に地蔵形の箆がある
事から、小堀遠州が命銘した。地蔵の面の左下方には火間も見られる。
生野肩衝いくのかたつき丹波焼の中興名物。小堀遠州が丹波焼に因み同国の名所を銘とした。古来雑器
ばかりを焼いていた丹波焼に、遠州が好みで焼かせた茶入のうち、唯一の完品。
染川そめかわ高取焼の中興名物。銘は伊勢物語の歌に因む。黒田長政のために焼かれ、
千個のうち染川一つを残して他は全て割り捨てられた。「秋の夜」と一つ箱に納まる。
秋の夜あきのよる中興名物の高取茶入。錦風に山の木々色づきたる趣の上に、肩から紅葉の
深い山かげまでも望んだような景色が、染川と対象して釉薬の奇を賞している。
堅田肩衝かただかたつき中興名物。甑は高く、捻り返しは鋭い。甑の座のあたりに浮筋が見られる。
釉は艶のない茶褐色で、釉止まりは高く、三分の一が土見せとなっている。
大海口広く胴張って平らかな型。「たいかい」とも読む。古くは内海と書いた。
内海は今では大海に似て小ぶりなものをいい、小大海ともいう。「ないかい」とも読む。
八島大海やしまだいかい漢作唐物茶入。
山桜大海やまざくらだいかい漢作唐物茶入。
八重桜大海やえざくらだいかい漢作唐物茶入。
唐大海からだいかい漢作唐物茶入。
若草わかくさ唐物大海茶入。松木の盆がついており、その裏には織田有楽斎の筆と伝わる
「文」の朱文字がある。
敷島大海しきしまだいかい古瀬戸茶入。
大鳥大海おおとりだいかい古瀬戸茶入。
金森大海かなもりだいかい古瀬戸茶入。
谷大海たにだいかい古瀬戸茶入。
節季大海せっきだいかい古瀬戸茶入。
置紋大海おきもんだいかい古瀬戸茶入。
八重桜大海やえざくらだいかい古瀬戸茶入。
白鼠大海しろねずみだいかい古瀬戸茶入。主人を大黒に比し、自らをその使いに見立てた銘か。
『山上宗二記』には、この時代、大海は既に廃れたと書かれている。
玉村たまむら瀬戸・真中古窯、大覚寺手の大海茶入。和歌「うつろはで庭おもしろき初雪に
おなじ色なる玉村のさと」から引銘。総体金気釉の中、光沢麗しい変化あり。
高取大海たかとりだいかい福岡・高取焼、白旗山窯の作。唐物大海の祖形とは大きく異なり、口造は
外に開き、甑際に締る。撫肩で胴は張り出し、裾に向けて窄まる。中興名物。
瓢箪千成瓢箪型の茶入。
白雲はくうん膳所瓢箪茶入。中興名物。甑はなく、上段と下段にふくよかな膨らみ。
くびれ部分下方に白濁した釉がかかり、白雲が山腰に巡る景色ありと、小堀遠州が命銘。
春慶瓢箪しゅんけいひょうたん瀬戸焼の瓢箪茶入。中興名物。堀田正盛絶っての懇請で、正保2(1645)年の
大福茶で使用された。小堀遠州、堀田正盛、土屋政直、若狭酒井家を転伝。
玉津島たまつしま漢作の中興名物。天下六瓢箪の第三。小堀遠州の命銘といわれる。形はやや小振りで、
胴のくびれが強く親しみの持てる瓢箪型をなす。現在も徳川家が所蔵。
佐久間瓢箪さくまひょうたん漢作の瓢箪茶入。天下六瓢箪の第四。佐久間家から前田対馬守へ伝わった。
現存しない。
真珠庵瓢箪しんじゅあんひょうたん漢作の瓢箪茶入。天下六瓢箪の第五。天徳寺真珠庵が所蔵していたことに由来する。
現存しない。
茶屋瓢箪ちゃやひょうたん漢作の瓢箪茶入。天下六瓢箪の第六。本阿弥光的、茶屋長以、宗古、本多安茂を転伝。
現存しない。
丸壷
利休丸壷りきゅうまるつぼ漢作の大名物。銘は千利休所持に由来。形、口作り一文字で、甑真直ぐに
立ち上がり、壷の丸形少しく平味に、円満なる相好。金森家から水野勝成へ伝わった。
早苗丸壷さなえまるつぼ大名物茶入。銘は小堀遠州の命銘によるが由来は不明。茶入の若やいだ形容に因んだか。
小堀遠州から平野屋宗珠、平野屋を経て山口家に伝わった。
唐丸壷からまるつぼ漢作唐物の大名物。この名で呼ばれる丸壷は2個ある。
志野丸壷しのまるつぼ志野の名を冠するが漢作唐物の茶入。大名物。
金森丸壷かなもりまるつぼ漢作唐物の大名物。
寺沢丸壷てらさわまるつぼ漢作唐物の大名物。
土田丸壷つちだまるつぼ漢作唐物の大名物。
青山丸壷あおやままるつぼ漢作唐物の名物。
石河丸壷いしこまるつぼ漢作唐物の名物。
石黒丸壺いしぐろまるつぼ漢作唐物の名物。
天下一丸壷てんかいち漢作唐物の名物。
龍光院丸壷りょうこういん漢作唐物の名物。
木下丸壷きのしたまるつぼ漢作唐物の中興名物。
二村丸壷ふたむらまるつぼ漢作唐物茶入。二村某、前田利常、前田家家臣因幡に伝わり、
前田家に戻った後、侯爵利為まで伝わる。
時鳥ほととぎす漢作唐物の丸壷茶入。竹蔵屋紹滴、毛利家代々と伝わり、公爵元昭に至る。
六角堂丸壺ろっかくどうまるつぼ唐物の大名物。
本阿弥丸壺ほんあみまるつぼ唐物の大名物。
奈良屋丸壺ならやまるつぼ唐物の大名物。
昭高院丸壺しょうこういんまるつぼ唐物の大名物。
右衛門太夫うえもんだゆう唐物の大名物丸壺。
道安丸壺どうあんまるつぼ唐物の大名物。銘は千道安に因む。
治郎丸壺じろうまるつぼ唐物の大名物。
竹越丸壺たけごしまるつぼ唐物の大名物。
宗三丸壺そうさんまるつぼ唐物の大名物。銘は三好宗三に因む。
後藤丸壺ごとうまるつぼ唐物の大名物。
水野丸壺みずのまるつぼ唐物の大名物。
佐野丸壺さのまるつぼ唐物の大名物。
善念丸壺ぜんねんまるつぼ唐物の大名物。別名「珠光丸壷」。
勢至丸壺せいしまるつぼ唐物の大名物。
森丸壺もりまるつぼ唐物の大名物。
橘丸壺たちばなまるつぼ唐物の大名物。焼失。
柏原丸壺かしはらまるつぼ唐物の名物。
松原丸壺まつばらまるつぼ唐物の名物。
松本丸壺まつもとまるつぼ唐物の名物。別名「みつの山丸壷」。
菊屋丸壺きくやまるつぼ唐物の名物。
平野丸壺ひらのまるつぼ唐物の名物。
相坂丸壷おうさかまるつぼ古瀬戸の中興名物。古今集の歌に因んで小堀遠州が命銘。
その釉掛かりの様は、まるでくすんだ黄金のようである。
鶴首甑が鶴の首のように長いもの。
利休鶴首りきゅうつるくび漢作の大名物。銘は千利休所持に由来する。土は赤みを帯びて胴下を顕し、
本糸切り整然と見える。松平忠輝、徳川家、島津家などを転々とした。
養老鶴首ようろうつるくび漢作唐物茶入。
本願寺鶴首ほんがんじつるくび漢作唐物茶入。
龍光院鶴首りょうこういんつるくび漢作唐物茶入。
漱芳鶴首そうほうつるくび漢作唐物茶入。
漢鶴鶴子かんづるつるこ漢作唐物茶入。
その他まだまだ様々な形状の茶入があります。
胴高どうだか島物茶入。島物とは呂宋など南方の島から伝来したものだが、漢作唐物とされる。
島物耳付しまものみみつき島物茶入。漢作唐物とされる。
霊亀れいき島物茶入。漢作唐物とされる。
利休尻膨りきゅうしりぶくら大名物。北野大茶湯にも用いられた。千利休から家康へ渡り、細川忠興が
関ヶ原の役の軍功により秀忠から拝領した。以後は細川家第一の重宝となった。
おきな中興名物。翁手本歌。背は低く胴がやや締って裾が角張りを見せた形は、どことなく
翁の顔を思わせる。瀬戸破風窯中の出来物と言い伝える。
雨宿あまやどり古瀬戸芋子茶入。中興名物。銘は『詞花集』藤原公任の歌によるといわれる。
光沢ある柿釉に黒釉がかかり、置形は土見せで一筋となって盆付付近で止まる。
黄頽おうたい古瀬戸芋子茶入。
勢至せいし古瀬戸芋子茶入。
山桜やまざくら古瀬戸芋子茶入。
不聞猿きかざる瀬戸後窯の名物茶入。宗伯の作と伝わる。茶入の耳の姿が耳を覆う手に見え、
三猿の一「聞か猿」を連想するため、この銘を得た。同形の茶入が複数存在する。
大江おおえ膳所焼の中興名物。窯元の地名を取って小堀遠州が命銘したと思われる。胴張り
で轆轤目細かく表れ、濃い飴釉が正面に傾れ、均整の取れた典雅な姿を示す。
唐物耳付からものみみつき漢作唐物茶入。同名のものが2個ある。
唐物釣付からものつりつき漢作唐物茶入。
唐物擂茶からものるいざ漢作唐物茶入。
唐物円座からものえんざ漢作唐物茶入。
唐物驢蹄からものろてい漢作唐物茶入。
唐瓶子からへいし漢作唐物茶入。
冬木絃付ふゆきいとつき漢作唐物茶入。
餓鬼腹がきばら漢作唐物茶入。
茜屋柿あかねやがき漢作唐物茶入。
皆口みなくち漢作唐物茶入。
柑子こうじ漢作唐物茶入。
鮟鱇あんこう漢作唐物茶入。
野中のなか漢作唐物茶入。
古瀬戸胴高こせとどうだか古瀬戸茶入。
古瀬戸耳付こせとみみつき古瀬戸茶入。
瀬戸柿せとがき古瀬戸茶入。

気が向いたら瀬戸金華山・破風・春慶等も追加します。
(どれが当時存在していたものか、ちょっと測りかねています。)

上で説明しなかった分類
尻膨しりぶくら尻が膨らんでいる。尻張(しりはり)ともいう。
勢高せいたか
うり
芋子いものこ里芋型の茶入。小ぶりでごろりとした感じ。
芋頭いもがしら里芋型の茶入。
かき西条柿型の茶入。
たちばな
釣鐘つりがね
瓶子へいし
餌畚えふご「ふご」は正しくはたけかんむりに「維」。
湯桶ゆとう
飯桶はんとう
蝋燭手ろうそくで
手瓶てがめ
四滴してき
達磨かだつま

各部位の形状による分類
皆口みなくち
広口ひろくち
驢蹄口ろていぐち
十王口じゅうおうぐち
鮟鱇あんこう
擂座るいざ擂茶、累座とも書く。半球形の小粒の貼付により、器物の装飾としたもの。
茶入では甑の周りに配される。
大肩衝おおかたつき
小肩衝こかたつき
春慶肩衝しゅんけいかたつき
撫肩なでがた
面取めんとり肩先を箆で潰して面を取っているもの。
二段肩にだんがた
車軸しゃじく
耳付みみつき肩先に取っ手のようなもの(耳)がついているもの。
胴高どうだか
飯胴はんどう
胴締どうじめ
太鼓たいこ
捻貫ねじぬき
糸目いとめ
餓鬼腹がきばら
円座えんざ
台座だいざ
面取めんとり底に面を取っているもの。
面不取めんとらず
上底うえぞこ
丸底まるぞこ
そん
水滴すいてき
常陸帯ひたちおび

釉薬による分類
雪柳手ゆきやなぎで
破風手はふで
下髪手さげかみで
椿手つばきで
渋紙手しぶかみで
生海鼠手なまこで
など。

8.茶碗
名称読み略歴
唐物
珠光青磁しゅこうせいじ櫛目紋や花紋を陰刻した下手な青磁を総称してこう呼ぶ。村田珠光がこの手の青磁を
愛蔵した事に因む。宋代、福建省同安及び泉州碗窯郷の作。
筒井筒井戸つついづついど喜左衛門井戸、細川井戸と並ぶ、大井戸茶碗中の絶品。
紹鴎井戸じょうおういど大名物。青井戸茶碗の名作の一つ。枇杷色の土に柔らかい釉薬が全面に掛かり、
荒い貫入が走っている。武野紹鴎、具足屋治兵衛、平瀬家、藤田家を転伝。
隼井戸はやぶさいど青井戸茶碗。
蝉丸井戸せみまるいど青井戸茶碗。
朝香山井戸あさかやまいど青井戸茶碗。
山の井井戸やまのいいど青井戸茶碗。
宝樹庵井戸ほうじゅあんいど青井戸茶碗。
合甫がっぽ李朝初期の鶏龍山刷毛目茶碗。鼠色の素地に白泥の化粧釉を厚く内外に一気に
刷毛で塗り、高台の部分のみを残している。藤田美術館蔵。
池水いけみず片身替伊羅保茶碗。この手は朝鮮伊羅保の中でも古伊羅保に分類される。
肌がザラついて苛々する事から伊羅保の名称を得たと伝わる。
夏山なつやま片身替伊羅保茶碗。
にじ片身替伊羅保茶碗。
ひかハリひがわり片身替伊羅保茶碗。漢字に直すと「日替」か「緋変」か。
初雁はつかり片身替伊羅保茶碗。
秋の山あきのやま釘彫伊羅保茶碗。高台内部に釘でつけたような渦状の素朴な彫りがある事に因む。
大ぶりで深く、砂混じりの肌は荒々しい。口造の山路も大きく波を成す。
両彦りょうひこ釘彫伊羅保茶碗。
上田暦手うえだこよみで名物。朝鮮古三島茶碗の暦手。上田宗箇所持による命銘と伝わる。
鶏龍山三島の典型的作例で、最も有名。姫路酒井家、根津家を転伝。
大津おおつ高麗柿蔕茶碗中の随一で、大津の矢西家所持による命銘。のち栗田、貝塚、藤田の
各家を転伝。柿蔕茶碗としては大ぶりで風格は堂々、枯淡な趣を示している。
綵雲さいうん本手魚屋茶碗。魚屋茶碗中最も景色の美しい名碗。魚屋(ととや)はまた魚々屋、
斗々屋とも書き、堺の商家の屋号である。
御本立鶴ごほんたちづる本手立鶴ともいう。徳川家光が鶴の絵を描き、小堀遠州が切形をもって釜山窯に
注文したので、御本茶碗と呼ぶ。家光が細川三斎に、正月の大福茶碗として贈った。
疋田筒ひきたづつ別名「大文字屋筒」。銘は京都の茶人大文字屋疋田宗観の所持による。
朝鮮雲鶴茶碗のうちの、狂言袴茶碗に分類される。大名物。
挽木鞘ひきぎのさや朝鮮狂言袴茶碗。狂言袴の名称は、青磁雲鶴手茶碗に狂言の袴の紋に似た
丸紋がある事に因む。丸紋以外にも亀甲紋を象嵌したものもある。
和物
白天目はくてんもく大名物。瀬戸白天目と称せられるが、志野長石釉の初期のものと考えられ、大萱産と
する説もある。武野紹鴎、前田利家の伝来が伝わる。徳川美術館蔵、重要文化財。
菊花天目きっかてんもく中興名物。瀬戸釉の上から黄瀬戸釉を流し掛けにして、菊花紋風にしたものと
思われる。銘は小堀遠州に依り、松平伊賀守、藤田家へ転伝。重要文化財。
赤楽検校あからくけんぎょう利休内七種の一。利休七種はまた、長次郎七種ともいう。
赤楽木守あからくきまもり利休内七種の一。
鉢開はちひらき利休内七種の一。残り四種は早船、臨済、東陽坊、大黒。
雁取がんどり利休外七種の一。
閑居かんきょ利休外七種の一。
太郎坊たろうぼう利休外七種の一。
横雲よこぐも利休外七種の一。
小黒こぐろ利休外七種の一。
一文字いちもんじ利休外七種の一。
ひじり利休外七種の一。
赤楽獅子あからくしし長次郎焼。長次郎とは楽焼始祖の名前で、通称田中長次郎だが、宗慶、宗味の作も
長次郎焼に含める。見分けがつけられないのが現実。
赤楽道成寺あからくどうじょうじ長次郎焼。
赤楽無一物あからくむいちぶつ長次郎焼。
勾当こうとう飴釉の長次郎焼。赤楽検校に次ぐという意味でこの銘を得た。
黒楽鉄拐くろらくてっかい楽焼2代常慶の作。銘は鉄拐仙の意。
黒楽千鳥くろらくちどり楽焼3代道入(通称ノンコウ)の作。ノンコウ七種の一。
黒楽獅子くろらくしし楽焼3代道入の作。ノンコウ七種の一。
黒楽升くろらくます楽焼3代道入の作。ノンコウ七種の一。
黒楽稲妻くろらくいなづま楽焼3代道入の作。ノンコウ七種の一。
赤楽若山あからくわかやま楽焼3代道入の作。ノンコウ七種の一。
赤楽鳳林あからくほうりん楽焼3代道入の作。ノンコウ七種の一。
赤楽鵺あからくぬえ楽焼3代道入の作。ノンコウ七種の一。
桔梗ききょう楽焼3代道入の作。ノンコウ加賀七種の一。
青山あおやま楽焼3代道入の作。ノンコウ加賀七種の一。
善福寺ぜんぷくじ楽焼3代道入の作。ノンコウ加賀七種の一。
かすみ楽焼3代道入の作。ノンコウ加賀七種の一。
香久山かぐやま楽焼3代道入の作。ノンコウ加賀七種の一。
此花このはな楽焼3代道入の作。ノンコウ加賀七種の一。
今枝いまえだ楽焼3代道入の作。ノンコウ加賀七種の一。
不二山ふじさん光悦楽茶碗。口縁から胴にかけて白く、それより下は火変わりで黒く、
雪を戴いた富士山に似る事からこの銘を冠する。光悦七種の一。
障子しょうじ光悦七種の一。
雪片せっぺん光悦七種の一。
雪峰せっぽう光悦楽茶碗。光悦七種の一。
七里しちり光悦七種の一。
鉄壁てっぺき光悦黒楽。光悦七種の一。光悦七作の一つにも数えられる。
毘沙門堂びしゃもんどう光悦七種の一。
有明ありあけ光悦七作の一。
紙屋かみや光悦七作の一。
雨雲あまぐも光悦黒楽。光悦七作の一。
時雨しぐれ光悦七作の一。
喰違くいちがい光悦七作の一。
加賀光悦かがこうえつ光悦七作の一。
πιονぴおん無銘の黒織部沓形茶碗。幾何模様が描かれているというのが慣習だが、実は
ギリシア語の小文字で「πιον(飲むこと)」と書かれている。
XPきりすと無銘の黒織部沓形茶碗。胴部の釘彫りの文様「*」は、キリストのギリシア語表記
「ΧΡΙΣΤΟ」の頭2文字のモノグラムと見る説があるが、確証はない。
冬枯ふゆがれ黒織部筒茶碗だが、片身替のように黒釉と白釉が掛け分けられている。白釉の
部分には刀と盾を持つ武士が描かれ、高台内には「Q]と読める印が捺してある。
峯紅葉みねのもみじ鼠志野茶碗。鬼板を塗った後亀甲紋を掻き落し、志野釉をかける事で
白く文様を浮き立たせている。五島美術館所蔵、重要文化財。
振袖ふりそで志野茶碗の代表作の一つ。天正年間に流行した半筒形茶碗だが、口作りに山路風の
変化をつけ、胴に少し張りを持たせている。形、釉、景色三拍子揃った名碗。
玉川たまがわ竹の子文志野筒茶碗。向付として作られたものだが茶碗として用いられた。
銘は新古今集の歌に因み、小堀遠州の三男権十郎が命銘した。
橋姫はしひめ志野橋文茶碗。大振りで筒形の力強い造形に、奔放な筆致で橋と苫屋が描かれている。
9.茶杓・茶釜
名称読み略歴
玉ぶりぶりたまぶりぶり織田有楽斎作の茶杓。平安時代からある爆竹「振々毬杖(ぶりぶりぎっちょう)」
に由来か。江戸時代にも玉ぶりぶりという玩具があった。現在根津美術館所蔵。
千鶴ちづる浅野長政の子で赤穂藩祖の浅野長重が作った茶杓。長重は三斎流。
茶瓢ちゃふくべ村田珠光作の茶杓。節上と節下が膨らみ、節で締る姿が瓢箪に似る事から、
千宗旦が命銘したと思われる。薬匙の名残を留めている。煤竹製。
松風まつかぜ千宗旦作の茶杓。
むらさき小堀遠州作の茶杓。
五月雨さみだれ片桐石州作の茶杓。
孤峰こほう本阿弥光悦作の茶杓。
羽淵はねぶち羽淵宗印作の茶杓。中興名物。羽淵宗印は武野紹鴎の茶杓師。
名称読み略歴
高砂たかさご古芦屋茶釜。黒田如水以来、今も黒田家に伝わる。
芦屋霰地真形あしやあられじしんなり古来芦屋釜の優品として知られた釜。利休所持と伝承され、
利休の文が添えられている。五島美術館蔵。
園城寺霰釜おんじょうじあられがま古芦屋の霰釜。肩に園城寺の文字が鋳出されている事に因む。
姥口で肩は緩く張り、優美な姿を示す。のち松平不昧の所持となった。
浜松図真形釜はままつずしんなりかま芦屋釜。口造は繰口で,胴の下方に雄勁な鬼面鐶付をつける。下方に霰で
洲浜を表し,そこに屈曲の多い枝ぶりの松を繊細な調子で鋳出している。
五匹馬地文ごひきうまじもん「遠山五匹馬地文真形釜」。古芦屋釜。繰口の堂々たる名作で、
芦屋独特の鋭い箆使いで遠山に五匹の奔馬を、二方に表す。
古天明梶こてんみょうかじ天明産の茶釜。室町時代には芦屋・天明の茶釜が珍重された。高い甑口の
丸釜で、微かな樹木らしき地文がある。銘は鐶付が舟の梶に似ている事に因む。
筋釜すじかま鋳鉄の茶釜。肩下から胴にかけて四本の段をもつ筋を鋳出している事に因む。
古天明釜の一種と思われる。天明は現在の栃木県佐野市。
三刀屋弾正釜みとやだんじょうがま尼子家家臣、三刀屋弾正久祐所有の茶釜。
八角釜はっかくがま八角形の茶釜。織田信長が明智光秀に下賜した。天正10(1582)年正月、
光秀は信長直筆の書とこの八角釜を使用して茶会を開いた。
四方釜よほうがま千利休所有の方形茶釜。
10.香炉・水指・花入
名称読み略歴
銹絵富士山さびえふじさん香炉。
三足の蛙みつあしのかえる漢作の香炉。本能寺の変の朝、この蛙が鳴いて信長に危機を報せたという。
今も本能寺に残っている。
名称読み略歴
青磁雲龍水指せいじうんりゅうみずさし足利義教が病気の時、後花園天皇から禁中御苑の御茶・鎌倉茄子・花山天目と
共に下賜された。この茄子・天目は放火によって失われ、水指も共蓋を砕失した。
青磁太鼓胴せいじたいこどう砧青磁の最高傑作と言われる。南宋龍泉窯のもので、胴部や蓋表の牡丹唐草紋、
及び擂座は陽刻で、貼付手法が取られている。元来は蓋物鉢だが水指に見立てた。
抱桶だきおけ東山御物。大名物。ムガル帝国の打出紋銅器を蓋物水指に見立てたもの。
抱桶とは水を入れて手許に置き、暑さを凌ぐ為のもの。
古染付葡萄棚ふるそめつけぶどうだな白磁古染付水指。共蓋で八角に面を取られており、各面それぞれに棚から
葡萄が垂れている。夏用。
絵高麗水草紋えごうらいみずくさもん北宋磁州窯の水指で、銹絵による水草紋が二段に描かれている。
白化粧を施した上に黒絵付をした陶器は「絵高麗」と総称される。
高霊仁寿府こうれいにんじゅふ李氏朝鮮、三島暦手の芋頭水指。芋頭は里芋型をしている事からの呼称で、
南蛮物や古染付にも見られる型。
南蛮櫛目なんばんくしめ南蛮芋頭水指の一種だが、胴全体に櫛目が糸目のように整然とつけられ、肩に
耳があり、ハンネラ蓋が添えられている。紹鴎糸目水指と同時代の物と考えられる。
南蛮縄簾なんばんなわすだれ南蛮水指。縄簾は鉄分の多い細やかな土を用いる為、口造が引き締まる。
またこの手は、景色のない全面が茶色一色に焼き上がった物が多い。
柴庵しばのいおり信楽焼の水指の中でも古格を代表する逸品。厚みのある一重口を僅かに肩で
絞め込み、胴に罅割れが生じる。千利休が所持し、曾孫の千江岑が銘を漆書する。
青海せいがい武野紹鴎所持の古備前水指。古銅かと見紛う黒褐色で無釉。素直な桶形で、
底部から上部にかけて僅かに末広状に広がる。徳川義直以後、尾張徳川家に伝来。
黄釉沙金袋おうゆうさきんぶくろ高取焼白旗山窯の水指。薄造りで軽快、釉調も洗練されて瀟洒な味わいを見せる。
胴に巡らした糸目の刻文も繊細。江戸初期の新しい様式を代表する作品。
古岸こがん織部好みの志野芦絵水指で、志野橋絵水指と双璧をなす。首強く引き締り
腰は張り、堂々たる風姿。口造の矢筈と畳付には面が取られている。
遠州高取えんしゅうたかとり遠州好みの高取水指。胴には糸目、正面を凹ませ、白濁釉を上釉の上から
流し掛けている。小石原窯。
金屋きんおく中興名物。遠州瀬戸、一重口の水指。釉薬の掛け方やその成形から、
遠州の切形によると思われる。
伊賀共蓋いがともぶた織部好みの伊賀水指。伊賀焼は織部に茶を学んだ筒井定次により始められた。
これは破袋型に似る。太く大きい甑に箆で自由に線刻され、擂座が配されている。
備前種壷びぜんたねつぼ種壷は農家で種子の貯蔵や発芽に用いられたとされる雑器で、室町〜桃山時代に
盛んに焼造された。これは備前焼で、水指に見立てたもの。
耳付壷みみつきつぼ漢作の水指。茶壷として作られたように見えるが、今は水指として使われている。
黒田家に伝わる。
名称読み略歴
古染付高砂ふるそめつけたかさご明・天啓年間の景徳鎮窯の白磁花生。砧形で鯉耳がつく。銘は能「高砂」に
由来し、日本からの注文品と思われる。現在出光美術館所蔵。
青磁浮牡丹文せいじうきぼたんもん正しくは「青磁浮牡丹文瓢形花入」。南宋〜元の龍泉窯の作。現在畠山記念館所蔵。
顔回がんかい千利休作の瓢花入。利休が、粗末な暮らしながら天命を楽しんだ顔回に侘びの理想を
見出して命銘したと伝わる。現在永青文庫所蔵。
竹一重切たけひとえきり千利休作の花入。孟宗竹の一節分を切り抜いて花入としたもの。
達磨だるま千宗旦作の瓢花入。銘は姿が達磨に似る事に因む。宗旦が蘆葉達磨の狂歌を、
宗旦の禅師・清巖宗渭が一筆を、直書きしている。
空也くうや新兵衛瓢箪花入。下部に斜格子の線刻がある。空也が瓢を持って念仏唱歩した事に
因んで小堀遠州が命銘。中興名物。
月新げっしん小堀遠州作の瓢手付花入。手付花入は小堀遠州に始まると伝わる。上半分の左右を
切り取って手付とし、蔓の部分を渡しに残す。斑色が景色を添える。
11.絵画
名称読み略歴
山水図さんすいず南宋中期の画院画家、夏珪の作。近衛家煕の「槐記」に記載される作品といわれ
唐絵の最上のものとして珍重された。夏珪は山水画に優れ、馬遠と並び称された。
高士観眺図こうしかんちょうず伝孫君沢筆。この高士観眺図は南宋の馬遠、夏珪の院体山水画風を継承し、
やがて元の孫君沢に繋がる表現を示す。大徳寺塔頭養徳院旧蔵品。
秋冬山水図しゅうとうさんすいず雪舟筆。
四季山水図しきさんすいず伝雪舟筆。全長10mを超える長大な画面に四季の景観を展開させたもの。
毛利報公会に伝わる「山水長巻」に対し、俗に「山水小巻」と呼ばれる。
山水図さんすいず周徳筆。周徳は雪舟の弟子の一人で、惟馨とも号した。
雪舟亡き後の雲谷軒を継いだとも伝えられる画僧である。
蔬果図そかず野菜の静物画。雪村周継晩年の作。雪村は室町末期の人物で、常陸佐竹氏の
長子ながら禅僧画家となった。雪舟等陽に私淑しての号と言われる。
伝名和長年像でんなわながとしぞう長谷川等伯筆。帆掛船の家紋がある事から名和長年の肖像画であるとされているが、
大坪流馬術の名手斎藤好玄や甲斐武田の家臣を描いたとする説もある。
松林図屏風しょうりんずびょうぶ長谷川等伯筆。草稿ともいわれるが、靄に包まれた松林の何気ない風情は、
観る者にとって禅の境地とも,侘の境地とも受けとれる閑静で奥深い表現となっている。
弁慶昌俊図べんけい・まさとしず長谷川等伯最晩年の大作。画題は、源義経の命を狙った土佐坊昌俊のもとに
武蔵坊弁慶が討ち入った挙句、昌俊を堀川の屋敷へ引っ立てて行く場面。
春耕図しゅんこうず長谷川等伯が若い頃の作品で、当時の号「信春(しんしゅん)」の署名がある。
檜図屏風ひのきずびょうぶ伝狩野永徳筆。もとは天正18年12月落成の八条宮邸の襖絵の一部だった。
狩野永徳は同年9月に没しており、製作に最後まで立ち会えたかは不明である。
許由巣父図きょゆうそうほず伝狩野永徳筆。掛軸水墨画の代表格。許由・巣父とも中国の伝説的高士で、
権力を汚穢とした。
花下遊楽図かかゆうらくず狩野長信筆の屏風。背景に金碧を用いず,水墨画の技法を生かしているのは、
長信の祖父元信が花鳥図に用いた手法である。
観楓図屏風かんぷうずびょうぶ室町時代、狩野秀頼筆。洛北・高雄で紅葉狩を楽しむ人々の姿が描かれる。
遠く雲間に神護寺の伽藍や,雪の愛宕社も望まれる。
群仙図屏風ぐんせんずびょうぶ伝雲谷等顔筆。中国の仙人を六曲一双の画面に描く。両隻の左右の上端に
文字を削り取った形跡があり、何らかの理由で署名、落款が消されたと思われる。

豆知識 -茶器の分類と名物-
東山御物ひがしやまぎょぶつ足利将軍家、特に義政の所有であった事を示す。
柳営御物りゅうえいぎょぶつ徳川将軍家の所有であった事を示す。
豊公御物ほうこうぎょぶつ豊臣秀吉の所有であった事を示す。
御物ぎょぶつ時の天皇陛下の所有であった事を示す。
大名物おおめいぶつ千利休以前から名物と呼ばれていたもの。
名物めいぶつ千利休が選んだ、または利休と同時代に名物とされたもの。
中興名物ちゅうこうめいぶつ小堀遠州(一政)のコレクション。
八幡名物はちまんめいぶつ松花堂昭乗のコレクション。
唐物からもの支那・朝鮮で作られたもの。
漢作唐物かんさくからもの唐物茶入の中でも特に轆轤が伸びやかで作行の優れたもの。
また支那製でも特に年代の古いものともいう(下限は宋・元代)。
古瀬戸ふるせと瀬戸焼の初代藤四郎景正(春慶)の作、及び同種の天目釉のもの。
本来は「こせと」と読むが、「小瀬戸」と区別するためこう読む慣習がある。
金華山きんかざん瀬戸焼のうち、稲葉山(金華山)に窯を移したもの。
破風はふ瀬戸焼。金華山・破風のものを併せて中古物という。
真中古まちゅうこ瀬戸焼。中古物より一手古いのでこう呼ばれる。

茶器の名称は「漢作唐物大名物初花肩衝茶入」などと呼ばれます。
これを大雑把に分解すると「○○△△●●▲▲」という形になります。上の例では
○○=漢作唐物(大名物)=生産地・茶器の格式
△△=初花 =銘
●●=肩衝 =形状から見た茶器の分類
▲▲=茶入  =茶器の種類
となります。茶入の呼び方はおおよそこの順序となっています。
但し「稲葉瓢箪」「油屋肩衝」のように人名を冠しただけの銘の場合、「△△●●」全体で銘とします。
茶入以外は「○○●●▲▲ 銘△△」のような呼び方が一般的のようです(茶入もこのように呼ぶのが本来か)。

余談になりますが、茶器にはそれぞれの使用に適した季節というものがあります。例えば茶釜であれば、炭火の「暖」を見せるか否かで季節の違いがあります(平蜘蛛は火を隠しますが、冬の点前である炉用の茶釜なので、立春〜初夏用の変わり茶釜という事になります。また『へうげもの』では光秀がわざと五月に八角釜を使用しましたが、正月使用の記録と照合すれば作中での指摘どおり、これは本来炉用のものでしょう。風炉用の八角釜となると、これも作中での説明どおり小ぶりになります)。これを「ルール」と考えると窮屈になります。千利休が拘った「一期一会」の精神、つまり今この一瞬を大事にして客をもてなすという心の発露だと思いましょう。どれだけ親しい人であろうと、今日という日、今という時間は今この一瞬にしかありません。明日になれば何が起きているかわからない(特に利休の時代はそうですね)、さればこそ今この一瞬を大事にして、季節に合った最上のおもてなしをしよう、という事です。


12.「天下創世」家宝データ正誤表
名称
九十九髪茄子名物大名物
珠光文琳名物大名物
珠光文琳生産国:日本生産国:明
楢柴肩衝生産国:日本生産国:明
紹鴎茄子生産国:日本生産国:明
松本茄子生産国:日本生産国:明
似たり茄子生産国:日本生産国:明
国司茄子生産国:日本生産国:明
国司茄子八幡名物大名物・八幡名物
富士茄子唐物漢作唐物
酸漿文琳唐物漢作唐物
九鬼文琳唐物漢作唐物
本能寺文琳唐物漢作唐物
本能寺文琳生産国:日本生産国:明
本願寺肩衝唐物漢作唐物
本願寺肩衝生産国:日本生産国:明
宮王肩衝唐物漢作唐物
筑紫肩衝唐物漢作唐物
松屋肩衝生産国:日本生産国:明
松屋肩衝名物大名物
打雲大海名称打曇大海
宗無肩衝生産国:日本生産国:明
竹中小肩衝生産国:日本生産国:明
有楽井戸…織田有楽斎の名で
知られる織田信包…
〜織田長益〜
春秋佐氏伝名称春秋左氏伝


【参考文献】
『月刊淡交』 淡交社
『月刊淡交別冊 茶入』 淡交社
『茶道用語辞典A』 古賀健蔵 保育社
『茶碗のみかた』 野村泰三 保育社
『笹田有祥 名物写茶入』 岡本八造商店
『戦国名刀伝』 東郷隆 文春文庫
『歴史群像 戦国剣豪伝』 学研
『中国名医列伝』 吉田荘人 中公新書
『道教の房中術』 土屋英明 文春新書
『江戸の性風俗』 氏家幹人 講談社新書
『日本系譜綜覧』 日置昌一 講談社学術文庫
『日本人が知らない日本の遺産』 黄文雄 青春出版社
『功名が辻』 司馬遼太郎 講談社文庫
文化遺産オンライン http://bunka.nii.ac.jp/
茶道site http://www.sadoukaikan.com/
焼き物データーベース http://members.at.infoseek.co.jp/toujiki/index.htm
その他、東京国立博物館公式HPなど


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