2008-02-20 人格が解離してきてます

なんだか硬い評論っぽいものばっかり書いていて、ギャグはどうしたんだ! という指摘を受けたんですが、例えばここは名前を出した相手とか編集の方々が見るわけじゃないですか。すると視線を意識して「仕事に繋がること書かないと!」とか「馬鹿な事書くと干されるぞ!」ってのを感じるわけです。
ミクシィも同時にやっているんですが、そっちではもうちょっと私的なことを書く。2ちゃんねるではもっとどうしようもないしょうもないことを書く(笑) 一方でネットの外で、仕事仲間や、先生とか、出版社の人とか、会う度に違う人格になっている。僕としては 2ちゃん ミクシィ 飲み友達 ブログ 仕事 ぐらいの感じでレイヤーに分けて人格を使い分けているのですが、(そして交わらないようにしてたんですが)最近、そのレイヤー同士が境界線破り始めているんですが、これはどうしたらいいのでしょう。2ちゃんのコテハンと評論家としての自分と家で屁とかこいている自分とがもう同じじゃない。これはもう、僕の人格が乖離していて、アイデンティティが多重化していて、そして例えば「コテハン」も「評論家」も多分もう既に僕ではない、というか、なんかプレッシャーで期待されていることを言うだけ、という風になりつつあり、それは視線とかが何を期待してくるかによってその「キャラ」の内面が作られていると思うんですよ。で、生身の僕は、キーボード叩いてそれを操作している感じで。シェリー・タークルの言う、ポストモダンのネットユーザーの「アイデンティティの分裂」というやつでしょう。
特にはてなは名前を出すと本人が見に来る可能性があって、迂闊に物が言えない、ウェブパノプティコン効果というか、分裂した視線による監視の世界のように感じて、なんだか討議的理性の主体として立ち上げられそうになる。割とそれが息苦しいので時々2ちゃんなんかに匿名で wwwwwwwwwwwww 宇野ワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwww とか書きたくなるんですよ(註、書いてません)
どうも、そんな「乖離」した状態だとコミュニケーションコストが異様に高く、例えば僕が芸名でなんかやってて、ある程度実績あるとして、それを隠してコミュニケーションすると、そいつに見下されたりすることおも生じるわけで、胸の中で「くそー、俺は売れてんだぞこの野郎」とか芽生える。単純にこれが疲れる。なので「統合」に向かう必要もあるのかもしれない。それは近代的主体の復活かもしれないけど。しかしそうすると、「匿名」の闇に隠れて「息苦しい」監視から逃れた2ちゃんねるの人格も自分として引き受けなければならなくなりそうで、それはそれで面白くないかもしれない。
whitestoner
2008/02/21 07:18 面白くないとか以前に気色悪い。あっちにも書いたけど。