2008-04-23
承認の分配
これはただの野次馬。http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080422/1208812057にて、15歳のブロガーと吉田アミさんが言い合いをしており、結構これが重要な気がしたので軽く意見を。(これが吉田さんの元の記事)http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20071018/1192701053
吉田さんが引用したのは下記の文章。
「アナタが簡単に他人を蔑むのは賢いからじゃない。他人を理解しようともしない、馬鹿だからよ。
気楽なもんね。
自称批評家さん。
批評っていうのは感想文でも、作者への意見書でもないわよ。
人が作ったものを 安易にくさして 優越感にひたるヤツのために、皆は必死で描いてるんじゃないわよ。
一読者よりも昇格してるって言うなら、作品にもっと真剣に取り組みなさい。」
「失敬な! 拙者を侮辱する気でありますか!
誠意こそあればこそ
耳の痛い忠告も申してやるのでですわ。
甘受するのは作者の義務ですぞ!」
「誠意?
自己顕示欲でしょ?
アナタの!
誠意があるんなら、セリフの向こうの作者探しや 他の作品とのくらべっこばかりしてないで、内容そのものに興味を持ったら? 貧弱な読解能力でも 少しは使って見せなさいよ!
誤解しないでね。私、本当の批評家は大好きよ。
作品への新しい読み方を提示して、
作品と
作家と
読者に、
新しい道を拓いてくれるから。」
「…!」
「あら。
無責任な感想文に、無責任に感想を言わせてもらっただけよ。
悪く思わないでね。さようなら。」
という、批評の倫理とでも言うべきもの。これは確かに僕は大変賛同するんですが、これに賛同できるのも、「お前は賞とかもらって承認されてて自信があるからだろ」とか言われそうで、確かにアマチュアの時代だってそんなにレベルが変わってたわけではないのに、「承認」がなくて不安だったし、自分の書いているものがどの程度なのかわからなかったですね。自信と不安の波を行ったり来たりしていた思いがあります。時々「自分は天才だ」と有頂天になり、でも誰も認めないから「ホントはそう思い込んでいる惨めなやつでは」とかかなり躁鬱が激しかった(笑) これはブログが基本的に権威による承認によって参入する場ではないから起きる不安でしょうね。
「だったらお前も賞取れ」というのも違ってて、賞をとってなくてもいいものもある。けどダメなのもある。これはこれで厄介なんだけど、とりあえずそれは置いておいて、id:Rir6くんが問題にしているのは「承認の配分」であり、彼は、「才能のある人、努力した人」にのみ配分されるのは不公平だと考えており、「才能のない人、努力してない人」にも配分されるように要求している。
しかしこれはちょっと無理ではないか。才能のある人、努力した人が配分をされているというか、そもそもこれは「配分」ではないからだ。それは「返礼」とも言うべきもので、「才能」や「努力」に名誉や栄誉やモテるとかそういう承認が配分されているのではなくて、他人の心に与えた「喜び」とか「利益」に対して返礼が行われているに過ぎないのではないだろうか。
>「才能なきもの」「努力しないもの」が虐げられない社会のために、私たちは、戦う。
とも言っているが、虐げられてもいないのではないか。ただ、何もされてないだけで。自分に利益を与えた人間と、自分に害を与えるもしくは何も与えてくれない人間とどちらにあなたはやさしく出来るだろうか? どちらと仲良くなりたいか? 当然、前者だ。承認は資源ではないので配分は出来ない。個々人の感情だからさ。それが出来るというのなら、まず、両親と自分に害を与える犯罪者、もしくは路上生活者に対してRir6くんが平等の愛情と尊重をしなければいけない。両親が君に与えてくれる利益に対する感謝もしくは義務に相当するものをアカの他人にも示さなければならない。全く同じレベルで。それを君が出来ないのなら、他の人も出来ない、よって配分は出来ない。恋愛でもそうだが、「貧乏」「不細工」にも「金持ち」「イケメン」と同じように女性が承認すべきだと提示するなら、まず君が「貧乏」「不細工」な女性に承認を与えて愛することをしなければいけないのではないだろうか。
「才能あるもの」「努力したもの」というのが承認を得ているのではなく、「社会に利益を与えたもの」が承認されていて、「社会に害を与えるもの」は罰せられ、「社会に何も与えないもの」は放置される。これをそうでなくすれば、社会の生産性は落ちて、犯罪者やフリーライダーがはびこり、全体として悪化するだろう。そうならないためには、承認や名誉は、「結果を出したもの」に配分されるのは適切だと思う。
とはいえ、承認が与えられないものの苦しみも理解しているつもりだ。人間の関係性によって生じるそのようなものは配分できない。「一番になりたい」という欲望を全員で叶えるのは論理的に不可能だろう。だからそれならば努力するべきだと言う他はないと思う。あるいは、承認欲求を満たしてくれるゲームか、何か、そのようなもので満足感を得るということになるほかはないのではないか。はっきり言って「承認」はシビアで不平等なものだと思う。しかし、俺だってね、物書くようになってから7年間ぐらい、全く承認のない荒野で、先も保証されてないでとにかくやり続けて、運良くなんとかなったんだから、みんな「努力」して「勉強」をするのが一番いいと思いますよ。「承認」は資源と違って分けても減らないんだから、みんなが「すごく」なればみんな承認されると思うので。
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