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the deconstruKction of right このページをアンテナに追加

2008-06-12

ゆとり教育を擁護する

   ゼロアカ道場第三回の課題をやりながらなので加藤智大ネタはもうやめたいんですが、もう少しだけ。多分これが最後になると思います。この事件自体への解釈は東浩紀氏のコメントが最もバランスが取れていていいと思います。http://www.asahi.com/national/update/0612/TKY200806120251.html


   僕が今回問題にしたいのは、母親の教育です。つまり、過剰な教育としつけの問題です。前に金川真大の無差別テロの時にも書いたのですがhttp://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080326 過剰に勉強をさせられている人間が多い。前に家を焼いちゃった人とか、「夢がないね」の人もそうだと思いますが。

   酒鬼薔薇、ネオ麦茶、金川真大は僕と同じ1983年生まれ。ゆとり教育の直前です。ちょうど、ゆとり教育だったら事件は起こらなかったという意見がありましたが、宮台さんの言う「学校化」が徹底し、「勉強すればなんとかなる」「未来はよくなる」「努力すれば報われる」と思い込んだ親や教師にせきたてられ、しかし、それで青春を失って苦痛を耐えて勉強したのに、報いはほとんどない、学んだことをまったく生かせない単純労働に就業する、というのを味わった世代だと思います。つまり、相当な苦痛を我慢することを強いられたのに、それがまったく役に立たなかったというのを味わっているのですね。大学進学率が上がっているので、親世代より勉強をしている。下の世代のゆとりよりも勉強している。しかし就職氷河期なので報いはない。自分たちより努力してない人が得をしていて、努力を強いられて青春を台無しにしたのが「だまされた」としか言いようのない世代なんですね。

   加藤もまた厳しくしつけられ(これは虐待だと思うんですけど)、恋人とまで別れさせられたという話だ。その報いが彼には何だったのだろうか。中学から急に暗くなったと言うが、それは過剰に勉強させられたことによる生の意味の喪失、快楽の喪失、あるいは過労による鬱病なども原因ではなかったか。

   前回、僕は「英雄視」すべきではないと書いた。しかし、非常に、(それは想像に過ぎないのだが)1983年生まれとして理解できる部分もあるのだ。その理不尽感、学校と親が共同で自分を教育に仕向け、過重なストレスを一生にわたって与え続け、それを社会自体も是認していたことが、彼が社会を敵視した原因だと思われて仕方がない。つまり、それは、教育による「生産」と「勤労」と「成長」に奉仕することを是とするイデオロギーである。それの豊かさを享受してのうのうとしている人々全員が敵として感受されるのは仕方がないと思われる。

   2ちゃんねるでは過剰にゆとり教育は叩かれ、嘲笑されている傾向があると思う。しかし、僕はそれは「苦痛を強いられた人間のやっかみ」に過ぎないと思う。僕らは競争を激しくして勉学に励んだが、それを使える職業には就けなかった。単純労働しかやらせてもらえていない。それであるならば、せめてゆとり教育にしてもらい、楽しくまったりと青春を過ごしていれば、ここまで追い詰められることもなく、コミュニケーション能力も上がり、性的な疎外感も強くならなくて済んだのではないか。だから僕はゆとり教育を擁護する。それは正しかったと思っている。もちろん、一方でエリートを教育するべきでもあるのかもしれないけれど。厳しい教育を受けても工場で働くことになるなら、そんなものはただの苦痛を強いる作業であるのだから、必要がないだろう。

whitestonerwhitestoner 2008/06/12 22:21 工場で働くのってそんなに苦痛なの?
ただの苦痛を強いる作業なの?
苦痛だけなの?
なんでそう決め付けるの?

なんか失礼だよね毎回。
かまってほしいのはわかったから、必要以上に差別的なことを書かないように。

楽しかったけどね僕にとっての工場労働は。
それに、極限まで合理性を突き詰める作業はかなりクリエティヴだと思うし。

reire-ishiireire-ishii 2008/06/13 11:53 白石さんは藤田先生に嫌悪感を抱いてるなあw
藤田先生はエリート側の人間だからw

inside-riversinside-rivers 2008/06/20 16:30 あまり言われないことだけど、
職業による差別意識って根深いものがあると思う。
そのヒエラルキーは論壇で疑問視されることはあまりなくて、
当然のように扱うかコメントしないかのどちらかなのではないでしょうか。

いわゆる文化人っていうのは、ストレートに学校社会から文化産業に移行している人が多くて、学校の先生が学校社会しか知らないのと同じような状況があるのではないかと思うことがあります。

だからその先入観に介入する必要がなく、
そこは保守されたままになっている。

たぶん、鈴木謙介さんのようなタイプの文化人によって、そのあたりは揺さぶられていくのではと思います。希望的観測ですが。

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