このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと((a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容等、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージは、各項の欄外のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元は、サイバーエージェントによって管理されています。
以下の内容は"水戸"からの情報です。水戸市にある弘道館は、第九代藩主の徳川斉昭が、天保12年(1841)に創立した藩の学校(高等教育機関)です。江戸小石川の藩邸には分教場がありました。徳川幕府が瓦解し、明治維新になったため、創立から30年間で消滅し、その間、正常な教育が行われたのは、20年間に満ちませんでした。いまは国指定特別史跡として保護されています。水戸藩が弘道館を創立したのは他藩よりはるかに遅かったのです。全国には、すでに、約170の藩校がありました。教授・助教等、教職員は、50-60名でした。入学年齢は15歳でした。入学式は厳正でしたが、卒業式は終始行われませんでした。その理由は、学問には完成の時期が無いため、死ぬまで続けるべきだという終身教育の考え方にあったためです。弘道館が天下の注目を浴びたのは、その規模の大きさ(敷地坪数57000は2位の金沢明倫館の17820坪の約3倍)や制度機構の奇抜さだけでなく、大きな理想と念願にありました。いわゆる"水戸学"です。以上の事実関係は名越時正『水戸藩弘道館とその教育』(茨城県教師会、1972)を参考にしました。偕楽園は徳川斉昭によって設置されました。設置目的は、弘道館の藩士が文武の修行の余暇を楽しみ、休養する場として、弘道館の付属庭園としての施設です(あわせて庶民の憩いの施設)。偕楽園の名称は「衆と楽しみ偕にする」に由来しています。以上の事実関係は鈴木英一『水戸弘道館小史』(文眞堂、2003)を参考にしました。
以下は"水戸"からの情報です。"水戸"は、今秋から定期的に、学術セミナー「弘道館・偕楽園公園の歴史・自然探訪セミナー」を開催します。このセミナーは、桜井淳所長がこれまで来客を案内したコースと雑談を学術的に再構成したもので、内容は次のとおりです。
「弘道館・偕楽園公園の歴史・自然探訪セミナー」開催案内
(1)主催 桜井淳水戸事務所(代表 桜井 淳)
(2)実施概要 水戸市には、市街地隣接公園としては、ニューヨーク市のセントラルパークに次ぎ、世界第2位の面積を有する偕楽園公園(偕楽園・千波湖・千波公園・桜山公園からなる周囲7キロメートルの複合公園)、それから、江戸時代末期(1841)に開設された学問所の弘道館があります。観梅期・桜期・新緑期・紅葉期に、それらの歴史をたどり、7キロメートルの自然探訪を行います。水戸市在住30年(偕楽園公園は毎日の散歩コース)の桜井淳所長が学術文献(水戸市立博物館編「千波湖の自然」(水戸市立博物館、1987)、名越時正『水戸藩弘道館とその教育』(茨城県教師会、1972)、鈴木英一『水戸弘道館小史』(文眞堂、2003))を基にした歴史を語り、自然探訪の案内役を務めます。
10:00-12:00 弘道館(徳川斉昭が江戸末期開設)の歴史と自然探訪(梅・桜・新緑・紅葉期)
12:00-13:00 千波湖(2万年前にできたとされる)の歴史と自然探訪(桜・新緑・紅葉期)
13:00-14:00 偕楽園(徳川斉昭が江戸末期開園)の歴史と自然探訪(梅・新緑期)
14:00-15:00 千波公園の歴史と自然探訪(新緑・梅・桜期)
15:00-16:00 桜山公園の歴史と自然探訪(新緑・紅葉期)
16:00-17:00 自由討論(水戸駅近くのレストランで)
(3)担当者 桜井 淳
(4)配布資料 論文等
(5)応募資格 弘道館と偕楽園公園の歴史と自然に興味を持っている者。
(6)定員 20名
(7)実施日時 未定
(8)申込先 セミナー事務局
(9)参加費 10000円
(10)締め切り 未定