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2008年6月27日

◎「上堤町」復活へ始動 「企業市民」意識の広がり期待

 金沢市中心部で新たに旧町名「上堤町(かみつつみちょう)」を復活させる動きが出て きたのは、同じオフィス街で、十一月に旧町名が復活する「南町(みなみちょう)」の取り組みが刺激になったことは間違いないだろう。一つの旧町名がよみがえり、その熱意が隣接地域へ波及するのは旧町名の運動としては理想的な展開といえる。しかも、それがオフィス街で生まれたことに大きな意義がある。

 企業や店舗が集積する地域で旧町名への理解や賛同の輪を広げるのは時間も手間もかか り、住宅地以上に困難な面がある。オフィス街は「働く場所」「利益追求の場」と割り切って考えるなら、町名変更に伴う事務経費なども大きな負担に感じるかもしれない。

 だが、まちづくりを通して地域貢献するという「企業市民」の理念に照らせば、ビルの テナントも地域の一員として、地域のためになることを考えるのは当然である。「上堤町」実現へ向けては百社を超えるテナントなどの理解がかぎを握るが、「南町」復活で広がり始めた「企業市民」意識がオフィス街で面的に拡大することを期待したい。

 「上堤町」は金沢御堂時代からの寺内町で、もともとは現在の下堤町と合わせて「堤町 」と呼ばれていた。防衛上築かれた堀(後の惣構堀の一部)の堤上にできたことに由来し、「南町」と同様、金沢の基層をなす町名である。一九六〇年代に高岡町、尾山町に変更された。

 商店主やビル所有者らで構成する上堤町町会はすでに旧町名復活の推進で合意し、機運 を盛り上げるため、ショーウインドーでアート作品を制作する秋恒例の「金沢アートプロジェクト」で「上堤町」の名を冠した賞を設けることを決めた。「上堤町」もかつて城下町のメーンストリートであった旧北国街道の通りに位置し、旧町名復活運動は現代の都心軸の求心力を高める点でも意義がある。

 金沢市内では尾張町で泉鏡花ゆかりの「下新町(しもしんちょう)」を復活させる動き も出ている。城下町の文化資産に磨きをかける取り組みと同様、無形の文化財である旧町名の復活も流れを切らさず、着実に前へ進めたい。

◎北が核計画申告 拉致問題も前進させねば

 北朝鮮が核計画を申告した。米国は見返りに北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除の手 続きに入る。

 日本は米国との協調を弱めることなく、解決に向けて拉致問題を前進させねばなるまい 。

 指定解除の実施までには四十五日の期間があり、この間に北朝鮮の申告内容の検証が行 われ、問題がなければ解除ということになる。北朝鮮の核は米国だけでなく、日本にとっても脅威である。徹底的で完全な検証を求める。

 北朝鮮の申告は六カ国協議の合意からすると、半年も遅れた。が、朝鮮半島での非核化 は国際的にも望ましい。こうした展開になったのは、ブッシュ米政権が交渉方法を転換したからだったといえる。これは理解しなければならないのではないか。

 圧力一辺倒から、北朝鮮が行動を起こせば、それに対応して米国も行動を起こすという のがブッシュ政権の方法転換だった。米国は北朝鮮のワナにはめられたのだとか、日本に対する裏切りだとか、それは厳しい批判や見方があるようだが、そう決めつけるだけでは交渉に対する理解としては適切を欠くとの見方も成り立つ。

 朝鮮半島の非核化は米国のプリンシプルであるということだ。そう考えれば、交渉の仕 方は百八十度変わったが、米国のプリンシプルは変わったといえないのである。交渉ごとは方法を変えるという柔軟性で進展することもしばしばあり得るのだ。歴史の教えるところでもある。

 日本の政府もここに来て「行動」には「行動」をという方向へ舵(かじ)を切り直した 。北朝鮮が、おそらく米国に強くいわれたためだろうが、約九カ月ぶりの日朝公式実務者協議で拉致問題を解決済みとする主張を口にせず、再調査などを約束し、これに対して日本政府も制裁の一部緩和の方針を約束したのである。

 小泉純一郎元首相が首脳同士の直接会談を決断して北朝鮮へ出掛けたように、福田康夫 首相も同様の決断でことに当たり、拉致被害者家族の理解を得て活路を見いだしてもらいたい。


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