宝塚市内の旧家から、太平洋戦争で出征した人に贈った日の丸や千人針、終戦間際や戦後に配られた「衣料切符」や「塩購入券」などが多数見つかった。日の丸には国民学校の6年生たちが「一死報国」「見敵必殺」などの言葉を書き込んでいる。発見者は「軍国教育が小学生とは思えない言葉を生んだ。今の若者に、戦世(いくさよ)の空気を知ってもらいたい」と話す。一部は姫路市平和資料館へ寄贈した。【山田奈緒】
日の丸などは、戦後、神戸市長田区から宝塚市に移り住んだ車田俊郎さんのもの。車田さんが30年前に亡くなってからは、妻豊さんが保管していた。豊さんが昨年末に亡くなり、車田さん夫婦が住んでいた家を片付けていた長女の佐藤典子さん(73)=宝塚市=や、親族の車田紀子さん(68)=同=が見つけた。
俊郎さんは陸軍経理部の士官として1942年に満州(中国東北部)へ出征。日の丸は、俊郎さんの長男のクラスメートが「車田君のお父さんを応援しよう」と贈ったものだという。当時、国民学校3年生だった佐藤さんは「父が無事に帰ってきたからこそ残っていた品。戦争を忘れないためにこれからも残したい」と手に取る。日の丸には、「義勇奉公」「無敵日本陸軍」などと書かれており、「武運長久」との文字をあしらった千人針も残っていた。
寄贈した品は、来年1月中旬から同館で開かれる収蔵品展で公開される予定。紀子さんは「『お国のための死が美』という考えが小さい子にまで浸透し、恐ろしい考えがつきまとった時代があったことを忘れないで」と話す。同館は「戦時下を生きた当時の人たちの暮らしぶりや、時代の雰囲気を知ることができる大切な資料」としている。
〔阪神版〕
毎日新聞 2008年6月26日 地方版