(cache) パスカル短編文学新人賞とは?
「パスカル短編文学新人賞とは?」



最近、ネットでこの質問がFAQと化しているようなので、解説ページを作ってみました。

パスカル短編文学新人賞とは、1994〜1996年まで開催された公募型新人賞のことです。

この文学賞は、1996年の第三回を最後に終了しています。現在では、原稿の募集は
行われておりません。


                *  *  *


インターネットが今のように一般的になる前、ネット通信と言えば、それは「パソコン通信」
のことでした。これは、契約したホスト(今で言うプロバイダ)のシステム上でのみ、電子
的なデータをやりとりするネット・コミュニティのひとつです。会費を払って会員となり、
会員のみが参加できるBBSで書き込みを楽しんだり、電子メールなどを送ったりすることが
できました。当時有名だったホストは、NIFTY-Serve(現・@nifty)、PC-VAN、ASCII、
日経MIXなど。パスカル短編文学新人賞を主催していたASAHI-NETも、そのひとつでした。

当時のASAHI-NETの特徴は、現役のプロ作家がたくさん会員になっていたこと。そのため
「文芸ネット」などという、誉めているのか揶揄しているのかわからないような通り名で
呼ばれたりもしていたのですが、当時のASAHI-NETの社長が文芸関係に強い興味を持って
いたため、この文学賞が創立されたという話を聞いたことがあります(伝聞なので事実か
どうかは不明)
選考委員を務めたプロ作家諸氏は、ASAHI-NETの会員でもありました。

原稿の応募規定は、400字詰め原稿用紙換算で20枚以内。それをASAHI-NETの応募会議室に
MS-DOS形式のテキストファイルで投稿する。応募作品はこの時点では匿名でエントリーされ
ます。つまり、プロが応募してきても選考委員には名前がわからないようになっている。
純粋に作品内容のみを批評の対象とすべく取られていた措置でした。そして、ASAHI-NET
の会員なら誰でも、全応募作を無料で読むことができた。郵送ではなく、ネット経由で電子
テキストを投稿するという方法が、当時としては珍しいものでした。
(同じ頃、NIFTY-Serveに「小説工房」というフォーラムがあり、こちらも似たような形式で
参加者の投稿を募っていたようです)

さて、パスカル短編文学新人賞の最大の特徴は、応募原稿の全てに選考委員の採点とコメント
がついてくることでした。普通の新人賞では、下読み(一次選考)→二次選考→最終選考と
いう流れの中で、実際に選考委員が読んでコメントを出すのは、最終選考に残った作品に対し
てのみです。「あの選考委員に読んでもらいたいから応募する!」と思っても、最終に残らな
ければその希望はかないません。しかし、パスカル短編文学新人賞では、応募された全ての
作品を選考委員全員が読んでいました。コメントを出さない選考委員もいましたが、基本的に
は何らかの形で必ずレスポンスがありました。

また、最終選考を、毎年、公開選考会という形で実施していたことも大きな特徴のひとつでし
た。銀座の有楽町マリオンのホールで、最終候補に残った数々の作品を、選考委員が討論しな
がらその場で落としてゆく(!)という、応募者にとっては情け容赦のない、見ているだけの
人間にとってはこれほど面白いものはない(笑)という形式が取られていました。

この魅力的な選考形態に惹かれて、当時、たくさんの人たちが新規会員としてASAHI-NETに
参入してきました。「パスカル短編文学新人賞に応募したい」という、それだけのことで会員
になった人がたくさんいたらしい。
第一回の選考は、やはりパソコン通信のホストを運営していたPeopleの協賛で実施され、この
ときの大賞受賞者が、のちに芥川賞作家となる川上弘美さんです。

当時、すでにプロ作家であった岡本賢一さん(第三回大賞)、のちに超短編小説運動で有名に
なる本間祐さん(第三回優秀作)なども、この賞で受賞しています。また、受賞はしなかった
ものの、この賞に応募していて、後に出版社系の新人賞を受賞した作家が多いのも特徴です。
芥川賞作家の長嶋有さん、ファンタジーノベル大賞佳作の森青花さん、すばる文学賞受賞の
法月ゆりさん、確か絵本方面ですでに著作のあった原田小百合さんなど。私の知らない範囲で、
まだまだたくさんいらっしゃるかもしれません。文学界新人賞受賞作家の梶井俊介さんも、
応募して最終選考に残っておられました。

たった三回で実施が終了してしまったのは、ASAHI-NETが、本格的な出版事業を行っている
会社ではなかったこと(活字化には中央公論社が関わっていたので第一回の応募作品のみ文庫
化されていますが、その直後、中央公論社は文芸出版事業から撤退してしまった)そのため
予算のやりくりが難しかったこと、全作品を読んでコメントを返すという形式が選考委員に
負担がかかり過ぎるということなど、さまざまな事情があったようです。私は、ASAHI-NETの
事務局にいた人間ではないので、当時、いち応募者としてスタッフから聞かされた程度の事情
しか知らないのですが、いずれにしても長く続けるには無理のある文学賞だったのでしょう。

ただ、この文学賞への応募をきっかけに、多数の有望な新人作家が世に出たことは事実で、
当時このプロジェクトに携わっておられた方々は、それだけで、もう充分に誇って良いのでは
ないでしょうか。
                                   (2004.5.30)

                               ――文責:上田早夕里


         執筆者(上田早夕里) Profile:
         1995年、第二回パスカル短編文学新人賞にて投稿作が最終選考に残った
         ことをきっかけに投稿活動に入る。2003年、第四回小松左京賞を受賞し、
         プロ作家としてデビュー。公式サイトは こちら です。