「犯罪被害者嘲笑う『週刊新潮』 『サンデー毎日』本年三月二十一日号の「編集長後記」は、悪質な新潮ジャーナリズムに警鐘を鳴らすものだった。同誌の広瀬金四郎編集長が、『週刊新潮』に向けて激しい怒りを表明している。
「ぐつぐつと怒りが煮えたぎることがある。先週がそうだった。怒りは収まることなく、時間がたつほど凝縮した。本社社長の監禁事件を報じた『週刊新潮』の報道に対してである」
怒りが向けられたのは、『週刊新潮』三月十一日号の記事。一月三十一日に起きた(公表は容疑者逮捕・起訴後の二月二十七日)斎藤明・毎日新聞社社長拉致監禁事件を報じたものである。この事件では、斎藤社長は六人組の犯人によって車に拉致監禁され、衣服を脱がされたうえ写 真を撮られて、「社長を辞任しろ」などと脅されたという。
この事件を報じるにあたって、『週刊新潮』はなんと記事見出しに卑劣な性的表現を用い、事件の被害者である社長を、事実を歪曲する形で揶揄中傷した。
さきの「編集長後記」でも、広瀬編集長は次のように怒りをあらわにしている。
「記事の見出しには心底腹が立った。社長が監禁中に撮影された写真をめぐり、同誌がつけた性的表現を用いた見出しは、読者を誤解させるだけでなく、差別 を助長しかねない表現だ」
まことにしかり。日本を代表する巨大メディアのトップは公人ではあるが、だからといって、犯罪被害者の立場でありながらこのような報道をされるいわれはない。
斎藤社長は、三月三日付の『毎日新聞』に「被害者として思うこと」という手記を寄せているが、その中には次のような一節があった。
「一部の週刊誌は、興味本位に私の人権や名誉を顧みない内容の問い合わせをしてきています。(中略)『報道の自由』を振りかざすことによって、今回のような事件が起きた時、被害者が警察への届け出をちゅうちょしたり、いわゆる『報道被害』を受け、結果 として犯人の狙いを補完してしまうことがあり得るのです」
まさしく、『週刊新潮』の記事は「犯人の狙いを補完してしまう」ものであった。犯人は「撮った写 真の一枚を示して『これを世間にばらまくよ。そうするとあなたは社長を辞めなければならなくなる』と脅し」た(斎藤社長手記)そうだが、『週刊新潮』は逮捕された犯人になりかわって、写 真を文章の形に変えて世間にばらまいたようなものである。
そして、『週刊新潮』が犯罪被害者を嘲笑するような報道をするのは、今回のケースが初めてではない。むしろ、同誌の「お家芸」の一つといってもよいほど、その手の悪質な事例は枚挙にいとまがないのだ。たとえば、二〇〇一年に沖縄で起きた米兵による日本人女性暴行事件の報道がそうであった。『週刊新潮』は四度にわたってこの事件を取り上げ、被害女性をくり返し中傷したのである。
なお、毎日新聞社側は、監禁事件の記事について新潮社に抗議書を送り、訂正と謝罪記事の掲載を求めている。抗議書では“誠意ある対応がなければ法的措置を取る”とも通 告しているという。
『週刊新潮』の記事をめぐっては、昨年、読売新聞社と朝日新聞社が一月と四月に相次いで名誉毀 損訴訟で新潮社を提訴している。いずれも現在係争中である。毎日新聞社がかりに近日中に提訴したとしたら、新潮社は日本の三大新聞社からの訴訟を同時に抱えることになる。訴訟まみれの『週刊新潮』ならではの“珍記録”であろう。
このように、『週刊新潮』が人権侵害報道をくり返して新たな訴訟の火種をまく一方、同誌の過去の記事をめぐる名誉毀 損訴訟で、またぞろ新潮社敗訴の判決が下った。コンサルタント会社「ダイキ・ホールディングス」が新潮社を訴えていた裁判で、東京地裁は二月二十五日、新潮社に二二〇万円の賠償金支払いと『週刊新潮』への謝罪広告掲載を命じる判決を下したのである。
「またも悪質記事で謝罪広告命令
謝罪広告掲載命令は、司法権力が言論機関に謝罪を“強制”する形になるため、「表現の自由」への配慮から、裁判所も、名誉毀 損の態様がとくに悪質である場合にしか出さないものだ。しかし、新潮社の雑誌をめぐる名誉毀 損訴訟では、ここ一、二年、異例のはずの謝罪広告掲載命令が続々と下されている。
二月に謝罪広告命令を受けた記事は、『週刊新潮』二〇〇二年十月十七日号の《超高級「シャネルビル」に居残る高級でない会社》。高級ブランド「シャネル」が銀座に大型店を出店する計画を立て、そのためにビルを購入した。
ビルにはすでに多数のテナントが入っていたため、各テナントと立ち退き交渉を進めた。その交渉で最後まで残っていたのが、「ダイキ」であった。
そこまでは事実で、それだけなら記事になりようもない話である。ところが、『週刊新潮』は、「全身をシャネルの商品で武装した“シャネラー”たち。そんな女性陣が聞けば『早くオープンして』と歯軋りしたくなるような“トラブル”が銀座のど真ん中で起こっている」と、強引にトラブルをデッチ上げたのである。
記事は、「(ダイキの創業者は)ヤクザとの付き合いが広く、あのシャネルビルにも筋モノが出入りしています」などという匿名コメントを入れたうえで、ダイキについて次のようにいう。
「何やら実務は怪しげで、およそ“高級感”は感じられない。こうした相手を向こうに、シャネルはどう対処する?」
この記事を読んだ読者は、ダイキが暴力団とかかわりをもつ怪しげな会社で、立ち退き交渉をめぐってシャネル側とトラブルになっているかのような印象を受けずにはおれないだろう。
だが、実際にはそうした事実はなかった。
『週刊新潮』の記事が掲載されるより前に、あるフリージャーナリストが、自らの発行するメールマガジンのなかで、ダイキをあたかも暴力団とかかわりがあるかのように書き立てるという出来事があった。その際、ダイキ側はインターネット上の当該部分を削除するよう、東京地裁に仮処分申し立てをしている。翌日、フリージャーナリストは自らメールマガジンの当該号を削除。事実誤認を認めて謝罪したため、ダイキ側は仮処分申請を取り下げた。 『週刊新潮』の記者がダイキ側の顧問弁護士と主任カウンセラーを取材した際、弁護士らは暴力団とのかかわりを一切否定し、メールマガジンの件の経緯についてもくわしく説明したという。また、『週刊新潮』はシャネル側にも取材をしているが、その際、窓口となったシャネルの取締役も、「(立ち退き交渉が)特に難航しているわけではない」「(ダイキに)ヤクザ風の人が出入りしているという話も聞いたことがない」と、記事にいう「トラブル」の存在を完全否定していた。
また実際、ダイキは記事掲載後一カ月を経ずして、円満に立ち退きをして事務所を移転しているのである。
けっきょく、裁判の過程で、『週刊新潮』側は「暴力団とのかかわり」をまったく立証できなかった。一審判決は次のように述べている。
「原告と暴力団との関係については、取材により得られた資料はなんら提出されておらず、他に客観的な裏付けはない」 「(ダイキが暴力団とかかわりがあるとする)前提となった事実が真実であるとも、これを真実と信ずるについて相当な理由があることも認められないから、本件論評部分が公正な論評の範囲内にあるということはできない」 興味深いのは、ダイキ側の顧問弁護士が法廷に提出した陳述書の記述である。
陳述書によれば、『週刊新潮』の記者は、ひととおり取材を終えたあとダイキ側にこう述べたという。
「記事にするかどうかは、私だけの判断ではできません。お聞きした限りでは確かに何もないと思いますが、やはりシャネルが相手というと、特に女性の方などが注目なさるのです」
実際に取材にあたった記者も、トラブルなど「何もない」という感触を得ていたのである。にもかかわらず、立ち退き交渉の相手が高級ブランドのシャネルであったため、読者の注目を集める話題性を考慮して、トラブルをデッチ上げてまで記事化してしまったというわけだ。
新潮社の雑誌が訴えられた数多くの名誉毀損訴訟。その法廷での新潮社の主張には、『週刊新潮』流ともいうべき特徴がある。それは、記事の真実性を客観的証拠によって立証しようという姿勢が乏しく、逆に、屁理屈とも思える強引な論理によって「名誉毀 損にはあたらない」とする言い逃れ傾向が強いことだ。
「自己正当化の論理と決めつけ報道
今回のダイキをめぐる訴訟でも、しかり。名誉毀損は「公共性・公益性・真実性」の三つが揃った場合には免責されるが、そのうちの「公共性」を主張するにあたって、ダイキが業務のなかで不良債権処理に協力しているのをよいことに、次のような苦しい言い逃れを展開している。
「不良債権の処理問題は、現在我が国が国を挙げて取り組む重要課題であり、莫大な税金が注ぎこまれている。(中略)したがって、原告の業務については、納税者である国民に広く知らせる必要があり、公共性がある」
だが、この記事の目的がダイキの業務を「納税者」に知らしめることにあるとは、とうてい思えない。どう見ても、立ち退きを要求しているのがシャネルであったことから、読者の下世話な好奇心に訴えた記事でしかあるまい。
また、「暴力団とのかかわり」うんぬんについても、大要次のような屁理屈を並べている。 “暴力団とかかわりがあると記事に書かれることは、「原告の業務における実力に対する評価を高めるものであって、原告の社会的評価を低下させるものではない」” 裁判では記事の担当デスクに対する証人尋問も行われたが、そのなかでもデスクは同趣旨の発言をしている。いわく−−。 「記事全体を読んでいただければ、ダイキの評価を決して下げるものではないと思いますし、読む人が読めば、非常に戦闘能力が高いといいますか、そういった不良債権処理の最先端の現場で頼りになる存在というふうに読み取れると思うんですけれども」 「暴力団とのかかわり」は、『週刊新潮』側が噂レベルの話で書き立てたことにすぎず、裁判では真実性を否定されたのである。にもかかわらず、“「暴力団とかかわりがある」と書いたことは名誉毀 損にあたらない。むしろ記事によってダイキの実力への評価は高まったはずだ」”というのだから、開き直りも極まった主張ではないか。
当然のことながら、裁判所はこの主張をしりぞけた。
この記事の担当デスクへの証人尋問調書は、『週刊新潮』の記事作りのずさんさを如実に示している。
たとえば、尋問で代理人弁護士から「ダイキが法外な立退き料を求めていることは明白だと(陳述書に)ありますけど、これはあなたの想像ですね」と質されると、あっさり「それは推測です」と認め、次のようにいう。
「ダイキだけが(立ち退きの)話がまとまっていないということにおいて、ほかのテナントが示された同程度の立退き料には納得していないというふうに推察しました」
また、記事の核心部分である「暴力団とのかかわり」については、次のようなやりとりがある。
「弁護士 暴力団関係と関係がなければ、パイプがなければ、こういう仕事(ダイキの業務)はできないんだというのは、あなたの想像じゃないんですか。
デスク 業界の常識だと思いますけども。
弁護士 それが業界の常識だとあなたは思ってるわけですね。
デスク そうです」
なんのことはない、先入観と憶測で決めつけて書いただけなのである。これでは、「記事は裏付けや調査が不十分で、真実と信じる理由がない」(判決書)と判断されて賠償命令を受けるのも当然だろう。
そして、筆者が本稿を執筆中にも、またもや新潮社敗訴の報が飛びこんできた。『週刊新潮』の記事で名誉を傷つけられたとして自民党の代議士が新潮社を訴えていた裁判で、東京地裁は三月二十三日、「記事が真実との証明がなく、真実と信じる相当な理由もない」として、新潮社に一〇〇万円の支払いを命ずる判決を下したのだ。
すでに出版界でも突出している新潮社の「敗訴記録」は、今後もますます更新されていくに違いない。
文中敬称略