海軍侍従武官手記
昭和天皇の生活描く
【暮らし】医療をまもる 学部長の奮闘2008年6月26日 遊戯室にあどけない歓声が響く。隣の部屋には、ベビーベッドでお昼寝中の天使たち−。山形大医学部(山形市)の敷地内に昨年一月開設された保育所「すくすく」は、付属病院の職員を中心に広く利用されている。特徴は、二十四時間保育。予約が入っていない夜でも、保育スタッフが常に待機していることだ。 医学部長の嘉山孝正さん(58)=脳神経外科教授=が、説明する。「女性の医師が深夜に急な手術の呼び出しで、子どもを預ける場所がなかったら困る。いつでも百パーセント利用できてこそ、セーフティーネット(安全網)なんだ」 その保育所の費用は「付属病院にコンビニを入れたら大黒字になって、その収益を回した」。 大胆な機構改革や先駆的な取り組みで全国の注目を集める山形大。機構改革のけん引車として走り回る嘉山さんは、人育てと地域医療の向上に情熱を燃やし、「医局の論理」に縛られがちな組織を改めてきた。その奮闘ぶりはデータにくっきり表れている。 付属病院に搬送される救急患者数は、長く年間二百件台で推移していたが、二〇〇〇年以降、うなぎ上りに増え、〇四年には千九百六十八件に達した。 救急部長を務めていた一九九九年に「学生の勉強のために救急医療は不可欠」と院内の態勢を強化。当直医や救急部が必要に応じて各診療科の病棟当直医に指示できる仕組みを作ったことで、地域の消防に信頼される病院になった。全国で産科医療の崩壊が進む中、山形県の妊婦の搬送拒否件数はゼロ(〇六年、総務省調べ)。 赤字続きだった付属病院の収支も、病院長時代の〇一年を境に黒字に転じた。各診療科ごとに器具を発注して在庫と廃棄の山を作っていた体質を改める一方、空きベッド減らし、患者紹介率の向上などコスト意識をスタッフに植え付け、地域の他の病院との役割分担やクリニックとの連携を強化してきた成果だ。 黒字経営を背景に、学部長二期目の〇六年度からは、給与に「診療の危険度」に応じた手当を新設した。 嘉山さんが委員長を務める「地域医療医師派遣適正配置委員会」は、地域の病院に派遣した医師を引き揚げる際、派遣先の病院長の意向を聞いて調整するという全国初の取り組みを実施している。公正性を保つため大学外の医療関係者、市民も委員に入っている。 こうした改革を進めるために、教授選考のシステムを大幅に改め、「学閥」の力を排除した。医療事故につながる恐れのある小さなミスを隠さず報告することも徹底した。 教育面でも「試験を厳しくしたら、学生が目の色を変えて勉強するようになった」。かつては医師国家試験の合格率ランキングで下位を低迷していた山形大が、今年は国立大の一位になった。入試の偏差値も、都会の一流医大に迫る。 ハード面では、がんセンターの創設、世界で数台しかない重粒子線治療機導入の計画が進む。 「世界トップクラスのメディカルセンターを作りたい。世界中から来た患者さんが周辺の温泉に入りながら、最先端のがん治療を受けられるような施設にしたい」と嘉山さん。アメリカで最も有名な医療機関・メイヨクリニック(本部ミネソタ州ロチェスター)が、地域の経済を支える基幹産業になっているように「高度な医療と人材を山形の看板に」と夢を語る。 毎朝五時に出勤するという嘉山さん。リーダーの力によって組織は大きく変わる。医療崩壊が進む中、国公立大医学部が地域にできる貢献のあり方を、山形大の取り組みは問い掛ける。 (安藤明夫)
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