数年前、脳性まひによる障害がある男性が、自分で作詞した歌を仲間とライブで披露することを記事にした。書いた文章は「脳性まひの障害を抱えて作詞活動をしている…さん」。本社の整理部(現・ニュース編集部)が付けた見出しは「障害乗り越え…あすライブ」。前夜、組み上がった記事に何の違和感もなく、そのまま掲載された。喜んでもらえたか、と思いきや「自分の思いとは違う」と指摘が来た。障害を乗り越えてなんかいない、障害ととともに生きている、という趣旨だったと思う。
新聞記事では、不快感を与える表現を細かく制限している。例えば「障害を持つ人」の表現は「障害がある人」に。自分から障害を持ったわけではないからだ。
そのほか、車マニアをカーキチ、熱狂的阪神ファンをトラキチと書くのも精神障害に対する配慮から姿を消した。「職場の花」「才(さい)媛(えん)」「才色兼備」は女性をことさら強調し、特別扱いしているので駄目。「鍵っ子」は子どもにレッテルを張ることになるので避け、比喩(ひゆ)的に使う「三日坊主」はよいが「坊主刈り」は丸刈りに言い換え、となかなか難しい。
大切なのは単純に言い換えればよいのでなく、相手の側に立って考えること、と記事の基準集にある。今思えば私の書いた「障害を抱える」も、健常者(これも嫌な響きだ)目線の主観がにじんでいる。その男性に対し、いったんは反論したが、結局は言葉に対する自分の感覚の鈍さを反省。彼はその後も時折メールで連絡をくれる。今も忘れられない一件だ。
(津山支社・道広淳)