| 12月26日 |
昨日でクリスマス・ヴァージョンの表紙は終わりにした。新年に向けて、とりあえず替り映えのしないものを作ってみたが、少々の間お許しを!
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| 12月25日 |
ここのところ、ビデオの編集でホームページの更新ができなかったが、ビデオは好評で、編集した甲斐があった。できれば、このホームページを見ている方にも見せたいところだが、容量がとてつもなく大きいので、そうもいかない。
いつか、インターネットで簡単に見せられることもできようが、今のところ家庭用のPCでは限界がある。
ビデオを撮る人は多いが、音楽、字幕、効果音を入れて編集して見ている人は少ないだろう。
でもビデオは編集してこそ、その妙があるし、繰り返し見たくなるのだ。撮りっぱなしのビデオは、1回見たら繰り返して見ないだろう。写真も撮りっぱなしで、アルバムに整理していなければ、見る気も起こらないと同じように。
北海道に一緒に行った人は、私の編集したビデオを見て、「本当に北海道に行ったんだ」ということがわかったと言っていた。
ビデオの編集はPCで簡単にできるのである。ただし、ある程度のセンスは必要だが。
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| 12月13日 |
人間の内面は、宇宙より広いか。
私は人間の内面も宇宙規模に等しく広いと思っている。
宇宙は今のところ、有限か無限かわかっていない。どちらの説もあるからである。
しかしながら、有限説のほうが強いのではないか。ビッグバーン理論にしても、爆発して増殖する超新星の発見しろ、宇宙が無限であれば、宇宙の始まりも終わりもなく実時空間と虚時空間が繰り返されたり、超新星の爆発により広がり続けたりしないからだ。
また、すべての物質に質量がある以上、空間はどこかでゆがむ。とすれば、どこかに果てがある可能性は高い。あらゆるものに質量がなければ無限に広がっているということも言えるのだが。いずれにせよ、人間の感覚からすれば無限に近いものがある。
一方、人間の内面はどうか、人間の内面は、人間ゆえにごく小さいものにしか見えない。当然、器として比較すれば宇宙の広大さが勝るだろう。
しかし、宇宙の果てまでも想いを馳せる人間の内面が、その宇宙をも包含していると仮定したならば、人間の内面は宇宙に勝る。なぜなら宇宙は人間により知覚されるからだ。人間がいなければ、宇宙は存在しない。
逆もまた真なりであるが、人間の頭脳、精神、心あるいは魂といったメカニズムは宇宙と同様解明されていない。これだけ科学が進歩した現代においてもである。それだけ、奥が深くこちらも果てが見えない。1億人いれば1億人の内面があり、すべて同じではない。
よって、私は人間の内面は宇宙と同じくらいに広いものだと思えるし、よく言われているように人間は宇宙に較べちっぽけな存在でもないのである。
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| 12月13日 |
このホームページでは、文学、映画、美術に関してのごく短い私論のようなものを記載しているが、詳細を語ることはしないつもりである。公開されていない全く自分だけのものであれば別であるが、公開されている以上、見ている方に余計な固定観念や先入観をあたえたくないからだ。
また、作品に対する私なりの解釈や思い込みを書いているので、すべてが正しいとは限らない。間違った思い込みも多々あると思う。
もしも、もっとある事柄に関して詳しく知りたいことがあれば、インターネットで検索すればいくらでも情報は手に入る。しかし、それはあくまでも他人の考えごとなので、鵜呑みではいけないのである。参考にとどめるべきである。
結局のところ、自分はどう感じたのかを大切にすべきだと思う。
ともあれ、私が書いていることが見てくれている方の参考になれば幸いである。
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| 12月 5日 |
11月29日、ジョージ・ハリソンが死去した。12月1日の朝日新聞に彼は意欲的にバングラディシュ難民救済コンサートなどを開催し、小さな国に世界の目を向けさせたさきがけとしてその功労を賞賛していた。
私がビートルズを初めて耳にしたのは小学校4、5年のころだったろうか。『A
HARD DAYS NIGHT』か『HELP』だったような気がする。レコードは中1のときに『HEY
JUDE』を初めて買った。しかし、そのレコードも兄の持っていたローリング・ストーンズの『JUMPIN
JACK FRASH』と交換した。
ビートルズが武道館で演奏したとき、日本では御三家といわれる橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦のあと、GSブームが短期間だが続いており、ブルーコメッツやスパイダーズがビートルズの前座をつとめた。
ビートルズの音楽を聴きにきたのか、叫びにきたのかわからない若い女性たちは、演奏も聴こえないほどキャーキャー叫んで失神し、コンサート終了後の客席は水浸(失禁)しだったという。
ビートルズの中でも私が好きだったのは、『While my guitar jently weeps』、『Here
comes the sun』などのジョージ・ハリソンの楽曲だった。
彼のBEST盤を除く最後のアルバム『GONE TROPPO』は哀愁を帯びた曲調で、私の好きなアルバムの1枚だが、音楽評論家の評価はイマイチだった。ちなみにビートルズ・ファンが口々に傑作アルバムという『SGT.PEPPER'S
LONELY HEARTS CLUB BAND』は私好みではない。
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| 12月 4日 |
ねぼけ夫人の雑記帳に、ラヴ・サイケデリコが登場したが、彼女には才能を感じる。私には、『AUTOMATIC』の宇多田ヒカル以来の新人ではないかと思う。70年代風の洋楽の雰囲気に新しさをにじませて、何かけだるさを漂わせた歌いかたも好みである。
私は『YOUR SONG』以来の隠れファンであるが、彼女のファーストアルバム『The
Greatest Hits 』は、その名のとおり、すでにベスト盤であると賞賛されたし、楽曲もよい。
女房は、彼女の『LAST SMILE』を聴きながら、危険な感じがすると呟いていたが、そんな妖しささえも湛えている。
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| 11月30日 |
今から9ヶ月ほど前、結婚式でスピーチをする機会があった。そこで私は、仮面夫婦の話をしようとしたのだが、女房に止められてしまった。芸能関係者の離婚でよく使われる仮面夫婦の意味ではないのだ。
安部公房の言葉に、『愛とは、お互いいくつもの仮面を見せあうことで、その仮面が尽きたとき、愛も尽きる。』といった言葉がある。
結婚する前、どんなに熱愛していたとしても、お互いが1枚の仮面しか持ち合わせていなければ、相手の底が知れてしまうのである。底が知れるということは、魅力が尽きてしまうということであり、いくつもの仮面を持ち合わせていなければ、飽きたり飽きられえたりして、相手の神秘性さえもなくなってしまう。そうなると、当然会話もなくなる。
そう、神秘性こそが夫婦には必要なのである。お互いの存在がなくてもいいような夫婦生活を続けないためにも、仮面夫婦であり続けるようにと、面白おかしくスピーチするつもりだったのであるが、仮面を作り続けるのは、大変な自己努力が必要である。
その努力は、やはり愛と呼ぶにふさわしいのかもしれない。
私は、あといくつの仮面を残しているのか、今夜、数えながら寝るとしよう。
きっと、すぐに眠れるはずだ・・・!?
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| 11月29日 |
私は少し前、2年間ほど教壇に立っていたことがある。そこで授業の本題に入る前の導入として、古き時代の中華の話・・・主に諸子百家と呼ばれる説客(今でいう学者や評論家)、軍師等の話・・・をして、結構これが学生に受けていた。そうしたことから、私が中国好きであると、ごく一部の学生から思われたのである。
中国の話をしたからといって、中国好きだとは限らないだろう。
私が興味あるのは、今の中国ではなく、想像もできないようなはるか昔の中華での出来事と人物である。そこでの出来事や人物が残してきた書物には今の日本語の起源や様々な意味があり、東洋思想も読みとれるからである。
読みとれるといっても、ごく浅い知識しかないので心苦しいが、たとえば、老子の思想で「無為自然」という言葉について私は、
この世の名誉欲・・・他人よりも評価されたいといった欲望・・・や、物欲・・・他人よりもお金持ちでいたい。いい物を持っていたいという欲望・・・等は、幻想に過ぎない。そうしたものは、人と人がいて比較するという相対関係(集団になれば共同幻想が生じる)でしか生れないのである。相手がいてこそ、そうした欲が生れるのであり、相手がいなければ生じるものではないのである。本能的な食欲等は別であるが、そうしたものにとらわれることなく、
「すべてをあるがままに受け入れて、生きよ」
という意味に解している。
ビートルズが歌った「let it be」と同意義だろう。ただ、中には「何もしないで乞食同然に生きる」と否定的にとらえ、老子の思想を侮蔑している人もいるが、これは本人のとらえ方の問題なのでどうしようもない。
「無為自然」という言葉は、人の生き方を楽にさせる言葉ではないだろうか。多くの欲望は幻想に過ぎず。所詮、死んでまで持っていけるものではないものである。ただし、自分本来の姿をより高い次元へと努力することは無駄でもないし、素晴らしいことである。でも、それが高尚だとか、人より優れていると思い込むのは、自己満足に過ぎないのではないだろうか。もっとも、自己満足でしか人は生きていけないのかもしれない。
私は運命論者ではないが、唯一運命と言えるのは、人はみな等しく生を受けたその瞬間から死を宿し、生きれば生きるほど死に近づくという哀しい定めを背負った存在であるということだろう。
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| 11月21日 |
敬子主宰の「みんなの写真館」のページで、顔真卿の話が出ていたが、時代は中国の唐王朝(紀元750年ころ)で、ときの皇帝は玄宗である。玄宗皇帝は正妻に痩せ型の梅妃がいたが、太目の楊貴妃・・・それも自分の息子の妃であった・・・を寵愛し、彼は政治を顧みることなく、楊貴妃と風雅を好んで生活を送った。
その結果、楊貴妃の血縁で朝廷の高位が占められ、政治は腐敗する一方であった。楊貴妃の血縁者で朝廷のトップが安禄山であり、当然快く思っていない旧来からの朝臣が、「安禄山は皇帝の地位を狙っている」と誹謗し、安禄山は逆臣とみなされ、安禄山討伐隊が結成され、安禄山は反乱を起こさざるをえなくなった。ここから安禄山派と朝廷派の闘いとなり、安禄山は朝廷派により討伐され、楊貴妃も玄宗皇帝の目の前で斬首される。それを泣きながら見ていた玄宗皇帝は何も言えなっかったという。確か、そんな展開だったと記憶する。
楊貴妃は、日本ではクレオパトラ、小野小町と並んで世界3大美女に数えられるが、中国ではそうでもないらしい。
中国では、美女を「傾国(けいこく)」というが、その意は、美貌で国を危うくさせるほどだということである。傾国に至らない美女は「傾城(けいせい)」と呼ばれる。楊貴妃は城を危うくさせた程度であり、傾国の次の傾城に過ぎないらしい。
ちなみに、傾国に上げられる美女は「西施(せいし)」だという。西施は美貌ゆえに、池にたたずむと、その姿見たさに水鳥があつまり、空一面をおおって真っ暗になったという逸話があるが、西施は悲劇のヒロインである。
彼女は利用されたのであるが、話は長い。
春秋時代と呼ばれる紀元前500年ころ、呉越同舟という故事もあるが、呉と越という国が互いにいがみあっていたころのことである。呉に闔蘆(こうりょ)という王がいて、彼は孫武(そんぶ〜孫子)を軍師に迎えたあと、富国強兵のもと国力を富まし、楚という国を打ち、中原(黄河流域の中国の主要地域)に覇を唱え全盛を誇った。
しかし、孫武がいなくなった後、兵力の低下した呉は、越の王・勾践(こうせん)に敗れることになる。
闔蘆の子・夫差(ふさ)は、勾践への復讐を遂げるべく、父親の死を忘れないように、薪の上で横臥し自分の身を苦しめることによって戒めた。そして国力を富まし、ついに勾践との戦いで勝利した。
会稽山(かいけいざん)に追い込まれた勾践は、屈辱的な講和条件のもとに夫差から許しを得る。夫差は、戦いに勝利した者の奢りからか、臣下たちの勾践を殺せという言葉もきかずに捕虜として生かしたのである。
勾践は、范蠡(はんれい)という有能な臣下を持っていた。勾践は范蠡に捕虜として従順に使えるように諭される。勾践は従順を装いながらもトイレの前に熊の胆をつるし、用を足すたびにその苦い胆を嘗め夫差への復讐を忘れなかった。(食事のたびに胆を嘗めたという説もある。とりあえず、これらのことから『臥薪嘗胆』という故事が生れた。)
勾践が捕虜となっている間、范蠡は国力を富ませるとともに、呉の衰退をもくろむ手段を考える。范蠡は夫差の女好きに目をつけ、国中から美女を募り西施を見つける。范蠡は西施に夫差を骨抜きにするよう因果を含め、夫差に西施を貢ぐ。
一方勾践は、夫差の病の折に夫差のクソまで嘗めて、「もうじき病気は全快するでしょう」とまで世辞を使い、そのとおり夫差の病気は回復した。夫差はそこまでする勾践を信用し、国もとに帰ることを許してしまう。
その結果、西施に骨抜きにされた夫差は政治を顧みなくなり、どんどん呉の国力は低下していった。その隙に勾践が立ち上がり、夫差ともども呉を攻め滅ぼし、会稽の恥(これも故事として使われている)をすすいだのである。
西施の美貌を見ている勾践は、范蠡に西施を連れ戻すように命じるが、西施は役目を終えたものの国もとに帰らず自害する。一説には勾践が夫差の二の舞にならないよう范蠡が殺害したとも言われる。
范蠡は、こうしたこと(馬鹿な王に仕えること)に嫌気がさしたのか、勾践のもとを離れ、斉という国に移住し、陶朱公(とうしゅこう〜以来富豪の代名詞に使われた)と名を変え商人として活躍し、巨万の富を得たのである。
中国は壮大な嘘つき話が得意だから、これらのことすべてが事実とは言えないだろうが、話は面白いし、われわれの人生の教訓になりうるのも事実である。
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| 11月16日 |
11月14日、15日と北海道の稚内に行ってきた。北の最果て稚内はすでに雪景色、宗谷岬は寒風が吹きすさび、凍えるような寒さだった。昨年は、同じ時期に札幌、小樽に立ち寄り、どこが北海道なんだと、少しがっかりしたが、稚内は、イメージ通りの北海道だった。
これも旅人のエゴというものだろうか。
もっとも、住民たちは雪が積もってしまうと、「アーァ」とがっかりしてしまうとのことだが。
私は思わず「襟裳岬」を口ずさんでしまった。
北の街ではもう 悲しみを暖炉で燃やしはじめているらしい
わけのわからないことで
悩んでいるうちに 老いぼれてしまうから
黙りとおした年月をひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は何もない春です 作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
稚内の冬も何もなかった! |
| 11月 9日 |
文学、美術、映画とコメントを書き進めているが、ほとんどは資料を見ずに記憶を頼りに書いていることから、ひょっとしたら勘違いしていることを恥じも外聞もなく書いているかもしれない。
時間的ゆとりがあれば別だが、今のところこの方法でしかできないのである。
もしも、このホームページを見た方に、私の勘違いをそのまま伝えることになったらと思い、あらかじめ、ここに謝罪しておきます。
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| 11月 2日 |
ひとりごと
芸術、あるいはそれに類するものの良し悪しの判断は、観ている人がどう感じるかという受け止め方によって決められます。十人十色と言われ、10人いれば10人の考え方があり、すべての人の意見が一致するということは稀なことでしょう。偉大な芸術作品を見て、その人が何も感じなければそれまでなのです。
また、芸術等の鑑賞は、あくまでも受動的なものであり、観たとき、読んだときには、それほど大きな感動がなくても、知らず知らずのうちに、ある作品が自分の血となっていたなんてこともあります。
ですから、どんな映画や文学、美術等に対して、自分がいいと思ったものは、その人にとって、いいものなのです。どういう風に感じなければいけないという規定も当然ありません。
でも、それでは自分の世界が広がらないのではないかと思うのです。
誰でも最初は初心者なのです。たとえば、野球にしたって最初からプロ並みにプレーできる人は誰もいないのです。先輩や他の優れたプレイヤーの技術を見て、実践あるいは模倣してしてみて、だんだんうまくなっていくのではないかと思います。
芸術に対する理解も同じように、古典と呼ばれるものを読んでみて、観てみて、聴いてみて、そして最近のものと比較してみる。そうした作業を重ねていくうちに、自分が何を本当に欲していたものなのか、あるいは自分が何を待ち望んでいたのか、わかって行くのではないでしょうか。難しそうだということで最初から忌避していては、本当にいい作品にめぐり逢うことはできないでしょう。別にめぐり逢いを期待していなければ、それでも結構なのです。
つまり、最近の作品しか知らなければ、それ以上のことはわからないのです。片方の入口を閉ざしてしまっているから、そこから、大きな世界へと広がっていかないと思うのです。
私も最近の映画(ただし、ビデオ、DVD、衛星放送をテレビで)はよく観ます。しかしながら、「こういう映画もあったのか!」というような新たな驚きや発見、そして感動するものは少ないように感じます。
確かに、映像技術の驚きはありますが、それは映画の表面的なものにしかなりえず、テーマ、モチーフといった内面の深さにはなり得ないのです。
私がCINEMAのページ(My Bookも同じ)であげたものは、決して難しいものではありません。世界の映画関係者・評論家等の目から見れば、かなりポピュラーなものではないかと思います。
もっとも、世界は気の遠くなるほど広いものかもしれませんが、世界はいつでも私たちに向かって開かれているのです。
ただ、そこに一歩を踏み出す決断をするのは、私たち自身なのです。
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| 10月30日 |
ごく内輪の中では「夢の美術館」が好評であるらしい。しかし、「夢の美術館」には限界がある。それは多くの画像をホームページに収容できないからだ。何かいい圧縮ソフトはないものだろうか。
右の写真は17年半前、パリのルーブル美術館で撮った写真であるが、バックの絵は「夢の美術館」にもあるアングルの『ヴァルパンソンの浴女』である。
また、「夢の美術館」のテキストの背景は、ルーブル美術館の壁の色を意識して作ったものであることをわかっていただけようか。(H14.5.5からは替えている。)
これを書くと女房は怒るかもしれないが、この時、この絵が誰の作か、またどれほどの価値のあるものか女房は知る由もなかったのである。
しかし、もう一度現在の知識を持って観なおしてみたいと女房は呟いている。
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| 10月23日 |
ようやく、このホームページも形が整ってきた。だが、決して完成に近づいたのではない、おそらく完成することはないだろう。
なぜならこのページを書き続けている以上、完成はないし、他のページも同じである。
おそらく、小説家、映画監督らも自分の作品が完璧に仕上がったという満足感を持って、世に出した作品はないのではないか。出版期日、公開期日等に迫られながらも、きっと、どこかで妥協したに違いない。映画でいえば、ディレクターズ・カット版などが出るのが、その証ではないだろうか。
そういえば、ドストエフスキイも新聞の発刊期日に迫られながら原稿を書いたという。彼が経済的にもゆとりを持って小説を書いていたら、いったいどんな小説ができたのだろう。
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| 10月17日 |
予想以上の方達が、このホームページを訪れてくれて、何か恥ずかしい思いがしないでもないが、パソコンに関する多くの知識がなくても、「誰にでもホームページが作れる」のだとわかってもらえば、それでいいことではないかと思う。
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平成13年
10月15日 |
このホームページを作り創めたときは、ただ興味半分だったのが、今では、ここにこうして、一文字づつキーボードをたたきながら、つたない文章の一破片(ひとかけら)でも打ち込んでいけば、何かが残っていくのではないかという思いがしてならない。
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