平成14年 1月 8日〜平成14年12月31日

                                            
12月31日

2002年の全米映画総興収記録は、

1位 スパイダーマン 4億370万$
2位 スターウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 3億949万
3位 ハリー・ポッターと秘密の部屋 2億2882万$
4位 サイン 2億2738万$
5位 マイ・ビッグ・ファット・グリーク・ウェディング 2億1776万$
6位 オースティン・パワーズ/ゴールド・メンバー 2億1307万$
7位 メン・イン・ブラック2 1億9041万$
8位 アイス・エイジ 1億7638万$
9位 スクービー・ドゥー 1億5328万$
10位 リロ&スティッチ 1億4577万$

だそうであるが、私はまだこの中の1本も観ていない。ちなみに、日本は1位が『ハリー・ポッターと秘密の部屋』、2位は『スターウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』だとか。
12月28日

  BS・NHK11ch でやっていた『吉田拓郎デラックス』を観た。スタジオ・ライヴだから音もよく、臨場感たっぷりに楽しめた。ちなみに、観客は私と同世代近くの人ばっかり、わずかに若い人も見られたが、私はこれでいいと思う。最近、拓郎を意識した曲が流行っていたが、拓郎のよさは、一部の若い人しかわからないだろう。

 今思えば、『今日までそして明日から』は、私が15歳のときの曲であり、私の拓郎体験が高校1年の終わり近くの学園祭だから、リアルタイムに聴いていたと思っていたにもかかわらず、それでも、若干遅かったことになる。

 私はこのライヴを観ていて、ここで演奏しているミュージシャンの一人になれていたらどんなによかっただろうと、つい思ってしまった。
12月25日

  今週の日曜日、新しいアンプが届いた。DENON製のPMA−S10VL_
Nはステレオ雑誌等でベスト・バイ・コンポに選ばれているほどのプリメインアンプの名機である。最も、10年くらいたった古いアンプもサンスイの907シリーズで、これも比類ない名機に違いない。いったい、サンスイはどうしたのだろう。新しい製品が出ていない。つぶれてしまったのだろうか。S10VLは値段的には当時のサンスイ907シリーズよりも数万円高いだけなのだが、一音一音が引き締まっていて、レンジの広がり感が違う。音があふれると言ったらいいのだろうか、ヴォリュームを上げたとたんに、音がよくなったと感じ嬉しくなった。
 となると、古くなったCDプレーヤーも買い換えたくなってしまう。そのためのへそくりもあるにはあるのだが・・・。

 世の中はクリスマスである。このクリスマスもキリストの誕生日ではない。ヨーロッパでは、キリスト以前から冬至を太陽の誕生日として祝う習慣があり、これにキリストの誕生日をあてはめただけなのである。ドイツ、オランダ、スイスなどでは12月6日にプレゼントを贈るという。その理由はプレゼントをもってくる聖ニコラスの祭日がこの日だからだ。聖ニコラスは4世紀ころにいた司教で、貧しい娘の嫁入りの持参金として、夜中に金貨入りの財布を投げ入れたという伝説的な人物。オランダ人がアメリカに移住してから、この『サン・ニコラス(聖ニコラス)』が、いつの間にかサンタクロースに変わったのである。

 私としては、聖ニコラスがサンタクロースに変わったことよりも、我が家のコンポの音が変わったことのほうが興味深い。
12月18日

  新川二郎という歌手をご存知だろうか。「雨の外苑 夜霧の日比谷・・・・」という歌を唄っていた歌手である。私が小学校の高学年のころ流行った曲である。当時この曲は一世風靡し、知らないほうがめずらしかった。その新川二朗が経営し息子がシェフをやっているレストランが松戸市内にある。今日はそこで、あるセクションの忘年会を行った。また、主人である新川二朗も顔を出した。

 実は、昔、私の女房の母親が新川二朗の大ファンだったのである。そんなことを、私は新川二朗が顔をだすまで、つい忘れていたのであるが、彼が顔をだしたことで思い出し、女房の母親に携帯電話をかけて、新川二朗と替わったのである。母親は予想外のことで面食らったろうが、新川二朗はファンだと知ってうれしそうにしていた。母親もまた嬉しかったに違いない。

 ついでに私は、「雨の外苑・・・」とまず第1番目に唄う羽目になってしまった。初めてカラオケで唄う曲である。私としては洋楽とかポップスしか唄わないのだが、当時の歌謡曲は影響が大きかったのか、カラオケで唄ったこともないのに意外にすらすら唄えたのである。一度も唄ったことがないのに・・・若干の狂いはあるにせよ・・・唄えてしまうのだ。それだけ単純なフレーズだったのかもしれないが、いま流行りの曲と違って何十年経っても唄えるというのは、その曲自体がやはりすごい印象だったのだろう。

 それにしても人間の記憶というものは不思議なものだ。昔の曲は何十年経った今でも唄えるのに、最近の曲は知っていても唄えないのである。どう若ぶっても、私もおじさんになってしまったということなのだろうか。
12月 1日

  『宮城谷昌光の物語世界・其の壱』の特集を組んでいることは、11月13日にも書いたが、ようやく予定していた半分が終わった。はじめは、何の考えもなしに作っていたが、これは大変な作業だとようやくわかってきた。
  何が大変か、それは、物語のあらすじを書く作業である。書評なら自分が感じたことを書いているから、何のことはないのだが、あらすじは、もう一度読み返さないとかけないし、流れがわかるように書くのは取捨選択作業が必要だから、作品を単に読む以上の時間がかかるのである。
  そんなことで、My Book、映画や美術館は更新できない状態である。こんなこと書くと、ただの言い訳けになってしまうだろうか。
11月24日

 このHPの表紙のBGMの『天国への階段』を女房が痛く気にいって、訳詞を知りたいということだから、記しておく。
  レッド・ツェッペリンの4作目のアルバムの4曲目にある本作の作詞は、グループのヴォーカルであるドバート・プラントが書いた。この詩を読んで同グループのギタリストであるジミー・ペイジが非常に感銘したとか。アルバムのパンフレットの中に、この曲だけ詩が記載されていることからみても、いかに、この詩にグループのみんなが入れ込んだのかが窺い知れる。

                     
『天国への階段』

ほら ここに貴婦人が一人 きらきらと輝くものは 
すべてが金であると信じて疑わない
そして 彼女は天国への階段を買おうとしている
そのとき もし全ての店が閉まっていたとしても
彼女が ひとこと言えば 
差し出してくれるものと 彼女は信じきっている

ほら城壁には 兆しが見える 
しかし 彼女は信じたいのだ 
なぜだかわかるだろう 言葉には往々にして二つの意味があるからだ小川のそば 木々には鳴き鳥が歌っている
われわれの思想の全ては しばしば疑わしいものだと

ぼくにはそれが不思議でたまらない
ぼくはそれが不思議でたまらないんだ

ぼくが西方を思うとき ある感覚に襲われる
そして ぼくの魂は 別れの悲しみに泣き叫ぶ
ぼくの想像力で 煙の輪が 樹木を貫いているのが 見えたんだ
そして それらの声は じっと こっちを見守っている

ぼくには それが不思議でならない
ぼくには それが不思議でならないんだ

その囁きは じきに ひそひそとはじまるはず
実力者の陰に隠れてでも
そして 笛吹きは ぼくらを理性へと 導くだろう
立ち尽くしたままの 彼らのために
新しい夜明けはくる 
そして 森には笑い声が 響きわたる

あなたの傍で 騒ぎが起こったとしても
警戒する必要はない
それは 五月姫のために 春の大掃除をしているだけだから
そう ここに 基準になるべき 二つの道がある
ただ 結局最後には 時があなたの行く末を変えさせ続けるだろう

ぼくには それが不思議でならない

自分の知らない事は起こりえないと
あなたは 気軽に考えている
笛吹きが あなたを誘いにやってきた
親愛なる貴婦人よ 風が吹いているのが聴こえるだろうか
そして あなたは知っているだろうか
あなたの階段が 風の囁きの中で
嘘をついていることを

ぼくらは まるで風のように 路上に投げ出された
だから 落とされたぼくらの影は 魂よりも 雄弁である
さあ 歩くのです 貴婦人よ ぼくらは全てわかっている
白銀に輝く あなたが見たがっているものを
全てを黄金に変えさせる力を
さあ つらくても 耳を傾けるのです
そう やがて旋律があなたを襲うでしょう
全ては一つに 一つは全てへと還るそのとき
全て石に還るのだ 再び転がることはない

そして 彼女は天国への階段を買おうとしている
 
11月23日

 今日、クリスマス・シーズンに向けて表紙を替えた。でも、相変わらずのビン男の放浪シリーズにしている。

 ところで、このHPは、はじめニフティだけに頼っていた。しかし、『夢の美術館』や『特集』と組むうちに、とても容量が足りずに困っていたところ、我がマンションがブロードバンド化することになり、キンデンというネットワーク会社のサーバーで、50メガバイトの容量が確保できたことから、『夢の美術館』や『特集』は、こちらのサーバーで表示することにしたのである。

 私は、訪問者の数は一つの表示でいいと思って、カウンターの設定は各ページにしておいて、表示はしていなかったのであるが、つい最近ふと、サーバーが違うとカウント件数も違うのではないかと、あらためて表示してみたら、『夢の美術館』は12000を超えていてびっくりしたのである。

 おそらく、『夢の美術館』や『不可思議・マグリット』はインターネットで検索してすぐに出るからだろう。他のページは最近検索して出るようにしたので、おそらく、あと1ヶ月近くは検索結果に反映されないだろう。
11月13日

 いま、『宮城谷昌光の物語世界』と題して、新特集を作っている。待望し久しい彼の新刊にお目にかかれるのはまだまだ先のことだろう。かといって、彼が執筆をサボっているわけではない。宮城谷昌光の『三国志』、『香乱記』等連載もので精力的に活動している。おそらく、1、2年後からはまた新刊出版の嵐が巻き起こるだろう。
 それとともに京極夏彦の京極堂シリーズも今年の暮れあたりに出るのかと期待しているのだが、どうだろう。
 私の手もとには、大江健三郎の新刊もあるが、いまのところ、『宮城谷昌光の物語世界』を作りあげるのに精一杯である。
11月 2日

 外国人名の表記は難しい。例えば、画家のゴッホは正確に言えばコッホと呼ぶのだろうし、そう表記してある美術書もある。ボシュはボス、ボッシュ等まちまちで、ボッティチェリはボッティチェルリ、ボッチチェリ等、これもまたそうである。そして、フリードリッヒはフリードリヒ。作家のドストエフスキイは、ドストエフスキー、ドストエーフスキー。
 私は、自分の好きなほうで記載しているが、このHPを観る人によって違うんじゃないかと感じる人もいると思うので念のために申し添えておく。
10月31日

  正確には、昨日、巨人が4連勝で日本一となった。私としてはこの結果は目に見えていた。それは、西武の伊原監督が、日本シリーズの前で吐いた、『にっくき、巨人を倒す』という言葉で勝敗が決まったような気がする。

 私としてはこの言葉に嫌気がさすとともに、おそらくこんな言葉を吐く監督が日本一になるはずがないと思っていたが、やはり、そのとおりになってよかった。
 驕れる西武・伊原監督が勝てるはずはなかったのである。それは、古今東西の歴史上の戦いにもうかがえるのである。
 もう少し、西武にしおらしい姿勢があったら、この趨勢はどうなったのかもしれないが、こうした中、4連勝で勝ったことに巨人の意義があると私は思うのである。

 「驕れるもの久しからず」とはこのことを言っているのではないだろうか。
10月28日

  最近よくCM、TV番組の中で有名な絵画が登場する。トヨタ(?)の何の車だったか忘れたが、スーラの絵『
A sunday afternoon on the island of la grande jatte』から車が飛び出す。また、化粧品のCMではロセッティの偽物の絵の前で女性たちが、「肌が綺麗だわね。」と話し合っている。

 そして、9月15日にも書いたが、私が好んで観ていたTV番組『マイ・リトル・シェフ』の中のフランス料理店『プチ・エトワール』に飾られていたのが、シャガールの『Bridges over the seine』だった。

 スーラとシャガールの作品は、『
』のスライドショーに展示している。
10月25日

  これは、私の偏見かもしれないが、よくある『自伝○○』、『自伝的○○』という小説や映画には興味がわかない。どんな好きな作家でもそうだ。自分で語る自伝なんて、信じられないのである。人は自分の過去を多分に美化したり、誇張する。特に成功している人ならそうだろう。苦労したにもかかわらず、苦労とは思わなかったとか。貧乏で苦しい生活をしていたのに、貧乏が苦でなかったとか。人の裏切りに耐えた、耐えられなかったとか。愛した人を棄てたとか棄てられたわけとか。また、成功しなかった人は、必要以上に誰かをけなしたりとか、誰かのせいにしたりしたとか。

 そこにあるのは、ただの主観と誇張と美化〜あるいは誹謗もあるかもしれない〜に過ぎない。だから、私にとっては、参考にならない。中にはそうした自伝に感動したり、自分の人生の鏡にしたりしたりする人もいるだろう。でも私は、御免である。

 過去は、何がしかの脚色が施される。それも自分のいいように脚色される。なかったことも、さも、あったかのようにも書き換えることができる。自分にとって過去は、容易に作りかえることができる産物なのである。
10月14日

  HPをはじめて、今日でようやく満1年。最初はどんな形にするか試行錯誤していたが、ここまで拡張してしまっていいのかという疑問も残らないわけではない。何が疑問か。それは、あまりにコンテンツというか、内容が盛りだくさん過ぎて、HPの更新に多くの時間が費やされるということである。そのため読書量が以前より少なくなった。音楽を聴く時間も少なくなった。更に映画を見る時間も少なくなった。
 しかし、まだまだ書きたいことがたくさんあるということも事実である。本来飽きやすい性格なので1年も続くとは思わなかったが、こんなHPでも見てくれる人がいて、たまにお褒めの言葉をいただくとついその気になって、もっと内容のあるものを作ろうと思ってしまうのである。
 とりあえず、2年目に入り、よくよく調べると60メガまでHPの容量が使えることがわかったので、更に充実を図りたい。
 そこで、次の特集は小説家の特集を組みたいと、飽きもせずに考えている。
9月30日

  特集の第4弾として、8月24日から9月28日までの間、1990〜2001年の映画のチラシを特集した。
 また、HPの表紙をマイナーチェンジした。前回の夏休みヴァージョンからビンに入った男が主人公になりつつあるが、この男はビンから抜け出すことはあるのだろうか。そして彼の行き着く先は?
9月19日

  探し続けていた、ピンキーとフェラスの『マンチェスターとリヴァプール』、ブーツ・ウォーカーの『ジェラルディン』が、CDでようやく手に入った。いずれも、1969年に流行ったものである。特に後者は、日本だけでしかヒットしなかったので、手に入らないと思っていたが、ITのおかげで念願かなったわけである。
 しかし、不思議なことに、手に入ったとたん、どこからかでてくるもので、女房が図書館から借りてきたCDに、『ジェラルディン』が入っていたのには、がっかりしてしまった。

 最近では80年代の洋楽を集めたコンピレーションCDが売れているらしい。CMでも80年代の洋楽がよく使われているが、古さを感じさない。どうして80年代なのか。おそらく80年代音楽のドラマティック性からではないだろうか。昨今の洋楽はどうもメロディアスとドラマチックという面にかけており、印象に残る曲が少ない。洋楽の番組は、BSとショウビズ・トゥデイでわずかに見られる程度。80年代当時、ショウビズ・トゥデイのUKやUSAのベスト10の短い曲を聴いただけで、この曲をもっと聴いてみたいというものがあったが、最近は、ほとんど印象に残る曲がないのは寂しい限りである。
9月15日

  連続テレビというものは、毎週観なければいけないので、ほとんど観ないが、一話完結型のものならば、1回や2回観なくても話がわかるから、観ている。
 最近では『ごくせん』と『マイ・リトル・シェフ』を観た。『ごくせん』は、仲間由紀恵扮する通称「ヤンクミ」こと極道の孫が先生になり、問題児ばかりの落ちこぼれ学級を再生させるというよくある話だが、この先生がスーパーマンのように強い。そして、仲間田が普段使い慣れてないであろうやくざ言葉の台詞が、板についていないのがかえってよい。こんな女教師は、かつてなかった。もっとも、漫画が原作なのであるが。

 『マイ・リトル・シェフ』は、1日3組しか客を取らない『プチ・エトワール』というフランス料理店の話。この料理店のシェフを矢田亜希子が演じているが、このシェフは客に質問してから、その客に合った料理を作るのである。そして、料理で幸せな気分にさせ、喧嘩している夫婦や友人を仲直り、あるいは心通わせてしまう。『バペットの晩餐会』や『ショコラ』に通じる話である。料理の上手な母親のいる家庭からは、不良は出てこないと言われるが、私もそんな料理があれば一度食べてみたい。
9月 7日

  最近、日産スカイラインのCMのBGMが『アイム・ノット・イン・ラヴ』から、ウルトラボックスの『聖歌』に替わったが、当時ミッジ・ユーロが率いるウルトラボックスは80年代を代表するエレクトロポップスの代表格であった。今ではエレクトロ・ポップは下火で、ラップが主流といったところか。

 ラップといえば80年代から取り入れられていた。思い出すのは、マレー・ヘッドの『ワン・ナイト・イン・バンコック』、アフター・ザ・ファイアの『秘密警察』にラップが効果的に使われていたことだ。『秘密警察』はCDで手に入るようだが、『ワン・ナイト・イン・バンコック』は無理らしい。昔、FMでエア・チェックした音の悪いカセットで、我慢して聴くしかない。

 もうじき、HPの表紙のBGMとして短命に終わった『アイム・ノット・イン・ラヴ』を再登場させる予定である。

  そういえば我が家では女房が、CD−Rへの書き込み方法を覚えて以来、音楽に目覚めCDを聴きまくっている。それも自分で作ったCDを繰り返して! いつまで続くやら・・・。
8月25日

  もうそろそろ9月、海のシーズンも終わりだろうし、HPの表紙をリニューアルした。私をひろいあげてくれる人はなく、地球の海をさすらうことはやめて、遥か彼方の宇宙へ飛び出したが、地球へ帰る手がかりはつかめそうもない。今は『愛なき世界』が広がるばかりである。
8月17日

 『
』をリニューアルして、オープンした。前にも書いたが『〜』というからにはできるだけ多くの画家を入れたいのであるが、あまり多くしても開くのに時間がかかるという問題もある。とりあえず、アンディ・ウォーホル、エゴン・シーレと私の好きなユトリロを追加した。
 18年前、パリのモンマルトル周辺を歩いたとき、ユトリロとモディリアーニを思い浮かべながら歩いたことが懐かしい。
8月13日

 人間には、いろいろなタイプの人がいるが、文学の主人公から見た3つのタイプの典型がある。

ハムレット型
 シェイクスピア・著『ハムレット』の主人公。ハムレットはデンマーク王子であり、父王を毒殺して王位についた叔父のクローディアスや不貞の母ガートルードへの復讐と、オフィーリアとの悲恋に苦悩する。
 シェイクスピア四大悲劇(ハムレット、リア王、マクベス、オセロ)の一つでもある。
 ハムレット型とは、懐疑的で思索癖が強く、いつもあれかこれかという二者択一に悩み、決断を延期してしまう性格からきている。ドンキホーテ型に対していう。

ドン・キホーテ型
 セルバンテス・著『ドン・キホーテ』の主人公。誇大妄想にとりつかれ、愛馬ロシナンテに乗って騎士修行に出かけたドン・キホーテと、従者サンチョ=パンサが現実に直面してひき起こす荒唐無稽な冒険の数々を描く。
 ドンキホーテ型とは、現実を無視し、ひとりよがりの正義感にかられて、理想に突進する人物の類型をいう。思索的で実行力に乏しいハムレット型に対していう。

オブローモフ型
 ゴンチャロフ・著『オブローモフの生涯』の主人公。やさしい心と才能がありながら、全てに無気力で実行力を欠く青年貴族オブローモフの空しい生涯を描く。以後、オブローモフの名は、余計者の代名詞となる。

 全ての人がこれに属するわけではない。こうしたタイプの典型が見られるということである。
 ちなみに、私は、お金があれば、煩わしいことはなにもしないで生活を送りたいということでオブローモフ型、物事に懐疑的であったりする点でハムレット型か。
8月 7日

 私は、今から5年半前から2年間、東京の某所で教壇に立っていた。そのころ、パソコンが普及しはじめてきたころで、私はワープロがあればパソコンは要らないと思っていた。パソコンを持っている人が何をしているかといえば、ワープロ機能と同じことしかしていなかったからだ。そして、ただ字を打つだけならワープロで十分だと『パソコン不要論』を唱えていたのである。

 しかし、あるときマイクロソフト社の『パワー・ポイント』を使った教材を見たのである。この『パワー・ポイント』を使えば文字が動くし、映像や音も取り入れることができ、より効果の高い教材が作れると思ったのである。そこで初めて私は『パソコン不要論』を捨てた。年末にパソコンを買って、正月休みに、ろくに睡眠も取らずにパソコンと格闘し、ほぼ1週間で一通りの機能をマスターした。

 ワープロ時代は『かな入力』でキーをたたいていたが、このとき『ローマ字入力』に替えた。『かな入力』ではキーボードを見ながらでしかキーをたたけないが、『ローマ字入力』ではキーボードを見なくても打てることもわかった。
 そうこうしているうちに、今ではパソコンなしの日々は想像だにできない。

 私は仕事柄、いろいろな企業等で講話をする機会が多い。そこにプロジェクターがあれば、『パワー・ポイント』を使って話す。多くの人は、今までにない、話すだけの講話より、映像、画像、音楽、効果音を使った講話に驚きを示すし、「大変わかりやすかった。」と言ってくれる。

 一昨日、昨日と、ある市役所職員全員を対象とした講話を行ったが、本題の講話だけではつまらない・・・話している本人が?・・・ので、講話の途中『パソコンの楽しみ方』について10分ほど割いて、HPの面白さ、ビデオ編集、アルバム作り等の話をしたところ、大きな反響があり、講話が終わってから、「ああいうHPを作るのは、すごく時間がかかるのでしょうね。」とか「ビデオの編集すごいですね。」、「私もHP作りに挑戦してみますよ。」等との反応であった。

 「パソコンは、もうだいぶん前からやっているのですか。」との質問に「まだ4年も経たないです」と答えたところ、「エー」と驚くと同時に、自分でもできるのではないかという期待が、その人にも持てたのではないかと思う。

 文字だけを打っている人やゲームだけに興じている人たちには、パソコンはこういう機能があるのだと実際に見せてみないと興味がわかないかもしれない。また、取扱説明書だけではその機能を使ってみようという気にならないのではないだろうか。特に仕事で仕方なく使っている人たちは、余計にそうだろう。

 しかし、何かに興味を持ってパソコンをはじめると、思いもつかぬ楽しみがパソコンの機能の中にあることは確かである。
8月 4日

 今だから話せる。

 私は、学生のころ落語研究同好会(別名フォークソング・クラブで、歌もうたっていた。)に入っていた。私の高座名は料亭板前、1年先輩の姉弟子が料亭女中、2年先輩で師匠かつ会長が料亭おかみ。その他、1年生の新人には矢目亭冗談、蝶々家みんみん、○○亭駄馬、酔眼亭小虎、○○亭腰枕などがいた。(○○は忘れてしまった。)皆変な名前で、電車の中で名前を呼び合うと周りの人たちが怪訝な顔をしていた。それはそうだろう。「おい、腰枕」とか「冗談、早くしろよ」、「板前、女中さん何て言ってた」とか聞いている人は、こいつらなんだと思うに違いない。

 面白いのは名前だけではない。人物も変わっていた。ガラスを食べるやつ。ご飯にヘアリキッドを振り掛けて食べるやつ。目を開けたまま眠るやつ。奇人変人の集まりだった。

 私はこの同好会に1年だけいたのだが、この同好会に入ってからというもの毎日が面白おかしくてたまらなかった。大声で笑わない日はなかった。それだけに、自分の勉学への不安もなくはなかった。しかし、その不安を消し飛ばすほど面白かった。そして私の下宿は学舎に近かったため、雀荘と化した。

 私が、この同好会をやめた理由は、女房だけは知っているが、当時の同好会仲間は誰も知らない。
 その理由は、私の師匠の「おかみ」がHOMOだったのである。

 私は、同好会に入会した当時から、「おかみ」にどういうわけか気に入られ、自分の門下生にしてくれたのである。練習するときも、私に向ける目が全然違うのだが、そのときはまさかそうだとは思いもよらなかった。
 そういえば、学園祭のオカマバーの催しに私を誘い・・・私はいやいや行ったのだが・・・「おかみ」がそこで大はしゃぎしていたことを思い出す。
 「おかみ」は同好会の中でも中野の郷ヒロミと呼ばれ、私と同期の友人が「おかみ」と同じ高校の後輩で、その聡明さや外見も男としてあこがれていたというほどの男だった。

 ある日、確か中野公民館だったと思うが、そこで発表会を催した。周辺の大学の落研クラブの人たちも来て、意外と盛大に行われた。もちろん、私たち1年生は呼び込みや会場整理係で高座には上がれない。
 「おかみ」は発表会が終わったあと、多勢の女子大生に囲まれていた。私は、それを見ながら、うらやましいと思っていたのだが、どうも「おかみ」の目は女子大生に向けられていない。なぜか私に向けられていたのである。このときから、何かおかしいと感じてはいたのだが・・・。

 発表会も終わり、中野で打ち上げをやって、私は帰ろうと思ったのだが、「おかみ」のアパートが近いから、みんなで行こうということになった。「おかみ」は、私が来るなら来てもいいということだった。
 そして、「おかみ」のアパートで少し飲んで、帰ろうとしたところ、「おかみ」は泊まっていけと言うのだった。じゃあ、ということで、1年生の何人かが泊まることにした。私も「おかみ」の弟子だったから帰るわけにもいかなかった。
 
 アパートだから、確か4人くらいが泊ったと思う。布団を敷いて、私は端っこの方に寝ようとしたのだが、おかみは執拗に自分の横で寝ろとすすめるのだった。私は、弟子に親切な人だなと思いながら、「おかみ」の左横に寝た。ちなみに、「おかみ」の右横には誰もいない。
 みんなが寝入ったころ、「おかみ」の起きる気配がし、私はトイレにでも行くのかなと思っていると、どういうわけか私の布団が横からめくられ、「おかみ」の手が私の○○に伸びてくるのだった。しかし、手だけではすまなかった。あったかく湿ったもの(顔の一部)が私の○○を包み込んでくる。
 私は、必死に△△しないようにして寝たふりをし続けた。その結果、「おかみ」はあきらめたようだった。

 その後、私は同好会を遠のき、同じ同好会の1年生らはどうして出てこないのかと不思議がっていたが、私は、「もう勉強しなければいけないから」と本当の理由は説明しなかった。

 あれから、30年近くが経過しようとしているが、私の人生、HOMOに好きだと告白されたのは、その日以来3度しかない・・・。
8月 1日

 まだ、HPの表紙を替えて1ヶ月経たないのだが、次のヴァージョンを作ってしまった。今度は壮大な宇宙編である。
 そういえば、今のHPの表紙だが、夏のシーズンにあわせて海と渚を登場させている。この表紙は、宇宙と空、海、大地(渚)をあらわし、『MY・BOOK』や『CINEMA』は渚に散らばった貝殻に見立てているつもりである。多くは価値のない貝殻だが、中にはひょっとしたら美しく輝く貝殻もあるかもしれない。
 また、海に漂う瓶詰めの人は、私とこのHPを見てくださる人でもあり、思いも知れない誰かとのめぐり合い等を意味したつもりである。
 あまりこだわりすぎて、HPを開く人には、なかなか画像が出てこなくて迷惑な話かもしれないが、このこだわりこそが、B型ゆえんかも知れない。

 それから記念すべき人目の訪問は、自分でゲットしてしまった。
7月30日

 歴史的名君や暴君が本当に名君や暴君か? 続編になる。ならない?

 中華何千年もの歴史の初めに夏という伝説の王朝があった。…もっとも、この前に五帝時代まである。…この王朝を滅ぼすもとになったはのは桀王であり、そして、次の王朝・殷(商)は受王(紂王)が、周は幽王が滅ぼすもとになった。これらの人物も暴君や、暗君の代名詞になっている。

 受王については、桀王の崩壊伝説をそのまま当てはめたようなものである。あるいは、当てはめて話が作られたと言った方がいいかもしれない。
 受王は虎をも倒す体力と臣下の諫言をも巧みにはねつける知力を持った万能の王であるが、彼は絶世の美人といわれる妲己(だっき)を寵愛した。そして、毎夜、酒池肉林…酒で池をつくり、肉をぶら下げて林をつくり、その中を男女を裸にして追いかけっこをさせる昼夜にわたる宴会…に明け暮れる。受王は妲己の言うことなら何でも聞き、彼を諌める臣下を妲己が喜ぶ炮烙(ほうらく〜火であぶった銅の棒に油を塗り、その上を歩かせ、すべり落ちると焼け死ぬ。)の刑にかけた。そうしたことで、臣下・民心は受王から離れて行き、周をつくった武王や太公望に滅ぼされる。

 そして、周を滅ぼした幽王などは、馬鹿馬鹿しいほどの暗君振りで物語られる。
 話はこうである。
 幽王は先の桀王、受王のご多分に漏れずに褒似(ほうじ〜正しくは女に以と書く)という女に入れあげる。褒似は笑わない美女であり、幽王は何とかしてこの褒似を笑わせようとするが、どうしても笑わない。
 ある時、幽王と褒似がベッド・インの最中に手違いで狼煙が上がった。この狼煙は宮廷の危難を知らせるもので、傘下の諸侯が一大事とはせ参じた。
 しかし、宮廷は平穏で、駆けつけたところは幽王と褒似がベッド・インの最中の場所であった。あっけにとられた諸侯がうろたえて、その場から立ち去ろうとする間抜け面を見た褒似がそこで初めて笑う。幽王は褒似が笑ったことで、ベッド・インの最中にのろしを上げるということを二度三度と繰り返し、諸侯の信用を失う。
 そして、外敵である西戎に攻め込まれ本当に宮廷の危機という時に狼煙を上げても誰も駆けつけず、一気に攻め込まれて周が滅んだという。

 こうした笑い話のようなことが、まことしやかに歴史的事実のように語られる。敗軍の将は兵を語ることもできないうえに、笑いものに仕立て上げられるのがオチなのか。
 もっとも騎馬戦術に天才的な才能を発揮した源義経が、兄の頼朝に暗殺されたことに同情する判官贔屓という言葉もあるが…。
7月28日

 歴史的名君や暴君が本当に名君や暴君か?
 われわれは、歴史の人物について歴史書、小説、評論等を参照にする。しかし、これらのどれをとっても想像や虚構がたぶんに盛り込まれている。その上作者の思い違いや思い込みさえ窺われる。なかにはわけ知り顔で人物評論をする人もいる。ごく最近の人物であれば、ある程度わかろうが、その人の性格まではわからない。それなのに、千年以上も前の人物のことがわかろうはずもない。

 例えば、隋唐の時代、父をそそのかして隋を滅ぼし兄弟を暗殺し帝位に就いた唐の太宗・李世民は名君として扱われ、滅ぼされた隋の二代目皇帝・煬帝は無能の暴君呼ばわり、果たしてそれが正当な評価なのだろうか?

 今、煬帝を知ることのできる資料は『隋書』だろう。……『隋唐演義』という読み物もあるが、『三国志演義』と同様に壮大なフィクションである。これをフィクションとして読む分には大変に面白い。しかし、これを歴史的事実だと勘違いしている人が多い。……これは、唐の時代に書かれたもので、唐の太宗・李世民の命を受けて魏徴らが編纂している。当然、煬帝がいいように書かれるわけがない。

 煬帝は、親兄弟を暗殺して帝位につき、宮殿や運河造営のための過酷な土木事業や高句麗遠征で民や財貨を疲弊させ、その上女色にうつつを抜かした暴君として描かれる。しかし、これは李世民もやったことなのである。李世民を正当化する上で、これらのことを煬帝にも同じようなことを書き込んだ。煬帝が親兄弟を暗殺した事実はどこにもないし、彼は皇太子として認められていたのであるから暗殺する必要性もなかった。
 また、煬帝は、確かに、三度にわたる高句麗遠征に失敗した。しかし、同じ過ちを李世民もし、高句麗遠征を失敗している。そして、女色にもおぼれた。また、書家で高名な王羲之の真筆『蘭亭序』を弁才からペテンにかけて奪ったりもした。とても名君といえるような行状ではない。最近、史家の中でも評判は悪いらしい。

 煬帝が、父文帝の後をついで大運河を開通させたのにはわけがあった。(全ての歴史は引き継いでいくか、断ち切るかである。万里の長城も始皇帝の時代に全部作ったわけではない。前からあったものを繋いでいったのである。)
 それは、江南の豊かな物資を北の都へ運ぶ経済上の目的、軍事動員のための軍事目的、江南の支配を確実にするための政治目的などである。事実、この運河により唐の経済は開けたのである。
 また高句麗遠征は、隋と境を接する朝鮮半島の高句麗の力が強くなってきていたことから国を守る必要があった。その上、百済、新羅からの要請があったこともあって、その必要性から遠征したのであろう。確かに三度にわたる遠征は度を越したのかも知れない。

 しかし、それが煬帝が無能であったからではないだろう。おそらく、彼は有能すぎたのである。『過ぎたるは及ばざるが如し』である。彼のスタッフに、彼を諫言する者がいなかったのではないだろうか。おそらく、巷の民の疲弊振りは煬帝に届かなかったのだろう。そして、隋の金庫が底をついていることも。煬帝がスタッフに恵まれていたならば、名君中の名君になれたのかも知れない。
 煬帝だけに限らない、秦の始皇帝然り、ローマ帝国の初代皇帝ネロ然りである。

 そんなことで長くなったが、歴史の怖い点はわずかの資料、あるいは小説でその人物を判断してしまうことである。書かれたものには当然主観が入る。フィクションの入らない書物はないだろう。興味を持って、その人物を読み解いていくのはいいことである。しかし、われわれは、こんな人物もいたと参考にとどめるのが一番いいのではないだろうか。知り得もしない人物を評価することは、このうえなく難しいことなのである。
7月22日

 いま、『
館』を再構築中である。夢というからにはもっと多くの画家を登場させたいからである。もちろん今まで登場していた画家はそのままで、展示している絵画を新しくしている。今後、増える画家は、シーレ、クレー、ビアズリー、ブレイクマネ、ユトリロ、スーラ、アンディ・ウォーホール等である。展示方式は『ロセッティ展』方式にしたいと思う。
 本当は、ムンクやルソーも展示したいが一部に嫌がっているものがいるためためらっている。
7月15日

 ドストエフスキイ好きの方のHPを覗いてみると、投稿欄に小学校6年生が、5年生のときに「罪と罰」を読んだ感想を書いていた。以下がその感想である。

 今、私は小学6年生です。『罪と罰』を読んだのは去年、私が5年生だった頃でした。以前から興味があり、一度読んでみたいと思っていたので図書館で借りてきて読み始めました。最初はどんな話なのか、登場人物は誰なのかも知らず、ただ読んでみたいと思っていただけでした。お母さんからは『ある青年がお婆さんを殺してしまう話。』と聞いていました。でも実際に読んでみるとラスコーリニコフがお婆さんを殺した話。だけでは済まない気がしました。…私は今まで本を読んでいて(小説も含め)おかしい話や笑える話は早く次のページに行きたいと思ったし、つい時間を忘れて読んでいた事もありました。『罪と罰』はそういうおかしい話じゃないのに時間を忘れて読んでいました。それはいろんな面で興味深かったからです。あまり難しい事は分かりませんが、『罪と罰』を読んでとても勉強になったと思いました。そして人間にはいろんな感情があるんだなという事も分かりました。今まで難しそうな本は読む気がしませんでした。でもドストエフスキーさんの書いた本は、私に難しい本を読んで損はないと教えてくれました。まだ『罪と罰』しか読んだ事はありませんが、『貧しき人々』や『カラマーゾフの兄弟』などいろんな本を読んでみたいと思いました。難しい本を読んで損はないと教えてくれたのと同時に、罪と、罰の複雑さも知りました。罪と罰ほど複雑なものは無くて、さらに『罪と罰』ほど混じりけの無いものは無いんじゃないかと思いました。『罪と罰』を読んだおかげで、新しい知識も得たし、私はあの話を読んでとても得をしたと思います。

 全文を記載したが、どうだろう。恐るべき小学生ではないか。私が小学校5年ころに読んでいたのは、江戸川乱歩の明智小五郎シリーズやSF小説だった。そして、これほどの感想はかけなかった。
 しかしながら、ドストエフスキイ体験がこんなに早くていいものかどうかはわからない。この小学生が、大人になってもう一度読み返すことを願うのみである。
7月14日

 韓非子について書いたが、「My Book」にあてはまるものだから、「My Book」に転記した。
7月10日

 もうじきHPの表紙を替えようと思う。いや、もう作ってあるのだ。今度は車にたとえればフル・モデル・チェンジといえるかもしれない。ちなみに、『迷宮の創造者 エッシャー』も準備完了である。じき両方公開したいと思う。
 このまま延々とHPを作り替えていく作業、何かエッシャーの詐術に私はまんまとかかったのかもしれない。
7月 1日

 最近の音楽情勢であるが、邦楽・洋楽ともにあまりパッとしないのではないか。これはと心に残るものがない。CDの売り上げも低調だとか。業界は違法コピーのせいにしているが、それだけではあるまい。邦楽では、素人っぽい新人が増えているが、いわゆる大物になれそうなのが輩出されていない。洋楽も、以前のヒット曲のリメイクばかりやっているようにも思える。TVドラマ『空から降る1億の星』のテーマ曲もエルヴィス・コステロが歌っていたが、この『スマイル』という曲も昔のスタンダードである。また、オアシスの新曲も悪くはないが、どう聴いてもビートルズである。エアロスミスが孤軍奮闘しているが、いまどき…という気もする。
6月29日

       『水の色は、果たして水色か?』
答は、否である。水は本来無色透明であるが、どんな色にもなりうるのである。

 妻が小学3年生のころ、図工の時間で水の色を描くときに思い悩んでいた。その時、それを見た先生が、「水の色は、水色でしょ!」とビシッといったそうである。こんな先生に教わると生徒がかわいそうである。その言葉に柔軟に対応できない生徒は、そこで美術に対する資質をそがれてしまうだろう。

 私も、小学1、2年生のころ近所に住む画家のところで絵を教わったことがある。私に絵の才能を見出したのか、うちの両親はその画家に絵を習わせようとしたのである。

 私は、この先生(画家)のおかげで、木の葉が緑とは限らないことを知った。あるとき私は、そこの教室で風景を描いていた。当然木々も描くことになる。私は木の葉を緑で塗りたくった。それを見ていた先生は、「ほら、外の木を見てごらんなさい。木の葉がいろいろな色をつけている。緑もあったり茶色もあったり、暗いところは黒っぽくなっている。光が当たっているところはどうだろう。白っぽく見えるじゃないか。」と。その先生は私の筆をとって、木の葉の緑の上に白を小さくおいていった。するとどうだろう。木が生きいきとしてきたではないか。
 それ以来、私は木の葉や草が緑という固定観念を払拭した。
 水や海、川、空は決して水色ではないのである。
6月19日
 
 『井の中の蛙、大海を知らず』という言葉がある。自分はこのことはよく知っていると思っていても、世の中、上には上がいるのである。それをわきまえずに人に忠告やおせっかいなことを言ってしまえば、とんだ恥をさらすことになる。

 例えば、こんな話がある。誰が見てもその人はプロ野球でも通用すると思われるアマチュアのピッチャーであるが、その人にプロ野球でも2流、3流のバッターが、ボールの投げ方をコーチしようとした。それを見た周りの一人が、「やめた方がいいよ」と忠告するのだが、自分はプロだから、アマチュアがかなうわけがないと自信過剰をさらけ出す。「じゃ、その前に二人で勝負してみたらどうだい。」とある人が言う。プロは観察能力が劣っていたせいか、自分はプロだから負けるわけはないとよく見極めることなく勝負に出る。しかし、結果はアマチュアのボールは速く、変化球も切れプロは三振したのである。プロは、恥をかき、すごすごとその場を立ち去った。
 まさに、『井の中の蛙』だったのである。

 孫子の言葉に、「彼を知り、己を知れば百戦して殆うからず」という言葉があるが、相手を知るということは非常に知的な作業である。観察眼がなければ知ることはできないし、相手がどの程度の器量があるのか知るということは、自分にも同程度の器量がないとできないことなのである。
 気をつけなければいけないのは、相手より自分が上だと思ってかからないことである。それは大人と子供の関係においてもそうである。子供だと思っても大人以上に賢い子供もいるのだから。
6月15日

      やさしさはすでに語り尽くされ
      僕の口から言葉は出てこない
      今夜もビートルズ 言葉は出てこない
      だから だから ペニーレインへは
      もう行かないよ
     
    『ペニーレインへは行かない』BY よしだたくろう

 
 
 ところで、話は変わるが、このHPの美術館は、ブロードバンドでない方には開くのに時間がかかるかもしれない。でも一度開けば次は早く開けるはずである。
 それでも最低限の解像度で表示している。あまり解像度を落とせば、絵画が絵画にならなくなる。前にも書いたと思うが、特集ものは解像度をある程度高めている。そうしないと絵が台無しになっていしまうからだ。本当に絵の好きな人なら苦にはならないだろうと自分なりの期待を込めている。
 また、サムネイル表示を使って好きな絵を選んでクリックすると拡大された絵が出てくるという手法もあるが。あえて、その手法はとっていない。なぜなら、美術館では好きな絵を選んでわれわれに提示して見せてくれるわけではないからだ。
 クリックしなければ、目にとまることのない絵。それでは美術館とはいえないだろう。
6月 9日

 エコール・ドゥ・パリのことについては『夢の美術館』のモディリアーニの部分で簡記したが、ピカソもこの一人であった。彼ら画家、音楽家、彫刻家、詩人は、セーヌの左岸のモンパルナスに移る前、モンマルトルの丘の『洗濯船』に住んでいた。『洗濯船』とは古ぼけた長屋であるが、セーヌ河に浮かぶ洗濯船を思い起こすことから詩人のジャコブがそう命名したらしい。

 この長屋にピカソもモディリアーニも住んでいた。モディリアーニは酒におぼれ、貧困の果てに若死にしたが、一方のピカソは『青の時代』と呼ばれるころからここにいたのだが、やはり、モディリアーニと同じく、日々の食事も滞るような貧しい生活をしていた。
 しかし、ピカソは酒におぼれることはなく貧困のうちにも、そのころ同棲していた恋人オリヴィエとともに幸福を見出して生きたのだった。そしてオリヴィエの影響からか画風も変わり、『青』から『淡紅色』・・・『桃色』あるいは『バラ色』・・・を基調とした安らぎと希望があふれるものに変わり、絵も売れていくようになった。

 どん底の中においても希望を見出したピカソと、希望を見出せなかったモディリアーニ。対照的な二人の生き方は、両極端の人生を送ったのであった。
6月 1日

 桜を長く咲かせすぎたので、今日、きりのいいところで、また表紙のデザインを変更した。衣替えの時期だし、梅雨のシーズンに入ったということで、部屋のカーテン越しに、晴れているのに雨が降っている外を覗いているという感じでつくってみた。

 今回は、WINDOWS XPのタスクバーが初期設定(青)にしている人にもおかしくないような色合いにしてみた。私は、ずっとオフ・グリーンに設定していたので、青にしていた人は今までの表紙は、変な色合いに見えていたのではないかと思う。

 ちょうど、『雨を見たかい』のMIDIもあったことから、この曲の雰囲気もあわせてみたのだが、成功しているだろうか。

 それから、『アイム・ノット・イン・ラヴ』は短命に終わったが、今後どこかで使いたいと思う。
5月30日

 私が、TVニュースで必ず見ているのは12CHの午後11時からやるワールド・ビジネス・サテライト、略してWBSである。別に宣伝するわけではないが、この番組は他のニュース番組が取り上げない経済及び最新のIT関連技術や新しい製品・車等の話題を提供してくれるから、ある程度情報通になれる。だから、日ごろ、相手がどんな人でも、どんな話の内容でも、それなりに受け答えもできるのである。現・経済財政政策担当大臣の竹中平蔵氏は、この番組のコメンテーターで活躍していた。
  メイン・キャスターの小谷アナもいやみがなくていい。
5月23日

 今日のCINEMAのコーナーで、ブライアン・デ・パルマのパクりのことを書いたが、彼はパクりの天才である。
 日本にもこのパクりの天才がいる。桑田佳祐である。彼が以前、ミスチルのボーカルと共作で『希望の轍』を作りヒットさせた。この『希望の轍』はパクりそのものと言ってもいい。

 70年代から80年代にかけてのビッグ・グループ、フリート・ウッドマックの『リアノン』という名曲がある。この曲のパクりこそが『希望の轍』なのである。聞き比べてもらいたいが、この『リアノン』を探すのは大変かもしれない。どうしても聴きたい方は我が家まで。

 この曲に限らず、桑田の曲はどこかで聴いた歌だという感がある。最も私はパクりが悪いというのではない。人に親しまれる歌というのは、『どこかで聴いたことがある』という曲なのだから。

 ここで、「MY BOOK」の2001.11.2にも書いているが、シェイクスピアの言葉をもう一度。


    天才は何をも創造しない、ただ模倣するだけだ。
5月22日

 5月19日に書いたTOPページのBGM に使っている10ccの『I'm not in love』は、彼らのアルバム『オリジナル・サウンド・トラック』の冒頭から2曲目に収められている名曲であるが、10ccというグループは、エリック・スチュワート、グラハム・ゴールドマン、ケヴィン・ゴドレイ、ロル・クレームという4人組のUKロック・バンドで、1970年代の後半に、その存在が注目された。いわゆるツウ受けのするグループだった。

 しかし、4人の音楽に対する方向性の違いから4枚のアルバムを残して、前衛的サウンドをめざすゴドレイとクレームが脱退した。その後10tは『愛ゆえに』というもう一つの名曲を残し、83年に解散した。

 一方、ゴドレイ&クレームは、『CRY』という名曲と映像を残し、そのセンスのよさを持ち前としてプロモーション・ビデオの映像作家として活躍した。

 ちなみに、今でも流れているのかどうかわからないが、『I'm not in love』は日産スカイラインのCM、『愛ゆえに』はSONYのVAIOのCMに使われていた。
5月19日

 BGMは今日で『砂に消えた涙』からミシェル・ポルナレフのヒット曲『愛の休日』に替えた。かの井上陽水は、彼のアフロヘアとサングラスのスタイルを真似たという。
 そして、TOPページのBGMは10ccの『I'm not in love』に替えた。どちらも、今聴いても全く色あせていない名曲である。
5月14日
Rank Artist
1 Pablo Picasso
2 Vincent van Gogh
3 Claude Monet
4 Salvador Dali
5 Henri Matisse
6 Andy Warhol
7 Leonardo da Vinci
8 Michelangelo Buonarroti
9 Georgia O'Keeffe
10 Rembrandt van Rijn
11 Edgar Degas
12 Paul Cezanne
13 Goya
14 Pierre-Auguste Renoir
15 Wassily Kandinsky
16 Edvard Munch
17 Raphael
18 J.M.W. Turner
19 Andy Goldsworthy
20 Joan Miro
21 Edouard Manet
22 Rene Magritte
23 Paul Gauguin
24 Piet Mondrian
25 Edward Hopper
26 Jackson Pollock
27 M.C. Escher
28 Caravaggio
29 Diego Rivera
30 Georges Seurat

 右は、外国の美術検索サイトで検索の多いアーチスト順に並べられたランク表である。
 
 見てわかるとおり、1位がピカソ、2位ゴッホ、3位モネ、4位ダリ、5位マチス、6位ウォーホール、7位ダ・ヴィンチ、8位ミケランジェロ、9位オキーフ、10位レンブラントと続き、11位ドガ、12位にセザンヌ、13位ゴヤ、14位ルノワール、15位カンディンスキー、16位ムンク、17位ラファエル、18位ターナー、20位ミロとなっている。
 
 そして夢の美術館にも掲載しているマグリットが22位、25位にホッパー、27位にエッシャーとなっている。

 19位は私の知らないオブジェ専門の芸術家である。

 おそらく、世界中で画家の人気投票をしても、これに近い順番になるのではないだろうか。
 
 しかしながら、これはあくまで参考である。多くのベストセラー、ミリオンセラーなどが、いい本、いい歌、いい映画とは限らないように、人気の高さが、至高あるいはベストの芸術とは限らないのである。
 
 ちなみに美術関係で一番売れてるポスターはゴッホの『The Starry Night』、2位がシャガールの『La Mariee』、3位がクリムトの『The Kiss』、5位に車のCMにも使われているスーラの『Sunday Afternoon on the Island of la Grande Jatte』、6位がボシュの『The Garden of Earthly Delights』、7位がムンクの『The Scream』、8位がホッパーの『Nighthawks』、10位が北斎の『The Great Wave at 
Kanagawa』となっている。

5月11日

 ダリの特集を組んで1週間になるが、公開時よりもかなり絵を追加し若干の説明を加えた。
 公開時になかったダリの最後の作品も入れることができたし、一部小さかった絵も大きなものと入れ替えた。
 前にも書いたが、映画監督らが作品を作っても手直ししたい心境がよくわかる。
 
 有名な画家には贋作というものがつき物らしいが、ダリは平気で自分の贋作を作っていた。ダリに言わせれば、贋作も作品に違いないのだということらしい。いかにもダリらしい発想である。 
4月30日
             
            
お知らせ

 伝言板にも書きましたが、近々、夢の美術館で『ダリ』の特集を組むことにしました。キンデンのブロードバンドに加入し、HPの容量にゆとりができたからです。
 とりあえず、人気のある画家からが無難なので、『ダリ』を最初に選びましたが、今後は、私の好きなフリードリヒ、マグリット、デルボー、ホッパー等を取り上げていくつもりです。ゴッホや、ピカソも用意していますが、どんな画家でもリクエストがあれば、応えられるように努力します。

 伝言板にリクエスト等を書くことに、抵抗があるならば、e−mail(ここをクリック)で送って下さい。また、意見や質問等があれば、ここで受けます。このメールは一応私だけしか見れないので、こんなこと聞くのおかしいかなっと思っていることでもどうぞ。

 ただし、筆不精なので、すぐに応えられないかもしれません。念のために。
 
 最近、CINEMAの壁紙をベルイマン監督の『ペルソナ』に替えました。この写真は、我が家の玄関に飾っている絵のヒントになっているものです。インテリアのコナーで見て比較すれば一目瞭然。発想の陳腐さがわかってしまいそう。 
4月26日

 そういえば、このページに流れているBGMの話をしていなかった。『砂に消えた涙』は、60'sのいわゆるイタリアのカンツォーネである。 
 私が小学校高学年のときに和製ポップスが流行っていて、中尾ミエ、伊藤ゆかり、弘田三枝子、ザ・ピ−ナッツ等が人気の歌手であった。
 中尾ミエの『アイドルを探せ』(敬子の部屋のトップページのBGMに使っています。)、伊藤ゆかりの『花のささやき』は個人的に大好きな曲である。もっとも原曲のほうがいいのであるが。弘田三枝子の『砂に消えた涙』は例外で、原曲よりもいいという想いがある。

           『砂に消えた涙』(BY ミーナ)

青い月の光を浴びながら
私は砂の中に
愛の形見を全部うずめて 泣いたの一人きりで

あぁ・・・
あなたが私にくれた 愛の手紙 恋の日記
それの一つ一つのものが
偽りのプレゼント

白い波の打ち寄せる海辺で
私は砂の中に
恋の思いで全部うずめて 泣いたの一人きりで

あぁ・・・
あなたが私にくれた 甘い言葉 熱いキッス
それの一つ一つのものが
偽りのプレゼント

青い月の光を浴びながら
私は砂の中に
愛の形見を全部うずめて 泣いたの一人きりで


 最近トヨタの『ヴィッツ』のCMでジリオラ・チンクェッティの『雨』が流れている。名曲は、いつでも耳に心地よい。(『雨』は『Music Street』の「MIDIを聴こう」のコーナーで!)
4月26日

 今日は、知っていれば何かのときに尊敬されるかもしれない話をしよう。

 少し前の話、女房に昭和を西暦に変換する簡単な法則を教えると驚いていたが、あまり知られていないようだ。ここで、参考までに明治、大正、昭和の西暦への変換方法について記しておく。

 明治は、その年に67をたすと西暦だ。
  例えば、
明治20年生まれなら
    20+
6787 
  これに明治の始まった年代の1800を足せばよい。
  つまり
西暦1887年生まれとなる。

 大正は、その年に11をたす

  例えば、
大正5年生まれなら
     5+
1116
  これに大正の始まった年代の1900を足せばよい。
  つまり
西暦1916年生まれとなる。

 次に昭和は、その年に25をたす
  例えば、
昭和30年生まれなら
    30+
2555 
  これに昭和の始まった年代の1900を足せばよい。
  つまり
西暦1955年生まれとなる。

一度自分や両親、祖父母等で試してみては。
4月23日

  ひとつの言葉、たとえそれが真実であっても、誰もがそれを知りたいと思うわけではないだろう。なかには、それを避けようとする人もいる。あるいは耳をふさごうとする人もいる。真実は、必ずしも聞く人によっては、真実になりえないのである。
 逆に、一つの嘘が真実に変わることだってある。そして、その嘘を心地よいとする人もいることも確かである。

 幽霊を見たという人がいる。多くの人は嘘だというだろう。しかし、見た人は、それを現実に見たのである。自分たちが見えないからといって、見える人にそれは嘘だというのは、どういうものか。脳の間に水がたまり、その水が脳を圧迫して、幻覚を見させる。「天井に蛆虫が無数にうごめいている。」と、確かに、その人には天井をうごめく蛆虫が見えているのである。自分には見えないからといって、それを嘘といえるだろうか。

 真実と嘘、それは表裏一体であり、純粋客観というものがあれば別だが、主観的には、いずれも実体のないただの言葉、人が自分の物差しで何かを理解するうえでの記号に過ぎないのではないだろうか。

4月22日

 いくつもの歳月が流れては、誰かの人生の残滓を汲みとって、時間という壁に塗りたくる。それが歴史であり、誰かの人生そのものではない。そこで小説家は想像を働かせ、その壁にかってに色を塗る。

 その壁を色眼鏡をかけて見る人もいれば、上から覗き込む人、あるいは下から見上げる人、斜めから見る人たちがいる。どのように見ようが、見る人の勝手である。

 
しかし、その壁は自然にできあがったものではなく、あくまでも人の手によって創られたものに過ぎないことを忘れてはいけないだろう。

4月 3日

 34年ぶりに、このホームページのMUSIC STREETの『70’s 邦楽favorite song』コーナーで、BGMに使っている『イムジン河』(原詞朴 世永 日本語詞松山 猛 作曲高 宗漢 編曲加藤和彦)がリバイバル・ヒットしている。なんと、オリコン18位だそうだ。

 この曲は、朝鮮半島がイムジン河(北緯38度線〜イムジン河自体は韓国領)を境に南北に分かれ、北朝鮮の人々が「私が生まれた祖国(韓国)に帰りたい」と歌ったものを、フォーク・クルセダーズが歌詞を替えて歌ったものだが、発売されすぐに、ある団体から歌詞の内容が原曲と違うというクレーム(本当は政治的理由からか)をつけられ、発売中止になったものである。

 フォーク・クルセダーズは、急きょ『悲しくてやりきれない』に差し替えて新たにレコードを出し、大ヒットしたのが裏話である。

 だから厳密に言えばリバイバルではないかもしれない。とはいえ、幻の名曲が復活したことはいいことに違いない。そして、この曲の美しさは34年たった今でも色あせていない。

※ フォーク・クルセダーズは、正確には「フォーク・クルセイダーズ」と呼ぶほうが正しのだそうだ。彼らは、アメリカのフュージョン・グループの「クルセイダーズ」から名前をとったのだが、どういうわけかレコードの表記で『フォーク・クルセダーズ』となってしまったとデビュー当時の加藤和彦が語っていた。

 ついでに、フォークルの『帰ってきたよっぱらい』の最後に北山修のお経が入るが、これはビートルズの『A hard days night』をお経にしたものだった。
 そのころ、私は中1、兄が高1だった。兄は英語が得意だと自慢し、ビートルズが好きだったにもかかわらず、私が兄にそれを指摘すると兄は「それは聞き違いだ。英語なんか入っていない。」といっていたことを思い出す。
3月22日

 ホームページの表紙をすでに4回リニューアルした。飽きやすいので、つい新しくしてしまう。桜の季節を意識して桜をヘッダーに飾ったが、もう桜は満開状態なので、これでは5回目のリニューアルを考えなければならないのか?
 
 日付は昨日だが、美味しいラーメン屋さんベスト99を日本テレビでやっていた。私は94位(過去にはベスト10内に)に入っていた春木屋のラーメンを食べたことがあるが、確かにかつおだし風のアッサリ系で、食べやすいラーメンであった。しかしながら、行列を我慢してまで食べる味かというと疑問である。

 私が今までラーメンを食べた中で、何度でも行きたいと思っている店は、わずかに1軒だけである。

 そこは、佐原にある国道51号線沿いの『とんぷく』である。ここの『野菜炒めラーメン』がうまい。そして、えびチャーハンも。もっとも、嗜好の違いは個人個人で違うから、推薦はしない。

 昨日も、うまいと評判の木更津にある『F』でラーメンを食べたが、もう一度行って食べようとは思わない。しょうゆ系が好きな人は、好みかもしれないが、スープも麺もイマイチであった。
3月10日

 いま、今年の2月10日に友人が開いたコンサートのビデオ編集をしている。何しろ2本3時間に及ぶビデオテープから、音楽が絶えず流れている部分を200くらいシーンにカットし、それをつなぎ合わせて編集するのだから、つらい。
 プロの機材ではなく、ホーム・ビデオ・カメラだから。音だけをまとめてとるわけにはいかないので、バンドに近づいたときと離れたときの音量が違うため、シーンのつなぎ目が目立ってしまうのである。また、2本のテープの映像をつなぐのも、かなり難しい。
 しかし、この困難を克服するのが楽しみでもある。
2月19日

 宮城谷昌光の『子産(しさん)』という本を読んだ。中国の春秋時代(紀元前700年ころ)の鄭という国の執政・子産を描いたものであるが、宮城谷にしてはあまり面白くなかった。子産のエピソードが少ないし、宮城谷が体調の悪いときに書いたせいもあり、どちらかというと文才と礼に長けた儒家くさい主人公のせいもあってか、宮城谷もあまり乗らなかったのかもしれない。

 子産は孔子が尊敬した人物の一人であるが、形式的な儀礼を重んじる儒学を私はあまり好きでない。中国は儒教がはびこったばかりに、文明が進歩しないで千数百年もの間、同じような時代を繰り返してきた。日本も江戸時代、朱子学(儒学)を基本の学問にして、300年近く時代は変わらなかった。
 仁(人への愛)と義(人としての道)を重んじ、王道・・・王の世襲制を善とするもので、強いものが天下を取るという覇道を悪とした。・・・を説き、形式ばった礼に固執する儒学は春秋時代には疎まれていた。よって、孔子も冷遇された。

 秦の始皇帝は、儒教嫌いで有名だが、始皇帝は世界で最初に法治国家を創った天才である。彼は、国家の治世は人の徳によって自ずと定まり、法で人を規制することを悪とする性善説派の儒者を殲滅したという。このため、儒学を国学と定めた劉邦の漢王朝以降、始皇帝は悪の権化にされる羽目になる。『三国志演義』でも儒教の影響で、徳(?)のほか何の能力もなかった劉備(りゅうび)が善人とされ、才知に輝きを見せ覇道を進む曹操(そうそう)は悪人にされた。しかし、始皇帝の時代が続いていれば、中国は今のように日本から30年近くも遅れた社会にはならなかっただろう。アメリカの上を行っていたかもしれない。
 
 横道にそれたが、税制改革等を断行した子産は今の小泉さんとダブって見える。人格ではない。立場がである。改革を断行した子産は最初非難された。しかし、7〜8年後には子産のおかげで飯が食えるとまで庶民に言われるようになったのであるが・・・。
2月15日

 かなり昔に、『ながら族』という言葉がはやった。つまり、テレビを見ながら、あるいはラジオを聴きながら、勉強や仕事をするという意味の『ながら族』である。私は今でもその一人であるが、 ひどいときは、テレビを見ながら音楽を聴いて録音・編集し、本を読んでいることもある。
 私は一つのことに集中できない性質かもしれない。一つのことをやっていると、時間がもったいないように思えてしまうのだろうか。時々女房は、どっちか一つにしてくれと悲鳴を上げるときもあるが、意識しないでやってしまうのである。

 それがどうやら、京極夏彦もそうらしいとわかって、私はホッとしている。彼は、NHKの『トップランナー』という番組で、自分はテレビを見ながら小説を書いている『ながら族』だと話していた。

 私はもともとテレビっ子で、テレビを見ることが人一倍好きなのかもしれない。よく新聞で、一日当たり何時間テレビを見るかという統計が出ていたりするが、2〜3時間というのが最も多く、私はその記事を読むたびに、「俺はおかしいのか」と思ったりしたものだった。

 私は家に帰って寝るまでテレビを見ている。もしくは、テレビを寝るまでつけていると言ったほうが妥当なのかもしれない。べつに、寂しいからつけているわけではない。特に深夜の時間帯はTV番組表に内容が書いていないから、つけていないと見たかった番組を見逃してしまうからだ。

 人は、1日に13人以上の人の顔を見ないと寂しく思うという統計もあり、その寂しさを埋めるのにテレビが役立っているという話もあった。しかし、私は1日中独りでいても寂しくはないし、寂しいと感じたことを思い出しても思い出せない。安部公房の作品中に、『孤独は、孤独から逃げようとするから地獄なのであり、孤独を愛するものにとってこの上ない楽園なのだ』という言葉があったが、私も同感である。
 1月14日

 12日の深夜、NHK・1CHで放送したラヴ・サイケデリコの全米ライヴ・ツアーを観た。この放送で、ラヴ・サイケデリコが女と男の二人組みだということと、ラヴ・サイケデリコが『ラヴ・サイケデリック・オーケストラ』の略だということもわかった。

 それにしても、この二人組みはすごい。クミ(女)はサンフランシスコで7歳まで育ったせいか、アメリカでもまったく物怖じしない。

 ものすごいエネルギッシュな演奏に、CDではわからなかった部分も見えたし、相棒(男の名前は忘れた)のギター演奏もうまい。音を重視して撮影していなかったから、音はよくなかったが、ライヴの方が、CDよりもよかった。

 普通ライヴは、実力がよくわかるので、ごまかすために、あとで音を入れなおしたりして放送しているのが普通だが、実力があるせいかとりなおしをしていないし、そのままを見せている。すごい、まったく『すごい』の一言に尽きる。
平成14年
1月 8日

 最近、携帯、PCともに迷惑メールになやまされた。携帯はメールアドレスを簡単に変更できるが、PCはプロバイダによっては簡単に変更できない。niftyは一旦解約しないといけないのだ。

 我が家には出してもいないメールのリターン・メールや友人の名前で出された(その友人は我が家にメールを送っていないのだが)メールが送られてきた。それも、横文字で意味のわからない見た目にもウィルス・メールとわかるものだからいいのだが、とりあえずパスワードを設定しなおして、こちらから送ってもいないメールがほかの友人に送られないように防御した。

 PCも携帯のメールも手紙に比べて手軽なだけ、簡単に迷惑メールも作れてしまうのであろう。

 これから、電話もインターネット接続が主流の時代が来るかもしれない。そうなると友人の声に似せたいたずら電話も出てくるに違いない。

 とすると、『2001年・宇宙の旅』のようコンピュータ自体がとは言わないが、人間によってコンピュータを反乱させる日がやってくるのも、そう遠くないということであろう。