だからどうした
ネットの社会とはひろくて、とても一人では閲覧してあるけない。だいたい、「新聞はやはり紙で読むもの」(ボス談)といって、つい最近まで「新聞の切り抜き」という古典的な資料収集の作業をしていた人もいる。(もっとも、この人の場合は、やらせる)
紙の世界の裾野は、森林伐採やらCO2問題などで、限界があるかもしれないが、ネットの世界はもしかして限界がないかもしれない。
うちのボスのような人は、一頃は、「ネットからパクってきたネタで記事をつくるとはとんでもない」といっていたが、ネット社会の無限増殖現象は、パクるどころの話でなくて、それを見つけることさえ、ひとつの情報収集技術であり、閲覧して選択する作業も情報整理技術になりつつある。これは、これでネット取材技術とか編集技術というのが、確立するかもしれない。
もっとも、ネットでひろった情報というかネタは、その真偽のほどがよく問われる。であれば、その真偽をほどを確認する作業というのが求められてくる。しかし、そのソースでさえ、無限増殖的にアメーバーのごとくひろがるわけだから、完全に真偽の裏をとるという作業も困難をきわめる場合もある。
もっとも、一発で、ガセとわかるネタもある。
ひとつのジャンルを取材していると、そのジャンルにかんする事象に関しては、直感的に「それはガセだな」とわかることもあるし、「それは、こういう目的でガセをながしたんだな」とか、「そのガセを流したもとは、誰々やどこ筋だろう」ということがみえる場合がある。その証拠をとってこい!といわれて、ま、しこしことその裏付けをとってきたりするのだが、こんなことにばかり時間をさいているわけにはいかない。一人の人間には、一日24時間しか時間がないからだ。
我々は、そうした確認作業を、取材という作業でおこなうだけど、これは我々が、マスコミの末端であっても、職業的な記者であるからその行為をおこなうわけで、それを他のネット関係者やブロガーさんに強制するのはおかどちがいだろう・・・・・ということが、うちの事務所で話題になっている。
だから、プロの記者というのは、毎日新聞社のネット君臨ほどではないが、つい自分たちの優位性をいいたくなってしまう。「あ、これは傲慢だな」(辻野記者談)というわけだ。いや、毎日新聞社だけを責めているわけではない。我々にもそうした「傲慢さ」がないとは、いえないからだ。自戒もこめて。
だから「記事はエラソーに書くな」(ボス談)というものだから、うちの北岡記者みたいな文体ができたりする。これがいいとか、悪いとかでない。ちゅうか、うちのボスも、辻野記者も本当は、北岡記者の文体は「嫌いとはいわないが、好きではない」。北岡記者にいわせると「一番、エラソーにかいているのが言い出しっぺのボス本人だろう。結構、傲慢な文体が辻野記者の文体だ」という話もある。だから、記者が3人集まって酒でも飲むものなら、大論争がおきてしまうのだ。
ネットはネットで、無限の裾野にひろがるネタを検索しまくり、検証しまくり、そのソースを検証していくという作業が可能だ。そして、自分で検証した内容をソースもふくめて、公開したりできる。その公開に関して、罵詈雑言やら、頭ごなしの批判は別にして、さらに新しい、情報やら、ソースが付与される場合がある。
相互検証だ。そこには、たまにはプロと言われている記者だって参加することもある。しかし、プロだからといって、エラソーにしてはいけない。ネット社会では名刺で取材はできない。
ネット情報は信用できない・・・・・といっていた既存のマスコミも、実は自分たちの方が、よほど世間から信用されていないかもしれない。ということが最近わかってきた。これもネット社会がもたらしたものだ。
ネット情報は信用できない・・・・ガセ情報が一人歩きする・・・・と良識あるひとはいっていたけれど、最近は、「ネットの自浄作用。相互チェック機能」というのがだいぶきいてきたというのが、マスコミでは末端。ネット社会でも末端にいる当方の率直な感想だ。
誤情報や、誤報に関して、相互にチェックするシステムというのを、内部にもっているのがマスメディアのひとつの優位性だった。検閲システムではない。これはまた別問題だから今回はふれない。
一つの記事に、記者がいて、編集がいて、デスクがいて、編集長がいる。 さらに校閲もいる。紙面委員会なんていうコンプライアンス部門もあったりする。場合によっては、弁護士などの専門家の意見をもとめたりする。
ま、それでもネット界の刺客「Birth of Blues」さんが刺した毎日新聞英語版 2008年06月24日ということがおきるとか、そう何度もしつこくはいわない。「弱った犬に石を投げるな」(ボス談)というエエカッコしい方針が、当事務所にはあるからだ。
秋葉原通り魔事件がいい例だろう。ここでうちのボスなんかが注目したのは、ネット情報が、既存のマスコミやらジャーナリズムを牽引したことだけでなくて、そこで、相互チェックシステムがきいた部分である。今回の事件では、犯行現場が秋葉原だったということもあるけれど、その第一報はネットだった。第一報というのは、マスメディアの世界でも、たまに間違えることがある。
ネットでも、犯人に関して、同姓同名の別人の名前が取りざたされた。これは、誤情報だったのだが、情報の最先端にいる場合は、こうしたことがよくおきる。ちゅう、オレ自身が、この事務所に来る前にいたところで、同様のミスを犯したことがあるからだ。
ネットが速報で報じた、同姓同名の犯人とおもわれる情報に関して、間違いだとわかると、実は、ただちに訂正、修正された。詳しくしみていないが、2chでも訂正、修正されたときく。これが、ジャーナリズムにおける相互チェックシステムなのだけど、ジャーナリズムでなくて、ネットでも相互チェックシステムがきいた。
「まだ、万全でない」と既存のマスメディアの人はいうかもしれない。しかし、ネット社会や、ネット情報が、ひとつ踏み込んだことは事実だ。
ワインを飲んでいて、ワインボトルにワインの量が半分になった。
「もう、半分しかない」というか、「まだ、半分ある」というかの違いかもしれない。うちは、「まだ、半分ある」という楽観主義というか、希望をもてる方向にスタンスをとりたい。
そこで、紹介したいのが、今回、読者の方からおしえてもらった、アニ妻ぶろぐ。 というサイトだ。そこで、こういうエントリーがある。
毎日新聞は全日本人を敵に回した。・・・ついでに電通とTBSまとめ。
その読者氏は、当方にこのエントリーを示して、「ここに書かれている情報やら、ソースはどこまで信憑性があるのか?おまえらは、プロのジャーナリストなんだから検証してみろ!」というやや挑発的な言い方をしてきた。
アニ妻ブログというぐらいだから、アニメの好きの人妻さんがつくったブログということなのだろう。さらに、このエントリーをみていると、確かにこれまであった既存情報をひろっているのだが、よくみると、そのソースまで独自にひろっている。
結構、面倒くさい作業をおこなっている。
ここで書かれたかもしれない、電通さんや、TBSさんからみると、「とんでもない話だ。誹謗中傷だ」と叫ぶかもしれないけれど、よく読んでみると、「それはあたりだろう!う・・・・・この部分は、裏とれないな・・・・これは外れかも知れないな・・・」という感じなのだ。
肝心の電通とか、TBSのやつにみせた。
「電通を過大評価した基地外が書いたものが底本。その書き写し。意味ない。しかし、わらってしまう部分もある」(電通の中間管理職)
「最近、TBSの名刺をもっていると突然、絡まれることもある。そこででてくる話題がふくまれている。正直、オレじゃわからん話もある」(TBS社員)
という内容だ。
というわけで、うちでは厳密に精査したわけではない。
だれかが、取材費を1年分ぐらいだしてくれて、2−3人の記者で1年ぐらいかけて取材するときっちりと取材できるかもしれない。
しかし、今のうちには、その余裕はない。
それよりも、こうしたサイトとか、こうしたエントリーというのは、なぜか突然と消えたり、削除されたりす。むしろ、そっちの方が心配かも・・・・笑。
世の中には魚拓とかあるわけで、うちではその使い方が、よーわからんので、だれか、保存して、検証してみませんか?
ということで、アニ妻ぶろぐ。 さんの紹介でした。
追伸:
「アニメ妻ぶろぐさん。勝手に紹介してすみません。そのかわりといってはなんですが、なにかありましたら、当方に連絡ください。なにかできることがありましたら、協力させていただきます」
ということでよろしくです。
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以上