人間尊重の政策VS人間性破壊の政策

BLOG版「ヘンリー・オーツの独り言」」様、過分なご紹介と素晴らしい分析をありがとうございました。大変勉強になりました。「カナダde日本語」の美爾依さんもいつも本当にありがとうございます。「神州の泉」主宰者の高橋博彦様、kobaちゃんの徒然なるままに」様「ミクロネシアの小さな島・ヤップより」様、貴重なご高見をいつも参考にさせていただいています。

ブログの初心者で知らないことばかりなのですが、素晴らしいブロガーの皆様のご意見を読ませていただき、とても意義深い勉強をさせていただいています。ネット上の有益な情報が広く世の中に行き渡ることを願ってやみません。今後ともよろしくお願いいたします。

  

これまで政治の対立軸についての私見を提示してきているが、ヘンリー・オーツさんが貴重なご指摘を示してくださったので、「市場原理至上主義VS弱者保護」の対立軸について、改めて考えてみたいと思う。

  

ヘンリー・オーツさんは以下のように指摘された。

「『「市場原理至上主義」対「弱者保護重視」』だと「頑張った人が報われる社会を目指す」ことのどこが悪いかというような反論を述べる人間が必ず出てくる。それに対して私は表現を次のように変えてみた。「市場原理至上主義」を「資本家放任主義」、「弱者保護重視」を「国民の幸福追求と生存権の重視」とした。「弱者」という言葉は私は適切ではないと思う。なぜなら多くの経験と才能ある人がその能力を発揮する機会がなく、低賃金での奴隷労働に従事している事実があるからだ。「強者」に行きすぎた権利が与えられたが故に「弱者」が生まれてしまっているのです。また「官僚利権温存」されたが故に「弱者」への福祉切りすてが起きているのです。」

 

ヘンリー・オーツさんはこう指摘をされた後で、このことをとても分かりやすく図解してくれている。この図解を大いに活用させていただきたく思う。

 

既成の政治権力は、権力を維持するために、再び壮大な三文芝居を演じ始めている。「上げ潮派」対「財政再建派」の闘いで、「上げ潮派」は「官僚利権打破」を装い、「財政再建派」には「官僚利権擁護」を装わせている。

 

小泉元首相-竹中平蔵氏-中川秀直氏-飯島勲氏-財界の影がつきまとう「脱藩官僚の会」が「上げ潮派」と合流し、「正義の味方」=「改革勢力」を演じ、悪役の「官僚利権温存勢力」=「守旧派勢力」=「抵抗勢力」を打倒して国民の支持を取り付けようとの思惑がぷんぷん漂ってくる。

   

フジテレビ月9ドラマ「CHANGE」のタイトルと「脱藩官僚の会」の設立趣意書にある「CHANGE」のコピーが同一であるのは偶然とは考えられない。ドラマ「CHANGE」では、飯島勲氏の監修者としてのクレジットが番組のエンドロールに表示され、渡辺喜美行革相の秘書田中良幸氏が政治指導を担当していることも表示されている。

  

官僚利権根絶政策の「偽装」がかなり大がかりに仕組まれていると考えられる。洞爺湖サミットが終了すると、次期総選挙に向けて、自民党が大きく動き出すのだろう。2005年7月から9月にかけては「郵政民営化」=「正義」、「反対」=「悪」の図式が作られ、「刺客選挙」が政治ドラマに仕立てられて、多くの国民が流されてしまった。

  

  

ところが、「障害者自立支援法」、「後期高齢者医療制度」、「消えた年金記録」、「イラク戦争支援」、「ガソリン増税」などの現実から、小泉政権が国民を幸福にする政権でないことに国民はようやく気付いた。

  

小泉政権の路線を引き継ぐ安倍政権、福田政権の下で行われた国政選挙で、有権者は政権に対してはっきりと「NO」の意思を表示するようになった。その表れが参議院での与野党逆転で、国権の最高機関である国会の一翼を担う参議院の過半数を野党が確保した事実は圧倒的に重い。

  

   

それでも、2005年9月の総選挙で与党に3分の2以上の議席を付与してしまった後遺症はあまりにも大きい。野党が「天下り反対」という正当性のある理由で同意しなかった日銀人事について、小沢一郎民主党代表に対して「そういうのを権力の濫用って言うんですよ」と激昂した福田首相は、日本国憲法第59条の規定を利用して、参議院の決定を衆議院の数の力で3度も踏みにじった。直近の民意は参議院の議員構成に反映されているのであり、福田首相の行為こそ「権力の濫用」に他ならない。

   

自民党政権と官僚主権構造とは表裏一体をなしている。官僚機構は国民の幸福などまったく考えていない。官僚利権の維持だけを考えている。政府与党は政策立案、決定を官僚機構に丸投げして、政治的利権の維持拡大に注力する。

   

利権支出を温存して、国民生活に直結する支出を切り捨てる。「裁量支出」を温存して「プログラム支出」を切り込むのだ。プログラム支出とは社会保障関係支出のように、制度によって政府支出が明確に定められる支出で、利権になりにくい。

  

「一般財源化」を正義の政策のように論評する傾向が強いが、大きな間違いだ。「一般財源」は使途自由の財源であり、「裁量支出」の財源になることを意味する。財政当局の権力の源泉は「予算配分権」にある。財政当局は「裁量支出の財源としての一般財源」を権力の源泉として最重要視するのだ。道路財源の「一般財源化」は「道路族議員から財務族議員への所得移転」を意味するのであって、「改革」とは程遠い代物である。

  

   

横道にそれるが、国家財政を「社会保障財政」と「一般財政」に区分して、財務省の所管を「一般財政」に限定すべきである。政府支出はできるだけプログラム化することが望ましく、「社会保障財政」は財務省から切り離してプログラムで運営されるように制度変更すべきである。

  

日本に26,000も存在すると言われる公益法人のなかの4700機関に天下りが実行され、26,000人もの官僚が天下っている。天下り機関への政府支出は12兆円を突破している。天下り機関と国は随意契約を結び、国民が提供した血税が天下り官僚の破格の人件費、退職金に充当されている。

   

   

官僚主権構造を50年以上にわたって培養してきた自民党政権が官僚利権を根絶することは不可能なのだ。小泉政権が官僚利権を温存したことは紛れもない事実である。政府系金融機関の天下りが最も分かりやすいリトマス試験紙だったが、小泉政権、安倍政権は天下りを死守した。

  

日銀人事が紛糾した唯一の原因は、福田政権が財務省の天下りを死守しようとしたことにある。自民党清和政策研究会が基盤を置く警察、検察の天下りが日本中を覆い尽くしているなかで、自民党政権が天下り根絶を実行できるはずはないのだ。

  

   

国民は「偽装」に気付かなければならない。2005年9月の失敗を繰り返してはならない。「上げ潮派」対「財政再建派」の対立偽装に「脱藩官僚の会」が参入して壮大な三文芝居が演じられる可能性があるが、真実を洞察する人々が、草の根から真実の情報を伝達してゆかなければならない。

  

ヘンリー・オーツさんの貴重な指摘に話を戻すと、「上げ潮派」、「財政再建派」、「脱藩官僚の会」のいずれもが、「市場原理至上主義」の主張に立脚していることが問題である。外交路線では、いずれのグループも「対米隷属」で足並みを揃えている。日本国民の幸福よりも米国資本の利益を優先している疑いが濃厚である。

   

「市場原理至上主義」は「弱肉強食」、「弱者切り捨て」、「金銭崇拝」と表裏一体を成している。ヘンリー・オーツさんは「資本家放任主義」と表現された。「弱者保護重視」を「国民の幸福追求と生存権重視」と言い換えられているが、正しい指摘だと思う。

  

    

言い方を変えると、「人間尊重の経済政策」と「人間性破壊の経済政策」ということでもあると思う。私は具体的な施策として、「労働法制の抜本改革」、「公教育の拡充」、「セーフティーネットの強化」を掲げている。「セーフティーネットの強化」は「生存権の尊重」と置き換えることができる。

  

拙著『知られざる真実-勾留地にて-』第一章第23節「切り捨てられる弱者」、第三章第3節「弱き者のためにある政治」に記述したが、政府が推進してきた「労働ビッグバン」や「再チャレンジ支援」は企業優遇の施策でしかない。「上げ潮派」の人々は企業の競争力、生産性を高めることを優先し、法人税減税の重要性を強調するが、労働者の幸福については考慮している痕跡さえ見当たらない。労働者、勤労者は利潤を生み出す道具、消耗品としか捉えられていないのではないかと思う。

  

市場原理だけに委ねれば、生存権さえ脅かされる結果を招来するのが「分配」問題の帰結である。国民の幸福を考えるうえで、最大の智慧が求められるのが、「分配」に関するルール設定、労働条件に関するルール設定なのだ。同一労働・同一賃金、労働者の幸福、人権を尊重するルールの設定が優先して検討されなければならない。

  

  

社会を構成するすべての成員が幸福に生きてゆける社会を目指すべきだと思う。新自由主義の立場に立つ人々は、結果における格差を容認する傾向が強いが、弱肉強食、金銭崇拝の思想は、必ず荒廃した社会状況を生み出すことになる。それでも、個人の思想の自由は保障されているから、どのような考えを持とうともその選択は個人に委ねられる。

  

総選挙に際しては、思想、哲学を明確に有権者に示したうえで、審判を仰ぐことが必要だ。私は人間尊重、公正な分配、生存権尊重の経済政策を望ましいと考える。

  

   

公教育の拡充も重要だ。公教育の人件費を抑制してゆけば、十分な教育が実現しないことは自明だ。教育は消費ではなく、将来への投資である。官僚利権への政府支出を切り詰めれば財源は十分に確保できる。

  

高等教育を受ける機会を拡充すべきだ。夢があり、意欲があり、適性のある若人に等しく高等教育を受ける機会を保証することは政府の大切な役割だと思う。

  

   

人はパンのみのために生きる存在ではない。「生きがい」こそ生きる証しである。すべての人が心の充足感をもって生きてゆける環境整備に国は力を注ぐべきだ。すべての人の人権、生存権を尊重することが求められる。

  

拙著にも引用させていただいたが、茨木尚子氏が発表された「障害者支援はどこに向かおうとしているのか」(『世界』2006年12月号)は次の言葉で締めくくられている。

  

「必要な支援を得て社会活動に参加する障害者たちが当たり前のように存在する社会なのか、お金がないために、家や施設に留まらざるを得ない障害者たちがそこから抜け出せない社会なのか。今その分岐点にわれわれは立っている。いやすでに一方の途に歩みを進めているのかもしれない。」

  

   

1981年の「国際障害者年行動計画」に記されているように、「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである」。社会の強さは社会を構成する最も弱い構成員がいかに強固に守られているかで測られるものだと思う。幸福は分かち合うもので、占有するものではない。

  

社会のあり方を選択できる最も重要で、唯一と言ってもよい機会が国政選挙である。偽装、プロパガンダ、デマゴギー、メディアコントロールの偽りを見抜いて、私たちは正しい選択を示さなければならない。そして、私たちが正しく選択できるように、政治家は国民の前に適正な選択肢を提示しなければならない。

   

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政権交代なくして真の改革なし

「kobaちゃんの徒然なるままに」様「晴天とら日和」様、記事ご紹介ならびに貴重なご高見をありがとうございました。心より感謝申し上げます。

  

前回記事「政治の対立軸()三つのトピックス」について、「kojitakenの日記」kojitaken氏が疑問を提示され、「カナダde日記」様の美爾依さんが貴重な見解を示してくださった。美爾依さんはいつも意義深いメッセージを示してくださり心から感謝している。

  

  

日本の独立自尊外交について、私の考え方を伝えておきたい。美爾依さんが紹介して下さった前回記事末尾部分は私の考え方を集約して示している。

  

 「日本は正義と公正の視点に立って、自らの主張を国際社会に発信するべきである。そして、日本政府は日本国民の幸福を追求する存在でなければならない。米国が日本にとって重要な国であることを否定する者は少ない。米国との関係を重視することを私は間違っていると思わない。しかし、米国を重視することと米国に隷属することはまったく違う。」

  

北朝鮮との問題の原点には2002年9月17日の小泉元首相による北朝鮮訪問がある。天木直人氏が指摘するように、小泉元首相は日朝平壌宣言に調印する過程で、拉致問題の解決を曖昧にしたままで北朝鮮への経済援助と国交正常化交渉開始を決めてしまった。

 

ところが、その後の日本国内での世論の強い反発を受けて、北朝鮮に密約していた日本の基本姿勢が宙に浮いてしまった。拉致被害者が問題の全面解決を求めるのは当然だ。日本が北朝鮮の核問題に関する十分な情報収集を行わずに国交正常化交渉開始の方針を決めたことも問題だった。日本の動向を事前に知らされなかった米国は、北朝鮮の核問題を重視して日本政府の行動をけん制した。

  

核問題を重視する米国は6ヵ国協議の枠組みで問題解決を図ろうとしたが、日本が6ヵ国協議進展の前提条件として拉致問題解決を主張して、協議が立ち往生した。結局、米国は日本の意向を無視して、核問題処理を条件に北朝鮮に対するテロ支援国指定解除に動くことになった。

  

  

日本は米国に梯子を外されながらも、米国の言いなりになるしかない状況に追い込まれている。問題の原点には、小泉元首相が自らの利害を優先して、変則的な外交を展開した事実が存在する。

  

  

2002年9月、日本経済は厳しい状況に追い込まれていた。株価が暴落し、経済悪化が深刻化した。2002年1月に田中真紀子外相を更迭して以降、小泉政権に対する支持率は急落し、政権は危機に直面していった。国民の批判から目をそらすことと、一部の外務官僚が正規の外交ルートを外れた交渉を進めて小泉元首相に情報を提供したことが結びついて、9月17日の突然の日朝首脳会談が開催された。

  

拉致被害者の一部の方々が帰国できたことは日本国民にとって最大の喜びであったが、この日朝交渉は、最初の時点での日本政府の対応に大きな問題があったと言わざるを得ない。

  

  

このような形で交渉をスタートさせ、日朝平壌宣言にまで調印してしまったために、その後の交渉が極めて困難になってしまったのだ。「拉致問題解決なくして国交正常化交渉なし」の正論が有効性を発揮できない状況を生み出してきてしまったのだ。

  

日本政府は拉致被害者の救出に全力をあげるべきで、そのための手法として、どのようなアプローチが良いのかについて、最大の知恵を出してゆかなければならないと思う。小泉政権を含めて小泉政権以降の政権が、「拉致問題の解決なくして国交正常化交渉、経済制裁解除、6ヵ国協議進展なし」と主張してきたにもかかわらず、今回、米国が北朝鮮に対するテロ支援国指定解除に動くと、何らの説明をも示さずに、経済制裁解除に進むことに大きな疑問を感じないわけにいかない。

  

  

私が問題にしている対象は、日本政府の外交姿勢が完全な対米隷属になってしまっていることにある。日本政府は北朝鮮との問題について、当初から筋を通した交渉を進めるべきであったし、その場その場で、交渉姿勢を変遷させてきたことも問題である。

  

  

日本でいま最も大切なことは、本当の意味で日本の政治を「CHANGE」することである。小泉政権の芝居に乗せられて、2005年9月の郵政民営化選挙で、国民は与党に衆議院の3分の2以上の議席を付与してしまった。しかし、小泉政権は、①弱肉強食礼賛・弱者切り捨て・格差拡大推進の市場原理至上主義、②官僚利権死守、③対米隷属外交を基軸に据え、国民に大きな苦しみをもたらした。

  

昨年7月の参議院選挙で国民は自民党を惨敗させ、参議院野党に過半数の議席を付与した。本年4月の衆院補選、6月の沖縄県議選でも自民党を惨敗させた。国民が次期総選挙で野党を勝利させれば、日本の政権が変わる。官僚機構が実権を握る「官僚主権構造」を打破し、「市場原理至上主義」を是正して、弱者を適正に保護する施策を実行することができるようになる。

   

また、対米隷属から脱却して、正義と公正を軸に日本の独立自尊外交を示すことも可能になる。既得権益、既成権力を打破して、国民主権、地域主権の新しい日本の統治システムを構築する最大のチャンスが近づいている。

  

  

政権与党は死に物狂いで既得権益の維持、政権の維持に邁進する。国民の判断に最大の影響を与えるマスメディアを総動員して、世論を誘導しようと動くのだ。

  

自衛隊イージス艦による漁船衝突沈没事故は三浦和義氏のサイパンでの逮捕のニュースでかき消された。後期高齢者医療制度に対する国民の怒りが沸騰した時点では、テレビ報道の大半の時間が四川大地震にすり替えられた。

  

山口2区衆院補選、沖縄県議選での与党惨敗のニュースは大きく報道されなかった。憲政史上初の首相に対する参議院での問責決議案可決は衆議院での信任決議可決とセットで報道された。

  

  

最近の政治ニュースは自民党内部の「上げ潮派」と「財政再建派」の対立を紹介するものばかりで、民主党の動向が政治ニュースから姿を消している。民主党関係で登場するのは、前原誠司元民主党代表や大江康弘参議院議員などによる小沢一郎民主党代表を攻撃する情報ばかりである。

  

フジテレビ月曜9時ドラマが小泉元首相の元秘書官である飯島勲氏の監修により制作されていることが少しずつ知られるようになっているが、竹中平蔵氏と関わりの深い「脱藩官僚の会」が「CHANGE」のコピーを用いて、8月にも設立総会を開くとの情報が報道されている。今回の月9ドラマは変則的に5月12日に放送が開始され、8月中旬に最終回を迎える可能性が高い。

  

55年体制と呼ばれる政治体制の下で、自民党による政治支配が、ごく短期の例外期間を除いて50年以上続いてきた。自民党政治と官僚主権の統治システムは同義と解して差し支えない。小泉政権は「改革」を標榜したが、自民党内での権力掌握主体を「平成研究会」(旧田中派)から「清和政策研究会」(旧福田派)に「改革」したが、「官僚主権構造」は完全に温存した。

  

清和政策研究会が基盤を置いていると見られる財務省、警察、検察の権限は強化、拡大されてきた。官僚の天下り利権も温存され、新しい国家公務員制度の下で、「天下り」および「キャリア官僚制度」は制度的に、より強化される見通しである。

  

  

「脱藩官僚の会」を含む最近の政治論議および行動は、既得権益を維持する勢力が、既得権益を維持するために仕組んでいると洞察すべきである。「敵をあざむくにはまず味方をあざむく。これ権謀術数の第一歩と心得よ」という飯島勲氏の言葉を十分に踏まえる必要がある。飯島氏に誤算が生じているとすれば、その原因はこの言葉を公開したことにあるだろう。参謀は陰に隠れていてこそ真価を発揮する。

  

  

既得権益を打破し、新しい価値を生み出すには、その既成権力が退場し、新しい主体が登場しなければならない。国民は「まやかしの改革」に目をくらまされてはならない。大きな変革を実現するには、志を共有できる者が、小異を残して大同につき、無私の精神で協働しなければならないと思う。

  

真の改革を目指す者が小異によって分裂するのでは、既成権力の思うつぼである。政権交代に基軸を据えて、総力を結集しなければならない。既成権力はマスメディアと財界の財力を総動員して、政権交代の阻止に全力をあげるだろう。心ある人々は草の根から情報を発信し、野党勢力は小異を残して団結する必要がある。

  

  

市場原理至上主義が蔓延し、日本社会が崩壊することを阻止しなければならない。政府は国民の幸福を実現するために存在する。少数の力の強い人々にとって都合の良い社会を作るために存在するのでも、外国勢力にとって都合の良い社会を作るために存在するのでもない。これまで権力を掌握してきた官僚機構が引き続き権力を維持するために存在するのでもない。本当の変革を実現するために、私たちが草の根から地道な運動を展開しなければならないと思う。

  

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政治の対立軸(2)三つのトピックス

政治の対立軸として私は三つの問題が重要だと述べてきた。第一は市場原理と弱者保護についての考え方。「市場原理至上主義」対「弱者保護重視」と置き換えてもよい。第二は官僚利権に対する考え方。「官僚利権温存」対「官僚利権根絶」と捉えられる問題だ。第三は外交の基本姿勢。「対米隷属外交」対「独立自尊外交」と置き換えることができる。

  

この問題に関連して、三つのトピックスが提供されている。①日本の自殺者が10年連続で3万人を超えたニュース、②グリーンピースが告発した鯨肉横領問題が不起訴処分になったこと、③拉致問題の解決なく経済制裁解除に動き始めた福田政権、の三つだ。

  

  

以下は自殺者3万人超についての朝日新聞記事(2008年6月19日12時10分)である。

  

 昨年1年間に全国で自殺した人が前年比2.9%増の3万3093人で、統計が残る78年以降では03年に次いで過去2番目に多かったことが19日、警察庁のまとめでわかった。60歳以上の高齢者や、働き盛りの30歳代がいずれも過去最多だった。自殺者が3万人を上回ったのは98年以降10年連続。

 原因・動機については、自殺対策に役立てるため、今回のまとめから52分類に細分化。三つまで複数選択できるようにした。原因・動機を特定できた2万3209人では、健康問題が1万4684人で最も多く、経済・生活問題が7318人、家庭問題が3751人、勤務問題が2207人と続いた。 

 健康問題の内訳では、うつ病が6060人で最多。このうち30歳代が996人、40歳代が940人で、50歳代以上だけでなく、子育て世代にも広がっている。職業別では、被雇用者・勤め人が1341人、自営業・家族従事者が371人だった。 

 勤務問題の内訳=図=では、多い順に「仕事疲れ」が672人、「職場の人間関係」が514人で、いずれも30歳代が3割弱を占めて最多だった。「仕事疲れ」の8割以上がサラリーマンなど被雇用者・勤め人だった。 

 都道府県別では東京3047人(前年比382人増)、大阪2241人(同289人増)、神奈川1845人(同206人増)など大都市圏での増加が目立った。10万人当たりの自殺者数では山梨(39人)が全国で最悪だった。また、いじめが動機の自殺は14人だった。 

 男女別では、男性が2万3478人、女性が9615人でいずれも前年より2.9%増えた。 

 年代別では、60歳以上が1万2107人(前年比8.9%増)で2年連続で増えた。前年を上回ったのは、40歳代の5096人(同1.8%増)、30歳代の4767人(同6.0%増)だった。

 

  

 自殺者が3万人を突破したのは1998年だった。97年の2万4391人から3万2863人へと8000人以上も急増した。1998年は97年の9兆円国民負担増加政策により、株価暴落、経済崩壊がひろがり、長銀や日債銀の破たんが広がるなど、日本経済が激しい混乱に陥った年だった。

  

 自殺者がピークを記録した2003年は、小泉政権が景気悪化推進政策を実行し、株価が暴落、金融恐慌の現実が日本経済に差し迫った年だった。 

  

小泉政権が「自己責任原則」という金融行政の根本原則を放棄して「税金によるりそな銀行救済」を実行したことによって金融恐慌は回避され、その後、株価上昇と日本経済回復が実現したが、自殺者は減少せずに現在に至っている。

  

  

 政府は自殺の原因として「うつ病」を強調している。「うつ病」を中心とする現代日本での「心の問題」は重要だが、諸外国と比較しても突出している日本の自殺の背景に、経済社会の荒廃、市場原理至上主義が横たわっていることを忘れてならないと思う。

  

 自殺の背景として最も多いのが「健康問題」、第2位が「経済・生活問題」だ。しかし、健康問題の裏側に経済問題が潜んでいることを見落としてはならない。

  

  

 後期高齢者医療制度問題は高齢者の医療費負担、保険料負担がいかに深刻であるのかを明らかにしている。経済的な不安と健康不安とは表裏一体をなしていることが圧倒的に多い。

  

  

 労働市場の構造変化も激しい。1985年に12%だった非正規雇用者の比率は30%台に急上昇している。15-25歳の労働者では非正規雇用者が2分の1を占めている。

 労働コストの削減を優先する企業は人件費のかさむ中高年労働者をターゲットに人員削減にいそしんでいる。雇用・生活に対する不安、職場での心理的圧迫が心の変調をもたらしていることも多い。

  

 経済が浮上してくれば、国民生活は楽になりそうなものだが、小泉政権が推進してきた「市場原理至上主義」の下で、景気回復下にもかかわらす格差が拡大し、固定化される傾向が強まっている。大企業の利益は史上最高を更新しているが、一般労働者、経済的弱者、社会的弱者は景気回復から完全に取り残されている。

  

  

 「日銀短観」という調査が3ヵ月に1度発表されている。次回は7月1日に発表されるが、この調査には企業の規模、業種別に業況判断が示される。大企業の業況は好景気を示しているが、中小企業の大半は不況のただなかで推移したままである。地方の街角景気を代表するのが、「小売」、「飲食・宿泊」、「建設」の3業種だが、この3業種は日本経済がいざなぎ景気を超す景気拡大期間の下で一度も浮上しなかった。

  

  

 年金、医療費などの国民負担は増加の一途をたどり、高齢者の負担についての将来の姿がまったく見えない。高齢者が安心して、生きがいを持って生きてゆける社会を構築しなければならないのに、現実は明らかに逆方向を示している。

  

  

 市場原理至上主義に反対する具体的な政策提言として、私は労働市場の改革、教育に対する助成、弱者保護のセーフティーネット強化を唱えている。同一労働・同一賃金制度の導入、初等教育の充実、高等教育を受ける機会の保証、社会的、経済的弱者の適正な保護策を今後も訴えてゆきたい。

 

  

 グリーンピース関係者が逮捕され、世論がグリーンピース・バッシングに誘導されているが、財政資金が投入されている機関の不透明な実態の全容を解明することの必要性はまったく減じていない。

  

 「カナダde日本語」の美爾依さんが、私の記事を紹介くださるとともに、この問題について貴重な見解を示されている。私は重要な告発は適正な手順を踏んで行われるべきだと考えるが、国民の税金が100億円も投入されてきた調査捕鯨事業に不透明な点が存在することは重大な問題だと考える。

  

 検察は刑事告発を受けたが不起訴処分を決定したとのことだが、十分に適正な捜査が行われたとは考えられない。政治権力が司法、警察、裁判所を支配する現代日本は極めて危険な状態にあると言わざるを得ない。

  

   

 私が「天下り根絶」を唱えるのは、私が大蔵省で勤務した2年間の体感に基づく。官僚は国民の幸福を目指して行動していない。官僚はそれぞれの官庁の利害に沿って動いている。実際のエピソードは『知られざる真実-勾留地にて-』(イプシロン出版企画)に記したが、この問題を解決しない限り、国民本位の良い社会を構築することは不可能だと考える。

  

 各種世論調査は、「政府の無駄を排除したうえでの国民負担増大であれば受け入れる」との考えを持つ国民が過半数を超えていることを示している。国民が安心して暮らせる社会保障制度を支えるのにお金が必要なことは誰もが知っている。本当に必要な負担であれば、国民は負担に応じるのだ。

  

 しかし、国民に負担増大を求める前に公的部門の無駄、適正でない利権を排除すべきであるのは当然だ。政府関係機関や金融機関に、永年一生懸命汗を流して働いてきた人がいる。ところが、所管官庁の役人経験者がある日突然やってきて、トップに居座る。役所がこれらの機関に恩恵を与え、これらの機関は見返りに幹部ポストを差し出しているのだ。

  

  

虎ノ門に集中する公益法人は、多くが単なる天下り組織である。政府は天下り機関と随意契約を結び、巨額の財政資金を投入し、多数の天下り役人が法外な報酬を得ている。

 天下り利権が官僚利権の中核であり、その根絶を成し遂げるのが本来の「改革」の目標である。郵政事業を民営化して、銀行業界と米国資本の要望を満たすことが改革ではない。

  

 

 福田政権は北朝鮮が拉致被害者についての再調査を開始すると表明したことを受けて、北朝鮮に対する経済制裁を一部解除する方針を示した。その背後に、米国の北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除の意向が存在することは明白だ。

 

 グリーンピース関係者を逮捕までする日本政府が、拉致問題の全面解決を棚ざらしにしたまま、経済政策解除に動くのは、日本の「対米隷属」を象徴する以外の何者でもない。

  

 イラクが大量破壊兵器を保持していると米国が言えば、十分な裏付けを取ることもなく同調して対イラク戦争を支持する。拉致問題の解決なくして経済制裁解除なしと国民に約束しておきながら、米国が対北朝鮮宥和策に動くと正当な根拠なく追従する。

  

 日本は正義と公正の視点に立って、自らの主張を国際社会に発信するべきである。そして、日本政府は日本国民の幸福を追求する存在でなければならない。米国が日本にとって重要な国であることを否定する者は少ない。米国との関係を重視することを私は間違っていると思わない。しかし、米国を重視することと米国に隷属することはまったく違う。

   

  

 官僚も政治家も自己の利害得失を優先しすぎている。公務員は国民への奉仕者であるし、政治家は有権者の幸福を第一に考えるべき存在だ。また、メディアは、社会の木鐸として権力と距離を保たなければならない存在だ。それぞれが、本来の役割に立ち帰ることが求められている。

  

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劇場型政治手法の再来

神州の泉様ミクロネシアの小さな島・ヤップより様こわれたおもちゃをだきあげて様高原千尋の暗中模索様空に向かって様オホーツクの詩季様、貴重なご高見、ならびに記事の紹介ありがとうございました。深く感謝申し上げます。

  

自民党内の政策論争が激化しているように見える。「財政再建派」と「上げ潮派」の意見対立である。

  

  

福田首相に対する問責決議案が憲政史上初めて参議院で可決され、有権者の多数が衆議院の解散総選挙を求めている。マスメディアが国民世論を尊重して、解散総選挙を求める論調を強めれば、政治は国民の意思を問う総選挙に向かう局面だ。

  

  

しかし、マスメディアは解散総選挙を求める論陣をまったく示していない。政治権力は現時点での総選挙を封印しようと強い意志を持ち、政治権力に支配されたマスメディアは政治権力の意向を代弁して、解散総選挙への流れを阻止するための情報操作を実行している。

  

  

自民党は次期総選挙までの時間を少しでも多く稼ぎ、その期間に支持率回復を図る考えを有している。そのための基本戦術は、政治論議の劇場化、壮大な三文芝居の再演であるように感じる。

 

  

私は6月3日付記事「「敵を欺くにはまず味方を欺く手法」に警戒すべし」に、以下のように記述した。

  

「小泉政権以来の常套手段は、与党内に反対論を存在させ、政府決定がその反対を押し切って決定されたように装うことである。政権が与党内の強い反対を押し切って新制度を導入したとの演出を凝らす。政府御用の報道番組はその装いの上に「報道」の装飾をさらに重ね合わせる

  

自民党内でこれから「財政再建派=増税派」VS「上げ潮派=歳出削減派」の対立が演出されることになる。「上げ潮派」は消費税の増税よりも歳出削減、「小さな政府」を主張し、財務省とも対立する素振りを示すと考えられる。

   

財政再建派は社会保障制度の安定性確保のための消費税増税を主張する。だが、総選挙を控えて与党が増税方針を最終的に決定する可能性はゼロである。最後は「歳出削減派」が勝利する。小泉元首相と中川秀直氏を中心とする新しい政治勢力が自民党を最終的に代表することになるだろう。麻生氏が担がれる可能性もある。同時に自民党は選挙に不利な増税も真剣に論じる政党であることをアピールする。」

   

 

また、6月17日付記事「「政治的」テレビドラマと今後の政治日程」には、以下のように記述した。

   

「現在、自民党内部で「官僚権力温存」と「官僚権力打破」の対立が存在するかのような演出が進められつつある。月9ドラマ『CHANGE』は、この対立図式で描かれる自民党内の二つの勢力のうち、「官僚権力打破」を装う勢力にとっての推進力として活用されようとしているのだと考えられる。

  

小泉元首相、中川秀直元自民党幹事長、小池百合子元環境相、そして小泉チルドレン、さらに旗揚げされた「脱藩官僚の会」が連携する可能性がある。6月16日の朝日新聞は、「脱藩官僚の会」が8月下旬の臨時国会召集前に設立総会を開く予定であると報じている。

   

月9ドラマ『CHANGE』は、通常の4月スタートでなく異例の5月12日スタートになったが、1クール=3ヵ月で最終回を迎えると、8月上旬が最終回になる。「脱藩官僚の会」設立総会開催に向けてドラマ最終回が準備されるとも読み取れる。

   

「敵をあざむくにはまず味方をあざむく。これ権謀術数の第一歩と心得よ」の言葉をもう一度、吟味する必要があるようだ。」

  

  

  

「官僚利権の根絶。経済成長による税収の確保。消費税増税などの増収措置は官僚利権を根絶したうえで着手すべし。財政再建目標は経済成長の促進と無駄な政府支出の排除によって達成可能である。」

  

この主張は私の持論である。2001年に小泉政権が発足した時、私はこの主張を掲げて小泉政権に対峙した。小泉政権は「成長率引き上げによる税収増大の主張は空論である」として、徹底的な超緊縮財政に進んだ。

  

  

官僚利権の中核は「天下り」であって、「天下り根絶」こそ「改革の本丸」であるとの私の主張に対して、竹中平蔵氏は「天下り問題は瑣末な問題」と議論に応じることもしなかった。

  

  

  

ところが、いま、この持論が、そっくりそのまま「上げ潮派」と呼ばれる人々によって使用されている。私は8月に設立総会が開かれる予定の「脱藩官僚の会」が自民党の「上げ潮派」と結託する可能性が高いとにらんでいる。

  

  

フジテレビ月9ドラマ「CHANGE」最終回はこの政治新勢力結成に照準を合わせているように考える。小泉元首相、中川秀直自民党元幹事長、小池百合子元環境相、武部勤自民党元幹事長、渡辺喜美行革相、小泉チルドレンが連携する可能性が高い。

  

  

脱藩官僚の会に名を連ねる高橋洋一氏、岸博幸氏らの裏側には竹中平蔵氏が位置している。そして、全体の裏側にフジテレビドラマ「CHANGE」を監修している飯島勲元首相秘書官が位置すると考えられる。

  

  

  

  

新勢力結成に際して、民主党から「脱藩」する議員が出る可能性もある。民主党凌雲会の前原誠司元民主党代表は小沢一郎民主党代表への批判を強めており、小泉元首相との勉強会にも名前を連ねている。民主党を分裂させる構想を有している恐れもある。

  

  

「経済成長重視」、「増税よりも歳出削減優先」、「天下り根絶」の組み合わせは私が永年主張してきた政策の骨子であり、対極に位置していたのが小泉政権だった。小泉政権の政策を全面的に支持してきたのが、中川秀直氏であり、竹中平蔵氏だった。これらの人々が、経済政策の基本路線を全面的に転換したことは驚きである。

  

  

過去の経緯はどうであれ、正しい政策が実行されることが大切だから、この政策方針が実行に移されることは望ましい、しかし、私はさらに二つの重要な柱が加えられなければならないと考えている。

  

 

「弱者の適正な保護」と「独立自尊外交」だ。この点に関して上記の政治勢力に多くを期待することは残念ながらできない。「弱者切り捨て」は容赦なく進められており、外交政策路線は完全な「対米隷属外交」である。

 

  

「官僚利権根絶」の主張も疑わしく思う。実現した国家公務員制度改革は改革の名に値するものではない。キャリア官僚制度が官僚利権自己増殖の大きな背景だが、新制度では名称が変更され、微小に人事運営が変更されるだけである。天下りの決定部局は変更されるが、天下りが逆に制度として固定化されるリスクの方が高い。

  

  

  

自民党内での路線対立を演出して、マスメディア報道を自民党に集中させる。自民党内の異論を押し切って、国民本位に見える政策を自民党の政策として決定させる。反対する勢力が「抵抗勢力」で推進する勢力が「改革勢力」=「正義の勢力」との図式をイメージ化し、正義の勢力が勝利を収めることによって、国民の支持を吸収する。

  

  

小泉政権の劇場型政治演出がいま、再現されようとしている。繰り返すが、官僚主権構造と自民党支配の政治構造とは表裏一体をなしている。小泉氏-中川秀直氏-竹中平蔵氏が実権を保持していた期間に、官僚利権は排除されず、増強された事実を忘れてはならない。

  

   

 

民主党の真の改革推進勢力が軸となり、本当の意味の「改革路線」を明確に打ち出さなければならない。「官僚利権根絶」=「天下り根絶」、「弱者保護」、「独立自尊外交」を基軸に据えた「真の改革」政策プログラムを提示し、国民に真実を知らせてゆかなければならないと思う。

 

  

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政治の対立軸(1)市場原理至上主義VS弱者保護

政治・政策をめぐる論議は概ね1年以内に衆議院総選挙を控える日本にとって、極めて重要だ。本ブログでも、日々発生する諸問題への考察を通じて、日本の世直し、本当の意味における「改革」の方向を考察してゆきたい。数回に分けて、政治の対立軸について考えてみる。

 

   

次期衆議院選挙は日本の命運を分ける重大な分岐点になる。既得権益を保持する勢力は、既得権益を守ることを第一と考える。国民は小泉政権が推進した政策が日本社会に深刻なひずみをもたらしてきたことに、ようやく気付き始めた。

  

格差社会、後期高齢者医療制度に象徴される高齢者いじめ、障害者自立支援法に象徴される経済的弱者いじめ、などの実態がようやく広く国民に意識され始めた。

  

2003年半ばにかけては、日本経済が深刻な経済危機に直面した。危うく金融危機に突入するところまで事態は悪化したが、政府によるりそな銀行救済を転換点に経済金融は安定化に向かった。

  

洞察力を持つ国民は、一連の事態の推移を通じて外国資本が巨大な利益を獲得したことを見逃していないが、多くの国民は政治権力に支配されたマスメディアの誘導により、政府の経済政策が成功を収めたと錯覚してしまった。

  

 

私が10年来主張してきた官僚利権の根絶について、最近までほとんどの人々は無認識だった。2001年に発足した小泉政権に対しても、私は天下り利権の根絶を提言したが、竹中経財相(当時)は天下り問題を瑣末的問題にすぎないと論評した。

  

 

私は政治の対立軸として三つの問題が重要だと考える。第一は市場原理と弱者保護についての考え方だ。「市場原理至上主義」対「弱者保護重視」と置き換えてもよい。第二は官僚利権に対する考え方、「官僚利権温存」対「官僚利権根絶」と捉えられる問題だ。第三は外交の基本姿勢だ。「対米隷属外交」対「独立自尊外交」と置き換えることができる。

  

小泉政権の政策方針は①「市場原理至上主義」、②「官僚利権温存」、③「対米隷属外交」、を基本に据えていた。小泉政権が「改革」を旗印に掲げて「官僚利権」に切り込もうとしていたのではないかとの錯覚が存在するが、小泉政権が官僚利権、とりわけ財務省利権を全面的に擁護したことは間違いない。

  

2006年にかけて政府系金融機関の機構改革が論議されたが、財務省系金融機関への天下りは結局維持された。財務省利権温存の姿勢はその後の安倍政権、福田政権に引き継がれた。この点は、本年の日銀人事で福田政権が最後まで財務省の天下り利権維持に執着したことにより証明されている。

 

  

今回は、市場原理至上主義について考える。

  

『国家の品格』(新潮新書)の著者藤原正彦氏は市場原理主義について以下のように指摘する。

  

「「市場原理主義」は「共生」にも似て単なる経済上の教義ではなく、経済の枠を越え、あらゆる面に影響を及ぼすイデオロギーである。人間の情緒とか幸福より、効率を至上とする論理と合理を最重視する点で論理合理と言ってもよい。」(「国家の堕落」『文藝春秋』2007年1月号)

  

 

竹中平蔵氏は「頑張った人が報われる社会を目指す」と主張していたが、その成功事例としてあげていたのは、たとえば堀江貴文ライブドア元社長などのような人物だった。私はこの価値観に根本的な違和感を禁じえない。

  

金融市場の特性を利用して、労少なく巨大な富を獲得することは、たしかにひとつの才能による収穫物であるかも知れないが、そのよう金銭的成功を政府が奨励し、成功者をたたえることをもって、「頑張った人が報われる社会」だと評価するなら、私はこの主張に賛同しない。

  

努力を否定する考えは毛頭ないし、頑張った人が適正に報われる社会を望ましいと思う。ここで問題になるのは、「頑張った人が報われる」と表現する事象の具体的な姿である。会社を興し、株式市場に上場し、巨大な利益を獲得することをもって「頑張った人が報われる」と捉える感性に、私は強い違和感を覚える。

  

  

世の中には「頑張っているのに報われない」人々が無数に存在する。この無数の人々に焦点を当てて、頑張ったことに応じて、相応の報酬が得られるような状況を整備するとの意味で、「頑張った人が報われる社会」を目指すのなら賛同できる。

  

  

小泉政権が市場原理至上主義に基づく経済政策を推進した下で、日本の格差問題は急激に深刻化してきた。三つの重大な問題を指摘することができる。第一は、労働市場における格差が急激に拡大し、しかも格差が固定化される傾向を強めていることだ。問題はとりわけ若年層で深刻である。

  

現在、15-24歳の労働者では2人に1人が非正規労働者だ。悲惨な秋葉原事件などの問題が多発している大きな背景として、若年労働市場の厳しい現状が指摘されている。格差拡大、格差固定化傾向の強まりは、人々の精神的充足感に重大な影を落とし始めている。同一労働・同一賃金制度の導入などの抜本的な対応が求められている。

  

  

第二の問題は、教育の問題だ。市場メカニズムを尊重し、結果における格差を容認するための重要な前提条件は、「機会の平等」が確保されることだ。「機会の平等」を考える際に、最も重要なのが教育を受ける機会の保障だと思う。ところが、日本は教育への取り組みが貧困である。

  

日本政府の教育支出の対GDP比は、高等教育で0.6%とOECD加盟国30カ国のなかで、韓国と並び最下位だ。高等教育に要する費用のなかの家計負担率は、60.3%とOECD加盟国で第1位である。

  

能力があり、夢があり、意欲もあるのに経済的理由で高等教育を受けることができない状況の解消に政府は力を注ぐべきだと思う。小泉政権以来の政権は財政収支改善のために教育関係支出をさらに削減しようとしているが、逆行した行動と言わざるを得ない。

  

  

第三の問題は、市場原理至上主義と財政再建の重要性が喧伝されるなかで、社会的、経済的弱者に対する支出が冷酷に切り込まれてきたことだ。小泉政権の登場以降、日本の政治思潮は従来の「ケインズ的経済政策と市民的自由」の組み合わせから「ハイエク的経済政策と治安管理を重視する政治体制」の組み合わせに大きく旋回してきたと指摘される。

  

  

「頑張った人が報われる社会」との偽装されたスローガンの下に「市場原理至上主義」が日本を覆い尽くしてきたように感じられる。その具体的証左が障害者自立支援法、高齢者や母子世帯に対する生活保護圧縮、後期高齢者医療制度などである。「障害者自立支援法」は「自立」だけを強調し、障害者の「生存権」を脅かしている。

  

世界の大競争進展のなかで、市場メカニズムを活用し、日本経済全体の効率を高めることが望ましいことに異論はない。役割を終えたさまざまな経済的規制は撤廃すべきである。

  

しかし、政府が国民の幸福実現のために存在するとの原点を忘れてはならない。「豊かな社会」とは社会を構成する要員のなかの最も弱い部分が強固に支えられている社会だと私は考える。政府は基本的に強い者のために存在するのではなく、弱い者のために存在すると考える。

  

  

政治の対立軸の第一に弱者保護に対する基本姿勢を位置付けるべきだと思う。市場原理至上主義に賛同する国民も多数存在するだろう。どのような価値基準を持つかは個人の自由に帰属するのだから、そのような考え方を基軸に据える政治勢力が存在することは当然だろう。政権与党が市場原理至上主義を基軸に据えるなら、反対勢力は弱者の適正保護と機会の平等確保重視を基軸に据えた政策綱領を提示するべきだと思う。

 

 

 

 

     

本ブログで山口正洋氏や藤井まり子氏などの問題に言及したために、本来の課題である日本の政治・政策について記述することへの時間配分が減少してしまった。

 

しかし、本ブログ『知られざる真実』が追求する真実には、私が巻き込まれている理不尽、不条理の真相、深層を明らかにすることも含まれている。現代日本の権力構造、社会支配の実相を正確に知らなければ、本当の意味での世直しは不可能である。事件の真相を明らかにすることによって、問題解決の方向が見えてくるとも考えている。

  

上記の問題は政治権力が主導する日本のメディアコントロールの問題と不可分に結び付いている。多くの見識ある人々が、この問題を正確に理解され、正当で意義深い見識を示してくださっていることにより、多くの人に真実を伝えることができ、同時に歪んだ日本の言論空間に警鐘が鳴らされている。この意味で、私はこれまでの論議を意義深いと考えている。

      

 

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「政治的」テレビドラマと今後の政治日程

6月3日記事および6月10日付記事に記述したフジテレビ月曜9時ドラマ『CHANGE』について、「週刊ポスト」2008年6月27日号(小学館)が「キムタク総理『CHANGE』は飯島勲元秘書官に操られている!?」と題する記事を掲載した。

 

この問題を早くから指摘してきたのは、まぐまぐメルマガ大賞政治部門1位の「国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」」で、直近のメールマガジンでもこのことを指摘している。小野寺氏の情報は非常に早い。

 

上記「週刊ポスト」記事は、『CHANGE』のエンドロールに「監修 飯島勲」の名が示されることを指摘している。監修者には時事通信社解説委員の田崎史郎氏が名を連ね、「政治指導」のクレジットで渡辺喜美行革担当相の秘書・田中良幸氏が協力していることも明らかにしている。

「放送法」第1章総則第1条(目的)には以下の規定がある。

第1条 この法律は、左に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。

1.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

2.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

3.放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

  

また、第3条の2(国内放送の番組の編集等)に以下の規定がある。

第3条の2 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

1.公安及び善良な風俗を害しないこと。

2.政治的に公平であること

3.報道は事実をまげないですること。

4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

  

第1条の「放送の不偏不党」、および第3条の「政治的に公平であること」の規定に、『CHANGE』が抵触していないかどうか、検討が求められる。

  

小野寺氏が指摘してきたように、『CHANGE』は飯島勲氏の著書『代議士秘書-永田町、笑っちゃうけどホントの話』(講談社文庫)をベースに制作されている可能性が極めて高い。「週刊ポスト」の上記指摘はこのことを明確に示している。

  

  

小野寺氏は、第1回放送での、阿部寛扮する199勝1敗の選挙プランナー韮澤勝利が、主演の木村拓哉扮する朝倉啓太(第3話で総理大臣に就任)に叫ぶ、

 

「いいか 選挙は日本でできる唯一の戦争だ」

  

の台詞が飯島勲氏の上述著書第二章78ページからの小章「選挙は日本でできる唯一の戦争だ」末尾(82ページ)にある、
  

教訓「選挙とは武器を使用しない、日本でできる唯一の戦争なり。

 

敵をあざむくにはまず見方をあざむく。これ権謀術数の第一歩と心得よ」

  

と一致していると指摘した。

   

6月3日付記事に記述したように、第4回放送でのダム建設をめぐる行政訴訟で朝倉首相が「国は控訴しないことを決定した」と述べるシーンが、小泉元首相がハンセン氏病訴訟で控訴断念を決する場面と重ね合わせられていることは明白だ。

  

 6月10日付記事に記述したように、第5回放送では、朝倉首相が日本の国益を最重視して、米国との通商摩擦を見事に切り抜けるストーリーが展開された。木村拓哉扮する朝倉啓太首相を小泉元首相のイメージに重ね合わせようと演出しているようだが、実際の小泉政権は日本の国益を放棄して、ひたすら米国の国益のために行動した疑いが濃厚である。

  

視聴者が十分な政治経済の知識を持って、批判的検討を加えながらドラマを視聴するなら良いが、深く考えずに単なる娯楽番組と捉えてしまうと問題は重大だ。ドラマ放映が政治的に利用され、視聴者が政治的に誘導される危険性が極めて高い。

  

日本の最大の構造問題は財務省を中核とする「官僚主権構造」にあると私は訴え続けている。「官僚主権構造」の問題とは、①官僚機構が意思決定の実権を握っている、と同時に、②官僚機構が国民の幸福を追求せずに、自己の利益増大を追求していること、③政治がこの現状を「改革」しようとせずに「温存」していること、である。

   

日本の真の改革は、「官僚主権構造」を打破して、根本から国民主権の構造を再構築することだ。「官僚主権構造」は「自民党一党支配構造」と不可分に結びついてきた。小泉政権は「改革」の看板を掲げたが、「官僚主権構造」には指1本触れることすらできなかった。小泉政権の5年半に官僚機構の実質的な権力は増強されたと言って間違いない。

  

官僚機構の中心に位置するのが財務省である。また、政権は強大な権力を行使するために警察・検察・裁判所支配を強めてきた。これらの官僚機構の権限を強化し、その権力の上に自民党政権が位置することによって、強大な権力構造をさらに増強させてきたのだ。

  

現在、自民党内部で「官僚権力温存」と「官僚権力打破」の対立が存在するかのような演出が進められつつある。月9ドラマ『CHANGE』は、この対立図式で描かれる自民党内の二つの勢力のうち、「官僚権力打破」を装う勢力にとっての推進力として活用されようとしているのだと考えられる。

   

小泉元首相、中川秀直元自民党幹事長、小池百合子元環境相、そして小泉チルドレン、さらに旗揚げされた「脱藩官僚の会」が連携する可能性がある。6月16日の朝日新聞は、「脱藩官僚の会」が8月下旬の臨時国会召集前に設立総会を開く予定であると報じている。

  

月9ドラマ『CHANGE』は、通常の4月スタートでなく異例の5月12日スタートになったが、1クール=3ヵ月で最終回を迎えると、8月上旬が最終回になる。「脱藩官僚の会」設立総会開催に向けてドラマ最終回が準備されるとも読み取れる。

  

「敵をあざむくにはまず味方をあざむく。これ権謀術数の第一歩と心得よ」の言葉をもう一度、吟味する必要があるようだ。結論から言えば、自民党政権が官僚支配構造を破壊することは不可能である。自民党政治は官僚主権構造と不可分の関係にある。このことは、「改革」を標榜した小泉政権が官僚利権に対してまったくメスを入れられなかったことが明確に証明している。

  

「官僚権力打破」を標榜すると予想される新しい政治勢力の旗揚げは、「まず味方をあざむく」ためのものである可能性が高い。自民党がいま本気で恐れているのは、次期総選挙での敗北=政権からの退場である。民主党の支持率が自民党を上回っている現状で解散総選挙が行われれば、政権交代が現実のものになる可能性が極めて高い。

  

自民党が権力維持を目的に、再び壮大な三文芝居に打って出る可能性があると考える。しかし、政権交代なくして真の日本の改革はあり得ない。「見せかけの改革」に国民は騙されてはならない。「脱藩官僚の会」がたとえば民主党と連携して「天下り根絶」、「官僚主権構造打破」を示すのなら、性格はまったく異なるものになるだろう。その場合には「真の改革」が実現する道も開けるだろう。

  

現実には、これまで権力を掌握してきた自民党勢力が今後も引き続き権力を維持するために、味方をも欺きつつ、「改革」の演出を大規模に展開する可能性が高いのではないかと考える。民主党は手をこまぬいて事態を静観してはならない。既得権益を打破するには、権力の交代が不可欠である。民主党は野党共闘を視野に入れて政権奪取に向けての政策綱領を提示するとともに、政界大再編の可能性を十分に考慮して政治的戦術を綿密に構築しなければならない。

 

(追記)

「_~山のあなたの空遠く幸い人の住むという~」ブログ主宰者様、いつもインパクトの強いビジュアル版をご提供くださいましてありがとうございます。

  

  

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メディア・コントロールの闇

「神州の泉」様、「晴天とら日和」様、「カナダde日本語」様、貴重なメッセージを誠にありがとうございました。山口正洋氏のねつ造記事掲載問題に関するマスメディアの対応は、客観的に捉えても適正なものとは思えません。

 

山口氏をアルファブロガーと認知し、その存在や活動を肯定的に評価して紙面に紹介するとともに、福島中央テレビのアナウンサーによって山口氏のブログ記事が盗用されたことを大きく報道した報道機関が、山口氏が極めて悪質なねつ造記事をブログに掲載した濃厚な疑いが表面化したことに対して、適正に報道する責務を負っているというのが私の主張の骨子です。

  

賛同記事を掲載くださり、心から感謝申し上げます。マスメディアは情報を一般社会に公表するか否かの選択権を有します。読者が知るべき情報を不当に隠ぺいすることは、読者の知る権利を侵すものです。同時に、虚偽の情報を流布して人権を侵害することのないよう、報道に際して十分な裏付けを取ることも求められます。

  

私が6月8日付記事に河野義行氏の著書を紹介したのは、マスメディアの体質、報道被害の特質において、私が蒙った報道被害と共通する部分が存在すると感じたからでした。私が巻き込まれている問題を考察する場合、私が小泉政権を一貫して批判し、2003年のりそな銀行救済を含む一連の経済政策を糾弾してきたことを踏まえれば、一般的な報道被害とは異なる特異な背景を検討しなければ、問題の全容を解明することはできないと考えています。河野氏の著書を紹介させていただいたのは、報道被害のひとつの側面を理解していただくことが目的でした。

  

4月16日に東京高裁が不当判決を示した際に、私は刑事弁護団による記者会見で次のようなコメントを発表しました。以下に引用します

  

「控訴審での本日の判決は不当であり、強い憤りを感じます。公判においては私の無実を証明する目撃者が決定的な証言をしてくれました。これに対して検察側目撃者の証言には重大な誤りが含まれていることが明らかになり、根本的な疑いが多数あることから、その証言はまったく信用することができません。繊維鑑定の結果も私の無実を証明するものになっております。弁護団は控訴審において私の無実を立証したうえで十分な審理を求めましたが、東京高等裁判所はすべての証拠調べ請求を却下し、本日の判決を下しました。

私は事件発生当初から、私の知るすべてのことを供述し、無実の真実を主張し続けてきました。無辜(むこ)の人間に罪を着せることは許されることではありません。私は直ちに上告し、無実の真相を明らかにするために、闘い抜いて参る覚悟です。

メディア報道においては、第一審での弁護側目撃者の私の無実を証明する決定的な証言、弁護団の完璧な無実の立証、控訴審での弁護団のさらに詳細な無実の立証がまったく報道されておりません。私の裁判、報道に対して、大きな力が加えられていると考えざるをえません。

「無罪推定」を大原則とする刑事裁判が現実には「有罪推定」の原則に立ってしまっている現状、警察捜査の不正、取り調べの可視化など、日本の警察、司法制度の問題点が論議の対象になっているなかで、私の裁判について客観的で公正な視点から、事実を正確に報道していただきたいと強く要望いたします。

私が罪を犯しているなら、正直に事実を認めて罪を償っております。無実の主張を貫くことが困難な状況のなかで、無実の主張を一貫して貫いているのは、人間としての尊厳を重視し、いかなる困難を伴うにせよ、無実の罪を認めることはできないと考えるからです。私はどのような迫害を受けようとも、無実の真相を明らかにするために闘い抜いて参ります。」

  

  

山口正洋氏が2006年9月13日夜に発生した事件翌日の9月14日にねつ造記事をブログに書き込み、翌15日朝には蒲田警察署で接見してきたとの事実無根の情報をブログに掲載した問題は、問題の悪質さもさることながら、そのタイミングや方法の特異性を考慮するときに、何らかの背景の有無を思料せざるを得ないと強く感じています。

  

山口氏が掲載した9月14日記事は、2004年事件で証人として法廷に立ったとの事実無根の情報を掲載し、ブログ読者に山口氏が私と極めて近しい関係にあるとの印象を植え付けています。また、各種週刊誌は、週刊誌編集人あるいは執筆記者が法廷で証言したことが真実だとすると、警察から得た情報をもとに事実無根の虚偽の情報を氾濫させ、テレビ番組はその内容の真偽を確かめることなく虚偽の情報を放送し、番組内では権力に近いコメンテーターが著しい人権侵害の内容を含むコメントを私に対して浴びせかけました。

  

ねつ造記事を掲載した山口氏を産経新聞は「新聞報道に携わる記者が啓蒙を受ける人気ブロガー」と絶賛し、毎日新聞は「動機はある種の正義感」との見出しで山口氏を「アルファブロガー」として大きく報道しました。朝日新聞は現在も週刊誌「AERA」に山口氏による連載記事を掲載しています。これらのマスメディアがそろって山口氏のねつ造記事掲載問題について適正な報道を展開しないことも極めて不自然です。

  

自由民主党の広報戦略、IT戦略を担当する世耕弘成議員などが中心となり、インターネット対策として、有名なブログやメールマガジンの作成者を集めた懇親会などが開かれてきたとも伝えられています。山口氏が有力政治ブログの執筆者としてマスメディアに紹介されてきた背景についても、十分な調査が求められると思います。

  

私が巻き込まれた事件を含めて、すべての問題の背景に「大きな力」が働いているように感じられます。ただ、具体的な事実関係を完全に確認できていませんので、私はこれまで、あらゆる可能性を排除しない一方で、憶測に基づく仮説を提示することを避けてきました。

  

公正な裁判は「推定無罪」の原則に立つべきで、私の刑事裁判における弁護側主張は、もちろん無実の真実に基づいて主張を展開したものではありますが、無罪判決を求める論理のなかで「無罪推定」の原則を援用してきてもいます。

  

すべての真相を白日の下に明らかにし、全容を解明することが容易でないことは、問題が政治権力と不可分に結びついていることからも明白です。しかし、私は必ず真相を明らかにしなければならないと考えています。真実は最後には必ず勝利しなければならないと考えるからです。

  

そのための第一歩として、草の根からの情報発信を開始しています。ありがたいことに、少なからぬ人々が、善意から真実を見極めようとの真摯な姿勢を示してくださり、温かい言葉をかけてくださっています。私は自分の考えを『知られざる真実-勾留地にて-』に集約して記述しましたが、その延長上での地道な、しかし不撓不屈の精神に基づく権力との闘いを今後も続けてまいる所存です。なにとぞ、今後とも変わらぬご理解とご支援を賜りたく思っております。

  

  

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当面の内外経済金融情勢の展望

NY株価が6月6日に大幅に下落して以降、内外株式市場で先行き不透明感が強まった。米国金融市場では昨年半ば以降、サブプライム金融危機が顕在化して、米国金融市場の混乱が長期化、深刻化するとの見方が広がってきた。

 

本年3月に米国で大手証券ベア・スターンズ社の経営危機が表面化して金融市場の緊張感が高まった。FRBは290億ドルの緊急融資を実施した。実質的な公的資金による金融システム安定化策が示されたことで、金融システム不安に対する警戒感が大幅に後退した。

  

NYダウは5月1日に本年1月3日以来4ヵ月ぶりに13,000ドルを回復した。金融不安が最悪期を脱したとの見方が広がりつつあった。ところが、NY株価は5月2日以降、再び下落傾向を示し始めた。6月6日には、NYダウが前日比395ドル下落して、12,209ドルまで下落した。6月11日には12,083ドルと12,000ドル割れ目前まで株価調整が進んだ。

  

株価下落の主因は米国のインフレ懸念である。原油価格が6月6日に1バレル=139ドル台にまで上昇した。米国大手証券モルガン・スタンレーが同日、1ヵ月以内に原油価格が1バレル=150ドルまで上昇するとの見通しを発表したことがきっかけだった。6月6日、原油価格は前日比10.75ドル上昇し、1日の値上がり幅として史上最大を記録した。

原油価格高騰が持続し、インフレ圧力が強まれば、FRB(連邦準備制度理事会)はこれまでの金融緩和政策を見直さざるを得なくなる。インフレ圧力に対する警戒感はグローバルに拡大しており、ECB(欧州中央銀行)も7月3日の金融政策決定会合で利上げを実施する可能性を示唆し始めている。

  

米国政策当局は米国の金融緩和政策がドル下落とインフレ率上昇予想を生み、世界の投資資金が原油市場に急激にシフトして、ドル下落と原油価格上昇=インフレ率上昇を加速させる悪循環に対する警戒感を急速に強めたと考えられる。この状態を放置し、原油価格上昇、ドル下落、インフレ率上昇が強まれば、FRBの強力な金融引き締め策が必要になる。

  

米国政策当局はこれまでの「サブプライム金融危機対応優位」から、「インフレ心理払拭優位」に政策のプライオリティーを変更したと考えられる。私はこの判断が正しいと考える。

  

米国のサブプライム問題は、昨年年初から広く指摘されていた問題だった。不動産価格がすでに下落に転じていたことが背景だった。不動産格下落-不良債権増加-景気悪化-金融問題拡大の悪循環が警戒された。

  

昨年夏になり、サブプライム問題に伴う金融機関の巨額損失が表面化し始めた。しかし、FRBは金融緩和政策実行に躊躇した。原油価格が上昇し、インフレ警戒感が残存していたからだ。FRBは昨年8月から12月にかけて、慎重に金融緩和政策を始動させた。

ところが、昨年末から本年年初にかけて、サブプライム問題が急激に拡大する様相を示した。株価急落は世界市場に波及した。FRBはサブプライム危機に伴う金融システム不安回避にプライオリティーを与える方向に政策方針を転換した。FRBは大幅利下げとベア・スターンズ社問題処理によって当面の危機回避に成功した。

  

しかし、当初から、急激な金利引き下げがインフレ心理拡大を招く恐れが存在しており、この問題が本年5月以降に顕在化した。米国はドル下落圧力、原油価格上昇、インフレ圧力を抑制する方向に政策の舵を大きく切り替えつつある。この方針転換に伴い、景気悪化懸念が広がることは予想されるが、これを想定に入れつつ、新しい政策方針が示されていると考えられる。

  

ターゲットは原油市場である。原油市場には大量の投機資金が流入していると考えられる。原油価格ピークアウトが確認されれば、短期的な利ざやを追求する投機資金は一斉にポジション解消に進む。そうなると原油価格は予想以上の下落を示す。原油価格が大幅に反落すれば、金融市場のインフレ警戒感は大幅に後退する。

  

米国の政策当局がどこまで先行きを洞察していたのかは不明だが、米国政策当局の問題への対応順序は適正であったと考える。金融市場の混乱は、金融市場の機能不全リスク=システミックリスクが顕在化する場合に最大化する。政策当局が明確な行動によってこのリスクを排除すれば、不必要な金融市場の混乱を回避することが可能になる。

  

2002年から2003年にかけての日本では、逆に政策当局がシステミックリスクを煽動し、その結果として不必要な株価暴落が引き起こされた。経済、金融の混乱拡大による国民の犠牲は計り知れないものになった。この混乱で巨大な利益を獲得したのが外国資本であった点に、2003年日本金融市場混乱の黒い陰影が刻まれている。

  

6月13日発表の5月米国消費者物価コア指数(食品・エネルギーを除く指数)前月比上昇率が+0.2%にとどまったことを反映して、同日、NYダウは前日比165ドル上昇して12,307ドルに反発した。米国株価の調整が完了したと判断するのは時期尚早だが、今回の調整の主要因はインフレ懸念であり、インフレ懸念が後退すれば、不安心理は大幅に緩和されると考える。

  

米国経済が減速することはすでに予想されており、問題は景気後退とインフレの同時進行という「スタグフレーション」が現実化してしまうかにある。FRBはインフレ警戒の政策運営が短期的には景気心理を冷却化させても、中長期的な経済運営の視点からは、インフレ圧力を確実に遮断することが優先されるべきとの判断を堅持していると考えられる。

  

米国のサブプライム危機が2008年後半にかけて一段と深刻化するとの予測が金融市場では多数派であるが、私はこの見解に与していない。不動産価格下落-不良債権増加-経済悪化の悪循環が発生する典型的な不動産金融不況に対して、米国政策当局はこれまで極めて巧みに対応してきたと判断している。

  

リスクは原油市場にある。原油価格高騰が持続する間、金融市場の不安定性は根強く残存するだろう。株価下落、米ドル下落、長短金利上昇の反応が生じやすい。

  

CNNの報道によると、サウジアラビアのヌアイミ石油相は6月15日にジッダで国連の潘基文事務総長と会談し、来月から原油を日量20万バレル増産する計画を表明したとのことだ。同報道はさらに、22日にジッダで開かれるエネルギー価格高騰への対応策を協議する産油国と消費国の会議終了後に、産油国全体で日量50万バレル前後の増産が発表される見通しだと伝えた。

原油価格高騰に歯止めをかけようとする米国の行動が本格化し始めている。FRBはインフレ警戒に金融政策の軸足を移動させている。7月3日にECBが金利引き上げに踏み切ると為替市場ではユーロ上昇圧力が生じ、米国の利上げが迫られることになる。米国が実際に金利引き上げを実施すれば、金融市場には大きな影響が生じると考えられる。

   

原油価格高騰、インフレ警戒感、米ドル下落懸念、金融引き締め観測などが残存する間、金融市場は不安定な推移を示すと考えられるが、米国の経済政策が問題に適正な手順で対応していることを踏まえると、中期的には楽観し得る状況が生まれつつあると考える。

  

日本では、経済活動がピークアウトし、緩やかな景気後退が始動していると考えられる。内閣府は6月9日、景気動向指数において重視する指標をDIからCIに切り替えた。また、4月の一致指数について「局面変化」との基調判断を示した。2002年2月に始動した景気拡大局面が後退局面に移行した可能性が示唆されている。

6月16日の月例経済報告で、政府は日本経済の景気基調判断を3ヵ月ぶりに下方修正する見通しだ。生産指数、住宅着工が減少し、消費者態度指数も大幅に悪化している。6月11日に発表された2008年1-3月期の実質GDP成長率が年率4.0%に上方修正されたが、4-6月期についてはマイナス成長に転じる観測が強まっている。

   

米国株価調整、日本経済停滞、企業収益悪化は株価下落要因だが、昨年7月から本年3月にかけて日経平均株価は35.5%下落しており、日本の株価に割高感は存在しない。

  

米国のドル下落回避策検討、FRBのインフレ警戒姿勢などを背景に緩やかな円安傾向が観察されていることも、日本の株価支持要因になっている。日本の物価上昇率も上昇傾向を示し始めており、日銀による金利引き上げ観測が再び表面化するリスクもあるが、外国人投資家の日本株に対する投資意欲も拡大しており、日本の株価が3月安値を下回る可能性は低いと考える。

  

問題は日本経済のなかのばらつきが残存されたままであることだ。福田政権の経済政策は格差拡大にまったく対応を示していない。大企業の企業収益は史上最高水準にあるが、中小企業の大半は依然として厳しい景況感の下に置かれている。非正規雇用の下に働く労働者は多く、格差は一向に縮小しない。高齢者、母子世帯、非正規雇用労働者、障害者などの社会的経済的弱者に対する政府支出切り捨ての政策方針が堅持されている。ミクロの経済政策に大きな問題が残されている。

  

  

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毎日新聞社磯野彰彦氏への質問

「神州の泉」様「カナダde日本語」様「晴天とら日和」様「雑談日記(徒然なるままに、。)様「植草一秀氏を応援するブログ」様「一秀くんの同級生のブログ」様「ミクロネシアの小さな島・ヤップより」様、貴重なご高見を拝読させていただきました。このほか多くの心ある皆様が意義深い記述を示してくださっております。心よりお礼申し上げます。

ヤフーポータルサイトでの検索では、2日ほど前から私に関連するブログ記事検索がやや困難になっております。理由は不明ですが、皆様の貴重なご高見を把握できていないことがあり、適切に対応申し上げられないことがありますことをお詫び申し上げます。

ヤフーニュースは、山口正洋氏のブログ記事が福島中央テレビのアナウンサーに盗用された問題を「国内ニュース」で大きく取り上げましたが、山口氏による私に関するねつ造記事掲載問題については、記事が「テクノロジーニュース」に分類されて掲載されています。記事盗用のニュース閲覧者が記事ねつ造のニュースには簡単にたどり着けないのではないかとも思われます。

このトピックを通してメディア・コントロールの問題について、思いをめぐらしてくださることを希望します。

  

私は、私が巻き込まれた事件についても、ブログで記述しているさまざまなことがらに関しても、すべて、真実をありのままに述べてきている。私が巻き込まれた事件に関する事実関係の概略については、拙著『知られざる真実-勾留地にて-』に記述した。また、裁判の法廷でも真実のみを述べてきた。

 

ブログへの虚偽情報記載はネット上の重大な問題である。私は5月25日付記事に山口正洋氏によるブログへのねつ造記事掲載について記述した。理由は、山口氏によるねつ造記事掲載が、私が巻き込まれている冤罪事件に対して看過することのできない重大な影響を与えたからだ。この点についての私からの見解表明が不可欠と考えて記事として掲載した。

この経緯については5月27日付記事に記述した。山口正洋氏が昨年5月に私の側から送付した内容証明郵便ならびに弁護士からの電話による通告に対応して誠意ある対応を示したなら、それ以上の措置を講じる考えはなかった。しかし、山口氏は1年以上経過した現在も、誠意ある対応を示していない。

  

電話を入れた弁護士は、2004年事件に関して山口氏が弁護士と連絡を取ったことが一度もないのに、山口氏が2006年12月6日に「植草一秀氏を応援するブログ」主宰者に「(前略)当時も今も連続性のある事件とされていますので、○先生もなにかを迂闊におっしゃるわけにはいかない、と私にはおっしゃってました。(後略)」との事実無根の内容を含むメールを送付した事実を知り、山口氏に内容証明郵便を送付するとともに、直接電話を入れた。

  

山口氏は電話で弁護士に対して謝罪し、私に関する虚偽の記載をしているブログ記事を消去することに同意したと私は弁護士から聞いている。私もその後、民事弁護団を代理人として山口氏に内容証明郵便を送付し、誠意ある対応を求めた。

当方が求めた対応は、

①私に関する虚偽情報を記述した記事を削除すること、

②今後は同様の虚偽情報を記述した記事を掲載しないこと、

③週刊誌等に山口氏が虚偽の情報を提供したと強く疑われるものがあり、その問題についての事実関係を当方に回答すること、

④今後は週刊誌等の取材に対して虚偽の情報を提供しないこと、

だった。

しかし、1年経過後の現在まで、山口氏から誠意ある対応は示されていない。弁護士を通じての謝罪もない。

  

私が山口氏によるねつ造記事掲載問題を記述したタイミングに、福島中央テレビアナウンサーによる記事盗用問題が表面化した。メディア報道は山口氏サイドからの指摘で問題が発覚したと伝えている。山口氏は同氏のブログに、「おい、人間としてのプライドはないのか?」の記事を掲載した。

  

山口氏について毎日新聞は、ブログ:アルファブロガーに聞く ~ 第7回 ぐっちーさん」のタイトルでインタビュー記事を掲載した。インタビュアーを務めたのが磯野彰彦デジタルメディア局次長である。

記事冒頭には「動機は「ある種の正義感」」の見出しが付されており、「実はブログの中では、良質な情報提供者って限られているわけです。書いている人が何百万といる中で、本当にちゃんと書いている人というのは限られているので、やっぱり実際に会って話をして、「この人は信用できる」っていう人のブログしか読んでないですね。」との山口氏の言葉を紹介している。磯野氏は山口氏に対して、「この人は信用できる」って判断されたのに違いない。

  

産経新聞は、政界混迷で注目を浴びる「ネット政談」人気ブロガー「やってらんないわ」断筆宣言」に、「政治報道に携わる者が啓蒙(けいもう)を受ける」、「ネット上での政治談議のなかの人気サイト、人気ブロガー」の一人として山口氏を紹介した。

  

また朝日新聞社は、週刊誌「AERA」に山口氏が執筆する「ぐっちーさん ここだけの話」と題する連載記事を掲載している。

   

報道各社は、福島中央放送のアナウンサーによるHPへのブログ記事盗用問題を大きく報道した。記事を盗用した福島中央テレビは、番組で謝罪するとともに、記事を盗用したアナウンサーをニュース番組のメーンキャスターから降板させ、休職2ヵ月の懲戒処分にしたことを発表した。メディアは福島中央テレビの関係者処分についても大きく報道した。

  

しかし、記事盗用を訴えたブロガーが、実は極めて悪質なねつ造記事をブログに掲載していたのだ。2006年9月14日、15日に山口氏が掲載したねつ造記事は私が巻き込まれた冤罪事件に関する一般市民のイメージ形成に重大な影響を与えたと考えられる。当時のネット上での状況をウオッチしていた方の証言では、山口氏によるねつ造記事公表を契機に、私が有罪であるとの心証を示すコメントが瞬く間にネット上を、カリフォルニアの山火事のような勢いで広がったそうだ。

  

マスメディアが山口氏のねつ造記事掲載問題を報道しないことはあまりにも不自然だ。とりわけ、毎日新聞産経新聞朝日新聞の各社は事実関係を調査したうえで、報道する責任を負っていると考える。

  

山口氏が掲載したねつ造記事のポイントは、

 

①私が巻き込まれた2004年事件の公判において、山口氏が弁護側証人として証言した事実が存在するか、

  

②事件発生翌日の2006年9月14日に、山口氏が蒲田警察署で私に接見した事実が存在するか、

  

の二点である。「このような事実は存在しない」のが「真実」である。

  

証人として証言台に立ったのかどうかについては、2004年事件の公判記録調書に記録が残されているので、確認可能である。弁護側証人は山口氏でない別の男性1名のみであり、山口氏が証人として出廷した事実は存在しない。2004年事件の弁護人によると、事件発生以来、私の事件に関して山口氏と弁護人が接触したことは一度もないとのことだ。

   

また、2006年9月14日の接見の有無に関連して、『条解 刑事訴訟法〔第3版増補版〕』(2006年、弘文堂)は、刑事訴訟法第80条〔弁護人以外の者との接見交通〕について、「逮捕状により留置中の被疑者については、説が分かれるが、本条を準用する規定がない以上、39条1項に規定する者以外の者と接見しまたは書類もしくは物の授受をする権利を有しないと解する」と記述している。

  

山口氏は事件発生翌日の2006年9月14日午後4時25分34秒に「これから本人に会いに行ってきます」との記述を含む記事を掲載しているが、仮に接見が可能だったとしても接見時間は午後5時までで、午後4時をすぎると警察署が接見を認めないことが多いとのことである。山口氏がどこで記事を掲載したのか不明だが、時間的な視点から見ても接見は不可能だったと考えられる。

  

  

磯野彰彦氏は毎日新聞サイトにブログを保持されるだけでなく、HPを見ると毎日新聞を代表してブログを記述されているようである。磯野氏はこの問題についていくつかのコメントを記述されている。朝日新聞がわずかに触れたことを除いて完全不動を決め込んでいる他社との差はあるが、真相解明に向けての姿勢は不十分である。

  

「新聞倫理綱領」に以下の記載がある。

「新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。」

「人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。」

  

   

山口正洋氏が私に関する事実無根のねつ造記事を掲載したのであれば、極めて重大な人権上の問題であることは間違いない。犯罪に置き換えるのは不適切かも知れないが、人物Aがある犯罪を訴え、その犯罪の事実関係を確認して報道したところ、実はその人物Aが別の犯罪の犯人であると訴えられたとしよう。報道機関はその疑惑について、調査をして報道する責任を負うのではないかと考える。

  

磯野氏は6月25日付で毎日新聞社デジタルメディア局長に昇格することをブログに記述された。磯野氏が「毎日jp.の責任者に就任されるのであれば、なおさらこのような重要事項に対して迅速かつ適正に行動する責任を負うのではないかと考える。

  

私の側も山口正洋氏によるねつ造記事掲載問題についての適正な対応を検討しているが、毎日産経朝日各社に対しては、改めて日本を代表する報道機関としての適正な対応を強く要請する。

  

  

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日本の命運を分ける決戦のとき

6月11日、参議院は憲政史上初めて内閣総理大臣に対する問責決議案を可決した。参議院は日本国憲法第41条が「国権の最高機関」と規定している国会の一翼を担う存在であり、直近の国民の意思は参議院の議員構成に反映されている。この参議院が福田首相に対して「首相として失格である」との意思を決議によって示したのである。

 

1998年10月、額賀福志郎防衛庁長官(当時)に対する問責決議案が現職閣僚に対する問責決議としては戦後初めて参議院で可決された。額賀長官は当初、問責決議に法的拘束力がないことを理由に辞任を拒んだが、野党による審議拒否が長引き約1ヵ月後に辞任した。

福田首相は参議院での問責決議可決を厳粛に受け止めて、内閣総辞職か衆議院の解散総選挙の決断を下すべきだ。それが憲政の常道である。

 

しかし、与党は6月12日、衆議院に内閣信任決議案を提出し、与党多数により信任案を可決した。参議院で首相に対する問責決議を可決した野党の大半は国会での審議を一切拒否しているため、今通常国会は6月21日までの会期を残して、事実上終結した。政権をめぐる与野党の闘いが激しさを増している。

 

日本の政治は2009年9月までに実施される次期衆議院総選挙に向けて、歴史的重大局面を迎えることになる。真の日本の改革を実現するためには、政権交代を必ず成し遂げなければならない。これが日本変革の最後のチャンスになるかも知れないと思う。

 

自民、公明の与党は間違いなく政権維持に向けて総力を注いでくる。その裏側には米国の強い意志も働いている。日本の政治権力は恐るべきパワーを有している。学校教育では「三権分立」の建前を教えるが、現実には権力が独占されている。そして、世論が政治を動かすポピュリズムの時代には、メディアが「第1の権力」の地位を占め、政治権力はメディア・コントロールを際限なく強化する。

 

政権奪取は「維新」と表現すべき事業であり、多大の困難を克服して初めて成し遂げられるものである。

 

福田政権は2005年9月の郵政民営化選挙の結果として獲得した衆議院の与党多数を活用して、参議院での重大な意思決定を安易に否定、無視することを繰り返しているが、「権力の濫用」としか言いようがない。しかし、政権交代を死に物狂いで回避しようとする与党は、憲政の常道を踏み外すことにいささかの躊躇もなく、権力維持に猛進している。

 

権力の暴走に対して警鐘を鳴らす役割を本来は担うマスメディアが、権力に支配され、また、自ら進んで権力の走狗となり、人々に伝達する情報を歪めている。

 

自衛隊のイージス艦「あたご」の大不祥事海難事故は、三浦和義氏の突然の逮捕報道に遮られた。後期高齢者医療制度に対する国民の沸騰する怒りを伝える報道は、四川大地震報道にすり替えられた。防衛省汚職に関連する山田洋行の宮崎元伸元専務に対する証人喚問から得られた重大証言をマスメディアはほとんど報道しなかった。

後期高齢者医療制度、ガソリン税暫定税率、年金記録の重大問題を争点に与野党激突の総力戦が展開された、衆議院山口2区補選、沖縄県議選での与党惨敗の、マスメディア報道での取り扱いは極小だった。憲政史上初めての首相に対する問責決議可決の報道も最小限度にとどめられた。

 

6月13日には、後期高齢者医療制度における年金からの第2回保険料天引きが実行された。全国各地で多くの高齢者が、高気温と高齢をおしての座り込みやデモ行進などの怒りの抗議行動を実行した。しかし、マスメディアはこの事実をほとんど報道しなかった。政府は6月4日に、後期高齢者医療制度により「7割の高齢者の負担が減少」との試算結果を公表したが、数字の根拠が非常に不明確で、ミスリーディングだ。

長野県の県民医連が実施したアンケート調査では、「安くなった」の回答は6.4%にとどまっている。6月9日付記事に記述したように、後期高齢者医療制度は「高齢者いじめ」の制度であり、直ちに廃止すべきである。しかし、マスメディアは制度の問題点を指摘する報道を急激に減らし始めている。

 

6月13日に政府は北朝鮮との拉致問題での交渉で、前進があったことをアピールし、NHKをはじめとするマスメディアはこのニュースを大々的に報道した。後期高齢者医療制度問題はかき消された。

 

しかも、この拉致問題協議の裏側は極めて問題含みである。米国は6カ国協議を進展させ、北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除を急いでいる。拉致問題で進展がないと、6カ国協議を動かせない。よど号事件の関係者の日本送還はテロ支援国家指定解除の必要条件である。拉致問題に具体的な進展がまったく確認されていないのにもかかわらず、福田政権は北朝鮮の万景峰号の入港禁止を解除するなど、経済制裁の一部解除の方針を示した。このことは大問題である。

 

メディアが伝えるニュースを受動的に聴いていると、人々は知らぬ間に与えられた情報に染め抜かれてしまう。ここがメディア・コントロールの最大のねらいであるわけだが、真の改革を目指し、政権交代を実現させようとする人々は、この問題を十分に認識して戦術を構築してゆかねばならない。

 

参議院で過半数を獲得しても、衆議院で過半数を獲得しなければ、新しい政権を樹立することはできない。迂遠な道程をたどらねば政権を奪取することはできないわけだが、この迂遠さを排除することは適切でないと考える。

 

この問題については、稿を改めていずれ再論したいが、議院内閣制が大統領制と比較しても、優れて「権力を創出する」側面が強いことを踏まえると、衆参の二院が存在し、ねじれ現象などの紆余曲折を経たうえで政権交代が実現することは、必ずしもマイナスでないと考えられる。

 

議院内閣制では、原則として議会多数勢力が政権を樹立する。議会と政権は表裏一体をなす。さらに司法権力も内閣総理大臣の人事権を通じて、究極的には政権の支配下に置かれるから、議院内閣制は、権力が集中し、抑制されにくいという特性を内包している。

 

議会が一院制であると、例えば2005年9月の郵政民営化選挙のように、一種の集団ヒステリーに近い現象が発生して、著しく偏った選挙結果がもたらされるリスクが高くなる。衆議院の任期は4年あるが、国民が冷静さを取り戻して参議院選挙に臨めば、衆議院の暴走を止めることが可能になるのだ。「ねじれ現象」は一種の安全弁の役割を果たしている。

 

米国の大統領制は、大統領の行政府の長としての権限が非常に強いことを前提に、議会が大統領の権力行使の抑止力として機能するように設計されている。議院内閣制が「権力を創出する」のに対して、大統領制は「権力を抑制する」機能を強く有しているのだ。

 

日本の制度に関連して、衆議院の選挙制度について補足しておきたい。現在衆議院の議員定数は480人である。小選挙区が300あり、180の議席は比例代表である。選挙制度改革論議のなかに、比例区を廃止するとの主張があるが、賛成できない。現行制度では、300の選挙区に候補者が立ち、その全員が比例区で重複立候補すると、この選挙制度は120の1人区と180の2人区による選挙と解釈することができる。

 

二大政党的な状況が存在しているとすれば、2人区が180存在するため、死票が極めて少なくなる利点がある。自らを第一党と自認する政党は、比例区を廃止して、すべてを小選挙区に転換しようと画策するはずである。

完全小選挙区制度は選挙ごとの結果の振れが激しくなり、多くの死票を生む点で重大な問題がある。現在の選挙制度はこの意味で優れており、2人区が180あると考えれば、比例区復活当選の代議士を第2級代議士と差別する必要もなくなる。

 

日本の政治は2009年秋までに必ず実施される次期総選挙という「決戦の時期」に近付いている。自民、公明の与党が憲政の常道などを踏みにじってでも、政権維持に総力をあげるのも順当と云えば順当である。

民主党を中心とする野党が、参議院で問責決議を可決しても、福田首相がこれを無視するとわかっていれば、それを前提に戦術を構築するのも順当だ。「出す出すと言い続けた問責決議を出さないのはおかしい」という民主党に対する批判は、批判のための批判にすぎない。

 

野党は次期総選挙での政権交代実現に向けて総力を結集しなければならない。民主党内部に存在する反乱分子を早急に摘出するか、治癒することも急務だ。日本の命運は次期総選挙にかかっている。次期総選挙に向けて掲げるべき政策については機会を改めて記述したい。

  

  

(追記)

本ブログ記事を分かりやすいビジュアルな画像でご購読くださる方は、「_~山のあなたの空遠く幸い人の住むという~」をご覧ください。主宰者様いつもありがとうございます。

  

  

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