「労働組合」あるいは、「労組」という文字が新聞の一面をにぎわすこともすっかり少なくなりました。水面下では労働組合が政治や経済に影響を及ぼすことももちろん多々あるのでしょうが、表面ではその存在感は薄れる一方です。
これは一体なんなのか。
労働組合の先進国であるアメリカの場合でも、全体の流れとしての衰退は同じです。
しかしなお政治や選挙の意外な場面で、意外な役割を果たすこともあります。
アメリカの労働組合は2004年の大統領選挙できわめて複雑な反応をみせました。
今回の予備選段階でも同様に、屈折した役割を演じています。
このへんの実情を報告します。
以下の紹介は雑誌『SAPIO』6月25日号に私が書いた記事の転載です。
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アメリカの首都ワシントン、その中心にあるホワイトハスウのすぐ北、ラフィアット公園をひとつ隔てた至近距離にどっしりとした白亜のビルが建つ。
ビルの前のこれまた白い礎石に大きく「AFL―CIO」と刻まれている。このAFL―CIO,つまりアメリカでは最大の労働組合組織である「アメリカ労働総同盟産別会議」の全米本部がここである。
ホワイトハウスと同様の純白の外観を誇るAFL―CIOビルはまさに威風堂々の立たずまいではあるが、出入りする人たちの姿は決して多くない。だからはじけるような活気をあまり感じさせない。
なにやらこの労働組合連合体のおかれた立場を象徴するようにも思えてくる。
(写真はAFL-CIOのジョン・スウィーニー会長)
アメリカの社会と労働組合、アメリカの政治や経済と労働組合――という構図では歴史をちょっとさかのぼると、すぐに生き生きした情景が浮かびあがってくる。
大企業の腐敗した経営陣を相手に戦いを挑む労組幹部たち、現場の工場でストを決行する労組メンバーの労働者たち、大統領や連邦議員の選挙キャンペーンでも活発に運動する労組代表たち、そして国政の場の議会での記者会見や公聴会で積極的に経済や政治の重要課題について熱心に発言する労組指導者たち・・・・こうした場面は長年、アメリカのニュースではおなじみだった。
映画やテレビドラマでも、労働組合は主役の位置におかれることが多かった。古いところでは『波止場』や『ノーマ・レイ』という映画がその種の作品として有名だった。
アメリカという国全体が労働組合に動かされるといっても、それほど誇張のない状態が長年、続いてきたとさえいえるだろう。この国での労働組合の役割は歴史的にきわめて大きいのだ。その理由はアメリカの建国の精神とも密接にからみあっている。
アメリカは個人の自由や権利の主張が建国理念の基本となった。その一方で大規模な資本を民間に集中しての資本主義・市場経済がエネルギーいっぱいに機能していく。市場経済の発展は産業の自由な発展だった。その産業で働く人間が労働者だった。
労働者の権利や自由も守られねばならない。その擁護のためには労働者同士が団結しての組合が最善の手段となる。そこで労働者たちが労働組合へと組織づくられていったわけだ。
実際に私自身のワシントンでの報道活動でも、1980年代の日米経済摩擦ではアメリカの労組は一方の重要な主役だった。
日本から輸入される鉄鋼、自動車、テレビなどの製品が「アメリカの競合業界に損害を与えている」と判定されれば、輸入課徴金などをかけられる通商法「スーパー301条」案とか、アメリカで売られる日本製自動車の部品の一定比率分は現地で調達されねばならないとする「ローカル・コンテンツ(現地部品)」法案は労働組合によりプッシュされて、議会に出ていた。
AFL―CIOとかUAW(全米自動車労組)という労組によって、だった。労組は労働者を防御するために、どうしても外国製品を締め出す保護貿易主義的な措置を求めるのである。
労働組合は政治的には当時も現在も民主党支持である。だから大統領選挙の際、とくに予備選では労組の支持は重大な意味を持つ。民主党各候補は大手労組の支援を取りつけるため、つぎつぎに保護貿易主義的な政策を打ち出す。
1984年の大統領選挙ではまさにその傾向が顕著だった。民主党の候補ウォルター・モンデール氏は大手労組としっかり手を組んで、日本を標的とする保護主義法案への支持を宣言していた。
アメリカの労組は政治イデオロギー的には明確に民主党リベラル傾斜なのである。
by yosi29
労組は政治傾向過剰で衰えた―…