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巻の64 探偵!ナイトスクープ 探偵手帳 (朝日放送) 2006/11/ 3

その当時
けっこう精神的に衝撃を受けたものでしたが、さすがにそれから5年半以上も経って、ようやくこの話を振り返れる余裕ができたような気がします。

実は私、人生で二度TV番組に出演したことがあります。
一度は、巻の2で書いた「開運!なんでも鑑定団」の話。
そしてもう一つの経験が、大阪の朝日放送の人気番組「探偵!ナイトスクープ」でした。
それは今から5年半も前のこと。
そしてその後、私がTVのバラエティ番組に懐疑心を持つようになった強烈なきっかけとなったのです。

いささか長文となりますが、この先書き記す当時の経験談は、全て私自身が体験した“事実”です。
番組ファンの方にはこの先を読むことをあまりお勧めしません、少なからずショックを受けるかも知れませんから。
当時の私のように。



放送は2001年3月のことでした。
そのとき放送の3本は「なんで?ナンデ?なんで?」「うがいの出来ない看護婦」そしてもう一本が私の出た「未だ逢えぬ幻の女性」というものでした。
「番組上の依頼」は、昔(昭和53年)ポプコン(ヤマハ主催のポピュラーソングコンテスト)に出てた女性シンガーを一目見て好きになったので、一度会って長年の想いを告白したい伝えたい…というものでした。
一視聴者の目で観ると、内容的にしっくり来ず「この調査(企画)失敗じゃないか?」な風に終わった感が強いです。

それもそのはず。
本来ハガキで送った依頼は「当時この歌が凄く好きだったんだけど、サビの部分が聞き取れなかったのが今でも気になっているので(私はムダに物持ちがいいので当時のラジオ番組「コッキーポップ」をエアチェックしたカセットテープが今も手元に現存しているのです)その歌手の消息を探してそこんとこの歌詞を調べて欲しい。出来ればあの懐かしい歌をもう一度聞かせて欲しい」という内容だったんです。
つ ま り 「惚れただのハレただの、最初からそんなことは全然思っていない!」のです。

送付の箱と、中身の探偵手帳

当時のことをネット仲間で話題にしたログが残ってたので、おかげでかなり細かい部分まで思い出せました。
それを読み返しながら、当時の流れを辿っていきましょう。



2001年の2月の初めのこと。
ハガキを出してからしばらくした頃、採用されましたということで番組の制作会社のディレクターさんが私を訪ねて来ました。尋ねると30過ぎという若さだそうです。
わざわざウチに来た目的は、今回の依頼文をなんとか「あこがれの人に想いを告白する」方向で進めたいという説得が主でした。本来の依頼そのままだと内容が弱いので、採用する代わりに淡い恋を抱いていたという事にしてドラマティックな方向に持っていきたいが、どうかという話だったのです。
私は自分で言うのもナンですが、こういう人の気持ちにかかわる話をシャレでやるのは不謹慎という考えなので渋ったのです。しかし向こうも説得のプロ、場数を踏んでいるのか「これも縁というものですよ」「ずっと覚えてたって事はそれなりに想いがあるんだから素直に膨らませれば無理な話にならない」とかいろいろ言われて私も押されてしまい、この際依頼が採用されるのなら…と渋々承諾することにしてしまったのです。
その後このディレクター氏は何度もマメに連絡を下さり、素人相手だから細かいフォローをくれるのだなぁと素直に感心してました。ロケ終了までは。

んで、会社には「所用で休みます」と言葉を濁して平日に休暇を取り(苦笑)やってきた収録日。時間は朝10時。やって来たのはディレクター氏とカメラマン、録音マイク担当と照明さん、そして今回探偵となる立原啓裕氏でした。会っていきなり困惑したというか、見事にカメラの回ってないところでは無愛想。よろしくお願いしますぐらいは声をかけましたが、TVの印象で気軽に話し掛けることが出来るような雰囲気は皆無で「これが素の芸能人なんだなぁ」と最初から微妙な気分になったものでした。

照明さんやカメラマンがセットアップする間、ディレクター氏から台詞回しや段取りとかの指示を受けました。TVで見てるほど好き勝手なセリフを言えるわけでもないらしい(依頼内容にもよるのかも知れませんが)です。
いよいよ本番。緊張の中カメラが回りだすと、立原啓裕氏がおもむろにマイク突き付けてテンションをガッ!と上げて
 「この家に一人で住んでて独身!?」
 「ずーっとこの歌を歌ってる人にあこがれてたぁ?」
 「出来ればずーっと想ってたその気持ちを告白したいッ!?」
インタビューを実際に受けたその瞬間「もぅ、トコトンこの方向でいくんだなぁ…」とカメラの前で今更逃げられない覚悟を改めて決めた私でした(苦笑)。

その後背広持って(理由は後ほど)スタッフと一緒に車に乗り大阪福島区の朝日放送に向かいました。
昭和53年のポプコンといえば、チャゲ&飛鳥が「流恋情歌(るれんじょうか)」で世に出た年でもあり、クリスタルキングが大ヒットした「大都会」に続く「明日への旅立ち」というニューシングルをリリースしたりした時代でもあります。
そしてなにより、円広志さんがとんでとんで〜♪で有名な「夢想花(むそうばな)」で第16回ポプコングランプリを受賞し、後に第9回世界歌謡祭グランプリを受賞した年でもあるのです。必然的に、調査の手がかりは円広志さんということになりますね。
しばらくロビーで待たされた後、立原啓裕氏と一緒にタレント控え室に入ると、中に居たのはその円広志さん。
頭はたかれたり(笑)いいオモチャになりつつ収録は進み、どこをカットされてもいいくらいガンガンとマシンガントークが炸裂。まぁ時間的に大半はカットされましたけども。
適当なタイミングでセーターの中に密かに忍ばせた「夢想花」のシングル盤をおもむろに出すと(スタッフにも黙っていた)「アンタの頼みならなんでも聞ぃたる」とノリノリ。いや正直なところ、端から見てても円広志さんの機嫌がいいんです。なにせ今回はネタ的に自分の過去の自慢がし放題なのですから。「第16回ポプコングランプリ受賞」「第9回世界歌謡祭グランプリ受賞」と自分で何度も繰り返して言ううちに盛りあがってくのが見てて笑えました。
そして、「ポプコンの事ならこの人!」という人物に電話をかけ、彼女が当時よく出場してた地元のコンクールがあったということで、その関係者を尋ねるという展開となったのです。場所は…静岡。この頃12時過ぎ。
せっかくなので円広志さんにサインをもらいました。もちろん「夢想花」のジャケットにです。
「大事にしぃや。もぅ廃盤やから」とベタなギャグで締めてもらい、即、移動。

早速新大阪駅に向かい、新幹線に乗りこみました。照明さんが抜けてスタッフ総勢3人+立原啓裕氏と私。スタッフは一般席、私と立原啓裕氏はグリーン車…が、私は指定座席に素直に座ったけども立原啓裕氏はそそくさと隅っこの席に行き一人で座る…素の芸能人ってこんなもんやったんや〜と現実にがっかり。桂小枝さんとかも現実はこんな感じなのかなぁといささか気が滅入ったりしつつ、2時過ぎに静岡へ到着。

スタッフがミニバンサイズのタクシーを手配していたので、それに乗ってと言われましたが、準備でゴタゴタしてるようでスタッフさんと世間話をして時間をツブしてました。予算がなくてロケのスケジュールが昔に比べてキツくなってきたとか、家庭用ビデオカメラの性能が良くなって投稿ビデオで番組が作れるようになってきたのでロケの仕事も減ってきてるとか興味深い話もいろいろ聞けたものでした。
まったくの個人的な予想ですけども、円広志さんの電話から多分ここぐらいまでが事前の仕込み(段取り)ではないかと推測してます。少なくとも円広志さんの電話までは段取り通りであろう、と。
でもここらあたりからは素人目にもなんとなく「出たトコ勝負」なのを実感してきたような気がします。
その後静岡の楽器屋〜現在の仕事先の幼稚園と移動し、その先生にお話を伺いました。驚くべきことに、当時からの生徒の住所録を大事に保管していたのです。もちろん当時の彼女のこともよく覚えていて「すでに結婚してると思います」との話。
良かったぁ、結婚してたら告白せんでえぇぞ!と思いつつ彼女の家に電話すると、出てきたのはお母さん。
話の内容をまとめると、
 「今ここ(電話先である実家は清水市)には住んでない。」
 「今も現役で歌手をやってる。」
そして
 「まだ独身。」(爆)
そう、ここまでの調べで当時彼女は15歳だった事が判明していたのです。つまり偶然にも同い年。
「赤い糸の運命が云々〜」とマイク振られる私。もぅどうにでもして(大苦笑)。

肝心の今の居場所だが…府中のレコーディングスタジオ!?
現在アカペラグループで活躍していて、そのレコーディングらしいです。ここまで来たら行くしかないだろうと幼稚園の関係者にお礼しつつタクシーに乗りました。
この時点で時間忘れたけどすでに夕方。スタッフが「今回のロケはタイトやなー」とつぶやく処から、最近滅多にないぐらい時間がキツキツのロケとなったようです。

新幹線にで静岡から東京まで。
もちろん立原啓裕氏はそそくさと隅っこの席に行き一人で着座。
そのまま移動して、途中で事前に持ってきている「告白用の!」背広に着替えて(苦笑)レコーディングスタジオに着いて、スタッフはスタジオ内で折衝と段取り。
タクシーはそのまま待たせて私と立原啓裕氏と運転手が居残り。帰りのタイミングが相当ヤバ目なので、立原啓裕氏が帰りのコースを運転手と相談。どうやら新横浜に行く方が早いらしいものの所用時間1時間。最終の新幹線が9時30分ごろなので、余裕見て8時15〜20分にはここを出ないと帰阪がマズい事が判明。
だが折衝と打ち合わせの時間はひたすら長く、立原啓裕氏もスタジオに入り私だけがタクシーに残るハメとなって。
そして30分以上も待たされ…

呼ばれてタクシーから出た私の手にはバラの花束が渡されました。いつの間に準備したのやら(苦笑)。現在レコーディングの真っ最中でギリギリまで粘ってみますが会えるかどうかまだ分からないとのこと。お願いは続けているので告白の心の準備をしててほしいと言われ、会えるのかどうかの不安と、そしてなんといっても「こんな形で女性に想ってもいない告白なんて失礼なことをしないとイカんのか!?」という心配とが複雑に交錯してました。

そして中に招かれて、そこに居たのはその歌手「松永 ちづる」さんでした。
全く知らなかったのですが、なんと彼女は男女混声のアカペラグループ「トライトーン」のメンバーとして、すでにその筋では有名な女性シンガーだったのです!
当時のポプコンで歌っていた、その幻の歌「ルージュ」の生歌を聴かせてもらってもの凄く感激したのですが、感激してばかりいられません。この後、番組の企画上「想いの告白」なんぞをしないといかんのです。
心に想っていない告白…そんな失礼な事が私に出来るか!?でもやらないとこの場が収まらない。
花束を渡しつつ少ない脳みそを沸騰するほどフル回転させ、土壇場でなんとか言葉を繋いでその場はなんとか(?)収めました。
その後、スタッフが彼女から戴いた「ルージュ」の歌詞を書いた紙をさりげなく引き取っていきました。そして彼女の手から渡したばかりの花束までも回収していきました(驚)。
「その紙が、その歌詞が依頼の全てなのに!何で持っていくねん!?」と言いたかったのに、場の雰囲気上、言うに言えなかったのです。
最後に去り際に、彼女はサイン入りのCDをプレゼントして下さいました。告白の事さえなければもっと素直に感激出来ただろうにと心が痛みました。
これでロケ収録が終了です。

終わったのが8時10分ごろ。
タクシー2台に分乗して、ひたすらに新横浜駅へ。間に合わなきゃ帰れないのですが、そこは流石地元のタクシー、絶妙なコース選びで快調に走り絶妙な時間に新幹線に無事乗車!。
無事に新大阪駅に到着し、オンエアの日程を連絡もらえる事を約束してから現地解散となりました。
別れ際にディレクター氏から一万円もらい、「タクシーに乗って帰ってください、領収書は送り返してくださいね、足りなかったら後日清算して送ります」との事。しかし結局2千円ほど足が出たので、後日金額不足の旨を連絡しました。

さて、そこからが呆気にとられたのです。
その後、あれほどロケ前にマメに連絡くれていたディレクター氏が、それからピタッと連絡取れなくなったのです。足の出たタクシー代は結局返ってきませんでした。そして約束してた放送の日程も連絡もらえないまま。
そんな時、松永ちづるさんの所属しているトライトーンのオフィシャルサイトを見るとそのTV出演の情報が!?
放送日程が決まってるんなら、なんで連絡くれなかったんや!?あの約束は何やったんや!?
ディレクター氏に何度連絡取ってみても、まるっきり無しのつぶてでした。
撮影が終われば、用済みの素人の扱いはこんなもんなのかと気分落ち込みましたが、本当に落ち込んだのは放送当日でした。

表紙をめくってすぐに番組名が堂々と!

放送当日。
不安の中TVを観てました。気になっているのが依頼のハガキをどう読むのかと言う事。なにぶん依頼内容は「歌詞を調べて」な内容です。そこからどうやってムリにでも惚れたハレたの話に持っていくのかと思いながら観てたら…
なんと、岡部まりさんの読み上げた依頼ハガキの内容は、一語一句全てスタッフによる創作だったのです!原文の痕跡全く無し!!
これには心底驚きました。TV観てたら素人視聴者の生の文章を生き生きと読んでいるようにしか思えなかったのに、それが一言残らず全くの作りもの。
「想いを告白したい云々〜」という“私からの依頼”という流れで、番組が“私の思いにまったく構わず”進んでいる…人生これほど唖然とした経験は他になかったです。
これが…これがTVのバラエティ番組の作り方なのか…
番組中で「翌日、彼女のいる東京へ〜」なんて形で繋いだシーンもあって苦笑。だって全て一日で撮影したのに翌日もクソもないもんです、確かにここで背広に着替えてるので観てる分には分かりゃしないんでしょうが…ここまで堂々と“作って”しまうんだなぁ。
当然の如く、番組は微妙な後味を残して終わりました。私自身、一視聴者の目線で観てもそう感じました。実直に言えば失敗作と言われても文句無いかも知れません。

ナイトスクープは、特に関西では超人気番組です。当然翌日(職場では週明け)の反響がハンパじゃありません。
興味深かったのが、会社の人間が誰も「実際の現場はどうだった?」と尋ねないのです。あくまでもTVで流れたことが“事実である”という前提で話をする人ばかり!
「あのときどうだった?」とか「TVであぁだったけど実際はどうなの?」とか聞く人が誰もいなかったのです。
誰もが「今更何も言わなくてええわ、だってTVで観たから知ってるし」…
TVの映像は当事者すら向こうに回すほどの絶対的な説得力を持つものだという事を、心底痛感したものでした。これが一番得がたい経験だったかも知れません。

そして、自身の恥よりも何よりも優先するべきことがあります。
好きだったわけでもないのに番組企画で告白をされた松永ちづるさんにお詫びをしないといけません。どこから事情を説明していいのかわからずに随分時間をかけたような覚えが今でも残ってますが、とにかく真剣にお詫びの文章を綴りながら、二度とこのような「人の気持ちを安易にあつかう」ようなことはすまいと強く心に決めたものでした。
これをきっかけで知ったトライトーンの音楽は実に私の好みで、一度コンサートに足を運びましたが、やはり気まずさがどこかに残り音楽に没頭できなくて、その後足を向けそびれてます。
ファンサイトの番組を観た感想をあちこち見てみましたが、私も相応の年齢だし見た目もパッとしたものではありません。その部分を突いて「よりによってあんな人に好かれてかわいそう」とか書かれてあるサイトを見つけてしまい、その筋で既に有名だった人に無遠慮な形で触れたことをファンは責めているな…と心痛の念にかられたものです。

「結局ヤラセだったのか?」と聞かれても単純に答えが出せません。今でも言葉に詰まります。
一度会ってみたかった人に会えて感極わまるほど感激したのは確かで、そのことそのものについては感謝しているのは事実です。しかし、そこに至るまでのアプローチとか見たく無かった裏事情とかロケ後の後処理とかさまざまな部分で、どうにも後味の悪さがぬぐいきれないのもまた正直なところです。
私のようなケースは稀だと思います。こんなのが常套なら依頼者から批判なり受けて番組の評判がただですむわけありません。例外だろうと信じます。
ただ、この強烈な体験以降、TVのバラエティ番組をものすごく“ナナメ目線”で観るようになったのは間違いないです。そして、これ以降ナイトスクープは観てません…というか観れなくなりました。
「水曜どうでしょう」とか「田舎に泊まろう」などのような、明らかにヤラセがないと信頼できる番組しか安心できなくなってしまったのです(でもナイトスクープもそんな番組の一つだったはずなんですが…)。これが幸せなのか不幸なのか何とも言えませんけども。

そして、一つだけ未だに憤りを感じることがあります。
依頼がねじ曲げられたので番組ではなかったことにされてしまいましたが、本来の依頼は「聴き取れなかった歌詞を知りたい」だったのです。
生歌を聴かせてもらえたのは嬉しいですが、私にあの時取り上げた歌詞を書いた紙を返して下さい!あれこそが、私の依頼そのものだったのですから!!



さて。
採用者には「探偵手帳」が送られてきます。
知名度が高い割には実物を見た人が滅多にいないことでも知られています。
すでにいくつか載せている写真を見てもらっての通り、基本はシステム手帳ですね。実にしっかりした造りで存分にどっしり厚く、まったくと言っていいほど安物臭さはありません。記念品としては実に見事な品物だと思います。
表紙のほかに中の一部に、ところどころ番組オリジナルの部分がありますね。

中身の中でも特に顕著な特徴の部分です

不思議なことに何の手違いか、送られてきてしばらくしてからさらにもう一冊同じ手帳が送られてきたのです。
理由はまったく分かりませんが、素直に戴いておくことにしました。なにせタクシー代の不足分が2千円ほど結局戻ってきてないのですから、その分のお詫びと解釈させてもらうことにしました。
で、比べてみると、微妙に違うところが見つかったのです。
日本広しと言えども探偵手帳のバージョン違いが語れるのは、他には朝日放送の社員ぐらいしかいないでしょう(笑)。
一部のパーツに色違いがあるほか、添付の筆記具がボールペンかシャープペンシルかの違いもあったりします。ちなみにどっちが古いか(新しいか)は分かりません。

透明スケールに違いがありますね カード入れの素材色のほかに筆記具の違いまで!



なんやかやと、あれから5年も経ちました。
当時のドタバタも気持ちも落ち着いて、ようやく私もこの話がネタとして話せる心のゆとりが出来たような気がします。
はたしてナイトスクープのコアなファンの方がこの文章を見たら、どのように感じるでしょうか?

そして複雑な思い出とともに2冊の探偵手帳が手元に…

この項終わり
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