2007年4月に立ち上がったばかりの我々の研究グループでは、癌と幹細胞に注目し、基礎から臨床へと連続する研究を展開することを目標にしています。アプローチの方法としては、分子生物学的手法に加えて、現在萌芽期にあるシステム生物学的理論を組み合わせて挑戦し、システム生命医科学なる新たな分野の創出を大きな目標のひとつとしています。バイオインフォマティクスに関しては、 東京大学医科学研究所/DNA情報解析分野(宮野 悟教授)との強力な連携体制を強みとしています。
どうして癌という病気になるのか、幹細胞はどのようなしくみで体内に維持されているのか、分子レベルで解明します。その基礎研究から得られる成果を軸に、癌の早期発見や個々の患者に最適な治療法を選択するための診断マーカー候補の探索、そして新しい抗がん剤開発のための新たな分子標的の探索を行う、トランスレーショナルリサーチを視野に入れた研究へと展開します。さらに、幹細胞を用いた再生医療の可能性についても取り組みます。
病的状態である癌や、生理的現象である個体発生や幹細胞の維持という生命現象を動かしている主役の分子群のひとつが、受容体型チロシンキナーゼである、FGF受容体やEGF受容体です(図1)。ヒトを始めとする個体内では、これらの受容体を介するシグナル伝達が、他のシグナル伝達系と様々にクロストークしながらそれぞれの生命現象に関わっています。その分子機構は、まだまだわかっておらず、多くのブレークスルーとなる研究成果を期待することができます。現在我々は、この受容体型チロシンキナーゼのシグナル伝達にまず注目しています。
図1:チロシンキナーゼのシグナル伝達系
当研究室では、現在、以下のようなプロジェクトが進行しております。
1. 癌のシステム生命医科学
肺癌、乳癌が発生し、悪性化し進展していく過程について、システム生物学的解析を行い、癌の生物学の統合的な理解を目指す。そこから、癌の早期診断、分子標的薬の適応決定、予後予測に有用な診断マーカー候補や、新規分子標的候補の抽出を行う(図2)。
図2:癌のシステム生命医科学
システム生物学的アプローチによる肺癌の診断マーカーの探索プロジェクト
悪性腫瘍(癌)は1981年以来我が国の死亡原因の第一位を占める未だ有効な治療法のない難治性疾患です。近年分子標的治療という癌細胞の増殖や悪性化の機構に関与する分子を標的とした新しいコンセプトが提唱され、既にいくつかの分子標的薬も実際の治療に使用されるまでになってきています。中でもEGFRを標的とするゲフィチニブは世界に先駆けて日本で承認され、世界的にも最も多くの研究が行われている分子標的薬の1つです。
本プロジェクトの目的は、非小細胞肺癌におけるゲフィチニブ感受性と非感受性を高精度に診断する新規バイオマーカーの同定です。方法論として、数理・統計学の専門家と連携する事によってシステム生物学的手法を取り入れ、非小細胞肺癌を統合的に理解する為の1つのスタンダードモデルシステムの構築を行なっています(図3)。
同時に、ゲフィチニブ感受性及び耐性獲得細胞でのシステムモデル構築とその比較によって新規バイオマーカー候補及び分子標的を抽出し、細胞株などを用いた分子生物学実験及び臨床検体等を用いてその評価を行なっています。
図3:Cell Illustrator
(東京大学医科学研究所/ゲノムセンターDNA情報解析分野/宮野研にて開発)
2. 受容体型チロシンキナーゼと癌
現在我々は、特にアダプター/ドッキング分子FRS2ファミリー分子に注目している。FRS2ファミリー分子は、FRS2alphaとFRS2betaの二分子からなり、FGFによりFGF受容体が活性化すると、チロシンリン酸化を受け、Ras/ERKパスウエイ、PI3キナーゼパスウエイなどを活性化する(図4)。
FRS2alphaは、RETチロシンキナーゼによっても活性化するが、RETの突然変異によって活性化した癌を悪性化へと進展させる主経路と考えられている(図5)。
我々は最近、FRS2betaは、EGF受容体に結合することにより、そのシグナル伝達を包括的に抑制することを見いだしている(図6)。この分子は、新規バイオマーカー候補並びに分子標的候補である。
図4:FRS2ファミリー分子
図5:RET変異と癌化
図6:FRS2βによる癌抑制作用
3. 受容体型チロシンキナーゼと幹細胞、発生、再生医療
我々は、FRS2αノックアウトマウス並びにその機能を一部欠損した変異マウスの解析により、FRS2alphaが、様々な組織、臓器、器官の発生や組織幹細胞の維持を司っていることを見いだしている(図7A、B)。
図7A:FRS2αノックアウトマウス
図7B:受容体型チロシンキナーゼ
マウス胚盤胞期(blastocyst stage)において、ES細胞を含む内部細胞塊と胎盤幹細胞(trophoblast
stem cells)を含む胚体外外胚葉は、幹細胞ニッチを形成している。我々は最近、内部細胞塊が産生するFGF4が、trophoblast
stem cells内で転写因子Cdx2を介してBmp4の産生を促し、Bmp4は内部細胞塊に働いてその生長を促す相互のパラクラインシステムによって、このニッチが制御されていることを見いだした(図8)。
図8:Blastcyst stageにおけるシグナル伝達系