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認知って?142 (若者 編)

2008-06-21 01:25:58
テーマ:ブログ

この1年間弱、あまり若者に触れていない気がします。


20代前半から小児科に所属しておりましたので、

思春期の子どもに思えばずっと触れていましたし、

発達外来ではもっとちびっ子とかかわっておりましたし、

専門学校では「ザ・若者」とも言える学生とかかわっていたので、

よく考えると自分の人生は

若者尽くしだったのではないか、と思うのです。


私はとりたてて「子ども大好き」な人間ではないのですが、

思春期の子どもや青年期の男女にはなんともいえない

魅力を感じることが多いと思います。


生意気な口をたたくのもよし、

電車でべたっと座るのも、

コンピニでダベるのもまたよし、

というように、結構「世間の非難を浴びる若者」が、

わたし自身はキライじゃないような気がします。


彼らは自分たちに魅力があることにあまり気が付いてないし、

自信もないし、自意識過剰で不安に陥ることが多いし、

結構賢くても年下だからという理由でナメられたり、

繊細ですし、基本的にヒマなのでロマンチックな行動をとりやすいし、

魅力のある要素がたっぷりあるのです。


この傾向はなにも小児科にいたからというわけではなくて、

自分が青年期のころからありました。

思春期の文学作品や映画が昔から大好きでしたし、

しかも「悪い子たち」も、昔からキライじゃありませんでした。

(自分も悪い子だったのかもしれませんが)


大人になると、

若者に対して厳しいオトナと寛大なオトナがいることが分かります。

わたしはその両方とも入りたくないのですが、

(だって、「おれもやってたから」という理由でお酒やタバコを容認する

オトナがわたしは好きではありませんし、やたら「最近の若い子は・・」

と目の敵にするのもどうかと思うのです)

ただ、

若者が困っていたらちょっとケアしてあげたいな、という気持ちが

動く程度には、若者が好きかなと自負しております。


よく、オトナの女のひとが年下の女子を目の敵にすることが

ありますが、

あれはわたしはいまひとつ、ピンときません。

おそらく、「かわいがられることに意味がある」というスキーマが

ある女性であればあるほど、

この傾向が強まるような気がします。

わたしは幸い、「かわいがられること」にあまり価値を見出した

ことがないので、若い子達をあるていど可愛がることが

出来るのだと思います。

だからよく、「女の世界はコワイ」というのは、

こういったスキーマをもつ一部の女子のことなのでは、

と思います。


ちなみに、好きな年代順としては、

1.思春期・青年期の女子

2.思春期・青年期の男子

3.ちっちゃい女子

4.ちっちゃい男子

5.同世代女子

6.ちょっと枯れている中高年男性

7.ちょっと枯れている中高年女性

8.同世代男子

9.現役バリバリ感のある中高年女性

10.現役バリバリ感のある中高年男性


でしょうか。9、10、あたりはむしろ苦手分野だと思います。

具体的には、

・バブルの匂いがする ・女子大生ブームの匂いがする

・車の話とか好き ・モテる気満々 ・昔モテたと言い張る

とかでしょうか。


6、7あたりは結構眺めているのが好きです。

具体的には、

・独特の生活習慣がある  ・浮世離れ

というイメージです。


漫画家の岡崎京子は、小学生男子が宝物みたいに

見えるらしいです。


ではでは!


認知って?141(さまざまな角度からながめること 編)

2008-06-21 00:43:00
テーマ:ブログ

さいきんツイていません。


忙しい合間をぬって久しぶりにいったカフェレストランが

結婚式の二次会で貸切だったり、

猫が口内炎になりモンプチしかだべられなくなったり(やわらかいから)、

住民税の徴収票(血税!)が届いたり、

買った靴が痛くてはけなかったり、

マンション抽選に落ちたり、

仕事の休みが今月はなさそうだったり(これが一番ひどい)、

低気圧だったり、


書くとキリがないのですが、なんだかかわいそうな毎日です。


なんとかひとりCBTでしのいではいるのですが、

今月は結構限界な感じがしますので、

とりあえず時が過ぎ行くのを待つ、という方向で

日々暮らしております。


そんな中で最近思い返すのは、

昔から感じていた疑問が最近やっと解決したような気がするので、

書いてみます。


学生時代、CBTの本を読むと

「ゆがんだ認知を修正する」と記載されていて、

その代表的な自動思考に、


・ひとの気持ちを読みすぎる→読心

・物事を極端に判断する  →白黒思考

・悲観的な結末を想像する →否定的予言


などがあるのですが、

それをやわらげればいいという内容がほとんどでした。


私はそれを学生時代に読んでよく思ったのは、

「CBTって、平均的で常識的な健常者を量産したいのかしら?」

ということでした。


たとえば、

毎日残業して情熱を持って仕事に取り組むひとには

「結構出来てるし、もういいんじゃない?」とささやき、

血が出るまでピアノを弾くピアニストには、

「そんなに完ぺき主義にしなくても・・・」といい、

すごく空気が読めてそれで成功している客商売のひとに、

「そんなに人の気持ちを読まなくていい」

というような台詞が、果たして適応的思考なのか?

という、くだらない考えでした。


認知のゆがみを直してしまうと、

「そこそこガンバる」

「ほどほどに気が利く」

「楽観的」

なひとが出来てしまい、それって魅力ないなあと思ったのです。


でも、今になって考え直すと、

「認知のゆがみ」自体が悪いのではなく、

それは良くも悪くも自分の特性であって、

よくも転ぶし、

わるくも転ぶのです。


ちょうど、エゴグラムのPACがそれぞれ高くても

低くても一長一短あるのと一緒で、

「認知傾向」も、それがどの傾向でも

長所もあれば、短所もあるのです。

(ちなみに私はエゴグラムではAとFCが高いですが、

それは「知的で闊達」な人物ともなりますし、

「計算高くてわがままで自分勝手」な人物ともなります)


ならば、なんで「ゆがみ」という、ネガティブな言葉を

使うのか??とも思うのですが、

わたしは「認知のゆがみ」よりも、単なる「認知傾向」

としてその傾向をとらえて、

その長所、短所を理解することからはじめるほうが

さまざまな角度から物事を眺められるので、

よいのではないかしら?と思うのです。


だから、「認知のゆがみを変えたい」のではなくて、

「自分の認知傾向のネガティブな側面を対処したい」のほうが、

より合理的かもしれません。


と、考えたところで、今日久しぶりにCDを買ったことを

思い出したので、ストレスコーピングとしてこれから楽しみます。

スチャダラの新譜です。

そうとういいです。

ではでは。




認知って?140 (年を取る 編)

2008-06-06 17:39:25
テーマ:ブログ

そろそろ、ひとつ歳を取りそうなので感じることを書いてみようと思います。

わたしは歳を取ることに対してわりと悲観的であると思います。

それは単に、盛りをすぎてからそうなったというのではなくて、

子どもの頃から、そうであったと思います。


たとえば、

9歳から10歳になったとき、

(ああ大変だ、一桁から二桁になった。歳をとったな)

という自動思考があったと思うのです。


18になったときも、

(10年前の記憶がちゃんとある!もう8歳だった!歳をとった!)

と、感じました。


20とのきは、

(20代ということはもう若くないのだ)

と感じたり、(あとは平行線のままだ)と、ため息をついたような記憶があります。


30のときは、勤め先の専門学生に

「三十路おめでとう」と祝福されましたので、

力なく笑うばかりであったと思います。


誕生日ちかくになると、思い出すこととしては、


源氏物語の「若菜下段」で、主人公の光源氏が

「さかさまにいかぬ月日よ」

と嘆くシーンや、

小川陽子の「ホテル・アイリス」の、

「男の足は清潔で、つめもきちんと切りそろえられていたが、

どうしようもなく老いていた」

という下りなんかを、思い出します。


このように、歳をとることはわたしにとって「少しずつ寿命に近づく」

ということのように思えてしまうのですが、

よりよく人生を構築できたら、と感じています。






認知って?139 (バランス 編)

2008-05-27 00:26:39
テーマ:ブログ

先ほど、夫の音楽作品のプロモーションビデオを見させられて

感想を求められました。

最近、仕事仕事でゴトゴトしていましたので、違う頭を使うような

感覚で面白かったのですが、

感想のひとつに、

「音楽がAって感じなら、映像もAって感じで、

バランス悪くない?」

というものが、ありました。

夫も同じことを思っていたらしく、映像作家のほうにまた注文する

らしいのですが、そこでふと思ったことに、

「ああバランスってなんか忘れていたな」

という、自動思考がありました。

なんらかの自分のもの(絵画とか立体とか文章とか)

を作っていたときには、ひとに見せるものなので、ある意味常に

「人が見たらどう思うか、どう感じるか」

という視点で、四方八方からの観点で作品をなめまわす、ということを

していたように思うのですが、

(何だか大層なことを書いているようですが、美大受験や雑誌の記事でも

その程度のことは要求されることで、芸術とかそういった以前の

ことなんです)

いざ、「ひとに見せる」目に見える作品とは関係のない流動的な

時間において、バランスを見失うことは多々あるのではないか、

と感じます。

例えば、日常生活での時間の使い方とか、

情熱を傾けていることとか、

人付き合いとか、

そういったあいまいなものに、うっかりバランスを失っている

ひとは多いのではないか、ということです。


わたし自身、その例外ではなくて、

現在、

①仕事に占める時間が多すぎてプライベートがあまりない

②仕事で失敗する

③「仕事も駄目ならプライベートもだめだ」と、落ち込む


という、悪循環をたどることがあります。


また、ある人は、

①恋人(または恋)にのめりこみ、そのほかの活動がない

②失恋する

③すべてを失ったような気がして、もぬけの殻になる


という悲しいことがあるかも知れないわけです。


つまり、人生において命綱は沢山張っておいたほうが言い訳で、

恋愛のみより、プラス友情、プラス家族、

プラス資格試験、プラスひそやかな趣味、

プラス・・・と、綱は多いほど、ひとつを失ったときに

揺らぎにくくなると思います。


心理学の言葉でいうならば、「資源」ですね。


というわけで、わたし自身、背水の陣みたいな人生を

避けるために、何が資源となるだろうと考えると、

①家族と猫(ペット)

②趣味における活動全般

③友人

④仕事関係の人々


・・・このくらいでしょうか。

何だか少なめな気もしますが、

今あるものを大切にしたいと思いました。



認知って?138 (ジェンダー 編 その3くらい)

2008-05-18 23:50:45
テーマ:ブログ

もともと私は性役割に興味があるので、どうしても

物事に対してジェンダーというものを認知しがちなのですが、

最近、また考えることが増えたので書いてみます。


女性も男性も、伝統的なジェンダーが色濃いひともいれば、

そうでない人もいるなあ、と、最近思います。


1ヶ月くらい前、大学時代の切ない後輩たち(男子数名)と、

飲む機会があったのですが、そのとき、

「ここはどうもジェンダーが薄いな」と感じました。

ポイントとして、

・かなり微妙な趣味の話でつながっている(私も含めて)

・むやみやたらとアングラ

・室内で遊ぶのがすき

・微妙な職業に就いている(へんな作り話の執筆とか)

・なかなか恋愛しない(できない、モチベーションも低い)


ということでしょうか。


その数日後に、同級生の誕生会に出たのですが、

そこでは男女数名いたのですが、

そこではジェンダーの差異を非常に感じました。

ポイントとして、

・男女ともどもみなりっぱな会社員

・夏は海、冬は雪山にいる(推定)

・人生の目的は、仕事以外の娯楽にいそしむことが中心

・いいレストランとか、話題のスポットとか、情報を網羅している

・常識的なオトナ


これら2ケースを比べると、

良くも悪くも社会的な男女のほうが、よりジェンダーもはっきりしているのかな、と感じました。

わたしはこのふたつの領域にちょうどまたがっていて、

どっちつかずな感覚があります。

でも、より親近感があるのは上のほうのジェンダーレスグループだな、

と感じます。


好きな順に並べると、


①ジェンダーレスな男子:

 言いたい放題言えて、カタルシスが得られる。


②ジェンダーレスな女子:

 むかつかないで付き合える仲間。頼れたり、お金を貸してくれたりもする。

 家に泊めてくれる。盛り上がれば朝までつきあってくれる。


③ジェンダー観の強い女子:

 料理をしてくれたり、世話してくれるから結構好き。でも、あまり縁がない。

 というか、美容と健康にストイックなひとが多いからビビッてしまう。


④ジェンダー観の強い男子:

 紳士な感じのひとは好感が持てますが、帰りの電車が一緒の時には

 途中下車してしまうくらい話題が見つからないときが多い。



ジェンダー観のことを中心に書きましたが、

それ以外に性格や人間性や知性などに魅力は存分に依存するな、

と、しみじみ思いました。


ではでは。








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