話を聞いた相手のプライバシーなどさまざまな情報が詰まった取材ノート。決して人前で開くことはできない。でも私の場合、乱筆のせいで同僚にも見せられないのだ。
小学校時代には書道教室に通っていた。コンクールにだって入賞した。しかし、新聞記者になってから、メモはスピードが命。自分だけが分かる“記号”と化してしまった。
われながらうんざりするほどの悪筆だが、書家の作品を見ると文字とはこんなにも美しいものなのかとほれぼれしてしまう。力強い漢字、気品漂う仮名それぞれに芸術性を求めた作品は魅力的だ。
そうした書を手掛ける仮名書家として、岡山県では文化功労者の高木聖鶴氏が知られるが、今年はその師・内田鶴雲氏(一八九八―一九七八年、津山市出身)の生誕百十年に当たる。二十二日まで、県天神山文化プラザ(岡山市天神町)で開かれている遺墨展は、抽象画のような作品もあり、書の心得がなくとも楽しめる。
書の担当記者はこの人物に興味を持った。調べていくうちに、彼の周辺に帝国芸術院会員だった尾上柴舟(さいしゅう)、田中塊堂ら中央書壇で活躍した郷土の先人たちの姿が見えてきた。
取材の成果は、本紙文化面に十九日付から二十二日付まで、企画「現代書の幕開け」として三回掲載。それまで一般的だった小字仮名から大字への流れをつくり、精神性を深めた内田氏の功績を軸に、郷土の書家らを交え戦後の書の変遷をたどった。岡山書壇の系譜と奥深さを皆さんにも知ってもらいたい。
(文化家庭部・金居幹雄)