非常に残念なことなのだが、ある専門家は、未診断やグレーゾーンの者に対して、迫害同然の文章をネット上で寄せている。事実無根の情報を含むこのエッセイ(以下、「このエッセイ」と呼ぶ)によって、アスペ未診断やグレーゾーンの人たちがインターネットの掲示板で攻撃されている。私はその先生の下で、ある学会で発言させていただいたこともあり、また拙著中にもその先生の解説を戴いていることでもあり、私がその先生のお書きになられたものを批判するのは非常に不本意であることであるのだが、一方で私は、事実と違うことを言われることが非常に苦痛なので、以下、その先生のお書きになられたそのエッセイ「偽(にせ)アスペルガー症候群」(http://kids.gakken.co.jp/campus/jiritu/medical/backnumber/01_12/top.html、現在は削除済)
について気付いた点を本稿で幾つか述べさせていただきたいと思う。
問題のエッセイの第5段落にはこう書かれている。
私も、Nさんがある人物によってネット上で執拗に攻撃されるのは、リアルタイムで目撃していた。しかし、私の目撃した書き込みは、「自称アスペ」や「偽アスペ」によるものでは決してなく、Cで始まるハンドルネームの、高機能自閉症としての診断を持っている人物によるものであった。何で私が彼の診断について知っているのかというと、他ならないC氏自らが、私宛てに、Nさんに関する悪口と彼女への攻撃を書き連ねた分厚い文書と共に、自らの診断書(著名な専門家によるもの)の複写を送ってきたからである。また、彼は、そのような文書を送る際に、実名を名乗っていた。
彼の送ってきた文書、そして彼のホームページ(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7498/)を読むと、C氏はNさんのことを、本気で「存在しない」のだと頭から思い込んでいるらしい。S先生によると、C氏はNさんについて、「『おまえは本当には存在しない』などといった、非常に攻撃的な文章をまき散らす。」ことになるのだが、確かに事実としては、NさんはAさん(私もお世話になっている)を仕事上の代理人としている。が、認知や知能に問題がある人にとっては、「代理人イコール本人」に見えてしまう場合もあるのではないか。また、Nさん(そして私)が出演した、某国営放送の福祉番組(「にんげんゆうゆう」)で、Nさんは「つばの深い帽子にサングラス」、そして「後ろ向き」という変装で出演したが、C氏にとってはそれが「あたかも自分の正体を隠している」ように映ったのではなかろうか。Nさんに関するそうした一連の事柄を、思い込みが激しく、かつ認知の障害された人が見ると、「Nさんは実際には存在しない」と誤認そして誤解することがあっても不思議はないと思うのだがどうだろう。
C氏は障害のために現実をありのままに認知することができず、「Nさん=Aさんである」と本気で思い込んでいる、ある意味かわいそうな人である。私はAさんのお世話によくなるが、C氏の説に従えば、それはNさんのお世話になっていることになるのであろう。最近の彼のホームページには、新たに「Nさん=Aさん=Iさん(自閉症当事者で作家)」説も飛び出している。
(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7498/haji.html)。ここまでくると、一種の妄想なのだろうか?
C氏は自分のホームページ上で、自らの実名と顔写真をネット上に公開している。故意に悪意を働く人に、そのようなことができるだろうか? 普通、悪事というものは、人に隠れて正体を隠して、コソコソ行うものだからである。
だが彼は彼の実名を名乗った上で特定の相手を攻撃しているということは、彼は自分の考えこそが絶対に正しいと信じ込んでいるからなのではなかろうか。少なくともC氏にとってNさんは“存在しない”のであり、それが彼の世界にとっての“絶対の真実”なのである。そして彼は、彼にとっての“真実”以外は容認できなかった。彼は自説に強くこだわり、自分と異なる考えを受け入れることができず、したがって他者の意見に頑として絶対に耳を貸さず、彼だけの極めて狭いものの見方に執着した。その結果、自説を貫こうとして過激な言動に至ったのだ、と。これこそ自閉症の障害の負の部分だとは言えないだろうか。もしかしたら彼はS先生の言うとおり、“偽アスペ”なのかもしれない。だが私はこう考える。彼はアスペではないかもしれないが、カナーではあるかもしれない、と。
当然のことながら、C氏がNさんに対して行った攻撃は極めて悪質なものであり、決して許されるべきものではない。しかしC氏は(独善的ではあるものの)独自の“正義感”で行ったことなのであって、そこに悪意はなかったのではないか。こう書くとNさんにとっては大変にお気の毒であるのだが、ここで言う正義感とは、某大国の大統領が好戦的なのとさして変わらない、歪んだそれのことである。その歪んだ“正義感”が、彼をネット上の攻撃へと駆り立てたのではないだろうか?
このように、C氏が誤解やこだわりや思い込み等に至った理由やその背景を読み解こうとしないで、ただ、「ある人物がNさんをネット上で攻撃した」という片面だけの事実のみを取り上げ、しかもそこに読み手側が悪意を勝手に読み込むのもいかがなものか。確かに、いじめの現場では「お前の存在は間違っている」という意味の発言が頻繁に言われる。でも、それと、C氏の言う、「お前は本当は存在していないんだ」という発言が表面上似ているからといって、言った動機まで同一にみなすのは洞察の欠如と言うほかない。これは、自閉症の専門家からですら自閉症当事者が誤解されるという好例(?)なのかもしれない。
私はこの例でもってだけをして、「したがってアスペの人は攻撃的である」と言うつもりは毛頭ない。むしろ、健常人と同様、アスペの人の中にも、「きまじめな人、ひょうきんな人、キテレツな人、孤高の人、寡黙な人、饒舌な人。引っ込み思案な人、大胆不敵な人。無能の人、有能な人、いい人、悪い人。」がいる(「アスペルガーの館」http://www.asahi-net.or.jp/~fe3s-mrkm/)。それと全く同様に、健常人、障害者、アスペの人、未診断、グレーゾーンの人の中にも、温和で穏やかな人もいる一方で、(C氏やPさんのように)攻撃的な人もいるのが現実なのである。したがって(ある人が)「攻撃的かどうか」というのは、その人がアスペかどうかを決定する基準にはなり得ないのである。
そもそも自閉症というのは発達のパターンのデコボコ状態を指すのであって、そのデコボコを構成しているそれぞれの各要素のうちの、たった一つだけで診断される類のものではないだろう。もし、このような断片的な要素でのみで、人が自閉症(アスペ)かそうではないかを判断されるのであれば、その断片の取り出し方如何で、いくらでも恣意的な見方が可能になるだろう。極めて有り体に言えば、自分の好ましい(好ましくない)と思っているある特定の人物について、いくらでも、「この人は自閉症である」と言ったり、その逆を言うことができる。が果たしてこれは公正なことだろうか?
実際、重い自閉症の人ではあっても、その能力の断片だけを取り出せば、健常人と何ら変わらない部分を持っている場合もあるし、一方、健常の人ではあっても、ある特定の能力の断片だけを取り出せば、自閉の人と変わらないところもあるかもしれない。それゆえ、極端な事例となると、(最近S先生がその論文で私についてそうしたように、)「ある自閉症者」をその人としての全体を見ないで、その発言のほんの片言だけを取り出して、そしてその片言だけを基に、「この人は本当に自閉症だろうか」と言う。が、このような断章取義は科学的また学術的に適切なことのだろうか?療育の支援を受けられないまま自力で訓練して自閉症を克服してきた自閉症者に向かって「偽アスペ」呼ばわりしたり、「この人は本当に自閉症だろうか」などと言うのは、本人に対する最大限の侮辱である。
最近、2006年の天文ニュースで、惑星の数が今までの9個から12個になり、最終的に冥王星が降格して8個になったというものがある。このように、専門家による定義次第でどうにでもなるものが世の中には無数にある。自閉症またアスペルガーもまた同様である。中には、「惑星(アスペ)になったりならなかったり、それまでは惑星だったものの、ある日、惑星から弾き出される」者も出てくる。
しかし天文の方は、降格されて惑星ではなくなった冥王星について、新たに定義しないまま放ったらかすことはしなかった。
それと同様に、アスペに関しても、グレーゾーンの定義も新たに必要なのではないか。そもそも、S先生の言う「偽アスペ」とは何なのか。これについては、ある方がある掲示板上でおっしゃるように、「実際、S先生のおっしゃるように『偽アスペルガー』の横行を指摘するのであれば、本当ならば、私達のようにグレーゾーンで困っている人間に付いての、アスペではないと言う、逆説の立証もしなければいけないのだと思います。」なのではないかと思うがどうだろう。
(http://www.nadita.com/asbbs/c-board.cgi?cmd=one;no=11230;id=)
また別のある方は同じ掲示板上でこう述べておられる。
「『偽アスペルガー』(URL略)をご存じ?こんなことを書かれたら、グレーゾーンの診断のつかないものの悲しみや辛さをどうしてどこへやっていいものか…と、こちらもとてもショックでした。」
(http://www.nadita.com/asbbs/c-board.cgi?cmd=one;no=11228;id=)
また別の方はこう述べている。
「個人的にはこの『偽アスペルガー』のお話しは嫌いです。子供たち二人は医者に診断済みですけれど、自分もそれらしいと思ってもこの『偽アスペルガー』の記事を読んだとき、『診断されなければそれに非ず』と言われた様な気がしてショックでした。」
(http://www.nadita.com/asbbs/c-board.cgi?cmd=one;no=21510;id=)
他にも、S先生によるこのエッセイには、事実と相違する点がある。
「NさんやPさん(ペンギンクラブ)といった本当の高機能者のホームページに、偽アスペの方々が乗り込んで、(中略)非常に攻撃的な文章をまき散らす。」とあるが、前者、つまりNさんのホームページ(「自閉連邦在地球領事館附属図書館」http://homepage3.nifty.com/unifedaut/)には、昔も今も(少なくとも本稿を書いている段階では)掲示板が存在しないので、書き込むことはそもそも不可能である。またPさんのホームページを「ペンギンクラブ」と紹介しているが、この最後の3文字は正しくは「くらぶ」と平仮名で書くのが本来の表記である。また、これらの他にも誤解を招く記述があるのだが、それらを具体的に指摘すると特定の当事者に迷惑が掛かるため割愛する。
以上で見てきたように、S先生によるこのエッセイは独断と思い込みによって書かれ、事実と相違・矛盾する点をたくさん含み、かつ、未診断およびグレーゾーンの人たちの人権を侵害するものであり、倫理的に問題があるといえよう。繰り返しになるが、C氏がNさんに対して行った攻撃は悪質なものであり、決して許されるべきものではない。同様に、ある特定のグループに属するかもしれない、ごく一部の人間が攻撃的だからといって、そのグループに属するすべての人が攻撃的であると決め付けられるべきではないのである。知名度と社会的地位のある人によるこのような誤認と誤解に基づく偏見が、なんら良心の痛みを感じることなく、一部の人達に妄信的に支持されているかと思うと、まだまだ気の重い日々が続きそうである。【了】