打ち克てなかった自分 悔やみ
15日付の「泉」に掲載した、死亡した患者の遺族に医療ミスを隠してきたという元病院職員の男性の告白について、たくさんのご意見や体験談を頂戴(ちょうだい)しました。きょうは、そのいくつかをご紹介し、改めてこの問題を考えたいと思います。
〈男性の心の痛みが私にはわかります〉。老人保健施設で働く女性看護師のメールには、寒々とした光景がつづられていました。施設の医師が食の細い入所男性をベッドに縛りつけ、栄養剤を無理やり鼻からチューブで流し込んだ、というのです。
〈おじいさんは残っている力を振り絞って「離してください」「苦しいよぉ」「助けてよぉ」と懇願しましたが、先生は笑みを浮かべ「あんたが食べへんのが悪いんや」と答えるだけでした〉
男性はほどなく呼吸困難に陥って病院に運ばれますが、肺炎を起こしており、そのまま亡くなりました。病院で「何か変わったことは」と尋ねられ、女性看護師は男性の苦悶(くもん)の表情が頭をよぎりましたが、「わかりません」と答えてしまいます。そんな〈打ち克(か)てなかった自分〉を、今も悔やんでいるのだといいます。
別の看護師も〈医療機器の不適切な使用方法について指摘したら退職を迫られました〉と振り返ります。
外部の労組に加入して抗議し、退職こそ免れますが、意に反して病棟から外来へ異動を命じられました。それから3か月後。入院患者の気道確保用チューブが夜間に外れ、死亡する事故が起きてしまいました。
〈あのとき指摘しなければ、そして私が病棟に残っていれば防げたかもしれないと苦しみました〉。そうメールは結ばれていましたが、ご当人の行為に非があるはずもありません。
一方、関西在住の開業医の男性からは、〈夜間の当直の場合、すべての検査がすぐにできるわけではない。私たちも毎日が真剣勝負だが、見落とすこともあるのをわかってほしい〉と、お電話をいただきました。医師不足の深刻化で激務を極める現場の実情が伝わってくるようでした。
ただ、命を預かる使命の重さを忘れた、としか思えない問題も起きています。三重県伊賀市の整形外科医院で今月、点滴を受けた患者が死亡し、点滴液の作り置きが発覚したのは、みなさんのご記憶にも新しいのではありませんか。
真実を秘してきた元病院職員の男性に対しては、さまざまなご意見がありました。
〈今からでも遅くはありません。回避できる死だったことを遺族に打ち明けるべきです〉という声の一方で、岡山県に住む女性は〈長い時間が過ぎ、遺族は心の整理をつけているはず。真実を知らないことで幸せな場合もあります。心にしまい、向き合っていくことで責任を負って下さい〉とメールを送られました。
厚生労働省によると、2006年に起きた、患者が死亡するなどの重大な医療ミスは1296件。みなさんのお便りを拝見して、明らかにされたこの数字の意味について、すこし考えさせられてしまいました。
(2008年06月22日 読売新聞)