オリンピック期間中、ハンセン病患者は入国できません――。北京五輪の組織委員会が今月初め、外国人向けにこんな「手引」を公表した。だが、感染力は極めて弱いことは今や世界の常識で、元患者らからは規制撤回を求める声が相次ぐ。五輪を機にハンセン病に対する中国の無理解ぶりが露呈したようにも見える。
同組織委は2日、入国できない外国人を列挙した「法律指南」を公表した。テロ行為や麻薬密売のおそれのある者などと並んで「精神病やハンセン病、性病などの伝染病の患者」を挙げた。しかし、そもそもこの規制は、日本の出入国管理法に当たる中国の「外国人入境出境管理法」の実施細則に盛り込まれているもの。新たに五輪を前に設けられたものではない。これまで国外に周知される機会はほとんどなく、日本でも手引公表後に初めて反発が起こった。
「偏見や差別を助長する条項がまだ残っていたなんて……」。この手引の内容に驚いた富山市の市民団体「ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山」は11日、駐日中国大使館に文書で抗議し、撤回を求めた。代表の藤野豊・富山国際大准教授は「既存の中国の法規制とはいえ、五輪を前に外国人向けにアピールするのは、中国がいかにハンセン病問題に無関心かを示している」と語る。
60年代から世界のハンセン病制圧に取り組んできた日本財団(笹川陽平会長)も胡錦濤(フーチンタオ)・国家主席らに撤回を求める文書を送った。
「ハンセン病問題を考える尼崎市民の会」は「同じアジアの一員として恥ずかしい」などとして、29日に兵庫県尼崎市で開くシンポジウムで急きょこの条項を議題に加えることにした。
元患者にも波紋は広がる。岡山県瀬戸内市の長島にある「長島愛生園」で自治会長を務める高瀬重二郎さん(85)。10年ほど前、元患者として北京市で講演した経験があるが、こうした規制は今回初めて知った。中国側にその意図を確認しようと全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)を通じて、厚生労働省に説明を求めている。「入国禁止にするのは無意味。明るい気持ちになれるはずの五輪なのに、納得がいかない」と話す。
WHO(世界保健機関)の統計などによると、中国では82年に登録患者数が1万人に1人未満というWHOの制圧目標をクリアし、必ずしもハンセン病対策の後進国というわけではない。
しかし、患者や元患者に対する差別意識は根強いという声もある。中国のハンセン病事情に詳しい早稲田大助教の西尾雄志(たけし)さん(34)によると、元患者のなかには集落から隔離され、トイレがなかったり、後遺症の手当てが不十分だったりといった劣悪な環境で暮らしている人もいるという。
西尾さんは「中国では啓発が足りず、大学生でも感染しやすい病気だと勘違いしている。五輪が、中国人にとってハンセン病を正しく理解する契機となってほしい」と期待する。(高木智子、池田孝昭)