2006年06月19日

強制連行と中の人 〜enjoy Korea〜

enjoy Koreaで見つけた強制連行され従軍慰安婦にされた黄錦周(ファン・クムジュ)さんの発言集です。

nakanohito.jpg


これを見ると、中の人も大変だったんだなぁ…と涙を禁じえません。


enjoy Koreaでも強調されていましたが、1人の証言です。

(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一
「生活は貧しく、12歳の時100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され慰安婦となった」

(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
「17歳のとき、日本人の村の指導メの妻が、未婚の朝鮮_人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」
 
(3)日本TV企業"TBS"「ここが変だよ日本人」というTV-Programより
「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ!」
 
(4)日韓社会科教育交流団韓国を訪問 / 1997夏期
「満18歳になった時のある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」
 
(5)元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日
村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅かされ、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。
 
(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて
「14歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」
従軍慰安婦の偽証ー黄錦周の証言
 
(7)平成7年朝日新聞インタビュー
「私は19歳で学校を卒業する25日前に日本軍に引っ張りだされ仕方なく慰安所に 行ったんだ!日本人に便所と言われもうこれ以上我慢できない!やっぱりあの時死 んどきゃよかったんだ!これ以上生きててもしょうがない!もう死んでやる殺してく れ!」
 
(8)産経新聞97/3/11
「満18歳になった時のある日、男がやって来て村から娘を出すように伝達をしまし た。 何をするのかよく分からなかったのですが、ソウルの工場か何かで働くのだろう と思っていました。姉は家から離れて生活していていなかったので、私が代わって 出ることになりました。」
 
(9)国連・経済社会理事会 クマラスワミ報告 1996年1月4日
17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮_人少女全員に日本軍の工 場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思い ました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求 しました。かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったので抵抗しまし た。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂 き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いました。そしてふたたび 気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。

2001年の記事で82歳となっていましたので、1919年に生まれたとしましょう(日本の年齢計算)。

これを時系列にすると…



1919年(0歳)
どっかで生まれる 

1931年(12歳)
100円で売られ、金持ちの家で小間使い。

1933年(14歳)
少女供出で満州に連行され、兵士のセックスの道具にされた。

1936年(17歳)
1.日本人村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本の工場に行くよう命じた。
2.日本人村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本の工場に行くよう命じた。

1937年(18歳)
1.ある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言った。
2.ある日、男がやって来て、村から娘を出すように伝達した。

1938年(19歳)
1.朝鮮で女中をしていたら、満州に連行され慰安婦になった。(1931年の続き)
2.学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され慰安所に行った。
3.学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され慰安所に行った。

1939年(20年)
ある日、一人の日本兵にテントに連れて行かれ強姦された。処女だった。(1936年2.の続き)

1941年(22歳)
村の班長(日本人)に脅かされ、韓国を離れて到着したのは慰安所だった。



とても激動の人生だったことは間違いありません。

14歳で満州に連行されセックスの道具にされつつも処女を守り、17歳で日本の工場に行かされても朝鮮の学校に行き、日本の工場に勤めつつ朝鮮の日本人村にいたところ、男に村の娘として提供され、でも朝鮮の女中かつ学生をしていて卒業も25日後だったのに、日本軍に満州の慰安所に連行され、17歳の時に行かされた日本の工場でも働き続けていたので、ある日、日本の兵士に強姦され処女を失い、また朝鮮の日本人村にいたところ日本人の班長に脅かされて日本の慰安所に連れて行かれたんですね…。

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可哀想な黄錦周さん。中の人は何人なんだろう。台本は何冊なんだろう。

もっともっと面白い台本を作って、燃料を提供してくれることを願います


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参考になったサイト

存在しなかった慰安婦強制連行

韓国系日本人の徴用を「強制連行」に言い換える反日プロパを率先して行う自民党野中氏

我が国による朝鮮人の 強制連行なんて無かった
posted by 韓流の輪 | Comment(4) | TrackBack(0) | 強制連行
この記事へのコメント
以前、「サヴァイバー」っていうテレビ番組がありました。一般人を募り、無人島に連れて行き、ゲームをさせ、最後まで勝ち残った者が賞金をゲットする内容でした。当初、出場者の言動があまりにドラマチックで面白いため夢中になって観ていました。が、しだいにそこに疑問を抱くようになり、結局、「こりゃ、ヤラセだ」と気づきました。他の視聴者もそう思ったのか後半は視聴率も危なくなっていたようです。この番組のポイントは実は「普通の人は演技が下手」という漠然とした世間のイメージだと思います。この番組はそれを逆手にとったのです。全国探してみれば演技上手な人は結構いるでしょう。そこに巧みな脚本と編集でリアリティを演出したんです。最初はそれでよかった。でも、だんだんと化けの皮が剥がれて白けるようになってきました。確か半年くらい放送していたと思いますが、最後まで観ませんでした。これはテレビで娯楽です。娯楽は娯楽として割り切って楽しめばいいんです。しかし、歴史を捏造してたかるという魂胆は絶対に許してはいけないと思います。演技上手なこの老人は自分の人生を嘘で固めてしまいましたね。
Posted by コボチョビッチ at 2006年06月20日 00:29
「サバイバー」ありましたね〜。あれは番組自体、アメリカから権利を買ったんですよね。「あいのり」と同じ趣向のヤラセだったんでしょうか。
テレビは娯楽というのは同意です。きっこのさるさる日記でも、日テレのヤラセを3日連続で載せていましたね。彼女はゴシップ好きの左巻きでなので好きではありませんが、あの手の話しは面白く読ませてもらいました。
昔、日テレの「ドシロウト」という番組で、私の先輩が家庭教師の経験なしで、家庭教師の回のオーディションを受けていました。こんなもんですよね。テレビは娯楽です。
Posted by 韓流の輪 at 2006年06月20日 01:54
>とても激動の人生だったことは間違いありません。


笑い死にそうになりましたwww
Posted by atu at 2006年06月25日 23:16
笑いました^^;
Posted by うわぁ… at 2007年06月20日 14:44
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