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【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】(3)哲学者・批評家 東浩紀 (1/2ページ)
■若者の利害軽視する社会
死者7人を出した秋葉原無差別殺傷事件からまもなく2週間になる。
事件についてはすでに多くの報道が出ている。マスコミでは例によってネットやゲームの影響が強調され、家庭環境も注目を集めている。そこでおもに語られているのは、劣等感を抱えた未熟なオタク青年が「逆ギレ」して刃物を振り回した、という単純な犯人像である。
しかし、その見方は正しいだろうか。容疑者はネットで犯行を予告している。そこには、動機として社会への不満や疎外感が、表現の幼稚さはあれかなり明確に記されている。2日前に凶器を購入し、前日に現場の下見を行い、当日静岡から秋葉原まで長い距離を運転しているあいだも、容疑者は冷静さを失っていない。そこに窺(うかが)えるのは、暴力への衝動というより固い決意である。事件の本質は、暴力衝動や若者文化といった要素にはなく、容疑者が抱いた絶望と怒りの中身にあると考えるべきだ。
では、容疑者はなぜそこまで絶望し、なにに怒っていたのか。そして、なぜそれを無差別殺人として表さねばならなかったのか。正確な答えは今後の調べを待つしかない。
しかし、現時点で言えることもある。筆者はさきほどマスコミの犯人像が単純だと記した。じつはネットの状況は異なる。ネットの一部では事件直後から容疑者への共感の声が現れていた。それも愉快犯的なものではなく、真剣な書き込みだ。事件の悲惨さを承知したうえで、それでも加害者に共感してしまう若者が一定数いたのである。
事件の長期的影響を考える場合、このことは重要な意味をもっている。捜査の進展にしたがい、もしかしたら今後事件は無目的な行動だったことが明らかになるかもしれない(筆者は決してそう思わないが)。しかしそれでも、少なからぬ若者が事件に時代の象徴を見てしまったという事実は残る。これは危険な兆候である。
しかもそれはいま突然現れた感性ではない。論壇ではこの数年、若い世代の社会に対する絶望や不満が頻繁に話題になっていた。ワーキングプアや非正規雇用、ネットの言葉で「非モテ」(モテないの意)などがキーワードだ。昨年は「希望は戦争」と語る若手論客まで現れた。その空気と今回の事件の受容は深く繋がっている。