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メモ

2008-06-21

人を変えるということ 其のニ

今回、aozora21さんがちょっぴり変わりはじめたのかな? もしかして? id:AntiSepticによる消毒が少しずつ効いてきたのかな? と思ったので記事上げした次第です。

変化のこと - takoponsの意味

そうですね…

私はAntiSepticさんのいうところの『世界にひとつの花教』ではない*1と思っているので、変化は認めますが同じく彼の言う『消毒』の効果があったかはどうかは今のところ実感していません。

彼が「バカにバカと言っただけ」ならば私は「どんなものからでも学ぶこともある」といったところでしょうか。

そもそもあの歌をどう思うかを彼に知らせたのは彼を変えようとしたのではなく(しかし言及することそのものが変化を及ぼそうとする行為であると後から考えを改めましたが)こういう考え方もありますよ、と伝えただけで彼が反応しているのはほとんど大野さんに対する私の働きかけです。

大野さんに対してはただひとつ、納得できる科学的な論拠を示して欲しい、この一点につきていました。私が調べただけでもあの歌を嫌う理由は複数ありました。嫌う理由が複数あるということは歌う理由も複数あるはずです。それを調べないで悪平等の象徴の歌としてしまうのはどうか、ということです。

個人的にはあの歌が好きと言うものでないし、擁護する理由もありません。ただただ、調べたというデータを示して欲しかったのです。

そこまでこだわったのは理由があります。昨年10月にtakisawaさんのコメント欄にて私の一つ二つのコメントを指してあの歌の象徴するものとして分析していたからです。実名で単著がある社会に対する影響力のある方の発言なので非常に困惑しました。

今はないようですが、前のブログでのnogaminさんとのやりとりからも、大野さんは直接会って対話したことのない(データが不足している)方の人格を分析・判断して躊躇いもなく公開するように感じました。

データを示して欲しい、しかしこれについては諦めます。AntiSepticさんのおっしゃるとおり、反論するための力が私にないからです。これも学んだことですね(笑)


takoponsさんはAntiSepticさんの方法を大変評価しているようですが、私は効果は低いのではないかと思っています。

人を変えるということについては前回書きました。

誰かに自分の生き方や考え方に対して激しく批判されるということはあるでしょう。その批判に耳を傾けようとするときはどういうときでしょうか。

私について言えば、相手に敬意を持っていることが必要な条件です。

けれども、『根拠のない自信』によって城壁を築いていれば真っ当な批判も届かないかもしれません。

はじめに、その『根拠のない自信』を取り除かなくては、相手を自分より程度の低い人間であると見下しているので話を聞くことができないと思います。

けれども、それ(城壁を崩す行為)が人格誹謗というやり方で行なわれた場合に容易に相手の意見に追従できてしまうとしたら、それは変化したというより支配されたということになると思います。

「お前はプライドで自分を守ろうとしている」とボロクソに攻められることによって、それを認めたくないゆえに、さっさと降伏してしまうのです。そうすることによって、なけなしのプライドを保持しようとするのです。カルト宗教にはまり込ませるのもこの手法ではないかと思っています。


前回Webで人を変えることについて書きました。

自分の意見を発信し続けると、継続的な読み手ができます。

読み手には反論を持つ人もいますが、閲覧者数が少ないうちは目立ちません。

そこに誰かが反論を可視化させると、一気に批判分子が可視化します。

逆に、誰かが共感を可視化させると一気に共感分子が可視化することがある、それにまた批判分子が反応する…といった現象は、はてなSBMでは実によく見かけます。

それらは人を変えたというわけでなく、人が可視化されただけです。


人を変えるのは「このようになりたい」という憧れと敬意ではないでしょうか。それは長い時間をかけて対話を繰り返し培われる信頼関係が土台になると考えています。変化をもたらす人は取り立てて有能であるとか知識が豊富である人に限るものでもないように思います。

そのように変わるのではない変化は必ずどこかで失速すると思っています。

もちろん、憧れや敬意が必ず「よい変化」をもたらすとも限りませんけれど(笑)


また、罵倒や誹謗中傷は『多くのことばを持たない者、ことばを届かせることのできない者』がことばによって何かを訴える最後の砦だと考えています。そういう意味で条件つきで容認し保護したいと思っています。場合によっては自分も使うので。

それを使うのは自分を『その人』であると認めているということで、ほんとうに『その人』かもしれないし『その人であることを装って盾にしている』のかもしれません。

数ある罵倒や誹謗中傷がそのどちらなのか、残念ながら私に見極める目はないのですけれど。

※またAntiSepticさんの綴りを間違えていたので訂正しました。なんで間違えるんだろうなあ。コピペすればいいのに(笑)

*1:蛇足ですが、それは「悪平等教育の影響を受けていない」ということは別です。

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