私は・・・            9/16/03
 
「この子トールとそっくり。」
「ほんとだ。トール君自閉症ナンじゃないの」 頑固で意固地な私を家族が、からかった。
 
それは、昭和42年、カナー型の少年の日常を写したドキュメンタリーだ。
自閉症という言葉もこのとき初めて聞いた。日本中の人も多分初めてだったと思う。
 
 
「重い子供がいるんだから、軽い子供だっているにちがいない」私は画面を見つめ確信した。
 
番組では、始めは耳が聞こえないのかと思ったこと。
呼びかけても向かないが、でんでん太鼓の音にはきちんと反応すること。
小学高学年になった今でも、写真撮影の時はこちらを見ようとしないこと。
など、その特徴的な事柄について、淡々と事実だけ、よけいな推測を交えず報じていた。
(当時の作り手は、まともだったね)
 
実は写真撮影の時、困らせるのは私も同じ。
目玉が強い意志を持って、さらにレンズを通し巨大化してこちらを見つめるのだ。
気持ち悪いっちゃあない。
 
別に写真に撮られるのが嫌いなんじゃない。
あの強い目を見なければいけない事が嫌いなのだ。
 
もちろん、そんなことが出来ないのは、5才ぐらいまで、6才になると嫌々従うようになる。
そんな私と、その子供に家族は無意識に共通点を感じたのだろう。
 
 
我が家は、西は博多から東は札幌まで、全国の主要都市を転居して歩いた。
それに伴い、小学校3校、中学2校、高校2校、さらには中学予備校迄含めると、
高校を卒業するまで、延べ8校を転々とした。
 
同じ地域に住んでいたなら、高校以外はだいたい似たような顔ぶれの持ち上がりだが、
私は、実に多くの異なる同年代(延べ2000人)と机を並べた事になる。
 
しかし、それでも話が合う(同じような思考回路を持つ)人間に巡り合うことは無かった。
 
 
大学を5年で卒業後、就職。 転職した先で妻と出会った。
彼女も一風変わり者。何とも変わっているのは私と話が合うことだ。
 
付き合いだした頃、彼女が怒り出すのを覚悟してこう言った。
「ねえ、厳密に言うと、あなたは自閉症の軽いタイプだと思うよ。」
 
意外にも彼女は怒ることなく、それどころか
ほとんどの人が知らない自閉症について詳しいことに驚いた。
 
そして、自身のことについては、否定も肯定もする事は無く、
その後も何度か同じ話が出たが、いつも同じ態度だった。
 
 
ところが、その時蒔いた種は結婚15年後、突然芽を出す。
 
結婚して15年。(1998年ごろ)
私は鬱になっていた。
もちろん自分でうつ病だなんて自覚もないし、そのうち気も晴れると思っていた。
しかし、気が晴れる日は来ない。
 
異変に気付いたのは妻だった。
彼女の異常なほどの答えを求める執念は、最新の自閉症研究資料の収集にねらいを定め、
ついに答えを引き出した。
 
私は日本では数少ない専門家の診察を受けることができ、「アスペルガー症候群」と診断された。
遅れて、妻もきっちり「アスペルガー症候群」と診断された。
 
「軽い自閉症」の自覚があった私にとって、診断名など、どうでも良いことだったが、現実は違った。
なぜなら、アスペルガー症候群は「脳機能薬」の感受性が一般の人と違うことがある。
 
私は少量の抗うつ剤の適用を受け、今では安定した日常を過ごしている。
 
 
もしこれが何の知識も無い一般の精神科だったら。
生活費の苦労の上に、抗鬱薬の副作用に悩む日々であったなら、考えるだに恐ろしい。
 
 
私はこんな大人。 山岸 徹 46才 自営
 
 
 
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