先月、サイクロンの直撃で多くの犠牲者を出した東南アジアのミャンマーでも、日本の医師たちが活躍しました。
ミャンマーに派遣された日本の医療チームの団長を務めたのは、北九州市にある救急救命研究所の医師でした。
閉ざされた軍事政権下での、支援活動の実情を聞きました。
先月初めミャンマー南部を襲ったサイクロンでは、軍事政権の発表でおよそ7万8,000人が犠牲となりました。
軍事政権は当初、外国からの人的支援を拒んでいましたが、国連の説得もあり、発生から2週間過ぎてようやく受け入れを表明。
すぐに現地入りした日本の国際緊急援助隊の医療チームの団長を務めたのが、医師の金井要さんです。
金井さんは、北九州市で救急救命士の育成にあたる「救急救命九州研究所」の所長を務めています。
現地入りした日本の医療チームが軍事政権から活動を要請されたのは、予想外の地域でした。
医療チームが活動を始めたのは、サイクロン被害から既に3週間がたってから。
甚大な被害を受けながら、ほとんど支援が届いていない現地で、被災者たちは感染症などに苦しんでいました。
最大の被災地での活動要請は、日本のチームに対する軍事政権の期待の大きさともみてとれますが、支援活動は過酷を極めました。
金井さんは、1999年のトルコ大地震や、2004年のスマトラ沖地震でも国際緊急援助隊のメンバーとして支援活動に参加しています。
およそ2週間にわたる支援活動で、日本とミャンマーの距離が少しでも縮まったのではないかと、金井さんは感じています。
激務を終えて帰国した金井さん、また次に世界のどこかで日本の支援が必要な事態が起これば、真っ先に手を上げたいと話しています。