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2008-06-20

女子アナは置屋の芸姑と言った女子アナがいた

昔聞いた話なのだけれど、その頃、自分を売り出すことにかなり意識の高い、戦略的な女子アナがいた。その時はまだ若かったのだけれど、スマートさ、クレバーさ、したたかさをすでにして備えた、かなり強い女子アナだった。

ぼくはその女子アナ(仮にAとする)に興味を抱いていた。一緒に仕事をしたことはなく、テレビで見るだけだったのだけれど、画面を通しても明らかに異彩を放っていることが分かって、強く惹かれるものがあった。

それで、Aと一緒に仕事をしたこともある旧知のテレビディレクターの何人かに「一体どんな人物なのか?」と聞いてみたことがある。するとそのディレクターたちも、Aに対してはぼくと同種の興味を抱いていたらしく、色々見聞きしたり知っていたりすることがあって、それをぼくに教えてくれた。

それは、当時のぼくにとってはかなり「面白い話」だった。そこで聞いたAの話は、かなりインパクトのあるもので、ぼくは強いインスパイアを受け、さらにAに惹かれた。けれど、まだ若かったせいもあって、その話を咀嚼して何かに援用したり、メソッドとして組み立てて自分の役に立てる――といったことは考えつかなかった。単純に他人事として、凄い人もいるものだなと思うにとどまっていた。

しかし最近、長い歳月を経てきた中で、あるいは面白さとは何か、人気とか何か、人間関係とは何かといったことを考えてきた中で、その時のAの話がしばしば思い出されることがあった。その頃は気付かなかったけれど、Aの話というのは、実に見習うべき点、参考になる点、考察すべき点が多くて、そこから色々学べるのではないかと思うようになった。そしていつしか、誰かにそれを伝えたいと思うようになった。そこで、今回はそれをここに書いてみたい。


Aは、テレビ局に入って間もなく、これはなまなかな世界ではないぞと悟ったらしい。外から見た限りでは分からなかったが、内部に入ると熾烈な競争があるというのが分かった。

いや、競争というか、それは格差ともいうべきものだった。その頃はまだ「格差社会」という言葉はなかったけれども、女子アナはすでにして格差社会であった。

女子アナの格差は激しかった。格差には二つの軸があった。一つは若さ。もちろん若い方が上位に位置しており、仕事は優先的に回ってきた。入社して2、3年目が、一つのピークだった。もう一つは人気。もちろん人気のある方が上位に位置した。女子アナはもちろんサラリーマンではあるけれど、一方でテレビというのは厳然たる人気商売でもあるので、女子アナもその果てなき競争に参加しないわけにはいかなかった。

この二軸をマトリックスとして、ヒエラルキーが築かれていた。そうして、下位の方の女子アナは、なんともいえず惨めだった。人気も若さもない女子アナは、もちろんサラリーマンだから粛々と出社しなければいけないのだけれど、会社に来ても特にすることもなく、無為に時間を過ごしており、それが悪循環となって、同世代の他の部の社員より一層くすぶって見えるのだった。

そういう人たちを見て、Aは強い危機感を抱いた。そうして、なんとかヒエラルキーの上位に上り詰めなければならないと痛感させられた。


ヒエラルキーのうち、若さばかりはどうしようもないから(それにその頃のAはまだ若かったので、この問題からは無縁でいられた)、とにかく人気を獲得しなければと思った。

しかし「獲得」するといっても、女子アナの場合は複雑な問題をはらんでいた。それは、女子アナにはまず「サラリーマンである」という大前提があって、タレントのようにガツガツと前に出るわけにはいかないということだった。人気を獲得しようにも、あからさまな施策を実行することはできなかった。そんなことは単純に許されなかった。だから、あからさまではない、何か別のやり方で、人気を取るために動かなければならなかった。


女子アナは、自分から番組に出たいなどと主張することは許されていなかった。それは明らかな越権行為だった。女子アナのキャスティングというのは、通常、アナウンス部長に一任されていた。女子アナを番組にブッキングする場合は、まず制作部のプロデューサーなりディレクターが、アナウンス部長にお伺いを立てた。その際、誰かを指名することもあれば、「若い子で」とか「ベテランで」というふうに、ある程度幅を持たせてお願いする場合もあった。あるいは、「誰でもいいので」とお願いする場合もあった。

喜ばれるのは、もちろん「誰でもいいので」とお願いすることだった。アナウンス部長は、部をマネジメントする立場として、女子アナに陰日向ができるのをあまり好ましく思っていなかった。だから、ヒエラルキーの下位にいる者にも、なるべく仕事を回したいと思っていた。そのため、「誰でもいいので」というリクエストがくれば、喜んでくすぶっているアナウンサーをキャスティングするのだった。そうして、いつでも部内のバランスを保とうとしていた。

しかし一方では、テレビというのは人気商売であることもよく分かっていた。視聴率を稼ぎたいプロデューサーやディレクターの要望として、人気のある女子アナを指名されることは珍しくなかった。そういう時、そのプロデューサーやディレクターとのパワーバランスや貸し借りなどもあって、希望を断れない場合が多々あった。そうなると、必然的に若さ、人気のある女子アナには、やはり多くの仕事が舞い込むことになるのだった。


それを知ったAは、女子アナとは「置屋の芸姑だな」と思ったのである。とにかく、指名されなければ話は始まらない。自分から売り込むことはできないが、しかし声をかけてさえもらえれば、大手を振って番組に出ることができる。アナウンス部長のブロックをかいくぐることができ、日の当たる場所へ出られる。

それはまるで置屋の芸姑だった。置屋の芸姑は、お座敷からご指名がかかるまで、ずっと置屋に待機していなければならない。差配の人に仕事を融通してもらうこともあるけど、自分から直接的な営業はできない。あからさまなことはできない。芸姑にできるのは、基本的に待つことだけだ。とにかく、ただひたすらに、声をかけてもらうこと、指名されることを待つしかないのだ。

だから、声をかけてもらう存在にならなければいけない。指名される存在にならなければいけない――Aが考えたのは、そういうことだった。そしてAが考えたのは、「では、指名してもらうにはどうすれば良いか?」――ということだった。


Aは、自分を置屋の芸姑になぞらえて、まずは指名してもらえる存在になろうと思った。そして、そのためにできることを何でもやろうとした。

Aがまず取り組んだのは、旦那衆の知遇を得ることだった。ここでいう「旦那衆」とは、プロデューサーであったりディレクターだった。女子アナを番組にブッキングするのは、時々タレントであったりスポンサーだったりといった例外もあったけれど、基本的にはプロデューサーかディレクターだった。彼らこそが、芸姑をお座敷に呼んでくれる旦那に他ならなかった。そこでAは、まず彼らに狙いを定めた。

そこでAがしたことは、まずはそのプロデューサー、ディレクターの意図を理解し、それを代弁する「代弁者になる」ということだった。

テレビというのは、どんな小さな番組でも、なあなあに作られるということはなかった。どんな番組でも企画会議というものがあって、そこで時間をかけて練り上げられたアイデアをもとに制作された。だからAは、まずはその企画会議で練り上げられたアイデアというのを読み取ろうとした。そしてそれを理解し、出演者として表現し切ろうと思った。

ディレクターというのは、ほとんどの人間が自分なりのアイデアというものを持っていた。そして表現欲というものもあった。たいていのディレクターは、彼らの裡に何かアイデアがあって、それを表現することを番組制作の大きなモチベーションとしていた。だから、それを理解し、自分の代わりに代弁してくれる者こそが、彼らが求める出演者の一つの理想であった。ディレクターは、特殊な場合を除き、画面に映り込むことはない。だから、出演者に自分のアイデアを託すしかないのだけれど、そこで自分の声を、思いを、アイデアを代弁してくる者がいたとすれば、こんなありがたいことはなかった。


そこでAは、まずこれに取り組んだのである。Aは、収録の本番前に行われる出演者打合せをとてもだいじにした。そこで、ディレクターが意図したアイデアを読み取り、理解することに全力を傾けた。それを読む取るために、積極的に質問した。そしてそれが理解できた時には、その合図として、大きく頷いたり、面白いですねと積極的にリアクションを返した。そしていざ本番が始まると、その読み取った意図、理解したアイデアを、全力で表現することを心懸けた。代弁することを心懸けた。そうして、したたかで、また頭も良くアナウンスの実力をも兼ね備えていたAは、多くの場面でそれをやってのけた。ディレクターのアイデアを代弁し、それを表現することに成功した。そして徐々に、プロデューサーやディレクターたちの知遇を得ていった。


そうして、ひとまず自分の足場を築くと、Aはさらなる施策に打って出た。それは、単にプロデューサーやディレクターの意図を読み取るだけでは飽き足らず、今度はそこに自分なりのアイデアを足して、番組の価値をさらに高めていくというものだった。簡単に言えば、自分が番組をもっと面白くすることで、視聴率の向上に寄与しようとしたのである。

視聴率というのは、テレビ番組にとっては何より大きな評価基準だった。それは、ある意味プロデューサーやディレクターの知遇を得るよりずっと大きかった。高視聴率の番組でひとかどの立場を築くことができれば、これに勝るプロモーションはなかった。それは自分のブランド価値を一気に高めてくれることなので、この施策に取り組まない術はなかった。

そこでAは、今度は自分からアイデアを出すようになった。番組の企画会議に参加することはなかったが、出演者打合せの時に、アイデアがあれば積極的に発言するようになった。頭の良かったAは、これまで何度も出演者打合せに参加してきた中で、プロデューサーやディレクターの意図するところを読み取り、理解しようとしてきたので、その頃には番組の勘所であったり、肝といったものがつかめるようになっていた。そうして、出演者打合せに参加していると、そのプロデューサーやディレクターが提案したアイデアよりも、もっと面白いアイデアを思いつくことも珍しくなくなった。そこでAは、番組の視聴率をさらに高めるという目的で、そうしたアイデアを積極的に提案するようにしたのである。


しかし、この計画はすぐに頓挫した。ディレクターが、あまり良い顔をしなかったからである。出演者打合せで、Aが何かアイデアを言おうものなら、例えそれが面白いものであっても、いや面白いものだとしたらなおさら、ディレクターはすごく嫌な顔をした。ディレクターにとって、出演者というのは一種ヒエラルキーの上位に位置するところがあったので、例え同じ会社の後輩といえども、頭から否定するようなことはなかった。けれど、とても面倒くさいという顔で、そのアイデアをやんわりと拒絶するのだった。

それでAは、ディレクターというものは、出演者からあれこれアイデアを出されるのはあまり好まない人種なのだなというのを悟った。アイデアを考えるのはディレクターの職域で、そこに踏み込むのは一種の越権行為に当たるのだった。それを、職業タレントから言われるのなら仕方ないが、例え出演者とはいえ、同じ会社のしかも後輩からは言われたくないというわけだ。それでAは、すぐさま方向を転換した。


Aは、出演者打合せでアイデアを提案することはなくなった。その代わり、今度は収録の本番で、そのアイデアをいきなりアドリブで実行するようになったのである。出演者打合せでは「ふんふん」「なるほどなるほど」「これはすごく面白いですね!」と、とりあえずディレクターのアイデアを全肯定しておきながら、しかしいざ本番が始まると、要所で自分が考えたアイデアを織り込んだアドリブを、遠慮会釈なく展開していったのだ。

すると、これが上手くいった。Aは生来から度胸が良かったので、確信犯的にくり広げるそのアドリブには、一種独特のケレン味があった。特に彼女は、例えアドリブをくり広げても、自分が出しゃばるのではなく共演者を立たせることを目的としたものが多かったので、一緒に出演していたタレントからはとても喜ばれた。

これに対し、ディレクターは当然良い顔をしなかった。収録が終わると、小言の一つでも言ってやろうといつも待ちかまえていた。しかしAは、そのことの対策をすでに考えていた。Aは、番組収録直後の、まだタレントもいる雑談の場に積極的に参加し、タレントに「Aちゃんのあのアドリブ良かったよ」などと言われようものなら、すぐさま「いえ、あれはディレクターのアイデアなんですよ。私はただそれを言わされただけです」と、しれっとした顔をして答えるのだった。するとタレントは、今度は嬉しそうにディレクターの方を向き直り「そうなのか! じゃああのアイデアはわざと隠しておいたんだな。やられたよ」と満面の笑みで言うのだった。そうなると、ディレクターとしてももうそれを否定するわけにはいかなかった。そうして、「いや、すみません。その方が面白くなると思って」と、ちょっとはにかみながら答えざるを得ないのだった。

これは効いた。タレントにそう言われると、ディレクターとしても当然悪い気はしなかった。その上、結果的に番組も面白くなり、タレントも喜んでくれるのだから、悪い話ではなかった。Aの生意気なアドリブは鼻についたが、それさえ目をつぶれば、自分の株も上がるのだ。これは決して悪い取引ではなかった。それに、タレントに対して「自分のアイデアだった」と嘘をついてしまった以上、もう後戻りもできなかった。


しかしこれは、ある種の怖ろしい罠であった。そうやってディレクターは、いつの間にかAに、自分の株を上げてもらうという借りを作ることになるのだった。また、タレントにそれを自分の手柄だと嘘をついたことで、Aとのあいだに共犯関係を取り結ぶことにもなった。

この「共犯関係」というやつが、何より強かった。それ以降、Aは、どれだけアドリブをくり広げようとも、このディレクターからは文句を言われなくなった。それは、相手の株もそれで上がるというWin-Winの関係を築けたからというのもあるけれども、それ以上に深く濃かったのは、ディレクターに一種の「賄賂」として手柄を譲るという共犯関係を取り結んだことにあった。


そうしてAは、その共犯関係を足がかりに、一気に勢力を拡大していった。

勢力を拡大していく中で、Aは、「魅力とは何か」ということについても考えを深めるようになった。というのも、Aのこのアドリブは、やってみて初めて分かったのだけれど、魅力というものについての本質的な価値を含んでいたのである。

それは、それこそ置屋の芸姑ではないが、従順なだけでは、旦那にとって魅力的ではない――ということであった。従順で素直なところを残しながらも、一方では生意気で小憎らしく、なかなか素直には従わないところもあった方が、プロデューサーやディレクターにとっては魅力的に映り、結果、指名される確率も高くなるのだった。

いわゆる「かわいさ余って憎さ百倍」というやつだった。そこでAは、自分のこの「可愛さ余って憎さ百倍」なところを可能な限り前面に押し出していくことにした。この施策は、ある種危険なタイトロープではあったものの、しかしより強い存在、より強い女子アナを標榜していたAにとって、それを取り入れない手はなかった。


それからAは、どんな現場でも「裏切る」ということを心懸けるようになった。いわゆる「良い意味で裏切る」というやつだ。あるいは「予想外」。女子アナの範疇から足を踏み出さないギリギリのところで、プロデューサーやディレクター、あるいはタレントの思惑を良い意味で裏切ろうとした。良い意味でその予想を外そうとした。するとそれは、絶大な効果を発揮した。Aの人気は一気に上昇した。それは、テレビの前の視聴者以上に、プロデューサーやディレクターから人気を博すようになった。

Aは、もともと容姿にも恵まれていたし、アナウンスの技術にも一級品のものがあった。その上にクレバーな頭脳と類い希なる勇気、そして何より洗練された自己プロデュースと、自ら築き上げた「置屋芸者理論」に則ったいくつかのユニークな施策でもって、あっと言う間に女子アナヒエラルキーのトップに躍り出ることになった。


トップに躍り出たからといって、Aには嫉妬や批判といったいわゆる「風当たり」が強くなるようなこともなかった。もともと、「指名を待つ」という基本的なルールは頑なに守っていたから、文句をつけられる筋合いもなかったのだけれど、それに加えてAは、先のディレクターと取り結んだような共犯関係を、他の多くの人とも積極的に取り結ぶようにしていたのである。

例えば、アナウンサーとして自分の評判が上がれば、それは必ず上役やアナウンス部長の手柄に転化するように心懸けた。また、同僚のアナウンサーと競演する機会があれば、持ち前のタレントを立たせる技術をここでも発揮して、必ず同僚を立たせるようにした。

Aは、もとより自分の手柄といったものにはほとんど興味がなかった。そんなものはみんなあげてしまって構わなかった。彼女は、自分が指名されればそれで良かった。女子アナとして、ヒエラルキーの上位にさえ登り詰められれば、それで良かったのである。

彼女がヒエラルキーの上位に上り詰めたかったのは、虚栄心と言うよりは、持って生まれた闘争本能と負けん気によるものだった。ヒエラルキーの下位にいる者の現状を目の当たりにし、ああなってはいけないという危機感から、上り詰めようとしただけだった。だから、ちやほやされたり他人を蹴落としたいという気持ちはあまりなかった。それが、彼女がこうまですんなりトップに上り詰められたことの、大きな理由の一つにもなっていた。


それが、ぼくが何人かのディレクターから聞いたAにまつわる話のあらましだった。当時のぼくは、それを聞いてすごくびっくりした。なるほど、それくらいしないと女子アナでは一番になれないのかと、本当に他人事としてではあったが、ただただ感心させられたのだった。


しかし長い歳月を経た今、Aのこの話は非常に示唆に富んでいると、あらためて唸らされるところがある。そこにはエンターテインメントだとか、面白さとか、コミュニケーションとか、営業とか、人間関係とか、男女関係とか、交渉術とか、あるいは人としての生き方についてまで、色々参考になるところが数多く含まれている。

今日のところは、Aの話をただ思い出し書いただけだけれども、いつかそれをもう一度咀嚼して、分析し、エッセンスとして、あるいはメソッドや型として、まとめることができたらと思う。


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